2 体温

「ラルスはこんな朝からどうしたんだ?」


 クレアをひとしきり抱きしめて満足したヴィオは、放り投げた袋を回収しながらラルスに問いかけた。いつも通りのヴィオに戻ってくれたことに安心しつつ、おずおずと近づく。


「ちょっと寝ようと思って」

「……ここでか?」


 ラルスの言葉にヴィオは眉を寄せ、クレアも不思議そうな顔をした。それに対してラルスは笑みを浮かべる。


「ここあったかいし、ベンチとかあるし、外より寝やすいだよ」


 ラルスは野宿にすっかり慣れていたので素直に答えると、クレアとヴィオが微妙な顔をした。それからお互いに目配せして、少々険しい顔になる。


「……もしかしてお前、自室で寝てないのか?」

「寝に帰ってはいるぞ。ただアイツと会いたくないから、消灯ギリギリに帰って、アイツが起きる前に出てきてるだけで」

「十分な睡眠をとれていないのでは?」

「まあなー。だからここで朝ごはんの前まで寝てんの」


 笑ってそういえば二人の表情がますます険しくなった。顔を見合わせて、どうする? と無言で言い合っているように見える二人にラルスは首をかしげる。


「……カリムは何もいわないのか」

「アイツが俺になんか言うわけないだろ。っていうか俺も話したくねえし」


 ムカツク顔を思い出して顔をしかめると、ヴィオはますます険しい顔をした。


「先生は?」

「空き部屋ないから一年は我慢しろって」

「……それまでずっと、ここで寝るつもりなんですか?」


 ヴィオのピリピリした空気とクレアの心配そうな顔。その両方を見比べて、二人がラルスの体を案じてくれているのだと気づく。その瞬間、しまい忘れたしっぽがブンブンと左右に振れた。

 心配してもらえる。それだけで何だか嬉しくて、ラルスは安心する。

 しかしクレアとヴィオの表情は暗いまま。


「大丈夫。だいぶ慣れてきたし」

「……慣れていいものでもないだろ」

「うーん……俺も出来たらちゃんとしたとこで寝たいけどさ、アイツと一緒にいた方がイライラするんだよな」


 話し合えと大人はいった。このままお互いに存在を無視するような態度をとり続けていいはずがない。部屋をわけたとしても同学年であることは変わらない。異種双子であることも変わらない。これから卒業まで関りを断つことなどできないのである。ならば、お互いに話し合って妥協点を見つけた方がいい。

 その考えが正しいことはラルスだってわかっている。このままでいいはずがない。話し合った方がいい。けれど、冷静に話し合おうとカリムと向き合っても、目を、紋章を見た瞬間に胸の奥から激情が沸き上がってくる。どうして、何で。何でお前なんかが。そういうラルスすら制御が出来ない感情のままについつい声を荒げ、殴りかかってしまうのである。


 冷静になるのはいつもカリムがいなくなってからだった。カリムと引きはがされ、頭を冷やすために一人きりになって初めてラルスはヒヤリとする。あのまま本気で殴り、噛みつけば人間であるカリムはあっさりと死ぬだろう。ワーウルフと人間は姿形は似ていても持って生まれた身体能力が違う。ワーウルフの力は人の倍で、人の細い骨くらい簡単に折れるのだ。爪だって牙だって、人間の薄い皮膚くらい簡単に貫ける。

 一歩間違えば殺してしまったかもしれない。

 そうした恐怖に遅れて気付いて、ラルスは一人震えた。次は殴りかからない。次こそ抑える。冷静に話し合う。そう一人の時は考えられるのに、カリムを前にすると冷静な思考が消えうせる。それをラルス自身不思議に思っていた。


「どうにか抑えようと思うけど、抑えられねえし、距離とるのが一番なんだよ」


 ラルスは温室に植えてある名も知らない花を見ながらいった。声は感情を無理やりそぎ落としたみたいに平坦だった。ラルスらしからぬ反応にヴィオとクレアが顔を見合わせる。


「俺自身、何であんなにアイツがイラつくのか分かんねえし、もしかしたらアイツもそうなのかもしれねえ。それなら、お互い落ち着くまで距離とった方がいいと思う」

「そうかもしれませんが、ラルスさんだけ無理することになっていませんか?」


 クレアは心配そうにラルスを見つめる。そこに嘘の匂いはない。純粋に身を案じてくれていることが分かり、それだけでラルスは嬉しくなった。

 しかし笑みを浮かべれば浮かべるほど、ラルスを見るクレアの表情は暗くなる。痛々しいものでも見るかのような、ラルスよりも傷ついて見える表情にラルスは眉を寄せた。


「クレアちゃんが気にすることじゃねえって。カリムにお互いに距離とろうぜ。って言ったって、何でお前に私が譲歩しなければならない。って怒るだけなの予想つくだろ」

「だとしても、二人の問題なのにラルスだけ割を食ってるのはどうなんだ」


 クレアに続いてヴィオも顔をしかめる。


「そんなに言うほどか? 授業は俺サボっても仕方ないみたいな空気になってるから、むしろラッキーだし、テリトリーにいたときから野宿とかはしてたし」


 学院に入る前に父と旅をした時も、大人と一緒に狩りに参加した時も、必要とあれば野宿はしていた。固い土の上、毛布もなく屋根もない。そんな場所で寝ることもあったのだから、時間は短いとはいえふかふかのベッドで寝られるだけ恵まれているとラルスは思う。

 けれどヴィオとクレアはそうは思わなかったらしく、ますます表情を険しくした。


「ラルスさんの意思で行っているのと、カリムさんがいるからそうするしかないのとでは話が全く違うと私は思います」

「クレアの言う通りだ。今はよくてもこの状況が続けばお前の負担が増えるだけだ」

「……そういわれても……」


 二人が心配してくれていることも、二人が言いたいこともわかるが、分かったとしてもどうしようもない。カリムと一緒にいた所でケンカになるだけ。それではラルスの体も心も休まらない。疲れるのは一緒。ならば疲労の少ない方を選択する他ない。


 クレアとヴィオもカリムに対してどうすればいいのか分からなかったのだろう。黙り込んだラルスを見て顔を見合わせる。どうしようかと視線で話しあう二人を見て、本当に息のあった異種双子だなとラルスは思う。

 幼い頃夢見た、仲が良くて信頼し合っている、理想の異種双子。いいなあとラルスは思い、それとは真逆な現実にズキリと胸が痛くなる。


「お前が言う通り、カリムにいったところですぐに状況がよくなるとは思えない。だからといってお前をそのまま野宿させるわけにもいかない。

 というわけでだ、ラルスはこれから俺の部屋で寝ろ」

「は?」


 暗い感情に押しつぶされそうになっていたラルスは、ヴィオから告げられた言葉にすぐ反応することができなかった。少し間をおいてからヴィオの言ったことを理解しクレアを見ると、それは名案ですという表情でほほ笑んでいる。


「俺の部屋は二人部屋だが、同室者がいない」

「えっ! 何それずりぃ」


 部屋の空きがないと教師は言っていたはずだが、思いっきりあるじゃないか身近に。やはり様子を見たいというのが本音だったのかとラルスは顔をしかめた。


「階級が違うと下位種は落ち着いて寝られないから、中位以上の種族は二人部屋を一人で使ってるやつが多いらしい」


 ヴィオと説明にラルスは納得した。

 同じく中位以上であろう青嵐はセツナと同室だったため、ヴィオの部屋に空きがあるなんてラルスは思いもしなかった。しかし、考えてみればセツナはヴィオたちと同じく幼い頃から一緒にいたという話だ。今更同室であろうと気にしない。それに加えて人間は魔力を感知できないので、階級の違いによる魔力のプレッシャーとは無縁。異種双子は異性同士の組が多いこともあり、二人が同室という方がどちらかといえばイレギュラーなのだ。


「というわけでだ。俺は隣のベッドが空白で寂しい。ラルスは安心して寝られる場所、気持ちを落ち着けられる場所が必要。カリムとも距離を置くことができる。俺の部屋で寝るというのが今のところは最善だろ」


 ヴィオが腕を組んで胸を張る。どうだ、反論しようがないだろという表情を浮かべる姿は堂々としていて、そんなヴィオを見てクレアは楽しそうに手をパチパチと叩いた。


「でも……いいのか?」

「もちろんだ。正直にいえばクレアとずっと一緒になれているから、一人部屋は寂しい」


 眉を下げるヴィオを見て、これは本音なのだろうとラルスは思った。たしかにずっとクレアと一緒にいるヴィオを見ていると、誰かと一緒にいるのが好きなのだろう。

 ラルスも故郷にいたときは誰かと共にいることが多かった。一人で少した時間など数えられるほど。ワーウルフはもともと集団で行動するスキンシップを重要視する種である。

 それなのに片割と上手くいかず、ヴィオとクレア以外との同級生とも打ち解けられていなかったラルスは一人行動を余儀なくされていた。


 自室に戻れないことよりも、固いベンチや土の上で寝ることよりも、ただ一人の方がつらかった。朝起きて、一人で誰もいない学院内をフラフラするのは、寂しくて仕方なかったのだ。

 でも、それももうしなくていい。ヴィオの部屋にいったら一人じゃない。ずっと一緒じゃなくたって、そこで待っていたら話せる相手が来てくれる。それだけでもラルスにとっては十分だったのだ。


「ほんっとに行っていいか? やっぱ無理。って言われた俺へこむぞ」

「やっぱ無理なんて言うわけないだろ。俺はお前ともっと仲良くしたい」


 期待で早口になるラルスにヴィオはクレアに向けるのと変わらない、穏やかな笑みを浮かべた。


「友達だろ?」


 その言葉を聞いた瞬間、体に衝撃が突き抜けた。カリムと一緒にいる時に感じる冷たくて怖いものじゃない。暖かくてうれしいものだ。


「ヴィオ―!! 好きだー!」


 思わず衝動のままに飛びつけば、ヴィオが驚いた顔をして、隣のクレアが目を丸くする。久しぶりに感じる他人の体温にラルスは嬉しくなって、ちぎれんばかりにしっぽが振れた。その様子を見てヴィオとクレアは呆れを含めた、優しい顔をする。


「ヴィオを好いてくれるのは有り難いですが、ヴィオは私の片割なので」

「好いてもらえるのは嬉しいが、俺はクレアのものだから」

「あっうん。それは分かってるから真顔やめてくれ」


 「ぶれないな」とラルスは笑い、それにつられたようにヴィオとクレアも笑う。

 暖かいけど、どこか寂しかった温室が、今日はとても輝いて見えた。

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