第102話 神と水の民。そして苦しみ。

「あぁ……まずいぞっ。これは」


他方、こちらも必死に傷口を押えながら、足を引きずり歩くジキムート。


彼の左足は、逃げる時の初速に全てを使い果たしていた。


今はもう、ほぼ使えなくなってしまっている。



「くそっ、ローラのクソがっ!? あのアバズレのせいで、ここがどこかすら分からねえだろがよっ! 全部良い所持って行きやがってっ!? こんなのどうすりゃいいんだっ。とにかく考えろ……考えるんだぜっ!」


来た道を戻ったローラについていけば、大量の追手が来ることは明白だった。


なので逆に走る事を選んだが、ジキムートが完全無欠の迷子になってしまっている。


彼は頭をフル回転させ、可能性の尻尾だけに絞って考えていくっ!



「ここは洞窟。確か……下水道の隠し通路だっ。下水……。下水、か」


一度立ち止まり、耳を澄ますジキムート。


焦る気持ちを抑え、高鳴る心臓を無視して、そして――。


ザァ。


水の音を探り出した。


すぐに音の方へと足を引きずり、のたうちだす。



「はぁはぁ……。水に飲まれて、死んじまわなきゃ良いけど、な。それに傷が悪化しちまって足切断とかよっ」


向かう先にもし助かりそうな何かがあっても、希望とは限らない。


今よりマシの地獄が待っている。それだけかもしれなかった。



「いたぞっ、いたっ!」


声が後ろからかかるっ!


「追手はまだ遠いが――。チッ! ここの世界の奴らは面倒だぜっ!」


追手はまだ、距離がある。


だが、この世界の人間はすべからず、自由に飛び道具が使えるのだ。


すぐさまジキムートは体勢を、全力で逃げるように倒し――。



「逃がすなっ。追えーっ」


「しゅっ!」


突然ナイフを投げるジキムートっ!



ヒュンッ!



「待――」


ザクンっ!


「ぐえっ!」


見事命中っ!


しかし……。



「ぐっ!?」


ぴしゅしゅっ!


ナイフを投げようと体勢を変えた瞬間に血が吹き出るっ!


それと同時に痛みが脳に回った。


今のジキムートはもうクスリも切れ始め、限界だ。


一人を討ち取っても、後が続かなかった。



「クソっ! しっかりしろノゥラっ。おいっ、お前らは追えっ!」


悲鳴のような指示の後、足音が近づいてくる。


今追いつかれれば、なんの事はない攻撃でも致命傷になってしまうだろう。


「はぁはぁ」


必死に痛みをこらえ、なんとか剣を地面につき、全力で逃げようとするジキムート。


そして……。



「お前らぁ、本当にこれで良いのかよっ!?」


「撃てっ、撃てぇ!」


素人の、狙いの甘い氷が飛び掛かってくる。


ヒュンっ! ひゅん……ひゅんっ!


「ぐぅ……うぅ」


いくつかが体をかすめる。


ヘトヘトの体は少し押されただけで、寝ころんでしまいたくなる程だ。


だがそれでも……。



「マッデンのクソブタ野郎に、良い様にコキ使われて――。はぁはぁ。良い御身分だなぁ……ええっ!? 神の使徒様よっ!」


必死に声を張り上げていくジキムート。


「うるさいぞ下民っ!」


「ゴディンも死んだんじゃねえのかよっ。もう勝てないんじゃないのかっ!? あのヴィン・マイコンが生きてんだぞっ。どうしても無理なんだ、諦めろよっ!」


「ふふっ、貴様の命の心配をしろよっ! 負け犬傭兵のゴミがっ」


心にかからないジキムートの言葉達。



するとジキムートに残った右足の、その太もも。


そこをえぐる攻撃がっ!


グズッ!


(あっ……やべっ!? なんとか……なんとかしねえとっ!?)



「独立……っ! そうだ、独立なんぞして、どうなるってんだっ!? 意味なんてあんのかよっ。意味ねえだろがっ!」


「なんだとっ!? お前には関係ないだろうがっ。水の民でもない貴様に、何が分かると言うのだっ!?」


(よしっ、この話題だ。)



「へへっ……。はぁはぁっ。分かってねえな、お前……ら」


ジキムートが薄ら笑いをあげながらなんとか、崩れそうな体勢を全力で立て直す。


まだ、走る価値があるのだ。


「なっ、何がだっ。お前に何が分かるっ! 我らの置かれた立場を……っ」


「立場ぁ? なんだよそりゃ。神様に愛されて良い御身分っ! それ以上に何があるってんだよっ」



「何を気楽に一般人共めっ! 我々の立場は常に危ういっ! 有史以来、王侯貴族共が我々を妬み、そして、疎ましく思い続けているのだっ! 権力が無ければすぐにとりこまれてしまうっ」


「そうだっ。市民でさえ我々に悪態をつく始末。この状況は変えねばならぬっ!」


口々に反論が飛んでくる。


ジキムートはそれを背後に、痛んだ足を引きずり歩いていく。



「へっ、そりゃそんだけ傲慢ならなっ! 神様を独占しようって腹積もりのお前らが悪いんじゃねえのかよっ!?」


「独占などしていないっ。むしろ人々は決して、神のお言葉を聞き入れなどしないのだっ! 例え真実、本当の事を説いてもなっ。自分の意の通りにならないとなぜか我々のせいにするっ。まるで我らが〝カムイ(神威)〟を弄して、自分たちの私腹を肥やそうとしているとなっ!」


「……」


「神への冒涜は禁忌でも、私達への冒涜は日常茶飯事っ! やれ言い方を気をつけろだの、お前の伝え方がなってないだのっ! 挙句の果てには嘘つきだのっ! しかも関係が無い筈の、特権階級だとまで罵られるのだっ」



自分の意のままにならないと、小さな事でもあげつらって騒ぎだす奴がいる。


パワハラ上司やSNS、新聞記者もそれに属するだろう。


だが、彼ら水の民の前には、日常茶飯事で目の前にやってくる。


なぜならここは聖地。


世界最高の1柱を祀る場所。


聖地には、神にすがりたい一心の人々が大量に押し寄せる。


たまったもんではないのは想像にたやすい。



「それを話し合った事はあんのかよっ!?」


「当然だっ!だが奴らは決して、自分達は悪くないと言った顔だっ! 我らの態度が気に食わぬのだとなっ! 悪態のつき放題さっ! 何せ、我らは神ではないのだからなっ」


あなたはおみくじをした事があるだろうか?


それを1度引き、悪い運勢が出たのでもう一度、引き直した事は?


(そうか……。神様に意見できねえ以上は、コイツらにあたるしかねえんだな……。じゃねえと恐怖心から逃げらんねえ。)



彼ら水の民は常に、神から出された1つの答えしか出せないというのに、必要以上にすがり付くモンスター市民が居る。


病気が治らないと告げられて、そう告げた神の顔を見れば『天命ですね』と笑い、自分を見れば――不機嫌に横柄にモノを言う。毎日がそれ。



「だがアイツらが我らを嫌っているのを、我らが知らぬとでもっ!? その悪意を見えてないとでも思っておるのかっ!?」


人が人を憎む事に、意味や意義などいらない。


嫌いなら嫌いで、それで良いのだ。



だがそれを分かっているならまだしも――。


理解せず、善意のような面構えで、カンシャクを振り回す者がいる。


それが面倒この上なく、彼ら水の民にとっては心底『心労』の種だった



「我々もアヤツらを嫌いなのだっ! しかし神の手前、公平に話せばつけ上がりおってっ。私達は決して奴らに奉仕するために生まれたのではないっ。神の為に生まれたのだっ!」


(生まれた時から神に愛されてんだ、そりゃあ嫉妬の火種はすげえだろうな。金持って暴力持っちまえば貴族になれる。姉さんも言ってた。それが希望って奴か。だが、コイツらは人じゃねえ。同じ土俵の中にいねえ。開いた差が埋まらねえのは、つれえもんさな。)


いつか、傭兵自身が知った絶望に重なる。



格差を生み出す元凶が『力』だと言うならば――。


暴力と、金銭。この2つが〝権力″を産む元凶力。


誰もが夢見れる、手の届くはずの格差。



だがしかし、『生まれた違い』が元凶となって生み出すのは〝嫉妬″。


この格差を超える事は――。



「我らのどこが悪いと言えるのだっ!? 貴様らが無能なのは、私のせいだとでも言うのかっ!? それが神のお導きだと言ったら、私を殴るのはなぜだっ!?」


無限にマナが溢れる度に、無限の寵愛の格差が生まれる。


無限のマナこそが、人が人を嫌いにする、無限の嫉妬を生み出す元凶ならば――。


この神の使徒は、永遠に人類に愛されない民族と言えた。



「王族などは特にそうだっ! 大地の民を見ろっ。聖地を塀で囲われ、外に出る事すらかなわないっ。我らは常に、軍事的な緊張の中にあるのだっ。一歩どころか懐深くまで王を追及する。そのような事を言わねばならぬ場面が神託にはいくつもあるっ! 我らはそんな政治的な意味など、幾分も欲していないというのにっ!」


王侯貴族はとって神は、唯一自分を裁ける、言い訳無用の裁判官でもあるわけだ。


どんな暴君も神妙な面持ちで正装し、神にひざまずいて拝聴する。


そして――。



(そんなピリピリした、普通でもイケ好かねえ王侯貴族共の相手するなんぞ、確かに俺ならごめんだわっ。)


薄ら笑うジキムート。


王族にとって貴族にとって、そして市民にとって。


神が顕現するこの世では、神こそが全てのよりどころである。



がゆえに、神に(本人の期待を)裏切られた時の苦しみは、想像以上なのだろう。


神が言葉を伝えて、悠々と去っていく……その後。


ほっぽリ出された人間の後始末を任される水の民の責務は……。


想像以上につらい。



「祈りをささげて生きるには独立しかないのだっ! これこそが唯一の道っ!」


「へぇ……。なるほどなぁ」


彼らはただの、雑事を承った水の神の使用人だ。


それが生き甲斐であるのは道理。


しかし――。



「ところでよぉ、独立したら、誰が一番になるんだ?」


「それは当然、我らが予言者であり筆頭……。そう、マッデン様に決まってるっ!」


クスっ……。


「なぁ、確か。神の声が聞こえるのはアイツだけ。なんだよな?」


ジキムートが笑いを含んだ言葉を上げる。



「……」


その声に触発されて、水の民らは自分の中にある、一つの汚泥に気づく。


それは、自分を嫌う一般人とやらと同じ色の沼。


「お前ら本当に〝アレ″に導かれて、正しい祈りの日々とやらを――。自分が理想とする生活を送れるとでも本気で、心の底からそう思ってるのかよ」


「……」


傭兵の言葉に、水の民達が止まる。


真実を知らされていないのは本当に人間だけか?


水の民は本当に神の言葉を、知っているのか?



「マッデンの独立の本気は、お前らの本気と同じか? 確かめたか? どうやって確かめた? 嘘はねえのかよ? 神の声はどうやって問いただすっ!?」


「……」


ジキムートとの距離が開く。


水の民らは、自分が疎ましがる人間と同じ問題を、自分も持っている事に薄々――。



いや、最初から知っていた。


だが耳を塞いでいただけだ。


それをジキムートに見透かされ、疑心が心に再来してしまう。



「お前たちはこれから、死ぬほど戦うってそう、あのデブは勝手に約束してたぜ。それはなんの為――」


「そこまでですよっ、ペテン師」


ひゅんっ!


飛んでくる氷は殺気に満ちていたっ!



「チッ! ノーティス」


ジキムートが慌てて避けるっ!


ブラウンの瞳に殺意を宿し、ノーティスが迫ってきているのを見やり、大きく舌打ちする傭兵。



「ふふっ、さすがですね。良い詐欺師だ。人間の闇を暴き、そこをむしゃぶりつくす。ペテンの鏡です」


「お褒めの言葉……どうも。そういやお前――」


ヒュンっ!


カンっ!


「ぐぅっ!?」


落ちていた自分のナイフを投げられ、腹を押さえるジキムート。


なんとかナイフは、鎧が弾き返しているが……。



「私はあなたとは話はしません。ただ殺します。それが一番良い」


「うぁ……あぁ」


ドタッ。


衝撃で倒れてしまったジキムート。



詐欺師と話し合ってはいけないと、ノーティスは理解している。


恐らくはにべもなく殺されるだろう。


キジも鳴かずば撃たれまい。


だがペテン師は鳴かすな即殺せっ!



「くそっ!? 水は近いってぇのに……。ダメかっ」


ジキムートの耳にはもう、水が大音量で落ちるのが聞こえている。


だが、この女を前にしてはどうやってもきっと、生き残れないだろう。


「ではなっ、ジキムートっ!」



ザスっ!



「ぐぅ……っ!? あ……ぐっ。痛いじゃないか?」


苦しそうにうめく。


腹を刺され、苦しみに屈んでしまった。


そして剣を握り、刺した主を睨む。

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