4 未来の話

 目が覚めると世界が変わっていた。

 まず、目覚めが最高にいい。今までは頭を叩かれて無理やり起こされたみたいな不快さがあったのに、今日は自然と起きることができた。

 体もいつもよりも軽い気がする。体の奥にたまった重さは残っているものの、いつもよりはマシ。そう思えるほどの爽快さ。

 満月の翌朝とは思えない快適な朝にラルスは感動した。それと同時に、何で? と首をかしげる。


 体を起こして周囲を見渡す。場所はいつもと同じワーウルフに提供されている広めの部屋だ。ラルス以外に使っているワーウルフは身支度をしたり、ベッドを整えたりと、掃除をはじめている。その中の一人がラルスに気づくと明るい笑顔を浮かべた。


「ラルス、よかったな!」


 投げかけられた言葉の意味がわからず首をかしげると、他のワーウルフもラルスの起床に気づいて口々に声をかけてくる。「ほんと良かった」「心配したんだぞ」「これだ大丈夫だな」と皆口々にラルスに声をかけては、よかった、よかったと笑顔を浮かべる。ラルスの頭をなでたり、背中をポンポンと叩いたり、中には感極まっている者までいて、ラルスには全く理解できない。


「良かったって何が?」


 置いてけぼりの空気に耐え切れなくなり声を上げると、今まで歓喜に沸いていたワーウルフたちがピタリと止まる。それから信じられないものでも見るような顔でラルスを見た。


「お前、昨日の事覚えてないの?」

「昨日……寝てたことしか覚えてねえな」


 意識が浮かんだり沈んだり、水の中を漂っているような感覚がずっとしていた。満月の日はいつもそうで、最近では誰が近くにいるのかもよく分からない。

 だが、思い返してみれば昨日はいつもよりも安心して眠れたような気がする。


「全く覚えてないとは思わなかった……俺ちょっと感動したのに」

「ずっと高熱と悪夢にうなされてたし……」

「そういえば、俺たちが声かけても反応鈍かったもんな」

「完全に記憶飛んでたのか。ってお前、そんなに酷いならもっと早く言えよ!!」


 最後の一人の言葉で「そうだ、そうだ!」とワーウルフたちが声を上げた。ラルスを心配してくれてのことだと分かっているためラルスは何も言えない。そのまま頭をぐちゃぐちゃと撫でられたり、抱き着かれたりと、とにかくもみくちゃにされ、何だかよく分からないがラルスはどっと疲れた。

 疲れたが、悪くない疲れだった。


「病み上がりをあんまりいじめないでくれ」

「そうですよ。重症なのは変わりないんですから」


 よくしった声と匂いにラルスの耳がピンと立つ。ワーウルフたちがよけると、そこにはヴィオとクレアがたっていた。ヴィオは水のはいった桶を持っていて、クレアの手には毎月飲んでいる薬がのっている。

 黙っているラルスにクレアは近づくと額に手を当てた。熱は下がってますね。と嬉しそうに頷くと、用意されている水差しとコップを取りに行く。その姿を見送ったラルスは、じっと顔を覗き込んでくるヴィオへと向き直った。


「昨日なんかあったのか?」

「……全く記憶ないのか?」

「他の奴らにも聞かれたけど、まったく。いつもよりは良く寝られたけどさ」


 その言葉にヴィオがほほ笑む。控えめな、ヴィオらしい優しい笑み。しかしそれを向けられる意味が分からず、ラルスは首を傾げた。


「カリムはお前が言う通り、病人を見捨てるような薄情な奴ではなかったということだな」

「は……?」

「昨日はカリムがお前の手をずっと握っててくれたんだぞ」

「はああ!?」


 予想外の言葉にラルスは叫ぶ。嘘だろと周囲を見渡すが、みな満面の笑みで頷くだけ。しまいには良かったな。幸せになとはやし立てられてラルスの頭はこんがらがっていく。


「いやいや、嘘だろ!? カリムがここに来て、手握ってたって……アイツ、病気か!?」

「そこで病気とくるか……」

「じゃなきゃ、ありえねえだろ! 何であいつが俺のこと……」

「同情ではないと思いますよ」


 浮かんだ可能性を静かな声が否定する。顔を向ければ水差しを持ってきたクレアがコップへと水を注いでいるところだった。それをラルスに差し出しながらほほ笑む。


「カリムさんは確かに優しい人ですが、人に尽くすタイプではありません」

「どっちかっていうと、尽くされることに慣れてるタイプだな」


 学院内では種族も生まれも関係ないとは言われているが、どうしても育った環境というものは言動に現れる。同じ貴族階級であるセツナは双子の妹であるナルセ、共に過ごした青嵐がいたから良かったがカリムは慣れるのに時間がかかった。


「カリムさんは優しいけれど甘い人ではありません。責任がとれなければ手を貸しませんし、相手のためにならなければ非情にもなれる方だと思います。そんな方が半端な気持ちでラルスさんを助けたりはしませんよ」

「本当にラルスのことが嫌いなら見殺しにした方が早いしな。片方が死ねば異種双子の紋章は消える。そうしたら普通の人間と変わらないんだから」

「それは……そうだけど……」

「お前は俺と一緒で難しいことを考えるのは苦手だろ。直観と本能で生きてるだから、それに従え」


 なおも悩むラルスを見て、ヴィオが力強い声でいう。腕を組んでラルスを見下ろすヴィオはやけに凛々しい。自分はバカだと宣言しているにも関わらず。その姿にラルスは自然と笑ってしまった。


「たしかにな。バカなのに変に考えすぎてたのかもしんねえ」


 凝り固まった体をほぐすために背伸びをして、肩を回す。そうすると血のめぐりがよくなったような気がしてホッとした。先月はそれでも肩を押さえつけられているような重苦しさがあったのに、今はほとんど気にならない。


 これが番の効果かと思うと今まで必死に逃げて回っていたのがバカらしくなった。

 ラルスはどうあがいたってワーウルフで、番がいないと生きていけない。そういう風に生まれてしまったのだから仕方ない。そう開き直るしかないのだと、五年も逃げ回ってやっと気づいたのだから自分は本当にバカだとラルスは笑う。


「一応、お礼いわなきゃねえよなー。カリムは?」

「お前の容体が落ち着いたのを見てから寮に戻ったらしい。ここで寝てけばいいだろって引き留めたんだがな」

「お坊ちゃんに雑魚寝はきつかったんじゃね」

「周囲の視線も厳しかっただろうしな……」


 ヴィオがチラリと視線を動かすと、黙って話を聞いていたワーウルフたちが視線をそらした。あからさまに鼻歌を歌いだす奴までいるのを見て、ラルスは首をかしげる。そんなラルスと周囲の様子をみてクレアが苦笑した。


「みんなお前の事心配してたってことだな。ふがいない番にうっかり噛みつきたくなるくらいには」

「……?」


 意味がわからずに首をかしげるラルスを見て、周囲がため息をつく。「鈍いなあとは思ってたけど、ほんとに鈍い」というつぶやきが聞こえたが、何が鈍いのか。


「……これから苦労するのはカリムさんかもしれませんね……」

「こいつらの場合、そのくらいでちょうどいいんじゃないか」

「どういうことだよ」


 意味が分からずに問いかけるとヴィオがニヤリと笑う。いたずらっ子のような笑みは久しぶりに見るものだった。それを見てやっと、最近は心配そうな顔ばかりみていたとラルスは気づく。


「お前らの未来が楽しみだって話だよ」


 楽し気に笑うヴィオにクレアもほほ笑む。二人はとてもうれしそうだったが、ラルスにはやはりよく分からない。それでも、未来という言葉を聞くとワクワクする。

 ヴィオがいて、クレアがいて、自分がいる。そこにカリムも加わったらきっと楽しいに違いない。そうなったらいいなと想像すると、しっぽがゆらゆらと揺れた。

 昨日まで見ていた悪夢のことなんて、ラルスの頭には少しも残っていなかった。

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