6 リョシュア村

 最終学年に上がる前にラルスは学院に外出届けを提出した。二か月は前例のないものだったが、学院側は了承してくれた。認める条件としてカリムも同行することになったのは予想外だが、一人で行くよりは気がまぎれるような気がした。

 目的地は「人の国」最南端、リョシュア村。

 ヴィオが今暮らしている場所。クレアの眠る場所。


 ラルスは幼い頃に父と旅をしたから多少の心得はあった。問題は王都から出た事のないお坊ちゃまのカリムだ。カリムにとって王都から外は未知の空間。馬車を手配するのも、若く金を持っていそうな旅人からむしり取ろうとする奴と交渉するのも、宿を探すのも、情報を集めるために人を探すのも、野宿も初体験。

 いつも堂々としていたカリムが不安そうな顔をするのは珍しい姿だったがラルスにはからかうほどの元気はなかった。カリムもそうしたラルスの心情を察してか必要以上に話しかけてこず、二人旅はずいぶん静かなものだった。

 

 そうしてたどり着いたリョシュア村は本当に小さな村で、自然豊かな場所だった。吹き抜ける風や木々、流れる水のせせらぎにラルスは故郷を思い出す。いい場所だなとラルスは思ったが、隣のカリムは顔をしかめていた。


 村の入り口といってもいいのかもわからない、とりあえず民家が並ぶ辺りに近づくと複数人の子供の声がする。何をしているのかと覗けば、男が黒板に向かって何かを書いており、子どもたちが元気に手を挙げていた。授業だと気付いたときにラルスは驚いて、珍しくカリムも目を見張っていた。


 田舎にいけばいくほど識字率は下がる。王都から遠く離れた田舎では学問のがの字もないだろうと勝手に思っていたが、子供たちは元気よく問題を答えていた。ラルスよりもかしこいかもしれない。


「村長! 知らない人がいる!」


 子供の一人がラルスたちに気づいて声を上げる。無邪気であり、好奇心にあふれた目だった。一人が気付くと子供たち全員の視線がラルスとカリムに集まる。数十の視線にさらされて、いくら子供とはいえ何だかいたたまれない気持ちになった。


「旅の人かな? 珍しい」


 黒板を前にしていた男が驚いた顔をした。眼鏡をかけた柔和そうな男だが、探るような視線を感じる。滅多に人が訪れないような田舎に、若い男が二人。カリムにいたってはぬぐいきれない育ちの良さから旅人には見えない風体。警戒するのも分かる。


「俺たちは友達に会いに……」

「友達?」

「ここ、リョシュア村であってますよね?」


 男が頷いたことにラルスはホッとした。目的地にたどり着けたことにまず安堵して、それから違う緊張で声が詰まる。


「……ヴィオって奴、知りません?」


 男が目を丸くするのが分かった。それから表情が歪む。痛ましい何かをみるかのような顔に、ラルスはこの男が事情を知っていることを理解した。

 男の変化に気づかない子供たちが元気な声をあげる。「ヴィオ兄ちゃんならあっち!」と口々に同じ方向を指さす子供たちをみて、ラルスは嬉しくなった。ヴィオはここで元気にやっている。一人ぼっちではなく、ちゃんと誰かと共にいる。そのことに安心して、どうしようもなく胸が痛んだ。


「……いくぞ」


 カリムがラルスの背を押す。感情に飲まれそうになったことに気づいたのだろう。

 グイグイと乱暴に押されるのでラルスは慌てて子供たちにお礼をいった。「またねー。バイバーイ」と元気な声が返ってくる。


「君たちは、ヴィオと……クレアちゃんとは親しかったのかい?」


 背中に男から問いが投げかけられる。好奇心なのか、ヴィオを心配してのことなのかは分からない。ラルスは振り返り、迷いなく答えた。


「親友です」

「ライバルです」


 何故か隣のカリムも、同時に全く違う言葉を発した。しかも表情は真剣そのもの。いつのまにクレアとヴィオはカリムの中でライバルになったんだろうとラルスが驚いている中、笑い声が聞こえる。


「そうか。きっと喜ぶよ。うちの娘もいるだろうか、どうぞよろしく」


 男の明るい声に少しだけホッとする。頭をあげて歩きだすと、子どもたちの元気な声が聞え始めた。

 ラルスがヴィオとクレアに初めて会った時はあのくらいの年だった。あれから八年。ラルスはいまだ学生で、ヴィオは王都を離れて最南端の村にいる。あの頃は想像もしなかった。


 小さな村だけあって道は単純だったが、ヴィオが住んでいる場所に行くまでが長かった。途中すれ違った村人に聞いたところ、ヴィオは村はずれに住んでいるらしい。元々は木こりが暮らしていた場所だけあって、森に近いのだとか。植物が大好きなクレアが喜びそうな場所だと思うと、目の奥が熱を持つ。


 緩やかな道のりを歩き続けるとやっと小屋が見えてきた。それほど大きくはないが、ヴィオとクレアが二人暮らすには十分だ。家の脇には薪があり、洗濯ものが風で揺れている。たしかに人が住んでいると分かる気配。

 家の前に作られた花壇には色とりどりの花が咲いていて、すぐそこにクレアがいるような気がした。ラルスさんお久しぶりですと笑いかけてくれるような気が。


 ラルスの足が止まる。小屋まではすぐそこで、もうすぐヴィオに会えるのに足が動かない。この先に進んだら認めたくない現実を受け止めなければいけない。それがラルスは怖かった。

 足を止め下を向くラルスを見て、カリムも足を止める。少し先に進んでいたカリムは戻ってくると、ラルスの手をとり顔をのぞきこむ。


「……帰るか?」

「ここまで来て?」

「受け入れたくないんだろ」


 クレアが死んだ事とハッキリ言わないのはカリムなりの優しさだ。不器用だし分かりにくいがカリムは優しい。そんな優しさに付け込んで、温室育ちのお坊ちゃまを野宿までさせてここまで来た。


「ヴィオの顔見ずに帰れないだろ」


 完全に強がりだ。無理やり笑ったラルスにカリムだって気づいている。気付いても何も言わず、歩きだしたラルスについてきてくれる。

 出会った頃からは考えられない。カリムが側にいてくれるから、ラルスは何とかここまで来ることができた。


 ドアの前に立ち、深呼吸する。この向こうにヴィオがいると思うと妙に緊張した。一年ほど前は会うのが当たり前だった。ノックなんてしないでいきなりヴィオの部屋を開けてもヴィオは怒らず「どうしたラルス」と声をかけてくれた。そうして過ごした時間の方が長いのに、この一年でずいぶん遠くにいってしまった気がする。


「すいません」


 ノックをして声をかける。妙に他人行儀な声が出た。もしかしたらいないかもしれないし、という言い訳を頭の中ですると、パタパタと人の動く足音がする。ヴィオにしては軽い足音。一瞬、もしかしてと頭によぎる桃色の髪。


「どなたですか?」


 ドアを開けて出てきたのは明るい茶色の髪をした少女。大人びたクレアとは違う、いかにも活発そうな子。あの柔らかな声が聞こえないことにラルスはショックを覚えた。分かっていたはずなのに。


「こちらにヴィオがいると聞いて来たんだが」


 黙っているラルスをどけるようにしてカリムが少女に話かける。無言で立ちすくむラルスに怪訝そうな顔をしていた少女はヴィオという言葉に眉を寄せた。警戒されているのを察したカリムが言葉を付け加えた。


「アメルディ学院といえば分かるだろうか。ヴィオとクレア嬢とは同じ学年で、ここに来るまでの間は勉学を共にしていた」

「……アメルディ学院……同じ学年……」


 少女は目を丸くする。セツナと同じ赤い瞳をしているが、セツナの瞳と違ってキラキラして丸っこく、飴玉のように輝いて見える。その瞳がラルスを見て、カリムを見る。それから難問が解けたかのように表情を明るくした。


「分かった! ラルスとカリムだ!」


 ビシッと順番に突き付けられた指は見事に正解だった。ヴィオが少女に自分たちの事を話していたのは明白。ラルスは忘れられていなかったことに安堵を覚えた。しかしカリムは微妙な顔をした。


「ちなみに、どのように聞いている?」

「面倒くさい奴らだっていってた」

「……ヴィオ……」


 ちょっと落ち込みそうになる。迷惑かけたのは事実だから仕方ないのだが、ハッキリ言われるとなかなかショックだ。


「あと、どんなにケンカしてもお互いを無視できない。いろんな可能性をもってる理想の異種双子だって」


 続いて聞こえた言葉にラルスは驚いた。少女はニコニコと、太陽みたいな笑顔でラルスとカリムを見つめている。嘘の匂いは全くしない。それにラルスはむず痒さを覚えた。


「ついてきて、ヴィオはクレアの所にいるから」


 けれど次の言葉に痛みを覚える。ラルスとカリムの横を通り抜け少女は振り返る。先ほどとは違う、少しだけ大人びた表情。明るい少女には似合わない憂いを帯びた顔を見て、ラルスは何も言えなかった。

 動けないラルスの手をカリムが掴む。行くぞと引っ張られ、やっとラルスの足は動いた。

 少女が向かうのは森。ヴィオとクレアが好きな場所だ。

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