第26話 思春期


「他に気になる所はありますか?」


ヤマトと別れてタライに水を入れて部屋に戻ったツバキはシオンの身体を起こし身体を拭いていた。邪神の呪いによって全身に激しい痛みが絶え間なく続くシオンは自分では体を満足に動かすこともままならなかった。

危機に対して僅かな間動くことは可能だがそれを行った場合はその後の反動は計り知れない。その為、普段の生活はツバキに頼り切っていた。


「大丈夫です。ゴホゴホ、私は良いのでお姉さまも急いでお拭きになってください。旦那様が戻られてしまいます」

「あら? その方が主様にとっては宜しいのではありませんか?」

「お姉さま?」

「ふふふ、はいはい。分かりましたわ。シオンはすっかり主様に心酔しておりますのね」

「ゴホゴホ! そ、そんなことは。ただ竜人の私達にあんなにも真っ直ぐな好意を寄せてくれる人間族がいるとは思いませんでした」


ツバキとしてもその点に関しては同意見だった。人間族、特にこの国の人間は人間至上主義を掲げている亜人差別の国であった。その為、竜人族の二人が今まで奴隷商で面談した者達は皆ツバキの高い戦闘能力にのみ目が行き足枷の付いた道具のようにしか見ていなかった。

領主の関係者は一定の節度を持って対応していたが、その胸の内にある亜人差別は当人達が気付かない部分で露わになっていた。


「そうですわね。邪神の呪いと聞いてもまるで気にせず、むしろ不憫に思ってくれるとは思いませんでしたわね。それにあのような高価なポーションを躊躇うこともなく差し出してくれるとは思いませんでしたわ」


邪神の呪いは竜人族では初代龍王の血を最も強く引いた者に発現する呪いだった。竜人族の中では尊き血を受け継ぐ先祖返りの証として敬われるのだが、竜人族以外の種族では邪神の呪いはどういった経緯で発症するのか分からず、感染の疑いもあるとして隔離される事になっていた。

治療や状態を調べようにもその想像を絶する痛みに竜人族以外の種族では一両日中以内に死に至る為、手の施しようがなかった。

その為、人間の国では発症から数日で死に至る不治の病として忌み嫌われる対象となっていた。


「あのポーションは本当に凄かったです。ゴホゴホ、いつも飲んでいたポーションは多少痛みが治まり数分は動けるようになるだけでしたけど、旦那様のポーションは身体の芯に僅かに痛みが残るだけで普通に動くことが出来ました。ゴホゴホ、効果時間も凄く長かったですし治ったと勘違いしてしまうところでした」


領主やその家臣はツバキから事情を聞き邪神の呪いは感染しないものだと理解していた。その上でポーションが治療に役立つと言う事で低ランクのポーションを支給することでツバキの助力を得る約束をしていた。


ツバキの名はベルモンド領があるレイゴリット地方では広く知られていた。隣の国である帝国では知らぬ者が居ないと言われるほどの人物であり、小競り合いの抑止力になると領主であるカイザークがある取引で引き取った経緯があった。


「あれほどのポーションを惜しげもなく提供できる度量には感服しましたわ。それに恐らくですが主様はあれ以上のポーションを生み出す術≪すべ≫があるのでしょうね。お金に関心も少ないようですし信頼には誠意で応えてくれる方だと見受けましたわ」

「ふふ、お姉さまがそんな風に仰るなんて初めてですね。でも確かに旦那様には他の人間族にはない魅力を感じました。お姉さまが怪我をした時も本当に怒っておられましたし」

「ええ。私もビックリしましたわ。この枷の効果を知りたかったので怪我は覚悟していましたけど、まさかあれほどの威力があるとは思いませんでした。それに貴重なポーションを使えと怒られるとも思いませんでした。シオンにも心配を掛けてしまって申し訳なかったですわね」


竜人族の中でも上位に入るツバキは肉体面では他種族を遥かに圧倒している。量産品の剣で斬られてもその肌に傷を付けることは出来ない。

闘技場での戦いでツバキに一撃を入れた猛者は存在していた。しかしその一撃はツバキに傷を付けるには至らなかった。

八百戦無敗、無傷の勝利とはツバキの圧倒的な防御力ととある特性によって生み出されたのだ。


そしてツバキは自身のその防御力を誰よりも理解していた。拘束具を付けられても何の意味もないと確信していた。

しかし、ツバキ達が付けている拘束具は天才鍛冶師ベオリグスと偉才魔導具師ヘルカテリーゼが生み出したドラゴンを拘束する為の拘束具を小型化した大陸に数点しかない貴重な魔導具だった。


装着者の持つ魔力を使用して発動し、体内の魔力を暴走させ装着者の内側から破壊するため、ツバキの圧倒的な防御力でさえも意味を成さなかった。


「私に謝罪は必要ありません。旦那様が罰し許した以上この件でとやかく言うつもりもありません。でも無茶は止めてください」

「もちろんですわ。同じ失態は繰り返しませんわ。私は貴女達を守る盾ですもの」


ツバキは妹であり類まれなる先祖返りのシオンを家族として、そして竜人族が崇める至高の存在の生まれ変わりとして見守って来た。闘技場で戦って来たこともシオンの病を治す為に高価なポーションを欲したことが切っ掛けだった。


そして自分の失敗によってシオン共々奴隷になってしまったことに強い後悔の念を持っていた。満足にポーションを飲ませることも出来なくなってしまった現状をどうにかしたいと焦る一方で自分達に相応しい主が現れないことに絶望していた。

――そんな時に現れたのがヤマトであった。


「お姉さまも随分と旦那様に心酔されておられるようですね?」


ツバキはこれまでシオンを最上に置いて次にシオンを守る自分を位置づけ、後方に同胞、遥か下に他種族を位置づけていた。


奴隷商でヤマトからポーションを貰った時にはシオンの為に利用できると考え、自分の次にヤマトを位置付けていた。しかし現在のツバキはシオンの次にヤマトを位置づけていた。そして二人を守る自分をその次に位置付けた。シオンからするとツバキのその変化は大いに驚くことだった。ただその変化を嬉しくも思っていた。


「ええ。私は素直ですから。シオンや私の為に貴重なポーションを使ってくれるだけではなく、豪華な食事、清潔な寝床、綺麗な衣服、そして健康状態に気を使い、怪我には即座に対処、病には更に高価なポーションを用意し、奴隷である私達を女性として扱い、敬意のある対応、これに器の大きさを感じない者がおりますか? ……本当はお酒を用意してくれたら完璧だったのですが、そこは今後の成長を期待ですわね」


「最後の一言で台無しですね。っゴホゴホ!」


「少し横になりなさいな。主様は貴女が寝ていて怒るような方ではありませんわよ」

「はい。分かってます。でも自分の不甲斐なさが悔しく思います。私もお姉さまの様に旦那様のお役に立ちたいです」

「大丈夫ですわ。貴女は私の妹ですもの、あと数年もしたら貴女もこれの大変さが分かりますわ。本当に邪魔なのですわよ?」

「誰が胸の話をしましたか!? ゴホゴホ、ゴホゴホ!」


「ほらほら、安静になさい。心配しなくても主様はシオンの愛らしさにメロメロですから心配しなくても大丈夫ですわよ」

「そんな心配してません。…………私もお姉さまみたいに大きくなれるのでしょうか?」

「心配せずとも竜人は人間に比べたら大きくなりますから大丈夫ですわ」


「…………今のは胸の話だったのです」

「それなら私の妹なのですから問題ないと先ほど言いましたわ」

「本当ですか? 私は寝たきりですし、健康的ではないです。お姉さまみたいにスタイルが良くないですし、旦那様も私よりお姉さまを抱きしめたいのではないのですか?」

「はぁ、今度鏡を買って頂きますからそれを見て見なさいな。主様は奴隷館で初めて私達を見た時、貴女の顔にくぎ付けだったのですよ。シオンの方が年が近いですし、おばさんの私ではあと数年胸を弄ばれてから捨てられてしまいますわ」

「お姉さまはまだ十代ですよね?」

「来年で二十代ですよ? 十代の貴女には遠く及びませんわ。人間の適齢期なら私はもう行き遅れ街道まっしぐらですわ」


この国の成人年齢は十五歳。成人の儀式を終えると晴れて大人の仲間入りとなる。貴族であれば成人前に婚約し、早ければ成人の儀式後には結婚することもある。

貴族の女性であれば二十代になると婚期を逃したと囁かれることも多い。

平民であれば、二十代までに結婚することが普通で二十代半ばほどになると嫁の貰い手がいなくなり、二十代後半になると結婚は絶望的だった。


「旦那様でしたらお姉さまを大切にして下さいます。私もお姉さまと離れたくはありません」

「……………………一応冗談のつもりだったのですが、貴女は主様と結婚して私は愛妾あいしょうにして貰えますよ、と言っているのですか? シオンも逞しくなりましたわね。年を取るわけですわね」


「ッ!? そ、そういう意味で、言ったわけではありませんよ! ゴホゴホ、わ、わたしは、ただ三人でこれからも一緒に」

「一緒に同衾すると? シオンはおませさんですわね。分かりました。お姉さんが手取り足取り教育してあげましょう」


「…………お姉さまはいつも私と一緒に居たと思いますけどそういう経験がお有りで?」

「闘技場にいましたからね。そう言った話は耳にする機会がありましたわ。実践はこれからですが、シオンよりは分かっていると思いますわ。幸い主様もこれがお好きみたいですし」


「……お姉さまが戦っておられる間に私もお話を聞いたことがありますが、私が聞いた話ではお姉さまはその手の話を嫌がってすぐに離れると聞きました。…………本当に私より詳しいのですか?」


「…………今度、あの闘技場に行きましょう。私のシオンに不埒なことを教えた罪を体で償わせましょう」

「旦那様にご迷惑をお掛けしたらダメですよ? ゴホゴホ」



◇◆


(うーん。戻って来たけど部屋に入り辛い雰囲気だな)


ヤマトが体を拭いて部屋に戻ってくると二人の話声が微かに聞こえて来た。まだ体を拭いているのかと少し耳を傾けると何やら聞いてはダメな事を話していると感じたヤマトは踵を返して食堂で何か一杯飲もうと部屋を離れる。


「俺が居たら話せない内容もあるだろうからな。姉妹なんだ仲良く過ごして欲しいものだ」


ツバキは遠ざかるヤマトの気配に少し不機嫌になりながら体を拭いてしまう。ヤマトの気配は常に意識していたので戻ってきたタイミングも分かっていた。

そして食堂に向かうヤマトの気配を感じ自分を誘ってくれない事に不満を持っていた。


「――今回はシオンに免じて許してあげましょう」

「え? お姉さま何か仰いましたか?」

「いいえ、私達は仲のいい姉妹だと思っただけです」


ヤマトが戻って来たのはそれから少ししてからだった。遅かった事と一人で食堂に行った事に対する埋め合わせに三人でベッドで寝ることをツバキに強制され、ツバキに抱えられてシオンの隣に寝かされたヤマトは両手に美女を侍らせて眠ることになる。


ヤマトもそれを狙ってフロントマンに目配せをしていたのだが、フロントマンが見ていたのはヤマトの頭に胸を置いている眼光の鋭い竜人族の美女であった。「三人一緒に寝れるベッドがある部屋、それ以外なら貴方の命は本日限りです」と視線で語って見せたツバキにフロントマンは冷や汗を流しながらもヤマトに気付かれない様に笑みを浮かべていた。


そしてツバキの思惑通りになった寝床。必要以上に密着するツバキと恐る恐る服の端を握るシオンに眠気など吹き飛ぶ。


しかし、奴隷商で聞いた一言「無理やり身体を求めたりすると犯罪者になります」がヤマトの動きを拘束する。

思春期真っ最中の体に転生した成人男子にこの状況は刺激が強すぎた。


「(いや絶対眠れないだろコレッ!?)」

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