四章 秘密

1 五年の歳月

 またあの夢だとラルスは思った。

 暗く冷たい地下室。ゆらゆらと揺れる松明のか細い明かり。周囲を取り囲む人影。唸り声をあげる自分。自分をにらみつける知らない男。

 あの日から、満月の日になると決まってこの夢を見た。最後は夢の中の自分が叫ぶ声で目覚めるのもお決まりだ。

 今日もそうして目覚めるのだろうと、勝手に動く夢の中の自分を見て思う。夢だと分かっていても、体の自由はきかず、意思は届かない。夢の中の自分と同じく、ラルスの精神も拘束されているようだった。


「これから、儀式を行う」


 しかし、今回の夢はいつもと違う展開を見せる。いつもは自分たちを取り囲んで遠巻きにしている人影が、ラルスへと近づいて来たのだ。

 松明の火が近づけられる。火の熱さ、急に近づいてきた明かりの眩しさにラルスは目を細めた。そうしている間に人影はラルスを取り囲み、取り押さえる。髪を引っ張られ、顔を持ち上げられ、首元をさらされた。


 今までにない展開にラルスは悲鳴を上げる。一体何が始まるんだ。やめろと叫ぶのに、夢の中の自分は人影を憎悪のこもった瞳で睨みつけるだけ。噛みつこうとした口は他の人影によって拘束具を付けられ、一層身動きが出来なくなる。その姿を人影は無表情で見下ろして、棒のような何かを取り出した。


 今まで唸り声をあげていた夢の中のラルスが、初めて怯えた様子を見せる。「やめろ。やめてくれ。それだけは」と何度も懇願する姿を見て、見ているだけのラルスの恐怖も増していく。これからとても嫌なことが行われる。それだけはよく分かった。


「少々痛いかもしれないが、それだけだ」


 人影はラルスの懇願を意に返さず、棒をラルスの首へと突き付けた。

 熱い何かが皮膚へと押し付けられる。皮膚が焼けただれたような匂いがした。ラルスは悲鳴を上げて手をばたつかせるが、拘束具がこすれて己の体が傷ついただけだった。

 棒が首の上をなぞり、何かの模様を描く。そのたびに肌がチリチリと焼ける痛みにただ奥歯をかみしめて耐える。


「初めてにしてはうまく描けたと思わないか?」


 人影が初めて笑いを含んだ声を発した。ゆっくりと顔を上げれば、目の前にはいつの間にか鏡がある。初めてみる夢の中の自分はやせ細り、髪はぼさぼさに伸び、とても健康的とは言えなかった。しかし、それよりもラルスを驚かせたのは首。先ほど棒で焼かれた首の部分には、ラルスがよく知るものがある。

 幼いラルスが川にうつった自分を見て、初めて認識したもの。


「これがお前……いや、お前たちの紋章だ」


 その言葉を聞いた瞬間、ラルスは跳ね起きた。

 息は荒く、脂汗が頬を伝う。汗で濡れた衣服が気持ち悪いが、それよりも鮮明に頭に残った夢の内容が気持ち悪い。

 首に手を当て、生まれたときから持っていた紋章を確かめる。普通の皮膚よりも少し硬いそれは、高温で熱せられた痕のようにも思えた。


「おい、ラルス! 何してるんだ!」


 とっさに紋章をかきむしろうとした手を、誰かが止めた。夢と現実がごっちゃになったラルスは手を払いのけようとしたが、思ったよりも力強い手がラルスを抑え込む。ベッドの上に引き倒されたラルスが見たのは、夕日のようなオレンジの瞳。


「ヴィオ……?」


 初めて教室で顔を合わせたときよりも、大人びたヴィオがそこにいる。その姿を見てラルスは、生まれてから今まで、学院に来てからの事が次々と頭に浮かんできた。

 違う。自分は地下室なんかにいたことはないし、変な奴らに拘束されたことなんてない。あれは夢で、こちらが現実だ。

 そう理解すると止まっていた息を吐き出す。心臓が少しだけ落ち着き、強張っていた体から力を抜いた。


「お前、また変な夢みたのか……」


 ラルスの体から力が抜けたのを見たヴィオは息を吐き出すと、ベッドに押さえつけていたラルスの体を離す。汗で張り付いていた髪をかきわかると額に手を置き「まだ熱があるな」と呟いた。


「……また、俺、迷惑かけた?」

「一々気にするな。いつもの事だ」

「いつもの事だって開き直ったら、最悪だろ……」


 あれから毎月ヴィオにはお世話になっているから、毎月のことといったらそうだが、慣れる気がしない。どころか、回数を重ねれば重ねるほど迷惑をかけているヴィオに対しての罪悪感が増す。


「そう思うなら、そろそろ真面目に番を見つけたらどうだ」

「……」


 ヴィオの言葉にラルスは目をそらした。ヴィオはそれ以上は何も言ってこない。このやり取りも何度も繰り返されている。軽い調子でヴィオが忠告してくるのも、そう簡単に見つかるものでもないとラルスが流すのも。

 意味のない茶番のようなものだ。ラルスが十二歳のあの日、番をすでに見つけている事。見つけても知らないふりをし続けていることをヴィオは気付いている。気付いていて、気付きたくないラルスに付き合ってくれているのだ。


 あれから五年が過ぎ、ラルスたちは十七歳になった。顔立ちもあの頃よりは大人びて、ラルスはヴィオよりも大きくなった。

 といっても、ヴィオが小さいというよりは種族的な差だ。長寿種は緩やかに年を取る。人間とほとんど寿命が変わらないワーウルフと違い、変化は微々たるもの。自分がお爺ちゃんになってもヴィオの外見は今とさほど変わらないだろう。


「ラルスさん、調子はどうですか?」


 水の入った桶を持ったクレアが部屋に入ってくる。

 満月の日になると体調を崩したり、気分が高揚するワーウルフのために学院内にはワーウルフ専用の施設が用意されている。ラルス以外にもベッドで横になったり、番と一緒にいたり、番がいない同士で寄り添っていたりと、様々なワーウルフの姿が見える。しかしながら、毎月悪夢にうなされ高熱が出る重傷者は学院内でもラルスだけだ。


「まだ熱があるんだ」

「それは困りましたね」


 ヴィオの言葉を聞いてクレアはラルスの頬に手を当てる。体温が低めのクレアの手はひんやりして心地いい。思わず目を細めると、側で見ていたヴィオに眉を吊り上げられた。ラルスが体調不良なのでそれで済ませてくれている。そう分かっているからラルスは黙って表情を引き締める。


「熱さましを調合してきたので飲んでください。いつもの魔力の流れをよくする薬は、少し時間を置いてからにしましょう」

「いつも、ごめんな……」


 ベッドに横になりながらクレアとヴィオを見る。「気にしないでください」と優しく微笑むクレアを見ても申し訳なくてしかたない。ぺたんと下がった耳を見て、クレアは苦笑する。「早く元気になってくれればいいんですよ」と笑っているが、元気になったところで来月にはまた高熱を出して動けなくなるのだ。

 原因はハッキリしている。しているのに解決しないのはラルスの我儘だというのに。


「謝るなら、そろそろ番を見つけろ。そろそろ小細工が通用しなくなってきた」


 ヴィオは険しい顔でそういってラルスの手を握る。そうすると不思議と体の中に溜まっている魔力が軽くなる気がする。体の中で行き場をなくして暴れまわっていた魔力が、ヴィオの手からヴィオへと流れていくのだ。

 おそらくはこれも種族的な特徴。ヴィオは魔力を吸収する種なのか、扱いが上手い種なのか。そんなことをぼんやりとした頭で考えて、ダメだと思考を止める。


 種族は探らない。気付いても知らないふりをするのが暗黙のルール。ヴィオが話してくれない以上は、ラルスが勘繰るのはルール違反。何より、こんなに親身になってくれる友人の秘密を探るなんて事はしたくなかった。


 少し軽くなると、途端に眠くなってきた。体はまだ熱っぽい。頭はぼーっとするし、汗で気持ち悪い。それでも眠気は襲ってくる。真剣な顔でこちらを見ているヴィオに答えなければと思うのに、瞼がどんどん下がっていく。


「……わかって……る……」


 分かっている。そろそろ限界だということは。むしろここまでよく持ったと思っている。

 ヴィオの体質、薬剤師の資格をとったクレアの薬で何とかここまで持ちこたえた。

 番が先に死んでしまったワーウルフの寿命はせいぜい二、三年。五年も誤魔化し続けられたのは奇跡と言える。


「何とか……する……」


 ラルスだって死にたいわけじゃない。そろそろ目をそらしてきた現実と向き合わなければいけない時期だということは分かっていた。分かっていたが、勇気が出ない。いっそこのまま、死んでしまった方が誰にも迷惑をかけないんじゃという気持ちが頭に浮かぶ。


「俺は、お前が死んだら嫌だからな」


 ラルスの気持ちを察したかのようにヴィオが固い口調でいった。隣のクレアも真剣な表情で頷く。


「ラルスさんは長生きしてください」


 ぎゅっと手を握ったクレアが言葉をつづけた。口が動くのが見えたが、熱と眠気でぼんやりしたラルスには何を言っているのか聞き取れない。けれど、とても大切なことをいっていることは分かったので、小さく頷く。

 それを最後に、ラルスの意識は眠りの中へと落ちていった。

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