3 壊れた空気
授業終了の鐘が聞こえると、「今日はここまで」という声が響いた。それと同時に教室は騒がしくなる。
今日はずっと座学だったため、ラルスは凝り固まった体を伸ばした。
隣のヴィオを見ると器用に座ったまま眠っていた。腕を組む姿は凛々しく見えるが、ただの居眠りである。堂々と眠るヴィオに対して教師陣も最初は色々言っていたが、今は諦めたのか無反応。
それに対して隣のクレアは綺麗な字でノートに先生が言った言葉、黒板の内容をまとめている。クレアは勉強に対して熱心で、分からないことがあればすぐに教師に聞きに行く。復習をかねてヴィオに教えることも多いので、ヴィオが寝ていても怒られないのはクレアの存在が大きいだろう。
教師が持ってきた教材をまとめて教室を出ていこうとしたところで、クレアが教師の名を呼んだ。先ほどまで書いていたノートを持って、「聞きたいことがあるんです」と熱心に質問するクレアに教師の表情は柔らかい。
落ち着いていて優しくて勉強熱心な生徒。教師が気に入るのも当然だろう。
授業をサボりがちなラルスが多めに見てもらえるのも、クレアとヴィオと行動を共にしているというのが大きい。勉強を教えてもらえるというのもあるが、ラルスとカリムが喧嘩をしてもヴィオだったら物理的に止められる。その後のフォローもクレアがいれば大丈夫。それが大人たちからの評価なのである。
事実、ヴィオとクレアと行動するようになってからラルスは何度も二人に救われている。優しく気遣われ、カリムと喧嘩すれば慰めてくれる。同い年だというのに姉たちのように甘えている自覚がある。
もうちょっとしっかりしないといけないとラルスは思うのだが、同い年とは思えないほど器の大きい二人を見ていると、対等になれる日は遠いなと思うのだ。
「ラルスー。今日は俺んとこ泊まる?」
教師に質問しているクレアを眺めていると、同級生のワーウルフに声をかけられた。
ヴィオとクレアと行動を共にするようになってからの変化の一つに、同級生と打ち解けられたというものがある。
初日にカリムと大喧嘩してしまったことと、元々ラルスの目つきが悪かったこと。授業もサボりがちであまり会話もしなかったことから、ラルスは同級生に怖い奴という認識をされていたらしい。
ヴィオたちと一緒にいるようになって誤解だと分かれば元々人懐っこい性格も相まって友達が増えるのは早かった。打ち解けたところで、ヴィオの部屋で寝泊まりしているということが知られると俺たちの部屋にも来ていいぞと、ラルスを泊めてくれる部屋はどんどん増えた。
ヴィオだけに迷惑をかけるのも申し訳ないと思っていたラルスは、いろんな友人の部屋を泊まり歩いている。その輪は次第に広がって、最近では上級生の部屋にも遊びに行くほどだ。
「この間の勝負決着つけてやる」
「いや、俺の勝ちだろ」
「途中で消灯時間きたから勝負はついてない」
「それまで俺が勝ってたんだから、俺の勝ちだっての!」
自分が持ち込んだボードゲームで負けたのがよほど悔しかったのか、ビシリと同級生はラルスを指さす。それに対してラルスも受けたつと立ち上がりながら拳を握る。話を聞いていた他の奴らが、何の話と話題に入り、ラルスの周りは賑やかになった。
入学当初とは比べ物にならない変化にラルスは笑う。すぐに故郷に帰ってやろう。そう思っていた時期が嘘のようだった。
「静かに出来ないのか、駄犬が」
賑やかな教室を凍り付かせたのは、イラついた声だった。
一番前の席で本を読んでいたカリムがわざとらしく音を立てて本を閉じる。それからゆるりと立ち上がると、男にしては大きな瞳でラルスを睨みつけた。黙っていれば人形のように整った容姿だというのに、嫌悪の滲んだ瞳と深々と刻まれた眉間の皺は愛らしさとは程遠い。
シンと静まり返った教室、集まる視線をもろともせず、カリムはラルスを睨みつけた。
「休み時間までキャンキャン鳴く声なんて聞きたくないんだが、黙ることも出来ないのか」
「ちょっとカリム」
慌てて声をかけたのはカリムの隣に座っていた青い髪の少年、リノ。商人の息子だというリノは博学で物静かな性格からカリムと気が合うらしかった。何の本が面白いだとか、市場がどうだとか、ラルスには分からない話をよくしており、片割のラルスよりもよほど仲良くしている。
そんなリノが必死にカリムを止めているが、カリムは睨むことをやめない。リノの片割であるセリーヌは呆れ切った顔でカリムを見て、それからラルスを見る。ケンカに発展するなら止めなければ。という様子をうかがう視線を受けたが、ラルスは唖然とカリムを見ていた。
何で喋ってただけで、煩いとか言われなきゃなんねえの?
そう思った瞬間、驚きのあまり鈍っていた思考が熱くなる。頭に血が上るとはこのことなのだ。血管が沸騰したような感覚。感情のままに怒鳴ろうと口を開くと、それよりも先に冷たい声が響いた。
「そんなに騒がしいのが嫌なら、お前が出て言ったらどうだ」
先ほどまで喋っていた同級生からひぃっという声が聞こえた。ラルスも声を聴いた瞬間、燃え上がっていた熱が一瞬で冷めたのを感じた。
温室でヴィオを怒らせた時と同じ空気。恐る恐る座ったままのヴィオを見れば、いつのまに覚醒したのか知らないが、完全に目が座っていた。腕を組みカリムを睨みつけている姿は同い年とは思えない迫力。寝起きで機嫌が悪いのもあったのかもしれない。カリムを見る表情は普段のヴィオとは別人のようだった。
「教室はお前のものじゃない、皆のものだ。それにラルスはお前がうるさいというほどの声量で話していない」
ヴィオはそこで言葉を区切ると、フゥっと息を吐き出した。それから口角を上げ、意地の悪い笑みを浮かべる。
「それでも煩いと感じるのなら、ラルスを意識しすぎなんじゃないか」
ラルスの言葉を聞いた瞬間、カリムの顔が赤くなった。怒りで真っ赤になった顔でハクハクと口を動かしているが、まとまった言葉は出てこない。
その顔を見て、成り行きを見守っていたセツナが噴き出した。
「ち、チビちゃん……! 情けなさ過ぎ……」
腹を抱え笑うセツナをカリムが睨みつける。ラルスほどではないが、セツナとカリムも仲が悪い。この二人は貴族のお坊ちゃま同士なので、学院に入る前から面識があったらしいが、その当時から仲は良くなかったようだ。
そんな相手に声を出して笑われ、カリムは赤い顔のまま殺しそうな目でセツナを睨みつけた。
「ヴィオ、やりすぎですよ……」
いつのまにかヴィオの元へ戻ってきたクレアが呆れた顔をする。ヴィオは俺は悪くないという顔でそっぽを向いている。クレアに対しては素直なヴィオらしからぬ反応にラルスは驚いた。
「騒ぎが大きくなるだけですし、私たちは教室から出ましょうか」
クレアはそういいながらセリーヌへと視線を向ける。クレアと目があったセリーヌはまかせろというように片手をあげた。女性とは思えない頼もしい姿は、何があっても何とかしてくれそうな安心感がある。
怒っているカリムを何とかなだめようとするリノ。笑い続けるセツナ。オロオロする青嵐。そんな状況でも穏やかな顔で笑っているセツナの双子の妹ナルセ。
収拾のつかない状態を見て、これを放置していいのかとラルスは思うがクレアは問答無用でラルスの手を引いた。
「ちょうど人手が欲しかったんです。畑作り手伝ってもらえませんか?」
柔らかな表情でほほ笑まれたらラルスが断れるはずもない。こくりと頷けばクレアはラルスの手を握ったまま歩き出す。それに慌ててヴィオを振り返れば、ヴィオは何とも言えない顔でラルスとクレアの繋がれた手を見ていた。
「……今だけだ」
ふてくされたヴィオの声を聞いてラルスは思わず笑ってしまった。
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