第77話 ダヌディナ神。

パタ……ン。


「はぁ……はぁ」


よろよろと階段を上がり切り、部屋の前。


「お母上」


声がかかった瞬間、マッデンの妻は顔を隠したっ!


「ゴディンっ!? まっ……まだ起きていたの?」



ゴディン。


そう呼ばれたのはまだ、齢13・4の少年だった。


息子が彼女を、覗き込むように聞いてくる。


夜の闇に隠れるように、マッデンの妻は目を伏せた。



「なぜ……そのような事をなさっておられるのですか?」


「……」


応えないマッデンの妻。


そしてゆっくりと扉を。


自分専用の部屋への入り口を開ける。


「そんな仕事、〝インフェリオ(幼生天使)〟にでもさせれば良いのに」


「これは……その。私のあの方への奉公の一つです、ゴディン。わたくしは、あの方にとって足りない物があるの。私の不始末のような物なのですよ。ですので、その一助になれば……と」


「嘘ですよね、母様。 あなたは父上を気遣ってなどいないっ。ただダヌディナ様の顔色をうかがっているだけだっ! あなたは苦しみ続ける苦行で、神への信仰となされているのですよっ」


「ゴッ……ゴディンっ!何を馬鹿な事をっ。それに母様と呼ぶのは止めて下さいと言ってますよっ!」


周りを気にするマッデンの妻。



「明日に……。この話は後日にしましょうゴディン。もう夜ですよ。ダヌディナ様も夜は、蒼白が過ぎれば寝よ。朝は水が光るまでは起きてはならぬと……」


彼女はゆっくりと、扉に身を隠すように、ドアの中へと逃げ込もうとした。


「ですがそのような尊神(リービア)には意味がないっ! 神はそのような事を望んでなどおられないのですっ!」


しかし、ゴディンが部屋のドアが閉まるのを止め、母親に詰め寄るっ!


「あなた何を〝カムイ(神威)〟のようなっ」


その言葉の直後、母親は確かめるように、息子に寄っていく。



「あなたもしかして……。ダヌディナ様のお言葉が聞こえるのね?」


「えぇっ。少しだけですが。目覚めるとあの方のお声が残っています」


嬉しそうなゴディンの表情を見やる母親。


彼女はとても、安堵したように息子の言葉に聞き入りそして、笑顔を取り戻した。



「それは……。とても安心しましたよゴディン。あなたはきっと良い〝ソレスティアル・ドゥーエン(予言者)〟になれるでしょう。私はとても貴方を誇りに思います。どのような物なのでしょうか、神託とは。私も一度……。そう、一度でいいからダヌディナ様のお声を、言葉をっ。自身で聞いてみたいわ。あぁ……たゆたう水、誇りの流れ。神のうるおい」


幸せそうに深々と、祈りを捧げる母親。


「私も父上のような〝ソレスティアル・ドゥーエン(予言者)〟になれるでしょうかっ!?」


……。


「ゴディン……。あの……っ。いえ、そうね、あの方もお喜びになるわ。」


……。


「いつからですか、御父上を『あの方』と呼ばれるのは」


「……」


長い髪の毛を指で巻き、目を伏せる母親。



「お母様。あなたはもう、あのような愚行をお辞めになるべきですっ! 貴族の子女は己が意思で、ここに来ている。死にたければ、自分で死ねばいいっ。あなたが手を汚す必要はないっ! あなたが傷つく事を見るのはつらいのですっ!」


悲しそうに自分を心配する息子、ゴディン。


その辛そうに言葉に、マッデンの妻は考え込んだ。そして……。


「しかしゴディン。私はあの方の妻、〝ソレスティアル・ドゥーエン(予言者)〟を支える者っ! こんな事すらできないなら、世界で最も敬愛するダヌディナ様のおそばに……。最も強き水の流れに、身を委ねられられないっ! これしかないのですよ、わたくしがダヌディナ様のおそばでできる事はっ」


「それ程〝ソレスティアル・ドゥーエン(予言者)〟と言う至上の存在の、その伴侶である事が捨てられませぬか、お母様っ。離縁の自由を認めたダヌディナ様の使徒にあって、たもとを分かつ決意をしない理由はそれなのですか?」


哀しそうにゴディンが聞く。



母親はもう、仮面夫婦のその、仮面の下。


そこにある表情を隠そうともしない。


「当然です。これは最も美しい神、ダヌディナ様の示した道。何よりも彼女はアレに寵愛を示しているっ!」


彼女には、たった一つだけの、強烈なしがらみが。


この婚姻を続ける動機があった。


「……」


彼女が愛するダヌディナ。


母親の全てである、ダヌディナとの距離。


「それをわたくしが勝手に離れるなど、断じてならない行為ですよっ! 我らは……。我ら……は」



ドサっ!



「お母様っ!?」


倒れ伏せるマッデンの妻。


血相変えて、ゴディンが抱き起したっ!



「だ……大丈夫です。少し立ち眩みをした……だけ。恐らくは、数分横になれば……」


「お母様……っ。あの部屋を掃除した後、いつも伏せ込んでらっしゃるのを私は知っておりますっ! もうおやめ下さいっ。貴族と言えど所詮ヒトっ。奴らの為に心を砕くのはおやめ下さいっ! 嫌なら来なければ良いだけの事っ。誰も奴らを呼んでなどいないのにっ!」


涙するゴディンっ!


彼にとっては、母親を追い込んでいるのは父親だけでなく、貴族達でもあるのだ。



「何を……言っているのですゴディン? あなたはまだ、人の業と言う物が分かっていないのね。彼ら貴族たちを責める事も、止める事もできないわ。決して。その気持ちはわたくしにも、分かってしまうもの。それでも我らが少しでも、人を神へと先導し、そして、道を与えるのです。人を導くのは使命なのよっ!」


「それならば御父上と一度、話し合うべきですっ」


「それも意味がないのよ、ゴディンっ。我らは〝ヒューマン・エンド(孤独)〟と戦う尖兵。その責務が第一であるわたくしと、あの方との仲がどうであるかなど、語る意味がないっ。それはあなたも知っているのでしょう?」


「……」


母親の言葉に、下を向いたゴディン。



彼は知る。


もうすでに母親には、心の救いとなるべき場所は無いのだと。


変えられない夫と社会。


そして何より、自身の重過ぎる神への愛。


彼女は神への愛に身を焼かれ、果てる運命なのかもしれない。



「この事は絶対に他言無用ですよゴディン。わたくし達はもう、おそらくは子供をもうけられない。あなたがきちんとした〝ソレスティアル・ドゥーエン(予言者)〟になるのを見届けるまでは絶対に、わたくしは大丈夫です。そして見届けれたその後も、あなたの下で私は、ダヌディナ様への愛を囁ければ、それで。グスッ……」


悲しそうにむせぶ母親。


世界で最も愛する神の元。


その一番近くにすがり付く為には、どのような心労も受け入れなければならなかった。


「そうだ……。一番近くだ。まだあります、その場所が。あなたがダヌディナ様の愛を、寵愛を欲するならば……。私を愛せば良い」


「……っ!?」



チュッ。



マッデンの妻が驚き、目を見開いたっ!


揺れる茶色の髪の毛が抵抗を示すっ!


「……んんっ、んぅ」


チュブ……チュッ……チュパ……。


「ふぅっ!? んんっ!? ん……」


マッデンの妻が嫌がるように避けようとするが、唇が離される事はなかった。


そして……。



「はぁはぁ……。お母様。私は神様のお声が聞こえます。私ならばあなたを救ってあげれるっ!」


そう言ってゴディンは母親の、女の胸をはだけさせるっ!


「こっ……これはっ!? ダメよゴディンっ! わたくしは……。わたくし達はこんな事をしてはっ」


嫌がる母親っ!


その胸に息子は舌を絡めて行く。


「愛しています、お母様っ! 誰よりもっ、神様よりもっ!」


「――っ!? ダヌディナ様より……も?ゴディン……。あなたは神に愛されているというのに……」


鼓動が叫ぶ。


彼女の心臓が、止まらない程にうずき始めた。


「――わたくしを選ぶと言うの」


涙を流し、そして――。


フッと笑った、マッデンの妻。



「そう……ね。神の恩寵がある貴方ならばまだ、救いが……」


マッデンの妻は何かを考えたように目をつむり、そして……。

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