8 返答
泊って行けとヴィオに言われたがラルスは遠慮した。のん気に世間話出来るほど気持ちの整理は出来ていない。クレアと共に暮らしていた家に入って、クレアの痕跡を見つけるたびに泣きそうになるのは目に見えている。ヴィオが泣かないのにラルスがこれ以上泣いてはいけない気がした。
無言でひたすら歩き続ける。リョシュア村を出て、少し前に通ったばかりの道を。今日の寝床はどうしようとか、食料調達はどこでしようとか、そういうことを考える余裕がなかった。それしか出来なくなったみたいに足を動かす。
風が吹き抜ける。もうすっかり風は暖かい。色とりどりの草花が芽吹き、日の光を浴びて背筋を伸ばしている。
クレアの好きな季節だ。毎年春が近づくとクレアは散歩にいこうとヴィオとラルスを連れ出した。道端に生えた花を見て、嬉しそうにほほ笑み、これは食べられる。これは薬になる。これは香りが良いと、いろんな植物の名をラルスに教えてくれた。
「どんなに寒い冬が来ても、踏みつけられても植物は咲くんです。すごいですよね」と小さな花をみて笑っていたクレアは何を思っていたのだろう。自分はあと何度この花を見られるのか、春を感じられるのかと考えていたのではないか。それを思ったら足が止まる。何で今、ここにクレアがいないんだろう。この世界のどこにもいないんだろう。クレアが大好きな春なのに。
立っていられなくなって、膝をかかえてうずくまる。
春の穏やかな風が、匂いが、活き活きと生い茂る草木が憎い。あんなにクレアは愛していたのに、クレアがいなくなってもお前らは咲くのかと叫びそうになる。
「ラルス」
カリムの声が聞こえた。
いつもより頼りなく、悲し気なカリムの声。カリムも悲しんでいるのが声と匂いで分かる。自分だけじゃない。自分よりも深くヴィオは悲しんでいる。それも分かっている。それなのにラルスは涙が堪えられない。泣くことをやめられない。
指に力が入る。爪が皮膚を傷つける感触がしたが気にせず力を入れた。傷ぐらいどうってことない。どうでもいい。もっとつらいと心が泣いている。
カリムの手がラルスに触れる。力のはいった手を優しくなで、少しずつゆっくり伸ばしていく。大丈夫だというように頭を撫でてくれる。あったかくて心地いい。だから余計に悲しくなった。何で悲しいのかもよく分からない。悲しい以外の感情が抜け落ちてしまった。
カリムの手が頭からゆっくりと顔へと移動する。それから頬に触れ、ラルスの顔を持ち上げた。涙でぐちゃぐちゃの顔を見られたくなかったが、抵抗する元気もなかった。何とか泣くのをこらえようと思ったがこらえきれず、大粒の涙が零れ落ちる。それを見てカリムは幻滅するかと思ったが、優しく笑う。
初めて見る笑みだった。
「私は、お前のことを愛してる」
優しい声が耳に届く。何でと思った。何で今そんなことを言うんだ。俺はこんなに悲しんでるのに、クレアはいないのに。ヴィオは一人なのに。
そう思っても声は出ない。
「私にお前の一生をくれないか? もう私はお前から目をそらしたりしないから」
真剣な顔だった。後悔しないと決意の滲んだ顔。これは嘘ではないと分かった。突っぱねた告白のし直しだということも。
「何で俺なんだよ……もっといい奴いるのに……」
何とも汚い涙声。こんなぐちゃぐちゃで汚い男よりカリムにはもっといい奴がいるはずだ。可愛い女の子。お似合いな女の子。
「前もいっただろ。私はずっとお前しかみてなかった。同情でお前みたいな面倒くさい奴に告白するほど私は酔狂じゃない」
カリムはラルスを抱きしめる。カリムの顔をうずめると心臓の音がした。あたたかい。生きている人間の体温。
「私から見てもヴィオとクレアは理想だった。憧れだった。異種双子とはああいうものなのだろうと思った。きっと私以外にも思っていた者は多かっただろう」
ヴィオとクレアは幸せそうだった。お互いをとても好いていた。だから見ているだけで幸せになれた。あれが幸せの形だとラルスは疑いもなく思っていた。
「だが、そんなヴィオとクレアだって別れがきた。私たちが思ってたよりもずっと早く。そう思ったら怖くなった。明日、明後日、来年、お前が共にいる保証はどこにもないと気づいた」
カリムがラルスの目をのぞき込む。その顔は泣きそうだった。
「このままお前と離れ離れなんて私は絶対に嫌だ。やっと触れ合えるくらいになったのに。
ラルスは嫌か? 無理やり契約させられた片割なんて認めないか?」
首をぐるりと囲む紋章。首輪のようだと思ったことは何度もある。カリムもラルスもずっと紋章を隠して生活してきた。異種双子として生まれたけれど、異種双子であることに違和感を覚えて生きてきた。その理由は前世にあるのだと説明されてもラルスには実感がわかない。あの生々しい夢、出会ったときの憎悪。きっとあれは嘘ではない。となれば、前世の記憶というのもあながち嘘ではないのだろう。じゃあ、今の感情は何だろうか。憎悪から始まったのに、近づきたいと側にいたいと思ったのは契約か、本能か、情なのか。
難しく考えるなというヴィオの声が聞こえた気がした。
自分が望む通りに生きればいいんですというクレアの声も。
「俺は……」
卒業後の自分が何をしているのか、ラルスには想像がつかない。でも、そうであってほしいと願うことなら一つだけある。
「カリムと一緒にいたい!」
カリムが泣きそうな顔でラルスを抱きしめた。とまっていた涙がまだあふれてくる。悲しいのと嬉しいのと、あたたかいのがぐちゃぐちゃで、何で泣いているのか分からない。分からないけど嫌じゃない。
温かい春の風が吹き抜ける。木々が揺れる。花が咲く。また会いましょうと笑うクレアの声が聞こえた気がして、ラルスは力いっぱいカリムを抱きしめた。
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