7 偽りの運命
セツナと一緒に現れたラルスを見て、リノは驚いた。いつもにこやかに細められた目が少しだけ開いて見えたのは錯覚かもしれないが。
リノと一緒に長テーブルに座っていたのは、片割のセリーヌ。それにセツナの妹ナルセ。セツナとナルセの従者であり、どちらかの片割である青嵐。それぞれ多かれ少なかれ意外そうな顔をしていたが、妙にナルセは表情を輝かせていた。
「お兄様、ワンコ様を連れてこられるなんて素敵ですわ!」
「……ワンコ様……」
キャッキャとはしゃぐナルセの姿は妹たちを連想させて愛らしいが、どうにも呼び方がいただけない。この双子は自分をすっかり「犬」として認定していると知り、ラルスは微妙な顔をした。それもこれも「駄犬」と事あるごとに自分を呼ぶカリムのせいだと思うと、おさまっていたムカムカがせりあがってくる。
「ラルス、気にするな。悪気があるわけではない」
フォローを入れてくれたのはナルセの隣に座っているセリーヌで、ナルセの向かいに座っていた青嵐は申し訳なさそうに頭を下げた。その姿を見て、これ以上文句をいうのも大人げないと思ったラルスは顔をしかめるだけにとどめる。
セツナは当たり前のように青嵐の隣に座る。それが定位置らしく、他のメンバーも気にする様子はない。
「ワンコ様はこちらにどうぞ」
そういって隣を示したのはナルセだった。あまり話したことはないのだが、妙に友好的というか浮かれて見える。機嫌がいいときの匂いがしてラルスは首をかしげた。こんなに歓迎されるようなことを自分はしただろうか。どちらかというとクラスの空気を悪くしている問題児だと思うのだが。
「ワンちゃん。ナルセに手だしたら、八つ裂きにするからね」
ナルセの反応に戸惑っていると、セツナから冷たい一言が飛んできた。表情は笑っているが目が全く笑っていない。隣の青嵐も心なしか探るような視線でラルスを見ている。その姿を見てこの二人はナルセが大切なのだと匂いを探らずとも分かった。
「手出すも何も、俺じゃ釣り合わねえだろ。こんなに可愛いんだし」
大事なのは分かるが、敵意を俺に向けられてもお門違いもいいとこだ。ラルスは呆れながらナルセの隣に座るが、なぜか周囲は固まっていた。
「ワンコ様、私のこと可愛いと思っていらしたんですね」
目を丸くしたナルセが驚いた顔でラルスを見つめている。何でそんなに驚いているのかラルスは分からずに首を傾げた。
「どこからどう見ても可愛いだろ?」
「ではクレア様は?」
「美人」
「セリーヌ様は」
「美人」
ナルセはそこで幼い子供の用に頬を膨らませた。
「私だけ可愛いんですか」
「美人って言うよりは可愛い系だろ。綺麗な顔してると思うけど」
「子供っぽいって言いたいんですの?」
「そうじゃなくて、なんかこう、お人形みたいな感じ。セツナも黙ってると人形みたいだよな」
「えっそこで、俺に振るの」
黙って話を聞いていたセツナが珍しく戸惑った声をあげる。隣に座っていた青嵐は何故か狼狽えていた。
「お前らどっちも顔が綺麗で、造り物みたいなんだよな。初めて見たとき、おぉーすげぇーって思った」
「感想がバカっぽいけど、意外とワンちゃんの中で俺たちが高評価だったのは分かった。というか、ワンちゃん……よくもまあ、照れずに言えるね」
セツナはそういうと落ち着かない様子で体を動かす。何故か分からないが、先ほどと同じく照れた匂いがした。今の状況で何に照れる必要があるんだろうと首をかしげると、なぜか呆れ切った匂いに変わる。
「天然か……」
「天然×クール。いえ、クール×天然……」
「……かける?」
天然とクールをかけると何が出来るんだろう。突然、額を抑えたセツナと、隣でブツブツ言い始めたナルセを見て、ラルスは眉を寄せる。この双子は見目はいいが、言動がよく分からない。
妙に楽しそうなナルセを見つめていると、ゴホンという咳払いが聞こえた。見れば、セリーヌがセツナに鋭い視線を向けている。
「それで、何でラルスを連れてきたんだ。ワーウルフが食堂を苦手としているのは、セツナも知っているだろう」
「……俺が無理やり連れてきたんじゃなくて、ワンちゃんがいたから案内しただけだよ。リノに用があったんだって」
どこか疲れた様子でセツナはいうと、お行儀悪くテーブルに膝をつく。姿勢を正し、いつも貴族らしい立ち振る舞いをしているセツナらしからぬ姿にラルスは驚いた。青嵐も驚いたのか、隣であわあわしている。
「私ですか」
いきなり話題を振られて驚いたのはリノだった。ただ部外者として話を聞いていたら、話題の中心に引っ張り込まれたのだから戸惑ったのだろう。リノとラルスは真面に話したこともない。自分に用があるとは思ってもみなかったのだろうとラルスは予想を立てる。
「……リノはさあ……アイツと仲いいだろ……」
目を合わせることも出来ず、声も小さい。それでもリノにも、他の者たちにも声は届いたらしく、その場が静まりかえる。皆ラルスとカリムの事を気にかけているのだと、居心地の悪い空気でイヤでも察した。
「話す機会は多いですけど、学院に来る前のことはセツナさんの方が知ってるんじゃないですか」
リノはうかがうような視線をセツナに向けた。セツナは肘をついたまま、面倒くさそうな顔をする。
「知ってるは知ってるけど、パーティーで会って大喧嘩した後は、ちょっとした噂話を聞く程度だよ」
「喧嘩したのか」
ラルスが驚いてセツナを見ると、セツナは「ワンちゃんたちに比べたら軽いもんだよ」と手をひらひらと振る。
「異種双子が同世代にいるっていうから、学院に入る前に挨拶しようと思って声かけただけなのにさ、チビちゃんったら私は学院なんかに行かないって怒鳴ってさ。初対面でそれだったから、売り言葉に買い言葉で怒鳴り合いだよ」
「学院に行かないって、異種双子がか?」
セリーヌが眉を寄せた。
異種双子は幼い頃から十歳になったら学院に入るのだと言われて育つ。異種族であるラルスもそうだったのだから、学院が身近にある人間であれば直の事。異種族よりも具体的に学院に入った後の話をされていたことだろう。
「そんな前から俺の事嫌いだったのかよ」
声は自然と小さくなった。ナルセが気遣うように顔を覗き込んでくる。女の子に気遣われるなんて情けないが、気持ちを取り繕う気にすらならない。何だか無性に笑いたくなった。運命なんて、そんなもの最初から存在していなかったのだと。
「ラルスさんのことが嫌いというわけではありませんよ。カリムさんが嫌なのは、異種双子である自分です」
「……どういうことだ?」
ラルスは意味が分からず、リノをじっと見つめた。リノは返答に困った様子でセツナへと視線を向ける。セツナはその視線を受けると、面倒くさそうにため息をついた。
「チビちゃんの家はね、代々この国を守ってる軍人家系なの。異種族のワンちゃんにはピンとこないかもしれないけど、代々国王に仕えることを名誉と誇りにしている、そこら辺の成り上がり貴族より古い。建国前から続く家柄なんだよ」
人間の事情に詳しくないラルスでも、建国前から存在する家というのが珍しいことは分かる。「人の国」の建国前は、人間の数も激減していた。その時に残った人間の中から、国を治めるにふさわしい国王と、国王を守るための人間、国を動かすための人間を選んだ。その選ばれた中の一人に、カリムのご先祖様はいたということだ。
ワーウルフも世界大戦を生き残り、ワーウルフに繁栄をもたらした者は英雄と伝えられている。そういった存在を先祖に持つとすれば、カリムはすごい家の生まれなのだとラルスにも分かった。
「チビちゃんの家は代々、軍人を輩出している。チビちゃんの父君も立派な軍人だし、兄であるクラウ殿も将来を期待されている。チビちゃんは小さい頃から父と兄を見て育って、軍人になりたいって思ってたみたい」
父のようになりたい。そういう願望はラルスにだってある。母や姉たちに押され気味の父だが、いざという時は頼りになる。旅をしている間は何度も父に助けられたし、自分たちを分け隔てなく愛してくれる父がラルスは大好きだった。
だから、ラルスは少しだけカリムに好感を持った。自分とカリムにほんの少しとはいえ共感できる部分があることが嬉しくなった。
だからこそ、次のセツナの言葉を信じたくなかった。
「でも、異種双子は軍人にはなれない」
「……何で……?」
夢を抱いたカリムの姿を想像した。だからこそラルスは理解が出来なかった。なぜ、異種双子は軍人になれないのだろう。父や兄の姿を追ってはいけないのだろう。
「人間にとって異種双子は平和の象徴。異種族への橋渡し。大切に守り育てなければいけない子供。そんな子供を、軍人なんて危険な仕事につかせることを国が許すはずないでしょ」
セツナの声は淡々としていた。先ほどに比べて感情が抜け落ちたみたいに色がなかった。匂いも、何かを押さえつけているような鈍い匂い。
きっとラルスの事を気遣って、何でもないことのように聞こえるように言っている。そうラルスは気付いてしまった。気付いてしまったことに泣きたくなった。
「夢を奪われたチビちゃんはふてくされモード。ワンちゃんへの態度は八つ当たりだよ。どこにどんな風に生まれるかなんて、俺たちに決めようがない」
「カリムさんも、環境の変化についていけてないだけだと思います。上流階級生まれの方が一般人と一緒に生活するのは大変でしょうし」
「そうですわ。カリム様もそのうちラルス様とお話しできるようになりますわよ」
セツナの言葉に続いてリノ、ナルセが慰めるように口を開く。青嵐とセリーヌも心配するなとラルスに言葉をかけてくれた。その優しさが嬉しいのに、ラルスはどうしたって気持ちを持ち上げることが出来ない。
どんなに慰められても、あたたかい言葉をもらおうと、ラルスはもう知っている。
「でも俺、アイツ本気で殺そうと思った」
その言葉に穏やかになりつつあった空気が凍り付いた。
ラルスは下を向いたまま自分の手を握り締める。周りの目を見ることはできなかった。どんな顔で彼らが自分を見ているのか知るのが怖かった。
「アイツ見た瞬間に思った。殺さなきゃ。殺さないと自由になれないって。何でそんなこと思ったのか今でもわかんねえ。でも、カリムも同じことを思ったんだってのは、今の話聞いて分かった」
だから、ラルスを見た瞬間に拒絶したのだ。カリムを一目見た瞬間に抱いた激情を、カリムも同じく抱いていた。だったら、無理だ。時間や話し合いで解決できるものではない。そんな生半可なものじゃない。
「それに、アイツには俺を嫌う理由がある」
ラルスにはなかった。会ったこともない片割を嫌う理由。何であんなに嫌悪を抱くのか分からなかった。冷たい言葉、冷たい表情。そうした態度からイラついてはいたが、殺したいと思うほどの理由はなかった。それでも殺したいと思った。それがラルスは嫌だったし、怖かった。
本当に理由もなく相手を殺してしまうのではないかと。
けれど、カリムには理由があった。
ラルスにはない、片割を嫌い、受け入れたくない理由があった。だからカリムの激情はラルスよりもきっと正しい感情なのだ。夢を奪われた。自由を奪われた。それはあったこともない相手を否定するには十分だとラルスには思えた。
「カリムはさ、俺の事嫌いだろ」
リノの目を見てラルスは聞いた。リノは口ごもって答えない。それが答えだとラルスは思った。
「……俺もアイツ嫌いだから」
そういうとラルスは長椅子からたちあがり、駆け出した。人込みを縫うようにして移動すれば、あっという間に皆の姿は見えなくなる。後ろから誰かの声が聞こえた気がしたけれど、人が多い食堂ではラルスに届く前にかき消された。
食堂を出て、当てもなく歩く。とにかくどこか静かな場所にいきたかった。静かで、誰もこなくて、一人で考えることが出来る場所。そこでじっくり考えたかった。
自分のこと。カリムのこと。これからの事。最悪は家に帰ることも考えなければいけない。異種双子の解消の仕方などは分からないが、片割と縁が切れたら、カリムだって軍人になれるかもしれない。そうしたら自分だって家に帰れるし、嫌な奴とも会わなくていい。それが一番いい事のように、ラルスには思えた。
だから考えよう。どうしたらいいのか。
脳裏に後押しをしてくれたヴィオとクレアの姿が浮かんだが、ラルスは考えないようにした。二人と自分たちは違うのだ。二人は理想の異種双子と言えるけれど、自分たちはその真逆。比べるのも、羨ましいと思うのも、おかしな話だったのだとラルスは頭を振る。
歩き続けていると、だんだんと人気がなくなってきた。ヴィオと初めてまともに話した場所。ラルスのお気に入りの昼寝場所。そこが見えてきて、少しだけ気持ちが緩む。
まずは寝てしまおうか。そうしたら頭が少しだけ楽になって、いい考えも浮かぶかもしれない。そう思ったラルスはフラフラと足を進めて、そこに先客がいることに気が付いた。
裏庭にある大きな大樹の下。そこで剣をふるっている者がいた。遠くから見ても小さな体で、体よりも大きく見える剣を流れるように振る姿は綺麗だった。剣をふるったことがないラルスでも分かるほど、何度も何度も、繰り返し振り続けたと分かる剣裁きに目を引かれ、動くたびに揺れる髪色がオレンジ色なことにラルスはどきりとした。
ラルスに背を向けている者の顔は見えない。それでも誰だかわかってしまった。
匂いを知っている。姿を知っている。嫌でも目について離れない。無視しようとしても意識に飛び込んでくる。だからイヤでも覚えてしまった人間。ラルスの片割。
しかし、こうして真剣に剣をふるう姿などラルスは見たことがなかった。いつも教室では静かに本を読んでいたし、部屋に戻っても背を向けて寝ているところしか見たことがない。動くのは嫌いなのかとラルスは思っていた。努力など鼻で笑うタイプなのかと思っていた。
そんなカリムが、必死に、誰も来ないであろう場所で鍛錬を続けているなど誰が思うだろう。異種双子として生まれた以上、軍人にはなれない。本人だってそのことをとっくに知っているというのに。
足が震えて、倒れそうになった。何とか力を振り絞ってラルスは逃げ出す。どこに逃げればいいか分からない。何を自分が求めているのか分からない。でも逃げなければいけないと必死に足を動かした。
簡単なことなんじゃないかとヴィオは言った。
たしかに長い歴史で考えたら、一個人の事情など簡単なことだろう。そんな粗末なことと比べるなと誰かは怒るかもしれない。けれど、ラルスには簡単なことには思えなかった。そんなことと切り捨てていいことには思えなかった。
出会う前から、自分は運命の相手を傷つけていた。
自分の存在が片割にとっては邪魔だった。これの何が運命なのか。
小さな頃から言われてきた。あなたは運命の相手と繋がっている。それはとても幸せなことなのだと。誇らしいことなのだと。そう言ってラルスの頭を撫でてくれた両親や姉たち、村の人たちの顔が浮かぶ。
その優しい表情が、言葉が、今のラルスには重くて仕方がない。
首の紋章が焦げ付くような熱を持つ。爪を立てるとあっと言う間に両の爪は赤くなった。それでも紋章は、焦げ付く熱は、ラルスから消えてはくれない。荒がおうとも逃げようとも離れないそれは、ただの呪いにしか感じられなかった。
その次の日からラルスが紋章を隠すようになった。
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