6 人間も色々

 作業に没頭しているといつのまにかお昼の時間になっていた。授業終了の鐘が聞こえたところで、三人は顔を見合わせた。鐘の音がなると、食事を期待したお腹がぐぅとなる。正直な反応を見てヴィオとクレアは笑い、ラルスに食堂へ行くようにうながした。二人はもう少しだけ畑に残って、畑の様子を記録するという。


 クレアの持つ手帳には植物の事が事細かに記録されている。クレア自身の日記にもなっているというが、九割植物の記録だとヴィオが顔をしかめていた。他の事にも興味を持ってほしいという感情が好けて見えたが、クレアは植物の事を考える時が楽しそうな匂いが強くなるので、今のままでいいんじゃないかとラルスは思った。


 アメルディ学院の食堂は広い。八学年の生徒や先生が集まる場所なのだから、広さは必要なのだが、どうにもラルスは苦手だ。

 テリトリーにいたときは家族、時にはご近所さんも踏まえて皆で食事をとるのが当たり前だった。食事は賑やかにとるもので、兄弟で奪い合いが起こって両親に怒られたり、下の面倒を見るのに忙しかったりと静かだった記憶がない。


 全校生徒が集まるアメルディ学院も騒がしい。各テーブルに分かれた子供たちは自由に食事をしているので、話声や食器が出す小さな音。足跡に息遣い。食事の出すおいしそうな匂いに、体臭。香水などといった香り物の匂い。いろんな音や匂いが混ざり合って、五感が敏感なラルスは落ち着かない。


 それに加えて食堂は人が多いものの、全員が知り合いというわけでもない。前も後ろも知らない者。人間やワーウルフだったらともかく、全くなじみのない種族が座っていたりする。


 それになかなか慣れることが出来ず、ラルスは食堂が苦手だった。それでも食べないわけにもいかないので、いつも片手で食べられるものを頼んで中庭などで食べていた。

 けれど、今回はリノと話すという目的がある。このごった返した場所から目的の人物を探さなければいけないのだ。


 スンスンと匂いを嗅いでみても、様々な匂いが混ざり合ってリノの匂いは分からなかった。そもそもリノの匂いもしっかり覚えている。塩の香りがする程度の認識だ。リノの片割のセリーヌは南方の出身らしく、一度だけ父親と一緒に食べた辛みのある食べ物の匂いがした気がする。


 どちらの匂いも見つけることが出来ず、ラルスは顔をしかめた。匂いがダメなら目で探そうと食堂を見回してみるが、広い食堂でたった一人を見つけるのは難しい。

 いつもどのあたりで食事をしているのか分かれば良かったのだが、リノはカリムと行動する機会が多いためラルスは避けて行動している。分かるはずもなかった。


 諦める。そんな考えがラルスの頭に浮かぶ。よくよく考えれば、リノとカリムは一緒に食事をとっているかもしれない。ラルスが近づいたらカリムは良い顔をしないだろうし、リノに話があると連れ出そうにも突っかかってくるのは予想が出来る。ではリノが一人の時を狙うにしても、リノがどういった行動をとっているのかラルスは知らない。

 離すだけでも難しいのでは? とラルスは気付いた。


「めっずらしー。チビカリムのワンちゃん一人で何してんの?」


 悩んでいると背中を勢いよく叩かれる。予想外のことに倒れそうになった体を踏みとどまらせる。苛立ち混じりに振り返ると、赤い瞳がこちらをのぞき込んでいた。愉快そうに細められた瞳に嫌な予感がして距離をとると、「そんな警戒しないでよ」と軽い口調で距離を詰められる。


「セツナ……何の用だよ……」

「何の用って、ワンちゃんが珍しい所にいるから、声かけただけだけど?」


 それの何がおかしいの? と首をかしげる姿は人形のように整っているが、楽し気に上がった口元は人形にしては生気がありすぎる。何とも厄介なものに見つかってしまったと、セツナの姿を見たラルスは眉を吊り上げた。


「そんな警戒しなくたって。とって食いやしないよ。どっちかっていうと食べられるのは俺の方じゃない? ほら、俺って普通の人間だしさ」

「お前食ったら腹壊しそうな気がする……」

「なにそれ、しつれー」


 ケラケラとセツナは笑う。本気で怒っているのではないとラルスは分かっているが居心地が悪い。同級生は二十一人しかいない。一カ月たてば顔も名前も覚える。セツナと一緒にいる青嵐は、ラルスとカリムの喧嘩の仲裁によく入ってくれる。ヴィオの次にお世話になっているといえるし、いい奴だ。しかしながら、共にいるセツナがいい奴とはラルスには思えないのである。


「同級生として世間話したいだけ。含みも何もないよ。っていうか、ワンちゃんにそんなことして、俺に何の得もないでしょ」


 やれやれとセツナは頭を振って、大げさに肩を落とす。先ほどに比べるとまだ真面目な反応だが、ラルスの様子をうかがっている姿は変わらない。だからコイツは苦手なんだとラルスは思う。一見するとただふざけているチャラいやつ。世間知らずなお坊ちゃまにみえるのに、言動に反して瞳だけはいつも冷静なのである。


「……つぅか、ワンちゃんってなんだよ」


 逃げようにも逃がしてくれなさそうだと悟ったラルスはセツナの話に乗ることにした。セツナは「そこに今更触れる?」とおかしそうに笑う。


「チビカリムのワーウルフの片割れ。略してワンちゃん」

「何一つ略せてねえじゃねえか。そもそもワーウルフは犬じゃねえ!」


 食堂だというのも忘れて吠えると、周囲の視線が集まった。しかしセツナは全く気にせず、「短気なんだからー」と愉快そうに笑っていた。

 やはりコイツは苦手だとラルスは思う。見た目は細く弱そうなのに、ラルスよりも肝が据わって図太そうだ。


「細かいことは気にしなーい。別の俺たち友達ってわけでもないし、仲良く名前で呼び合うほどもないでしょ」

「……友達じゃないのに話しかけてきたのかよ」


 同い年にしてはずいぶん冷めた思考回路だと思いながらラルスが見つめると、セツナは目を細めた。子供らしからぬ知的な目。やはりラルスが嫌いな瞳であり、匂いだった。


「友達じゃないからこそ話せることもある。ワンちゃんがわざわざ食堂で人探しってことは、あのおチビに関係ある事でしょ。おチビちゃん本人……に直接いくよりは、先にリノあたりで情報収集ってとこ?」

「お前……話聞いてたのか!?」


 あの場には自分たちしかいなかったと思っていたが、セツナもいたのかとラルスが驚き叫ぶと、セツナは残念なものを見る目でラルスを見てきた。


「……ワンちゃん素直でおバカだね」

「はあ!? 何でお前にバカとか言われなきゃなんねえんだよ!」

「嗅覚と聴覚が鋭い種族は食堂が苦手なのは俺たちだって知ってんの。一年たったら慣れてくるらしいけど、入学したてはあんまり食堂に寄り付かないのが多いって」


 セツナはため息をつきつつ言葉を続ける。何が言いたいのか分からず、ラルスは首を傾げながらセツナの次の言葉を待った。


「特にワンちゃんはワーウルフの中でも鼻が利くっていうし、ここはきついでしょ。それなのに今日はやけに長居してる。なら理由があるはずだ。たしかに混んでるけど席はまだ空いてるし、そもそもワンちゃんは食事すら持ってない。ワンちゃんが立っているのは食堂全体が見える位置。となれば、ワンちゃんは誰かを探すためにここに来た」


 セツナはそういうと、「ここまであってる?」とラルスの目をのぞきこむ。ラルスは赤い瞳と滞る事なく続く言葉に気圧されて、無言でうなずいた。


「ワンちゃんが探すとなるとヴィオかクレアだろうけど、ワンちゃんは二人と一緒に教室を出ていった。ヴィオとクレアが授業に戻ってこなかったことを考えるに、さっきまで一緒にいたんでしょ。となれば、ワンちゃんは二人の居場所を知ってるんだから探すはずがない。他のワーウルフだったら、食堂にいないことはワンちゃんだって知ってるから中庭か、裏庭か。どこかいそうな場所を探すでしょ。となれば、残るは食堂にこの時間にいて、用がありそうな人物。ワンちゃんにとって最大の問題となればやっぱりチビちゃん。でもチビちゃんは寮で嫌でもあうわけだから、いま急ぐ必要もない。となれば、チビちゃんと接点が多くて、何かと頼りになりそうなリノっていうのが俺の予想なんだけど、どう?」


 どこで息継ぎをしているのか分からないほど、長々と語ったセツナは最後の言葉を口にするとラルスにウィンクして見せた。女であれば黄色い悲鳴をあげたかもしれないが、あいにくラルスは男なので効果はない。

 ラルスはパチパチと目を瞬かせて、セツナを凝視した。


「お前、頭いいな」


 口からこぼれたのは素直な賛辞。ラルスにはセツナのように人の行動を予測するなんてできないし、セツナほど周囲に目を向けることなどできない。ラルスは今、自分のことで精いっぱいで、ヴィオたちに迷惑をかけてばかりだ。そんなラルスから見ると冷静に物事を判断するセツナはかっこよく、大人に見えた。


「俺とそんなに話したことないのに、そんなに分かるのか! すげぇな! 人間だから匂いも分かんねえのに!」


 目を輝かせてセツナを見ると、セツナが目を見開いた。先ほどまでの自信にあふれた、冷静な姿とは違う。戸惑っているようにも狼狽えているようにも見える、子供らしい表情だった。


「……ワンちゃん……ほんっとに素直だね……」


 「調子狂う」とセツナはぼそりとつぶやくと、深く息を吐き出した。その様子をラルスは不思議そうに見つめる。何かセツナの気に障るようなことをいっただろうかと匂いを嗅ぐが、セツナから漂ってくるのは戸惑い。そして照れだった。


「何でお前、照れてんの?」

「……いくら鼻がよくても、空気読めないと意味ないね……」


 はあと息を吐き出して、セツナは仕切り直すように襟を直す。


「リノと話すなら、ちょうどいいよ。チビちゃん今、先生に呼び出され中。ワンちゃんたちが授業でなかった事情聴取だろうし、昼休み一杯戻ってこないんじゃない」


 「いい気味だね」とセツナはニヤニヤ笑う。それを見て何故かラルスはムッとした。カリムが他人にどう思われようと、自分には関係ないはずなのに、何でだか気に食わない。その感情が自分でもわからず眉を寄せる。そんなラルスを見て、セツナは不思議そうな顔をした。


「あれ? ワンちゃん、嬉しくないの? ワンちゃんに八つ当たりしたチビちゃんは、今頃先生に怒られてるよ。今回、ワンちゃんは何も悪くないんだし、もっと喜べばいいのに」

「アイツが怒られてるからって喜ぶほど俺性格悪くねえし」

「それは遠回しに、俺の性格が悪いっていってるのかな?」


 セツナは冗談めかして笑うが、ラルスは笑う気にはなれなかった。

 なぜだか分からないが、カリムが自分のせいで怒られてると考えるとモヤモヤする。自分は何もしていない。突っかかってきたのはカリムだ。そう冷静な部分は言っているのに。


「思ったより、君たち面倒くさいことになってるんだねえ……」


 ラルスの様子を一通り観察したセツナは呆れた顔でラルスを見た。その顔は出来の悪い教え子を見る教師の顔で、同級生をみるものでは到底なかった。


「セツナは分かるのか……?」


 何でこんなにうまくいかないのか。運命と言われた相手だというのに、相手が何を考えているのか。どうしたら仲良くなれるのかも何もわからない。この状況がどうしたらよくなるのか、聡いクラスメイトなら分かるのだろうか。

 すがるような視線をセツナに向けると、セツナは眉間の皺を深くして、それからため息をついた。


「こういうのは自分で気付かないとね」


 両親や姉たちと同じ真剣な瞳でセツナはラルスを見返した。その様子を見てラルスは気付く。セツナは兄なのだ。ラルスと同い年でも、普段はふざけた調子で笑っていても、守るべき存在がいる兄なのだと。

 そうした相手の意見は聞くべきだ。そう今までの経験で知っているラルスは背筋をただした。その様子をみてセツナの表情が柔らかくなる。仕方ないなともいえる顔。両親や姉たちが自分に向けていた顔。


「答えは教えて上げられないけど、助言くらいはしてあげるよ」


 セツナは軽い口調でそういうと、ラルスの横をするりと抜けて歩き出す。少し離れた場所から、おいで、おいでと手を振る姿は、人間というよりは猫又のようにしなやかで無駄がない。


 異種族にもいろんな奴がいる。人間にもいろんな奴がいる。世界は広いのだと、テリトリーを離れてラルスは実感していた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る