第78話 戒律

「バカモンがーーっ!」


「……」


「……」


2人は今、マッデンの前に居る。


あれから何週間後かの日、彼ら親子はマッデンに呼び出されていた。


「まさかお前までもが、このような愚行に走るとはな……。一体何を考えておるかっ!」


「……」


応えない、マッデンの妻。


何か上の空だ。



その妻の態度に、マッデンの顔がみるみると赤く燃えたぎっていくっ!


「何をしておるっ! こっちを見んか馬鹿もんがーーっ! こうなったら貴様、どちらかを追放せねばならないのだぞっ! こんな失態があってたまるものかっ!? 家はどうなるっ。わしはなんとすれば良いのだっ!? こんな計算外の事を、良くしでかしてくれたなーーっ!」


苦々しい顔で、マッデンが言葉を叩きつけたっ!


すると……。


「なッ!? 追放です……か? そっ、そんなお父様っ! そこまで厳しい処分を下す理由はありませんっ! 王も我々を罰せないっ! 今回も同様に、隠し通せばっ!?」


父親の言葉に、ゴディンが蒼白になるっ!


だが逆に、そのゴディンの言葉にマッデンがしかめっ面をしたっ!



「ゴディ……ン? 貴様っ!? なぜ……なぜ知らぬっ!? お、お前。お前の教育はどうなったっ! お前は何故、戒律をゴディンに教えなかったのだっ!? 親子で愛を、交わりを持つは禁忌っ。絶対にやってはならぬとっ! それは人間法ではなく、そう戒律があると何故、ゴディンが知らんのだっ!」


「戒律がある? う、嘘……だ」


呆けるゴディン。


だが、マッデンの怒りは止まらず妻へと近づき、詰問し始めたっ!



「なんとか言わんか、このメスがっ! 貴様が怠惰が招いた事なのだぞっ。我がトゥールース家代々に渡っての名家から、聖地逃亡などと言う大罪人を出す羽目になったっ! この責任の全部が、お前の不行き届きのではないかっ」


「責任ですか?」


「ああそうだっ! 良いか、神の捨て子にも劣る、娼婦のメスザルような行為なのだっ! 娼婦ですら、兄弟や親子での姦通など行わぬと言うのにっ」


「神の捨て子、ね」


マッデンの妻が寂しそうに笑う。


「〝ソレスティアル・ドゥーエン(予言者)〟の家系が、このような失態……。信じられぬ程の愚かしさっ! そしておぞましさよっ。それに……貴様、何度言われれば分かるのじゃっ! 花など育てよってからにっ。何かあれば花を飾ろうとしおってっ!」


マッデンは叫んで、そこにあった花瓶の花を全て捨て去っていくっ!


投げ捨てられた花は、家族の足元に散らばった。


それを……マッデンの妻が見ている。


「……」



「お前も水の民ならば、分かっておるだろうにっ。何度も何度も恥ずかしいっ! 花は供えるものではないのだっ! 神が愛さない物を、愛でる必要もないっ! こんな物を、同胞に手向けるな、と、何度っっ! 何度何度何度ーーっ!」


怒号と沈痛、入り混じった面持ちでマッデンが吼える。


ビキキッ!


マッデンの怒りの魔力で凍った花々。


それは全て、ゴミと化した。


「ふぅふぅ。やはりお前と婚儀を行ったのは、間違っておったか」


睨みつけた、その時。



くい。


「それは……神のお言葉なのですか?」


――。


「……っ!? 戒律は神のお言葉だっ、馬鹿なっ。馬鹿な馬鹿なっ!? な……何を言っておるっ!?」


「いえ。その、娼婦は神の捨て子にも劣ると言う話ですよ、マッデンさん」


マッデンの妻の眼は、本気で聞いている目だ。


まるで、数学者に算数の足し算を聞くかの如く、純粋な目で聞いている女。


ゴディンも少し驚き、母親を遠巻きで見ている。


「……」



「いつ、誰が階級を決めましたの? 俗世ではどうと言おうと、貴方は神に従う人間ですよ。あなたは娼婦を偉く軽んじ、忌み嫌っていますが。それはダヌディナ様の言いつけなのですか? 神の捨て子と言う言葉も、どういう意味ですか?」


にじり寄るマッデンの妻。


その雰囲気に恐れをなし、マッデンが後ずさるっ!


「いやっ。それは……。大体そうじゃろうがっ! あのような、人に軽んじられる女共っ。薄汚いとお前は思わぬのかっ!?」


「そんなあなたの勝手な思い込み、神の前では関係ありませんわ。あなたはどうやら〝カムイ(神威)〟を乱用している節があります。」


「神の前? そっ、それならば神の捨て子じゃっ! 何より高貴な神が与えたマナを、欠片も使役できないような神の捨て子じゃぞっ!? 神は奴らを少しでも愛しているとでもいうのかっ。それに今は戒律の話じゃっ。戒律の話をせいっ!」


「戒律、ね。マッデンさん。私はいつも思っておりました。なぜ戒律はあるのか、と。清く清廉な状態で神を受け入れる。その為に戒律があるならばなぜ、我ら水の使徒と人間を分ける必要があるのかと。常々思っていましたの。あなたのその暴力癖もそうっ!」


「いや……それは我々だけにっ。そう、神は我々を、特別に愛されたからだっ! 神自ら直々に戒律を示し事によって、おん自らの恩寵を示す為の戒律に、決まっておろうがっ。聡明な使徒だけが体現すべき物と、下賤が従う俗世とは違うのが分からんかっ」


しどろもどろに言葉にするマッデン。


だが――。



「導く事を忘れていますわよ。自称〝ソレスティアル・ドゥーエン(予言者)″さん」


「じっ自称だとっ」


マッデンの目に殺気が宿り、拳に力が入ったっ!


だが、それに臆さずマッデンの妻が言葉を放つっ!


「貴方の語った我らの聡明さと、神に愛される特別さっ。そこに人類全てを導くのが、使徒たる我らのではないのっ!? なぜあなたはいつもいつも、神の愛で済まそうとなされるのですっ。私達が特別だからと言って、人間を見下して良いと神がおっしゃったられた等と、そんな事聞いた事ありませんのよっ!」


「かっ神は言わずとも、これは人の問題なんじゃっ! 神が愛した者を愛さねばならぬのは、至極真っ当じゃろうっ。それにわしが娼婦を嫌っとるのではないっ! 世界が嫌っとるのだっ。〝ライトディバイン(光の加護)〟も全ては、世界の問題よっ! わしは知らんっ」


「世界の問題ですってぇっ? なぜ勝手に他人に、世間に、全ての責任を取らせようとするのですっ!? あなた自身の責任はどこに行きましたのっ!? 人としての責任はどこにあると言うのですかっ」


「な、何をいきなりっ。人としての責任などっ! わしは神の使徒じゃぞっ。そんな小さな事に……」


「ほらまた〝カムイ(神威)〟を乱用してっ! だったら女を殴るのは、小さな事なんですのっ!? 神が直々に、戒律を設けているのですよっ? それは禁忌な事であるからに決まっているでしょうがっ! そんな事も分からぬのですかっ!? 」


「……」



「ねぇ……神様をお出し下さいっ! 貴方など興味が無いのです、わたくしはっ。神を……美しきダヌディナ様に罰されるならばそれで良いっ! 私に少しの問答をさせて下さいませ……っ」


ゆさゆさとマッデンを必死に揺すり、懇願するマッデンの妻っ!


マッデンはその言葉にビクリっと跳ねたっ。


「わ……我は……っ。お前は知っておるだろうっ!? そんな事ができる訳が……っ。ぐぬぬっ。いい加減にせぬかっ!」


……。


「ふふっ。ふふふっ。そう言えば、貴方はそう言った、万能の予言はできないのでしたわね? それならあなたに聞くしかありませんわ。ですが戒律がある理由すら、言葉にできないヘタレ無能のあなたです。それでどの口ぶら下げて、私に戒律を守れなどと言えるのかしらっ!?」


へらりと歪む、マッデンの妻の顔。



「閉じよ……。口を……っ。黙れこの……」


「あの死んで行った子達に、どんな言い訳をするおつもりで? 娼婦はダメでも結局は、女が欲しくてたまらないのでしょう? あなたは貴族の娘しか抱かない等と、おおっぴらに明言してしまうような、勘違いの豚ですが、ね。


近づくマッデンの妻の顔。


女が薄ら笑う顔に、マッデンの表情はドンドンと、怒りから……焦燥へ。


「女ぁ。これ以上、わしの積み上げた物をかき乱すと、承知せんぞ」


「それで一度として愛情を得たという為しがあって? ねぇ……」


「黙らんか……っ。黙らんかこの女風情がっ。男がいなければすぐに壊れるような、欠陥品ごときが……っ」


「ねぇ、そんな人間の畜生如きが、わたくしにメスザルなどと、どんな……」



ヒュンッ!


「黙れえっ!」


パキンッ!……ドシャアァアアッっ!


「母様っ!? かあ……さま?」


ゴディンはその、散らばった真っ赤な宝石を見つめる。


冷たく凍ったその紅にはもう、力はなかった。


倒れた母の名前をただただ、呼ぶ事しかできないゴディン。



「ハァ……ハァ……。母様」


ゴディンはひたすらに唇を噛み、涙を流した。







「どうしましたか?」


揺れる銀髪。


「お前……?」


「さぁゴディン。私のこの鎖を取りなさい。このままではまた、あの辛い記憶よりもっと、悲しい事が起こるのですよ。それともあなたは、私の死体に望まれない花を手向けてしまうの……?」


「はっ……はっ!? 母様っ!」


ノーティスの言葉を聞くや否や、ゴディンがノーティスを抱きしめたっ!


ブチュッ!


「んっ……んっんんんっ!?」


ペチュッ……チュピ……ちゅっちゅっ。


「はむ……ん……んぅうう」


交わり合う、唇と舌。


部屋中に交わりの吐息が広がり、そして、ノーティスもそれに応じる。


絡まりあった2人。


そして――。



「はぁ……はぁ。逃げないよな」


「えぇ、もちろん。大丈夫ですよ、ゴディン。あなたには役目があります。それを全うさえすれば、いくらでも、ね」


ノーティスが笑う。


すると、鎖が外れ……。


「じゃあ、お前は私を受け入れて……っ」


トントンっ。


「おい……ゴディン。お前何か、外から傭兵の〝器″を持ち帰ったそうだが……」


「おっ、御父上っ!?」


マッデンの来訪に、驚きの声を上げるゴディンっ!


「いっ、いやそのっ。何の用ですか? 私はただ、久しぶりに外に出たので、自分用にただ、その……えと……っ」


なんとか必死に取り繕い、言い訳を考えている。



「いや、傭兵などと下賤な者と2人きりとは、なんとも危険だと思ってな。素行も悪いと聞く。娼婦のような輩でも困るじゃろう。せめてきちんとした守護をつけんと」


「い……いや、大丈夫だよ御父上っ! 僕は……っ」


目の端で何かが動いたっ!


「入ってきなさい、マッデン。自称〝ソレスティアル・ドゥーエン(予言者)″。神の掃除夫よ」


突然の女の声っ!


ノーティスが扉に向かって言い放つっ!



ドンッ!


一瞬で氷になって、崩れ落ちる扉っ!


「……っ。誰じゃ貴様。わしに何と言ったっ」


扉の前には、特段太った男。


マッデン・トゥールースが居たっ!


睨む現〝ソレスティアル・ドゥーエン(予言者)〟。


「おっ……お前ぇっ!? 死にたいのかっ!?」


ノーティスを見やり、ゴディンが叫んだっ!


顔面は蒼白だ。


体は汗でまみれそして、膝が揺れる。




「ふふっ。貴様らはただの、神の身の回りの世話をするだけの役職だったはずだ。掃除夫風情がなぜ、仕事を放棄している? 恐ろしくないのか、神罰が。今や神域にすら近づけないお前らには、時間がない。困っているはずだぞ?」


そのノーティスの言葉に一瞬にして、彼らの顔色が変わるっ!


「……ふぅ、八つ裂きか」


「イヒヒっ」


ノーティスは、笑った。

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