隔離世界の冥路の中で
〇私たちの住んでいる日傘町には、あまり知られてはいないが秘密の地下街が存在していて、そこでは犯罪者や非合法な人間たちを閉じこめている。
私は別にそんな人間ではないのだが、地上と地下の両方を行き来できるのは公僕だからと言う理由以外に、もう一つか二つの理由があるのだが、それはまた次の機会にしておこう。
にしても、その日、私があの研究施設に行ったのは不運だった。
私にとっては、そうとしか言えない日の朝、私はまだハンモックの上で転た寝していた。
しかし物語は、その日の正午からはじまっていた。
○一時十五分
江夏明光と中里美春
ただただ無闇に日差しを遠ざけた。
のぼる朝日が眩しくて。
眩しすぎて僕は尻込みしていただけなのに。
君は何だか勘違いして、臆病なのねと、そっと僕の手をとると、やさしく微笑。
そして緩やかに。
たおやかに。
僕と視線を交わすのだ。
それだけで。
愛の重みに耐えきれず、僕はそれを反らすのだけど、知らず涙が、あとから雫となって溢れてくる。
拒みきれぬ流動的な熱のような想いに僕は言葉もないのだけれど、憂鬱な。
ただただ憂鬱な時の流れに支配されるがまま、僕は心を閉ざすのだった。
「見て解らないのかい。
祐上秋人が今、死んだんだ」
「そうね。
自業自得。
因果応報、お構いなしでいいんじゃない?」
「わかっている。
僕だって、こいつのことが好きだった訳じゃない。
しかしだ。
生命には尊厳ってものがある。
罪は償わなければならないんだよ」
「マジで言ってる?
それウケるんだけど。
あたしたちとは直接かかわりのない赤の他人の決めた法律なんかにマジで従う?
バカでないの?」
「バカじゃないよ。
現に僕らは、この国で生きている。
生かされているんだから、この国の法律に従うのは当然じゃないか」
「そっ。
あいかわらず重たい奴。
優等生のつもりなのかな?
だけどね。
世の中、あんたが言うようなキレイ事で片づく方が珍しいんだからね」
「だとしてもだ。
他人がどうであろうと僕は正々堂々が心情なんだよ。
自分だけは、できるかぎりでいいから汚い真似はしたくない。
くだらない人間だとは思われたくないんだよ」
「そっ。
あいかわらず熱血してんね。
やっぱ、あたしには解んないや。
あんたっていう人間がさぁ」
○十二時五十分
エクレアと冬月綾平
神様が粘土細工から人間を産みだしたという神話のように。
人間も粘土細工から生命を産みだそうとしたのかもしんないわよねと、土偶を物憂げに見つめながらエイクレアー・プチフール博士は笑っていた。それを見て、彼女にも喜怒哀楽なんてものがあったんだなと改めて思う自分はいったい何様だろうと思い、また私は静かに微笑する。
「あらっ、おかしい?」
不本意といった感のある彼女。
たしかに感情のない人間なんて居るわけがないと思う自分は逆に、なんだか申し訳なくなって謝ると、「あらっ、なんか誤解させちゃったみたいで御免なさいね」と彼女の方も謝った。
「つまりね。
あたしが言いたいのはね」
それから長い説明が入るのだけど、私の学など知れているから頭に入る訳がない。
それでも真面目に聞いているフリをしているのは、やっぱり私が単純に彼女という人格に惚れこんでいるからなのだろう。
「人格は伝染します。
良い人の傍にいれば良い人に。
悪い人の傍にいれば悪い人に。
感情が性格をカタチづくるように。
それが魂を受け継ぐともいうんですよ」
と、それはまるで冗談のような話。
きいている私もそのつもり。
だけど、彼女はいつもあんなだったから、私も自分では解釈がつかないのだった。
「ちょっと夢の話でもしてみようかしら」
それは夜、蒲団の中で見る夢。
それとも脳の中に深く刻みこまれた野望という名の夢?
それとも単に・・・
「あたしの願いを現実のものとするためと話す決意を夢と言っているだけ」
と博士は笑う。
「この臨床実験は頓挫したことがあるのよ。
十年以上も前になるんだけどね」
「だから此処のメンバーは必死なんですよね。
かつて此処に集まった優秀なスタッフでさえも成し遂げることができなかった偉業に私たちは挑戦をしているんですからね」
「日進月歩と人の歴史と共に発達してきたものが科学というのなら、あたしたちはこれを成功させる義務があるわ」
「僕にだって、その程度の覚悟はありますよ」
「そうね。
それは信頼しているわ。
だから最初に言っておきたいのよ。
ありがとうってね」
○十二時四十分
川上一太と里中晴美
白々しい言葉なんかで君を着飾りたくはないのだけど、胡散臭くても構わなかった。
「愛している。
何よりも・・・
誰よりも・・・」
告白なんて下手くそな僕が、自分をフォローするために用意していた指輪は彼女に対して、その言葉を納得させるだけの説得力さえも兼ね備えていた。
「ごめんね。
僕なんかが君を好きで」
と、詫びると。
「訳わかんない」
と彼女は笑いかえしてくれる。
それだけで。
僕は胸が一杯になって何も喋れなくなっていた。
「ははっ・・・
へんなの。
なんか笑っちゃってゴメン。
でもヘンだよ、今更。
わたしの気持ちだってとっくに解っているんでしょ?」
「さぁ、どうだろう。
僕は自分の事が手一杯で。
とても君の気持ちまでは解らないかも。
でも君をしあわせにしたいと思っている。
この気持ちに嘘はないよ」
「素直だね。
すごくキレイで透明で温かい。
わたしもあなたのことが好き。
こんなにあなたのことが好きだけど、博士はどういうか解らない。
恋愛は禁止じゃなかったかしら」
「たしかに、そうだね。
皆に祝福されないと意味がない。
僕だって皆に祝福されたいんだよ」
「だね。
いいよ、わたしが説得してみせる。
だってマジで、わたしはあなたが好きなんだもん」
○二時〇分
夏江光明と上川太一
薄緑の壁が、どんどんと黄ばんでいく。
それを確認することだけが自分に任された仕事なのではないかと錯覚する。
呼吸するのが息苦しくて、食後は度々嘔吐する。
皆が俺と同じ気分だったら、どんなに救われることだろうか。
苦痛の共有。
それだけが唯一の願い。
誰も理解してはくれない。
適応力が羨ましくて、うらめしかった。
俺には兼ねそなえられていないものだったからだ。
「おまえらの心のユトリが羨ましいよ」
◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯
俺たちは産まれた時から、この研究施設にいた。
そして、出ることも許されない悠久の閉鎖空間。
我々はストレスを感じながら生きている。
それを払拭させるために。
彼女はやってきたのだろう。
左右で瞳の色が違う女で軍服のようなズボンを履いて、迷彩のシャツを着ていた。
金髪の髪をポニーテールに束ねていて、グミをクチャクチャと食べている。
その音も仕草も不愉快だった。
「楓晋哉って此処にいる?
そう聞いてきたんですけど」
「だれに?」
「そうね。
いったい誰だったかしら。
神様?
そんなものが情報屋なら、信頼性が高いと思わない?」
「いないよ。
んなもん」
「あん?
いるよ。
神様」
「イカれてんのか?」
「イカれているかよ」
舌打ちした女。
グミがなくなったようだった。
クシャクシャに袋を丸めると塵箱に放って、入らなかった。
でも、彼女は一体、どうやって此処に来たのだろうか。
愛する人を抱きしめたら、水になって溶けて消えた なかoよしo @nakaoyoshio
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