5 裏庭の密会

 廊下を歩くとヒソヒソと聞こえる囁き声にラルスは舌打ちした。

 入学して数日でラルスはあっと言う間に有名になった。それも嫌な方向で。

 入学早々どころか、入学式前の顔合わせで大喧嘩。そのまま隔離。入学式に参加できなかったという組はアメルディ学院創立以来初めての事らしい。

 入学式後に事情を聴いたルルは「歴史に名を刻むなんてすごわね」となぜか喜び、父は腹を抱えて涙を流すほどに笑い、最終的には「若いうちはそういうこともある」と全く助けにならない事を言われた。しかもその後、あっさり帰ってしまったのだから薄情である。


 心配ではないのかとラルスは眉を吊り上げる。

 仲がいい。お互い唯一無二の存在。そういわれている片割が殺したくなるほど嫌い。そんな話は聞いたことがない。専門家を集めている教員ですら慌てているあり様だというのに、身内は慌てることもなくしばらく様子を見ろという。


「本当に嫌だったら連絡しろって何だよ……初対面から嫌だって言ってんだろうが」


 人気のない場所へと歩いていたラルスは、誰もいない裏庭にたどり着き吐き捨てるようにつぶやいた。父にもルルにも、学校の先生にもラルスの主張は通らなかった。とりあえずは様子を見ようと父と同じことをいうが、とりあえずとは一体いつまでの事なのか。


 これから八年間暮らすことになる寮の部屋は最悪なことにカリムと同じ。再度部屋で顔を見合わせたラルスとカリムが喧嘩の第二ラウンドに移行するのは自然の流れだった。お互いに「出ていけ」「うるせぇ。お前が出ていけ」と罵り合い、ヒートアップした結果、再度殴り合いに発展し、教室と同じくヴィオ、青い髪の少年――青嵐に取り押さえられた。青嵐と一緒に来た貴族の少年――セツナには「仲悪すぎでしょ」と父と同じく指をさして笑われる始末。初日から散々だ。


 そんな状況でもラルスとカリムは同室のままだった。

 一人部屋は上級生に優先されるため、分けようにも部屋がないという話だったが、大人たちの様子をみたいという思惑が絡んでいないとは思えない。

 仕方なしに部屋の中央に境界線を引き、線を越えないというルールを決め、食事と入浴が済んだらすぐさま寝た。慣れない環境につかれていた事が幸いしたが、今後どうなるかは分からない。


 お互いに存在を無視する方向性で固まったが、どうしたってストレスはたまる。何しろ教室は一緒だし寮も一緒だ。意識の外に追いやろうにも、どうしたって視界に入るし、授業中教師に当てられれば嫌でも声が聞こえる。

 入学して数日にしてストレスは溜まり続けている。気にしない。無視するという選択をとれるほどラルスは大人にはなれず、たまったストレスを発散できるほど環境に慣れていない。となれば、元凶から離れるのが一番だ。そう判断したラルスが授業をサボるという選択をとったのは教師にも責められないことだと思っている。


 敵前逃亡ではない。事あるごとにケンカをしていては周囲にも迷惑だ。これは配慮の結果である。

 そうラルスは頭の中で何度も言い訳をするが、どうにも気分は晴れない。目の前には誰もいないのに、脳裏にはあの憎き片割が浮かんでくる。何でこんなに意識しているのか自分でも分からず、ラルスは舌打ちした。


「荒れてるな」


 むしゃくしゃした気持ちを抑えようと奥歯をかみしめていると、背後から声が聞こえた。

 耳はいいし鼻もきく。気配にも聡い。そう思っていたラルスは全く気付かないまま背後を取られたことに驚いた。それほどまでに自分は憎き片割に意識を持っていかれているのか。そんな考えが浮かんで、顔をしかめる。

 自然と睨みつけるような顔になってしまった自覚はあった。相手には何も非はないと分かっているが、イラついている。そう分かっていて近づいてきたのだから、睨まれても仕方ない。なんて我ながらめちゃくちゃなことをラルスは思う。

 

 しかし、振り返った先にいた意外な人物にラルスは驚き目を丸くした。

 こんな場所までラルスを追ってくるとしたら教師だろうと思っていた。だからこそ睨んでも、文句の一つや二つ言っても自分は許される。そう思って振り返ったのに、そこにいたのは数日前にあったばかりの同級生だった。


「えっと……ヴィオだよな?」

「お前はラルスだな」


 クラス全体の自己紹介は最初の授業で行われた。だが、片割に気を取られていたラルスは顔と名前が一致している自信がない。

 ワーウルフはコミュニケーションを大切にする種であり、名前や顔を覚えるのは当たり前。他の種よりも得意としているともいえるのだが、どうにも目立つメンバー以外うろ覚えだ。それすら嫌いな片割に振り回されている証明な気してラルスは顔をしかめた。

 それから、自分の認識が間違っていなかったことにほっとして、次に首を傾げる。


 こんな人気のない所に来たのはたまたまではなく自分を追っての事だろう。けれどヴィオがそこまでしてラルスを気にする理由が分からない。同級生といっても最低限の挨拶をした程度の間柄。初日から今日まで片割とケンカするたびに止めに入ってもらっているので迷惑をかけているという自覚がある。ヴィオからすれば事あるごとに面倒事を起こす厄介な相手に違いない。なぜわざわざ声をかけてきたのかとラルスはじっとヴィオを見つめた。


「授業はいいのか?」

「それはお前もだろ。もうすぐ始まるっていうのに、どんどん人気のない所に行くからどうしたのかと」


 そうヴィオがいうのを見計らったかのように、授業開始を告げる鐘の音がなった。

 ヴィオは「ほら」と眉を寄せながら鐘の方を見るが、ラルスはふてくされたようにそっぽを向いた。


「俺はいいんだよ。サボるつもりだし。お前はさっさと戻れよ。今だったら迷ったで許してもらえるだろ」

「そうはいわれても、戻り方が分からない」

「は?」


 ヴィオの言葉にラルスは驚いた。細いといわれる目を見開いてじっとヴィオを見つめるが、何を考えているか分からない無表情でぼんやり宙を眺めている。

 ここ数日で分かったことだが、ヴィオはクレアの前限定で表情筋が豊かになる分かりやすい奴だった。


「お前の後をついてきたから、ここからどういったら教室に戻れるのか分からない」


 真顔で告げるヴィオにラルスは「えぇ……」と気の抜けた声を出した。

 上位種だし、迷惑をかけているし、無表情だしとっつきにくそう。なんて思っていたのだが、今のやり取りで抱いていた印象がボロボロと剥がれ落ちて、ドジ? 天然? という疑惑が浮かび上がる。


 ラルスはどうしたもんかなと考えた。このまま放置したらヴィオまで怒られてしまう。何よりもいつも一緒にいるクレアも心配させてしまう。けれど、ヴィオを送り届けるために教室までいったら、ラルス自身も連れ戻されてしまう可能性が高い。ここまで逃げてきた以上、それはごめんだ。


「一人で戻れないから、しばらく一緒にいていいか」


 ラルスがいいとは言えない頭をひねっている中、ヴィオは気にせずラルスの隣に座った。「はあ?」とラルスが声をあげるのもお構いなしに「天気がいいから日向ぼっこ日和だな」と目を細めている。

 コイツ、とんでもなくマイペースだ。とラルスが唖然としていると「座らないのか?」と上目遣いで聞いてきた。


 その姿が何となく、故郷にいる弟と妹たちに重なった。兄ちゃん構ってくれないの? と無邪気に見上げてくる瞳に面倒見がよいラルスが勝てるはずもなく、言われるがままにラルスはヴィオの隣に腰を下ろす。

 何でこんなことになってるんだっけ? 俺は一人になりたかったはずなのに? と疑問はいくつも浮かんだが「眠い」と呟いている隣のヴィオを見ていたら、どうでもよくなってきた。


「上位種って下位種に興味ないかと思ってたのに意外だ」

「……なんで上位種だって?」


 少しだけヴィオの空気がピリついたのが分かった。それに気づいてラルスは失言だと気付く。父やルルに、気を付けろと言われていたのに、早くもルールを破ってしまった事実にラルスは焦る。どうにか誤魔化そうかと思ったが、ヴィオは怒るでもなくラルスをじっと見つめていた。その視線に耐えかねて、ラルスは恐る恐る口を開く。


「いや、その、神力が全く感じられないから中位種以上だろうなと……上位種っていうのは勘」

「勘か……」


 ヴィオが困ったように眉を寄せた。自分の種族を知られたくない。そういう気持ちが見えて、ラルスはますます慌てた。


「俺が勝手にそう思っただけで、他はどう思ってるか分かんないし」

「お前がそう思ってるってことは、他の奴らもそう思ってるかもしれないってことだろ。事実、青嵐とセリーヌ以外の異種族からは距離を感じるしな」


 苦笑を浮かべたヴィオを見て、周囲をよく見ていると感心した。

 話題にあげられた青嵐と赤い髪の少女――セリーヌは、中位種以上だからヴィオに対しても、下位種よりは気兼ねないだろう。むしろ距離を置かれている側であるため多少なりとも仲間意識があるはずだ。


「青嵐とセリーヌがいるんだからマシだって。聞いた話じゃ、中位種以上は一クラスに一人いたらいい方らしいし。一人きりだったらもっと疎外感すごかったって考えたらラッキーじゃねえ?」


 ラルスの言葉にヴィオはパチパチと目をまたたかせて「そうだな」と納得した様子で頷いた。


「たしかに、俺一人だけだったらもっと気まずかったな。クレアにまで気まずい思いをさせるところだった。と考えると、青嵐とセリーヌには感謝しなければいけないな」


 先ほどに比べるとスッキリした顔で頷くヴィオ。その様子を見て不安が少しでも晴れたのならよかったと思うところなのだろうが、ごく自然に出てきたクレアの名前にラルスは眉を寄せた。

 自分が気まずい事よりも、クレアが過ごしやすい方が大事だ。そう取れる発言は、それだけでヴィオがクレアを大事にしていると伝わってくる。


「……やっぱりさ、大事か片割って」


 目を合わせることが出来ず、ラルスは下を向いてつぶやいた。芝生を見つめてもモヤモヤが増すだけで気分は晴れない。分かっているけれど、ヴィオの顔を見ることはできなかった。

 ヴィオもまたラルスと同じく数日のうちに学院内で有名になった。ラルスとは真逆に、とても仲が良い組だと。


「俺の場合はな」


 そういったヴィオが視界の端で脇腹の紋章を撫でたのが分かった。初めて見たときから違和感なく溶け込んだ、お腹の半分を覆うほどの紋章。絆の証。

 ラルスは自分の首にあるそれを撫でて自嘲する。同じ紋章があり、同じ異種双子だと言われているのにも関わらず、ラルスとヴィオは全く違う。そう思えてならなかった。

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