第121話 S19 領主代行の苦悩


「お嬢様お待ちください!」


 領主邸を慌ただしく進む女性。その後ろには数人のメイドと執事の姿があった。メイド達は一様に焦った表情を浮かべており、先を進む女性を心配そうに見つめ早足でついて行く。


「お兄様は執務室ですね?」


 執事の呼びかけを無視して進み続ける女性――ヒロネはスラムから戻ると血だらけの服を着替えることもなく、真っ直ぐに執務室に向かっていた。

 時折すれ違う使用人達からも悲鳴に近い叫びが発せられるが、ヒロネはそれらを気にも留めず歩き続ける。


 バンッ!

「ザリックお兄様!!」

「うおッ! なんだ! ノックくらいし――ッヒロネ!? どうした! なにがあったのだ!!」


 執務室で領主である父、カイザークに代わり一人で書類仕事をしていたザリックは、突然の来訪者に驚いて書類を落とした。苛立ちを覚えながらも書類を拾い、無礼な来訪者を怒鳴り付けようとするが、ヒロネの姿を見て椅子を押し倒しながら立ち上がる。

 しかしそんなザリックのことを気にもせず、ヒロネは執務机に歩を進め、机をバンっと強く叩きザリックを睨みつける。


「ザリックお兄様! 今はザリックお兄様が領主代行ですね! つまり今この場での領都に関する決定はザリックお兄様が判断するということで間違いないですね!」 

「そ、それはそうだが、そんなことより、ヒロネ、お前その怪我……」


 ヒロネの鬼気迫る迫力に声のトーンが下がり、椅子に沈むザリック。ひとまず怪我の心配がない程度には元気であることを理解したザリックは視線を正し、ヒロネを見る。


「……まずは説明しろ。ヤマト殿を助けに行くと言って騎士を連れて行ったのはお前だ。説明責任を果たせ。メルビンからは一部のハーティアを捕らえ、更にスラムに向かうとの報告は受けている。……何があった?」

「御使い様に出会いました。私はあの方にお仕えするために生まれてきたのです!」

「…………。……分かるように説明しろ。スラムで何があったのだ?」


 突然の不可解な言葉に思考が止まるザリックだったが、ヒロネの真剣な眼差しを前に一蹴することができなかった。ヒロネが意味もなくそのようなことを言うとは思えなかったザリックは、頬をヒクつかせながらもヒロネに説明を要求する。


「スラムではハーティアによる扇動があり、千人近いスラムの住人達が集まっておりました」

「千人だと!? 暴動ではないか! 警備隊だけでは抑えきれんだろう!」


 スラムには獣人などの亜人種が多いことを理解しているザリックは、人間族で構成された警備隊では鎮圧することが困難だと慌てて立ち上がる。しかし、ヒロネの落ち着いた姿に事態がすでに終息していると気付き冷静さを取り戻した。そしてヒロネに続きを求める。


「住人達が狙っていたのはツバキ様でした。ヤマト様のの方も助力していただけたことで、メルビンお兄様が到着する前に制圧は完了しました」

「…………父上から話は聞いていたが、千人の亜人を相手に勝つとはな。メルビンは事後処理をしているのだな? 死者はどの程度いる?」

「死者はいません。十数名ほど重傷者がいますが、一人も死人は出ていません。メルビンお兄様はハーティアの残党を捕縛しています。スラムの住人に関してはヤマト様がご慈悲を与えるとのことなので捕縛はしません」

「手心を加えてなお、千人を圧倒するか。それだけの人数を捕縛して収容するのは難しい。……ヤマト殿に借りを作ったな。それで、その怪我はどうしたのだ? すでに治っているみたいだが、ヤマト殿からポーションでも貰ったか?」

「はい。わたくしがハーティアの残党に人質に捕られたところをヤマト様に助けて頂きました。ポーションもその後飲ませていただきました。怪我は完治しています。そしてヤマト様から領主の了解を得ることができれば、お傍に置いていただけると」

「それで父上が帰って来る前に俺に許可を出させようと思ったのか。はぁ、父上が聞いても許可は出すぞ?」

「それくらい分かっています。それに出さなかったとしても出させます。ですが、お父様が帰って来るまでヤマト様をお待たせするわけには参りません」


 ヒロネの言動があきらかにおかしいと感じたザリックは眉を寄せてヒロネを睨む。しかし、その視線を受けたヒロネもまたザリックを睨み返していた。

 予想外の対応にザリックはあっけに取られるが、ヒロネの視線が弱まることはない。むしろ狂気を秘めたヒロネの瞳にザリックの方が冷や汗を流していた。


「……ヤマト殿がこの領地、ひいてはこの国に重要な人物であることは父上からも聞いている。お前の失態も、もちろん把握している。その上で聞くが、何がお前をそこまで駆り立てている? 重要な人物であり、お前が失態を犯したことで関係が悪化するかも知れない、と父上も危惧していた。しかしそれは昨夜の会合で帳消しになっている。はっきりと言ってお前がこれ以上ヤマト殿の関わるのはリスクが高いと俺は見ている。謝罪だけ済ませ、今後は極力会わない方が我が家のためになると思うのだが? あぁ、お前が心配していたリガルンド子爵の件なら問題ない。父上はお前をあの豚にやるつもりは元からないからな。お前が望むなら王都近郊の貴族家に嫁がせるように父上を説得してもいいぞ。この街にお前がいたらヤマト殿との関係にも影響がでかねんからな」


「お断りします。言ったはずです。わたくしはヤマト様にお仕えするために生まれてきたのだと。もはやリガルンド子爵のことなど、どうでもいいのです。ヤマト様が子爵に嫁げというのであれば喜んでこの身を捧げましょう。ですが、その命がないのであれば、わたくしはヤマト様にこの身を捧げます」


 ヒロネの出方を伺うつもりだったザリックは、ヒロネに即答されたことに驚きを隠せなかった。以前のヒロネであれば、王都近郊の貴族へ嫁げるとなれば、「お家のためになるのであれば」などと言いつつも絶対に断らないはずの提案であった。

 それが歯牙にもかけずに断り、あろうことかリガルンド子爵に嫁いでもいいとヒロネの口から飛び出すとはザリックは夢にも思わなかった。


「……本当に何があった?」

「ヤマト様は女神様の使徒様です」

「それは先ほども聞いた。……一体何を根拠に言っているのだ? 女神様の使徒などと、軽々しく言っていいことではないぞ」


 女神の使徒。それはこの大陸において女神アルテミリナの使徒であるということに他ならない。

 アルテミリナが顕現したことは過去に幾度かあった。人の身ではどうしようもない世界の災厄を退け、人々を救う偉大な女神として大陸全土にその名が知れ渡っていた。その女神の使徒ともなれば、一介の貴族がどうにかできる範疇を越えている。最低でも王族が対応する案件。

 ザリックはヒロネが何を持ってヤマトが女神の使徒であると言っているのかと、問い詰めるように視線を強める。


「ヤマト様から神の如き聖なる波動を感じました」

「聖なる波動? まさかアルテミリナ様のお力を感じるとでもいうつもりか? 父上からもメルビンからもそんな報告は受けていないぞ。そもそもお前は人の身で神の威光を感じたというのか? お前はいつから聖女になったのだ?」

「普段は感じません。ですが、先ほどわたくしが悪漢に捕まった時、ヤマト様から思わずひれ伏してしまうような尊き神気を感じました。あれは女神様から神託を授けられているに違いありません」

「お前を助けよと神託が下ったと言いたいのか? 自惚れが過ぎるな。……大方恐怖で幻影でも感じたのだろう」

「あれは間違いなく女神様の神気です!!」

「……あまり滅多なことを言うな。邪神教と思われるぞ」

「違います! あれは聖なる神の気配です。あれほどの神気を発することができるヤマト様は使徒様で間違いありません!」


 ヒロネの幻影と捨て置こうとするザリックにヒロネが声を荒げて断言する。その真剣さに折れたザリックはため息をつきながらヒロネの話に付き合うこととした。


「ではほかの騎士達も感じたということか?」 

「……いえ。不遜にもあれほどの神気だというのに感じられた者は居ませんでした。しかしヤマト様の周囲におられる方達は気付いているようでした」

 ヒロネが掴まった時、護衛の騎士達もヒロネ同様に糸で捕まっており身動きができない状態であった。そしてヒロネを助けるため躍起になっておりヤマトを気にかける余裕はなかった。ヒロネが騎士達に確認したところ誰ひとりとしてヤマトの神気を見たものはおらず、そのことを聞いたザリックもまた肩をすくめて背もたれに身体を預け信用に値しない話だと冷笑するだけであった。


「なるほどな。お前の話が本当であるとするならば、竜人は使徒様を胸乗せにしているわけか。亜人のすることではあるが中々に興味深い話だな」

「それをヤマト様が望んでおられますから。それにヤマト様とツバキ様は主従の契約を結んでおられます。お二人の間にお兄様が考えているようなことはありませんよ」

 ヒロネをあざ笑うように言うザリックの言葉にヒロネは怒ることもなく冷静に返答をする。予想外のその姿に呆気に取られるが、ヒロネが発した契約という言葉にザリックは上体を起こしヒロネを見つける。

「――主従の契約だと? そんなわけが……いや、しかし……ではあの竜人は自分が認めた主人の頭に胸を乗せているのか?」

 ザリックはヤマトがツバキに軽んじられているが故に胸乗せなどという不名誉な事態になっていると考えていた。奴隷契約のために従ってはいるが、ヤマトもまたツバキを御することはできないでいると。

「それをヤマト様が望んでおられますから」


 そんなことも分からないのか、と蔑んだ視線を向けて当然のことのように言うヒロネにザリックは言葉を失う。

 ヤマトが使徒と言われても信じることはできないが、ツバキと契約を結んでいることは信じないわけにはいかない。竜人は契約を重んじる。ヒロネがはっきりと断言したということはそれ相応の証拠があってのこと。ヤマトとツバキに敬意を払う今のヒロネがそのような嘘を言うわけがない、とザリックは判断した。

 竜人族が人族に仕えることは稀。しかしないということはない。そう自分に言い聞かせるように頷くザリックであったが、実際にはヤマトとツバキは竜王の誓いという、竜人族の歴史でも数えるほどしか例のない契約を行っている。そのことをつゆにも思わないザリックは何度か頷いたあとに胸乗せにも何か意味があるのだと納得して顔を上げる。


「……そうか。……。この話は一旦おいておく。メルビンの話も聞いた上で判断しよう。それでヒロネ、お前は何がしたいのだ? お前が言うように本当にヤマト殿が使徒であるとするならば、お前の行動によって我等は女神の使徒に敵視されるやもしれんのだぞ?」

「わたくしはヤマト様にお仕えします。……そのためにこちらを渡しましたが受けていただけませんでした」

「なんだこれは――ッ、な、なにをやっているのだ!! これがなんなのか分かっているのかッッ!?」


 ヒロネが懐から取り出してザリックに渡したのは、ヤマトが破いた奴隷契約書であった。ヤマトがメルビンに渡したもので、すでに破かれ効力を失っていたため、屋敷に戻るヒロネにメルビンが預けていた。

 しかし、書かれている文面は本物であり、破れた契約書をみたザリックがヒロネを怒鳴りつける。

 契約書にはすでにカイザークとヒロネのサインが記入されており、この契約書が存在する理由に思い当たったザリックは頭を抱える。

「これはリガルンド子爵に嫁ぐくらいならと思い、懐に忍ばせていたものです。実際に使うつもりはありませんでしたが、使徒であるヤマト様の奴隷になれるのであれば使っても問題ないと思ったのです。ですが受け取ってもらえませんでした。代わりに領主の許可があれば下働きとしてお側に置いて下さると言ってくださいました」


 ザリックの説教を気にした様子もなくヒロネはそう嬉しそうにザリックへと追加攻撃を開始する。すでに頭痛で苛立ちを覚えているザリックが恨みがましくヒロネを睨みつけるが効果はなかった。


「――領主の娘を下働きだと? いくら優れたポーション職人であり、竜人と契約していたとしても喧嘩を売っていると思うのだが?」

「なにを言っているのですか!? ヤマト様の元で働く名誉をいただけるのですよ! 感謝こそすれ、敵意を向けるなど! たとえお兄様でも言っていいことではありません!」

 目尻を上げ怒鳴るように反論するヒロネに頭を抱えたザリックは深く考えることを止める。そして先日まで貴族令嬢としてどこに出しても恥ずかしくなかったはずのヒロネの今の姿を見て悲しみがこみ上げてくる。

「…………あぁ。お前が壊れたことは理解したよ。父上も可能ならお前をヤマト殿の下にやりたいと言っていたからな。ヤマト殿が許可を出したなら好きにすればいい。ただし、ベルモンド家の娘として恥ずかしくない行動をするように。行動如何によっては地方貴族へ嫁に出すからな」

「!! はい! わかりました! 身を粉にしてヤマト様にお仕えいたします!」

「…………絶対分かっていないことがわかったよ。――――父上はメルビンに任せると言っていたが、俺も一度ヤマト殿と話をしなくてはな」


 ザリックはこれまでに見たことがないほどの可愛らしい笑みを浮かべ喜んでいるヒロネの姿を眺め、ため息を零しつつ女神アルテミリナの使徒と目されるヤマトとの会合を計画するのだった。

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