4 手紙

 話し合わなければいけないと決めたものの、何をどう話したらいいんだろうとラルスが悩んでいるうちに時間だけが過ぎていった。


 エミリアーノの代わりに様子を見に行ったヴァンパイアが帰ってきたという話が耳に入ってからもずいぶん経つが、ヴィオたちの詳しい様子は分からない。


 今日こそは、今日こそはを繰り返しているうちにカリムの態度も変になった。ラルスに話しかけてくる頻度が増したかと思えば、ラルスが何とはなしに触れると慌てて避ける。けれど離れはしない。鈍感と言われる頻度も上がった。

 全く意味が分からない。


 もうすぐ最終学年になる。引き延ばしすのも限界だろうとラルスはついに覚悟を決めた。

 ベッドに転がり、カリムの帰りを待つ。こういうときは同室というのは便利だ。黙って待っていればいいのだから。考えをまとめるのにもちょうどいい。


 ラルスは卒業後についてなにも想像ができなかった。自分がどこで働いて、誰といて、何をしているのか。いくら考えても思い浮かばない。頭に浮かぶのは未来の展望よりも現状の不安。ヴィオとクレアは元気でいるのか。カリムとこのまま上手く付き合っていけるのか。そんなことばかり。


「問題を解決しないと、どうにもならねえよな……」


 ヴィオとクレアの問題はすぐさま解決できるものではない。となれば、先に満月の問題を解決しなければいけない。ラルスは卒業後もカリムを頼っていいのかどうか。


「……考え事とは珍しいな」


 いつの間にか部屋にカリムか帰ってきていたらしい。ベッドに寝転がったまま天井をにらんでいるラルスを見て、カリムは目を丸くしている。

 お風呂に入ってきた後なのか、髪がしっとり濡れていた。石鹸の香りがして、ラルスは顔をしかめる。石鹸の香りよりも、元のカリムの匂いのほうがラルスは好きだ。


「カリムはさ、卒業後のこと考えてるか?」

「……どうした急に……」


 真剣な話だと思ったのかカリムは向かいのベッドに腰かける。カリムの視線がラルスに向けられているのには気付いていたが、ラルスは天井を見上げたまま動かない。目を合わせない方が本音を言えるような気がした。


「セツナに言われてさ。ヴィオとクレアちゃんのこと心配する気持ちはわかるけど、そろそろ自分の事も考えろって。他の奴らに話聞いたら、みんな卒業後どうするか決めててびっくりした」

「……一年ある。なんて思ってるとあっと言う間に卒業だからな」

「言われて俺も考えなきゃと思ったけど、何も思いつかなかった。俺はずっと、ヴィオとクレアちゃんと一緒にいるもんだと思ってたんだよな」


 三人で畑を作ったとき楽しかった。テリトリーにいたときは土いじりよりも、動物を追っかけまわす方が好きだったのに。クレアに植物のことを教えてもらうことも、育てた植物が花をつけ実をつけるのを見るのも、クレアが薬草を魔法みたいに薬に変えるのを見るのも好きだった。


「……二人についていきたかったか」

「助けになれるならなりたかったけど、俺はヴィオとクレアちゃんにはいなくてもいい存在なんだよ。ヴィオとクレアちゃんは二人で完成形。俺は邪魔もの」


 二人がいてくれなかったら死なずにすんだ。カリムと話せるようにもなった。ラルスはヴィオとクレアに出会えて幸せで満ち足りていた。けれど二人がラルスを必要としていたとは思えない。


「クレアちゃん、薬師になって人を助けるのが夢って言ってた。俺はそれの手伝いが出来たら嬉しいなってぼんやり思ってたけど、それはヴィオで十分なんだよな。俺より詳しいし、手際良いし。クレアちゃんのことは何でも知ってるし」


 それに気づいた時、じゃあ俺はどうしようとラルスは思った。本音はずっと不安だった。ヴィオとクレアにまで冷たくされたら、いらないって言われたらどうしよう。そうしたら自分の居場所は本当になくなってしまう。だからといって優しい二人に甘え切ってしまっているのも嫌だった。


「カリムはさ、卒業後どうするんだ。家継ぐのか?」

「私は軍人にはなれない」

「……なれなくても、全く関われないわけじゃないだろ」

「手伝いくらいなら出来るかもな」

「じゃあ、それすんの?」

「するっていったら、ラルスはついてきてくれるか? ヴィオとクレアじゃなく、私に」


 予想外の言葉に驚くと目の前が暗くなる。いつの間にか近づいていたカリムが上からラルスをのぞき込んでいた。カリムはラルスよりも小さい。だから見下されるのは落ち着かない気持ちになる。

 カリムの水色の瞳がいつもより濃く見える。オレンジの髪は濡れて肌に張り付き、カリムの匂いがする。

 食べられそう。

 そんな考えが浮かんでラルスは慌てて話を変える。


「ついて行って、俺何すんの? 軍とか何もわかんねえけど」

「……何かしら仕事はあるはずだ」

「それ、ヴィオとクレアについていくのがカリムに変わっただけだろ」


 自分で行き先を見つけられないから親しい人についていく。それではいけない気がする。卒業したら一人前として扱われる。それではダメだという事ぐらい、ラルスだってわかっていた。


「ラルスは私の片割で番だろ」


 カリムの手がラルスの頬に触れる。湯上りだからあったかい。いつも剣を振っているから、見た目に反してごつごつしている。何だかその手にすり寄りたくなったが、それをしてはいけない気がした。たぶん食われる。何がどう食われるのかは分からなかったが。


「言っただろ。私はお前が好きだと」

「友達に対していうには大げさすぎね?」


 一世一代の告白でもされているみたいな空気にいたたまれなくなり、ラルスは茶化す。すぐさまカリムが言い返してくると思ったのだが、予想外にもカリムは目を見開いて固まった。距離が近いためカリムの目がよく見える。その中にうつる、戸惑った顔をした自分自身も。


「……この間、図書室で告白したよな?」

「友達として好きって話だろ?」


 大きな瞳を瞬かせたカリムが数秒の間を開けてから唸りだした。額に手を当て「そうくるか……」と低い声でつぶやいている。

 体調でも悪いのかとラルスが顔を覗き込もうとすると、カリムがギロリとこちらをにらんだ。とっさに固まるラルスを見て、カリムは髪をぐちゃぐちゃとかきまぜる。せっかく綺麗な髪なんだからそんなことするななんて言える空気ではない。


「そうか……鈍感……そういうことか……」

「カリム?」

「私の気持ちが全く伝わっていないということは、今よく分かった」


 カリムは深呼吸するとラルスをにらみつける。先ほどよりも眼光が鋭い。ラルスは思わず硬直し、黙ってカリムを見上げた。


「もう一回いうから、よぉーく聞けよ。私はお前が、ラルスが好きだ」

「それは聞いた……」

「友情ではない。恋愛的な意味でだ」

「………………は?」


 言葉を出すのに時間を要した。

 友情。恋愛という言葉が頭の中でグルグル回っている。どっちがどういう意味だっけ? と動かない頭で考えていると、カリムがため息をつく。「ここまでか」と呆れ切った声を耳がひろうが、ラルスは何の反応も出来ない。


「キスしたり触れ合ったりしたい方の好きだ」

「お前、そんな欲求あったのか!?」

「人を何だと思ってる!!」


 カリムは怒鳴り声をあげるが、ラルスにはどうにもカリムが誰かとキスしたり触れ合う様子が想像できなかった。いつも一人で背筋を伸ばして、前を見つめている。そこに他の誰かの姿なんて思い浮かばない。誰が好きとか、誰が可愛いとか。そういう話をしているのも聞いたことがないので、興味がないのだと思っていた。


「いやいやいや、気のせいだろ!」

「気のせいで自分よりでかい、目つき悪い男に告白するか!」

「じゃあ気の迷いだって!! 番がどうとか言われたから、そういう気分になっただけだって! お前人間なんだし、ワーウルフにあわせなくたっていいから!」


 ワーウルフ同士の番は夫婦と同じ。同性でもそれは変わらない。

 しかし、ワーウルフとそれ以外の種族の場合はそうもいかない。ワーウルフが相手を好きでも、相手がワーウルフを受け入れるとは限らないからだ。だからラルスは、カリムが番だと知ったときから夫婦になることは諦めた。相手は人間で同性。どう考えても無理だと。


「それに、お前は女の子と付き合った方がいいだろ。俺子供産めないし……」


 女の先輩と一緒にいたカリムを思い出す。あの後一緒にいた所は見てないし、先輩はとっくに卒業してしまっている。それでもラルスの頭にはあの時の光景がやきついていた。

 お似合いだと思った。自分よりずっと。きっとあんな相手と片割で番だったなら、カリムは幸せになれたんだろうと。


「いっとくが、私は出会ったときからお前しか見てないからな」

「はい?」


 カリムが顔を近づけてくる。鼻がくっつきそうなほどの至近距離。吊り上がった眉。不機嫌そうな表情。それでも間近でみる瞳はキラキラしているし、コイツ美形だなとラルスは改めて思った。パーツの一つ一つが整っていて、精巧な人形のようだ。


「あんな態度をとっといて、今さらと思うかもしれないが、私の中には常にお前がいた。嫌いだと思い込んでた時だって、頭から離れなかった。何でだとずっと考えていたが今なら分かる。好きだったんだ」

「嘘だろ! 初対面で殴り合いのケンカしたの忘れたか!」

「最初は憎かった。何でだか分からないが殺したくなった。それはお前も一緒だろ」

「ああ、一緒だ! 殺してやろうと思った! だから分かんねえ、なんでそんな奴好きになんだよ!」


 カリムの体をふりはらう。人間一人分。ワーウルフにとっては大した重さではない。あっさりどけられたことにカリムは驚いたようだが、当然だ。それくらい体のつくりが違う。

 だからこそ、ラルスは許せない。こんなか弱い存在を殺そうと思ってしまった自分自身を。


「お前は優しくてかわいくて、賢い女と一緒になって可愛い子供つくって、幸せになるんだよ! 俺みたいな奴とは縁切って!」

「お前はどうするんだ、満月の日は!」

「んなもん、どうにかなる。どうにかする。別に死んだってお前に迷惑はかけない」

「何言って!」

「お前こそ、何で俺なんだよ! もっといるだろ、一緒に幸せになれる奴!」


 ヴィオとクレアの姿が浮かぶ。幸せとは、運命とはああいうものだと証明するかのような二人。ラルスの憧れ。理想。


「お前は優しいから、可哀想なワーウルフに同情しただけだ」


 カリムが何か言いたげに口を動かし、すぐに唇を引き結ぶ。辛そうな顔をみたくなくてラルスは部屋を出た。部屋の前には人だかりができていて、心配そうにラルスを見つめている。「何かあったのか?」という心配の問いにラルスは笑った。俺たちがケンカするのなんていつもの事だろと。

 そのまま人垣を超えて寮の玄関へと向かう。一人になりたい気分だった。頭を冷やしたい。それから、これからの事を考えなければいけない。


 卒業後もカリムといられたらなんて甘い事を考えた自分自身が嫌だ。番である以上、側にいたら負担になる。卒業したらさっさとテリトリーに帰ろう。長くは生きられないだろうが、カリムに迷惑をかけるよりマシな気がした。

 こういうときカリムが人間で良かったと思う。番が死んでも人間には何の問題もない。ただ解放されるだけ。番からも、異種双子からも。


 寮の外に出ると月が浮かんでいる。三日月だ。まだ満月には遠いなと思いながら、玄関の前でぼんやり空を見上げる。ここにいたら誰かに呼び止められそうだし、別の場所に移動した方がいい。そう思うのに体が動かない。力が入らない。


 自分で言った事なのに、ショックを受けていることに気づいて笑いそうになる。

 ヴィオとクレアに会いたい。胸の奥に溜まった感情を吐き出してしまいたい。大丈夫だと言ってほしい。それよりも何よりも、元気な姿をもう一度見たい。

 どこにいるんだよ。そう声がこぼれそうになったとき、闇に溶け込む声が響いた。


「こんばんは」


 突然現れた気配にラルスは驚いて声の方へと向き直る。警戒しながら暗闇の中目を凝らすと、そこにいあのは意外にも知っている人物だった。

 黒いマントをまとった姿は闇色に溶けている。それでも決して同化はしない。闇の中浮かび上がる鮮やかなミントグリーンとウェーブのかかった癖のある髪。ラルスにとっては懐かしいオレンジ色の瞳がこちらを見つめる。


「エミリアーノ先輩……?」

「覚えてくれてたの。光栄だな」


 ヴィオを追って南に向かったというヴァンパイア。エミリアーノが目の前にいる。その事実にラルスの思考は追いつかない。どういうことなのか。ヴィオは? クレアは? どこか寂し気な匂いがするのは何故なのか。


「本当は色々と話したいこともあるんだけど、これから僕は報告とか色々することがあって時間がないんだ。でもこれは、すぐに君に渡さなきゃと思って」


 そういってエミリアーノ取り出したのは白い封筒。飾り気のないそれは封すら止まっていない。かすかにヴィオの匂いと、クレアの薬草の匂いが香った気がした。


「ヴィオとクレアちゃんは!」

「……読めばわかるよ。ヴィオが言ってた。伝えたいことは全部書いたって」


 エミリアーノはそういうと儚げに笑う。学院にいたときに見たエミリアーノの表情はもっと生き生きとしていた。ヴァンパイアらしく自信に満ちていた。それが今にも消えてしまいそうなほど悲しい顔をして、ラルスに封筒を差し出してくる。

 嫌な予感がする。それでもラルスはこの手紙を受け取らなければいけないと思った。


 震える手で手紙を受け取り、中から便せんを取り出す。よくしったヴィオの字に安堵するのもつかの間、嫌な予感に追い立てられるように文字を追う。追って、追って……、一文で思考が止まった。


「ウソ……だろ……?」


 すがるようにエミリアーノを見る。どうか否定してくれと祈る。しかしエミリアーノは悲し気な表情を浮かべたまま首を横に振った。


「ワンちゃん! こんな夜更けに何してんのさ」


 静まり返った空気を引き裂くような声が響く。その声でラルスは自分が手紙を握り締めたまま固まっていることに気づいた。音が遠い。近づいてくる気配はセツナだけでなく、青嵐とカリムのものもある。けれど、何の反応もできない。


「ラルス?」

 カリムの戸惑った声を耳がひろう。続いてエミリアーノに気づいて驚く気配も。


「じゃあ、届けたから」


 エミリアーノは最後にそういうと暗闇の中に消える。ヴァンパイアにとっては闇こそが居場所だというのに、後姿は悲しく見えた。その理由がラルスにはよく分かった。分かったけれど、受け入れられなかった。


「ワンちゃん、どうしたの。今のエミリアーノさん? 何でここに……」

「ラルス……?」


 セツナがラルスの肩を叩く。青嵐が心配そうにラルスを見つめる。カリムが少し離れた場所からラルスを見つめているのが分かった。ラルスはぐちゃぐちゃな頭の中で振り返る。あんなことを言ったのに、いざとなったらカリムを頼ってしまう自分が嫌だった。でも、この気持ちを一人で受け止められる気がしない。


 涙が頬をつたう。やっと手紙に書かれた一文を頭が飲み込んだ。飲み込んでしまったことが悲しくて胸が苦しい。

 カリムがギョッとする。近づいて来るカリムを拒絶するようにラルスは言葉を吐き出した。


「クレアちゃんが……死んだって……」

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