二章 運命の呪い
1 三人の朝
日が昇ると同時にラルスは目を覚ました。
カーテンが引かれた部屋の中はまだ暗く、外から鳥のさえずりが聞こえる。朝特有の透明な空気を感じてラルスはぐぅっと背伸びをした。まだ薄暗い部屋の中をぐるりと見まわして、向かいのベッドの住人が起きていないのを確認。ゆっくりとベッドから抜け出した。
とにかく音をたてないように、細心の注意を払いながら服を着替える。それからドアを開いて、閉じ、廊下に出た所でラルスは詰めていた息を吐き出した。
一カ月ほど続けている、毎朝の習慣。とはいえ慣れる気がしない。
「何で俺が、ここまで気にしなきゃいけねえんだよ」
「クソッ」と小さく吐き捨てて、ラルスは歩き出す。
昼間であれば騒がしい廊下も、早朝という時間帯では静かだ。今まで他の奴と遭遇したことはないので、こんな時間から起きているのはラルスだけなのだろう。なるべく音を立てないようにして歩いているが、コツコツという靴音が静かすぎる廊下に反響する。昼間であれば埋もれてしまうような音も、静まり返った廊下ではよく響く。
その音を聞きながら、何してんだろう自分とラルスは重苦しいため息をついた。
ラルスがこんな早朝に起きて部屋を出る理由は簡単だ。同室のカリムと顔を合わせないためである。
目が合っただけでお互いに顔をしかめ、口を開けば罵り合い。週に一度は殴り合いに発展し、そのたびにヴィオと青嵐に止められる。そんなことを一カ月以上も繰り返しているが、相変わらずカリムとラルスは同室だった。
一日中外で過ごしてみた事もあったが、毎日はきつい。学校を抜け出して実家に帰ってやろうかと思ったが、父や姉たちに迷惑をかけそうで踏み切れない。
仕方なしにラルスは出来るだけカリムと会う時間を減らすという作戦をとった。
正直に言えば非常に疲れる。気も使う。何で自分の部屋でもあるのに、俺だけがこんなに気を使わなければいけないのかという怒りもある。ラルスが部屋に戻ってこなくとも、教室にギリギリに現れようとも、授業をサボろうともカリムは何も言わない。ラルスの存在そのものを無視するように本を読んでいるか前を向いている。
自分だけが意識しているようでバカみたいだ。ラルスは澄ましたカリムの顔を思い出して、舌打ちした。
いつまでもムカツク顔を思い出していてもイライラするだけだ。そう思ったラルスは時間をつぶすために寮を出た。
アメルディ学院は校舎のほかにも庭園や、教職員が仕事をする研究室などの建物がある。その中の一つに温室という、様々な地方から集めた植物を育てている場所があった。特注で作られた魔道具を使って、温度を調節している温室内は暖かい。休憩用のベンチもあるし、そこそこ広いため奥に入ってしまえば人と出会うことも少ない。
カリムと合わないために遅く寝て早く起きているラルスは、足りない睡眠時間を昼寝することで調節していた。ベッドで比べると固いが文句は言えない。最悪、獣の姿になってしまえば固い土の上でも人の姿よりは眠りやすい。
眠るのに最適なお気に入りのスポットへと歩いていると、意外なことに人の姿があった。
朝食の時間にも、授業開始の時間にもずいぶん早い。こんな時間に自分以外の人がいる。そのことにラルスは驚いた。何度も温室には足を運んでいるが、今まで人に遭遇したことはなかったのだ。
ラルスが驚いて固まっていると上機嫌な鼻歌が聞こえてくる。しゃがんで何かをしている人物の足元にはバケツが入ったスコップとじょうろ。手には手袋。
ただ植物を見に来たとは思えない装備を見て、何かしらの作業をする気なのは分かるが、なぜこんな早い時間に? とラルスは戸惑った。
混乱のあまりじっと見すぎてしまったのだろう、足元を見ていた人影が振り返る。頭の上で結われた桃色の髪が揺れ、紫色の綺麗な瞳がラルスを見た。その人物はラルスを見ると、予想外というように目を丸くする。普段の大人びた表情とは違う姿に新鮮さを覚えたが、それよりも戸惑いの方が大きい。
「おはようございます、ラルスさん。こんな早朝にどうしましたか?」
にこやかな笑みを浮かべて桃色の髪の少女、クレアはいう。教室と変わらない落ち着いた声音は、クレアの意識が覚醒していることを告げている。たまたま偶然起きたのではなく、やはり何らかの目的をもってここにいるのだろう。
「……おはよう。クレアこそ、どうしたんだ、こんな時間に」
やっと声を出すことができたラルスは恐る恐るクレアに近づきながら、きょろきょろと視線を動かした。クレアといつも一緒にいるヴィオの姿がない事に遅まきながら気づいたのだ。
クレアとヴィオはいつも一緒にいる。入学をきっかけに出会う多くの異種双子と違い、五歳の時から一緒のクレアとヴィオの息はピッタリで、授業中の席は当然隣。移動も一緒。食事も一緒。別々に行動することが全くないわけではないが、離れた後は離れた時間をうめるようにお互いに抱きしめ合う。
長年異種双子を見てきた大人たちから見ても仲が良すぎる組。そう言われるのがクレアとヴィオだった。
「ヴィオでしたら、飼料を取りに行ってもらっているんです」
ラルスの視線でヴィオを探していると察したクレアはほほ笑む。それを見ながらラルスは飼料? と首を傾げた。
見ればクレアの前には植木鉢が置いてある。その周囲には砂利やら石。ほかにもラルスには分からないものがいくつか置いてあった。
「何か植えんの?」
「暖かいところでしか育たない植物の種を頂いたので」
クレアはそういうと嬉しそうに笑う。いつもクレアは穏やかな笑みを浮かべているが、いつもよりもはしゃいだ子供らしい笑みだ。大人びたクレアも自分と同じように喜ぶことがあるのだとラルスは目を丸くした。
「こんな朝から?」
「温室の使用許可を頂いたのが昨日の夜だったので。嬉しくて早く起きすぎてしまったんです。ヴィオも付き合わせてしまって悪い事をしました」
そういったクレアは眉を寄せる。ヴィオを気遣う姿を見て優しいなとラルスは嗤った。
「ヴィオだったら気にしないだろ。いつも寮に帰るの嫌がってるし、朝からクレアちゃんと会えてうれしいって思ってるって」
ヴィオは帰寮時間ギリギリまでクレアと一緒にいたがる。寮に戻ってからも早く明日にならないかとソワソワ落ち着かないので、そのうち女子寮に潜り込みやしないかと不安になるほどだ。そんなヴィオが嫌がることなんてありえない。そうラルスは断言できたのだが、ラルスの言葉にクレアは驚いた顔をした。
「……そう思いますか?」
「間違いない」
ラルスから見て疑いようがないのに、何でクレアが不思議そうな顔をするんだろう。そう思ったラルスは首をかしげた。いつも一緒にいる仲がいい二人だ。お互いのことをよく知っているだろうし、遠慮も何もないように見えていたので意外だった。
「ヴィオ、クレアちゃんと一緒にいる時はすごくうれしそうな匂いがするぞ」
「匂い?」
「ワーウルフって鼻が利くから、何となく相手が思ってること分かるんだ」
特にラルスは感情の変化、体調の変化を匂いで感じ取るのが得意だった。兄弟が体調を崩した時はいち早く気づくので、故郷ではよく褒められた。自慢の特技だと胸を張ると、クレアはパチパチと瞬かせる。
「ヴィオは私といると嬉しそうですか?」
「どう見ても嬉しそうだろ。見てる俺まで嬉しくなるくらい。すげぇ幸せそう」
何でそんな当たり前のことを聞くんだ? とラルスが首をかしげると、クレアの顔がだんだんと赤くなっていった。じわじわと滲んだ朱色はあっと言う間に顔を染め上げて、焦った様子で顔を両手で隠す。
急に赤くなったクレアを見てラルスは目を丸くした。スンスンと匂いを嗅げば恥ずかしいというのが分かるが、何が恥ずかしいのかは分からない。だからラルスはクレアの隣にしゃがむと首をかしげてクレアの顔を見た。
「クレアちゃん、どうした?」
「……お前、クレアに何をした」
声をかけた瞬間、背後から地を這うような声が聞こえた。
生物本能か、しまっていた耳としっぽが飛び出し、すぐさま下をむく。丸まったしっぽが股の間に入る、何とも情けない姿。しかし虚勢をはる元気もないほど、とんでもなく怖い声だった。
恐る恐る視線を動かせば、大きな袋を抱えたヴィオがオレンジの瞳を見開いてこちらを見ている。表情は乏しいがクレアと同じく穏やかな性格をしているヴィオの目が冷たい。怖すぎて、逃げ出したいのに逃げ出せなかった。
「ヴィオは私と一緒だとすごく幸せそうだ。って言われただけです」
何を言おうにも何故ヴィオが怒っているのか分からず、ただ震えていたラルスを助けたのはクレアだった。見れば未だに赤い頬をしたまま、戸惑った様子で視線を下げている。
その通り。それだけだ! と主張すべくヴィオをみれば、ヴィオはきょとんとした顔でクレアとラルスを見つめる。
「たしかに、俺はクレアと一緒にいられて幸せだが、何でそんな話になったんだ?」
「クレアちゃんが、ヴィオを朝から付き合わせたの気にしてたから、ヴィオだったら全然気にしてないし、むしろ朝からクレアちゃんと一緒にいられて喜んでるって言ったんだよ」
ほんと、それだけなので、さっきみたいに怒るの止めてください。という気持ちを込めて、ラルスは少しだけクレアとヴィオから距離をとった。
クレアもヴィオもラルスからしたら良い友人だが、怒らせた上位種ほど恐ろしいものはない。中位じゃない。間違いなく上位種だと、先ほどのプレッシャーから確信したラルスはヴィオは絶対に起こらせてはいけないと肝に銘じた。
「クレア、そんなこと気にしてたのか?」
「……もうちょっとヴィオも寝たかったかなと思いまして」
「俺としてはクレアとずっと一緒にいられるなら睡眠時間なんていらないぞ」
「ダメですよ! 睡眠は大切なんです!」
持ってきた袋を放り投げてクレアに近づいたヴィオが、とんでもないことを口にする。ぎゅうっと見ているこちらが恥ずかしくなるほどくっついて、ずっと一緒にいたいと真正面から口にするヴィオに嘘はない。
本当に大好きなんだなと先ほどまでの恐怖を忘れて、ラルスは温かな気持ちでクレアとヴィオを見つめた。
だからこそ不思議でもある。何でクレアはこんなに分かりやすい態度で正直な気持ちを言葉にするヴィオを疑うようなことを言ったのだろう。
ラルスはクレアに抱き着いているヴィオを見ながら考えてみたが、まだ出会って日の浅いラルスにはその答えはどうにも導きだせそうになかった。
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