三章 満月の日
1 番を探して
授業終了の鐘と同時にラルスは立ち上がった。授業の教材を鞄に押し込んで、貴重品だけ取り出す。そのままバタバタと教室の出口へ走っていくラルスを見て、クラスメイトが「どうしたー?」と声をかけてきた。
「ねーちゃんが来るんだ!」
顔だけ振り向いて答えると「良かったなー。楽しんで来いよ」と事情を察したらしいクラスメイトから声が返ってくる。笑顔で手を振ってこたえながら、ラルスは走る。目指すは校門。姉、ルルとの待ち合わせの場所だ。
ラルスが王都にやってきて早くも二年がたっていた。学院生活も、王都での生活にもすっかり慣れ、学院内外に知り合いも出来た。なじみの場所も増えた。それでもやはり家族は特別。遊びに来るとルルから手紙が来てからというもの、ラルスは落ち着かない気持ちでその日を待っていた。
見えてきた校門に人影がある。遠目でもルルは目を惹き、身内の贔屓目を抜きにしても美人に磨きがかかったように見えた。
「ルル姉!」と声をかけると、ぼんやり街をみていたルルが振り返る。ラルスに気づいて華やぐ表情。それを見てラルスは嬉しくなった。
「ルル姉! さらに綺麗になったな!」
「ありがとう! 相変わらずラルスは可愛いわね」
再会にハグをすると頬をくっつける。ワーウルフの挨拶は他の種族からすると距離が近すぎるらしいが、ラルスには落ち着くものだ。育った森の匂いと家の匂いがして、嬉しさでしっぽと耳が飛び出す。
そんなラルスをみて「相変わらず制御が苦手なのね」とルルはあきれた顔をした。ルルの頭にもお尻にも耳としっぽは出ていない。ラルスと違ってルルの制御は今日も完璧だった。
「どこ案内してくれるの?」
期待に満ちた顔でルルはラルスを見る。ラルスが案内してくれると疑わない態度にラルスは呆れつつ、考えていたプランを思い浮かべた。
「ルル姉、運命の人に会えるって噂の場所、興味ある?」
今、女子の間で話題のスポットについて話すとルルの目が一層輝いた。両手を握りしめて、大袈裟にうなずくルルをみて、ラルスは満足げ笑う。
久しぶりの再会だが、楽しく過ごせそうだと。
事前に下調べしていた人気の観光地。ラルスお気に入りの店や場所。そうしたところを見て回っているうちにあっという間に時間は過ぎた。
「父から軍資金をもらってきたから、夕食も一緒に食べましょう」とルルは笑う。少しでもルルと一緒にいたかったラルスは迷わず頷いた。「お勧めのお店ある?」と聞かれたのでヴィオとセリーヌから聞いていた肉料理店に行くことにした。肉の味に煩いヴィオと、料理の味に煩いセリーヌのお墨付きだ。
子連れも多い店はにぎわっており、美味しそうな匂いがそこら中から漂ってくる。大人びたルルが食欲を誘う匂いに落ち着かない様子を見せるのも、ラルスからすると新鮮であり嬉しい事だった。
ワーウルフは豪快で大雑把な性格のものが多く、凝った料理というものが少ない。テリトリーの外に出なければ食べられない御馳走というものが多くあることをラルスは王都に来てから知った。その一つを家族と共有できることはとてもうれしい事だ。
運ばれてきた料理は匂いだけでなく見た目も美味しそうで、揚げたてのジュージューという油の音。表面はこんがり、中は肉の赤みを残した焼き加減。したたる肉汁にラルスとルルは同時に唾を飲み込んだ。それから顔を見合わせ、同時に両手を合わせる。
いただきますと狩った獲物に感謝の意を示してからは早かった。噛むごとに口の中に広がる肉汁と溶けるように柔らかな肉の触感。夢中で食べるラルスとルルの間に会話はなかったが、気まずさは全く感じない。
お腹いっぱいになると少しだけ不思議な感覚がした。王都でワーウルフのテリトリーにはない食事をルルと一緒に食べている。王都に来る前のラルスは想像もしなかった日々だ。
「ラルスに王都を案内される日が来るなんてね……」
お腹いっぱいになったからか、ルルが呟いた。嬉しそうでもあり、寂しそうでもある。初めて見るルルの顔にラルスは何も言えなかった。
「あんなに小さくて可愛かったのに。ねーちゃん、ねーちゃんって。あっと言う間に大人になっちゃうのね」
「……まだまだ俺子供だし、ルル姉だって子供だろ」
「そんなことないわよ。だって貴方はそろそろ番を見つけられる年齢だもの」
「番……?」
聞いたことはある。ワーウルフは番を見つけられる年齢になったら半人前。番を見つけたら一人前。テリトリーでは大人たちによく言われたものだ。けれど、その言葉の意味がラルスはまだ分からない。
ラルスの反応を見てルルは驚いた顔をした。
「学校で習ってない?」
「……まだ……だと思う」
ラルスは授業をよくサボるため、自信はない。自分が知らない間に授業で出なかったとは言い切れない。しかし、本当に重要な話ならヴィオやほかの誰かが教えてくれるだろう。となれば、まだ授業では出ていないのだろうか。
考えるラルスを見てルルは眉を寄せた。
「教わるとなったらワーウルフだけ集められると思うから、ラルスだけ聞きそびれるってことはないと思うけど」
「ワーウルフだけ?」
「そう。番っていうのはワーウルフ特有のものだから」
「俺たち特有……」
世界には様々な種族が存在する。創造神に生み出されたというラルスたちは姿形は似ているが、根っこはまるで違う。ワーウルフにとって当たり前のことは他の種族ではあたり前ではない。その事実を学院で生活するようになったラルスはよく知っている。
「ワーウルフは月の満ち欠けに影響される種族。特に満月はワーウルフの力が一番強くなる。そして満月の日こそが恋の季節!」
「……恋の季節……」
目を輝かせて力説するルルを見てラルスは微妙な気持ちになる。ルルが両親のように仲睦まじい夫婦に憧れ、生涯の伴侶を探していることをラルスは知っていた。
「詳しい話は学校の先生が教えてくれると思うけど、真剣に聞かないとだめよ。大事なことなんだから」
「そんなに?」
「大事よ」
軽く返したラルスに対してルルの返答は重かった。
「ワーウルフはたった一人の番と出会うために生きてるの」
ルルは真剣な表情でラルスを見る。その瞳はラルスを通り越し、ずっと先。大事な何かを見ているようだった。
「ただ一人を見つけ、守り、愛し抜く。それがワーウルフ。そして番は本能が教えてくれる」
ルルはそういうと胸に手を置く。それは誓いのようでも、祈りのようでもある。茶化せない空気にラルスは背筋を伸ばし、息をのむ。
「……って聞くけど、私はまだ番に会えてないから正直わかんないんだけど」
次の瞬間には、ルルはぐったりと机につっぷした。緊張した空気が途端にほどけるのを感じ、ラルスはしばし唖然とルルを見つめて、困った顔で眉をさげる。
このときラルスは気付いた。ルルが王都に来たのはラルスを心配したのももちろんだが、見つからない自分の伴侶について話したかったのもあったのだろうと。
二番目の姉であるリルはすでに番を見つけている。相手は幼馴染。出会ってすぐに番だろうと大人たちは言っており、十二歳を過ぎて正式に番となった。それからは満月の日は家族とではなく番と一緒に過ごしていると聞く。それがルルはうらやましくて仕方がないのである。
「ルル姉だったらいい番見つかるって」
「皆そういうけどー見つからないのよー」
ルルはそういうと机につっぷしたまま脱力する。
ワーウルフで十七歳になっても番が見つかっていないのは遅い。大抵は十歳前半には見つかっているものだ。
ここまでテリトリーを探しても見つからないということは同種ではないのだとラルスは思っている。ルルも両親も分かっているから、こうしてテリトリーの外に出るルルを止めないのだ。
「……番が同じワーウルフじゃない場合ってどうすればいいんだろうな……」
「ラルスの番ってワーウルフじゃなかったの?」
「もしもの話」
ラルスのつぶやきに突っ伏していたルルは顔を上げ、首をかしげる。それから体を起こすと唇に手を当てて考える。
「同種よりは大変でしょうね。私たちは本能で番だってわかるけど、他種はそうじゃないって聞くし」
「人間はいろんな人と付き合って決めるらしいしな」
人間の女子から聞いた話を思い出してラルスは眉を寄せた。人間からするとワーウルフのただ一人だけを生涯愛し抜くという習性はよく分からないらしい。ワーウルフからすれば本能は絶対で正解だが、その感覚が分からない人間やほか種からすると、出会ってすぐに生涯の相手を決めるのは怖いのだとラルスは聞いた。
「それはきっと運命の番と出会ってないからよ。出会ったら分かるもの、絶対にこの人だって」
「……ルル姉、出会ったことないだろ……」
「……リルとお母さんがいってた」
ルルはそういうとバツが悪そうな顔で視線をそらした。ラルスも少し意地が悪かったかなと思い謝る。
「私の番はきっとワーウルフじゃない。だから私は、運命が分からない人に運命だと伝えなきゃいけないのよね……」
頬杖をついてルルは遠くを見つめる。
ルルが見つめる先には街を歩く人々の姿が見えた。耳もしっぽも生えていない。運命の番が分からない種族。それがルルの番なのだとしたら、少し怖い。番が同種ではなかったワーウルフは、相手に受け入れてもらえず独身のまま死んでしまう者もいると聞く。
「でも、それは出会ってから考えるとして、まずは出会わなきゃ。どういう人か分からなかったらアタックしようもないもの」
通りを見つめていたルルはにこりと笑ってラルスを見た。自分を奮い立たせる言葉。同時にラルスを安心させるようとする笑顔に、ラルスは何といっていいか分からない。ただ自慢の姉の番が、とてもいい人であり、姉を受けいれてくれたらいい。そう願うことしかできなかった。
「だから、問題は私よりもラルスよ」
「……俺?」
しんみりした気持ちになっていたラルスは突如ルルに指さされて狼狽えた。今はルルの事を心配するところであり、ラルスが心配されるようなことなどない。ラルスは首をかしげてルルを見る。
「あなたの番が同種だったとしたら、学校卒業まで出会えないかもしれないのよ」
「……それは考えてなかった」
異種双子は学校卒業まで原則テリトリーに帰ることが出来ない。王都にもワーウルフはいるが、テリトリーと比べるまでもない少人数。学院にいるワーウルフは片割が番であることも多く、そうでないものが都合よく番同士になる可能性は極めて稀だ。
「番なしに満月の夜、寂しいわよ……すごい人肌恋しいのに、みんな番の所いっちゃって構ってくれないんだから」
ルルはそういうと食べ終わった皿をホークでつつく。お行儀悪いと言えないもの悲しい空気。普段の明るく自信に満ちたルルの珍しい姿にラルスは目を丸くし、同時にまだ来ぬ満月に不安を覚えた。
「番が見つからない者同士で話すのも楽しいんだけど、なんか違うのよね。心のどっかが寂しいの。早く会いたくてたまらなくて、走り出したくなるの」
ルルは頬杖をついて、つぶやく。ラルスに語っている様子だが、ラルスを見ていない。胸にたまった不安と寂しさが零れ落ちたようだった。
「早くラルスの番が見つかるといいわね」
「ルル姉こそ、早く見つかるといいな」
ラルスがいうとルルは笑う。どこか不安を残しつつも、必ず見つける。そういった強さも見える笑顔だった。
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