第3話 独り言

僕は一人で祖父母の家へ行った。

日曜日だったから、祖父母はテレビを見て寛いでいた。

僕は祖父母の家に上がる時に声を掛けたりしない。

二人は不意に現れた僕を見ても驚かないし、特別なもてなしもしないけれど

爺ちゃんは自分の座っている3人掛けソファーの右側をポンと叩いて、ここに座れと誘う。

祖母ちゃんはいつもの様にニコリとして台所に向かい冷たいお茶をリビングテーブルに置いてくれた。

「ありがと」

二人は、うんうんと頷い僕の顔をみた。

「和也、痩せたか?」

「もぉ、お爺さん。背が伸びたのよ。」

「そうか。背がのびたか。」

この二人の笑顔を見ると、実は食わせてもらっていないと言いにくい・・・。

このまま、お茶を飲んで雑談だけで帰ろうかとも思った。

けれど、サンマの片身を二人で遠慮しながら食べた美月と結月の顔を思い浮かべると僕は頑張らなければならなかった。



「あのぉ、、、じいちゃんと、ばあちゃんに相談があって・・・。」




それからの事を思い出すと僕は眠れなくなる。

爺ちゃんは「だからアイツは駄目だと言ったんだ」と言い、ばあちゃんは「まったく、あの娘は子供を放り出して」と泣いた。

その夜は、いつもよりも濃い化粧をした母さんが家に帰って来た。そして祖父母の家に呼ばれて言った。夜中に、父さんも祖父母の家へ向かった。

どんな風に話し合いが進んだのかは想像がつく。


まず家に戻らなくなったの母さんだ。父さんは不思議なくらい毎日家に帰って来る。

帰って来たからと言って僕らの世話をしてくれるわけではない。

ただ毎日、リビングでテレビを眺めて酒を飲み朝になると会社に向かって出て行く。


僕は数日後には、この日の事を思い出さない事に決めた。


しばらくすると結月ゆずき美月みつきは、自宅から500mほど離れた祖父母の家で暮らすようになった。

僕も祖父母の家で暮らそうと言われたが、祖父母は22時には消灯する規則正しい生活と知っていたから、バイト帰りが22時を過ぎる僕は遠慮する方が良いと思い父親と同じ家に暮らしている。


母さんは、祖父母に呼び出された夜から姿を見ていない。

何処で暮らしているのかも知らない。

パートタイマーとして働き始めた頃は近所のスーパーで働いていたのに、気づけば美容関係の仕事に転職したらしく家の中には美顔機が4台も転がっている。

しかも同じ美顔機だから十中八九・・・営業成績の為に自分で買っているに違いない。いや、買わされているのかな・・・。


「母さんって、バカだったんかな」思わず独り言を言ってしまう。


僕が中2の頃までは母さんは普通だと思っていた。

学校から戻るとクッキーやケーキを焼いて、妹達と待っていてくれた。

靴下やタオルは、いつも決まった所に入っていて無くて困る事なんてなかった。


「なんだかなぁ」また独り言を言ってしまった。




僕は今年の夏休みもアルバイトに夢中になった。

毎日、13時から閉店までの8時間のシフトに入った。夏休みが終わると学校とアルバイトの二束草鞋の生活になった。

学校が終わると、そのままバイト先のガソリンスタンドで働き、22時半に家に戻る。適当に食事をすませて風呂に入る。寝る前に翌日の身支度を完璧に段取りして眠る。

朝6:00に目が覚めると即座に着替えて音をたてずに洗面所に向かい顔だけ洗ってCAPを深く被って出かけた。

ドライヤーは使わない。髪を濡らす時間はロスになる。

1秒でも早く家を出たい。もちろん父親と会わない為にだった。


駅まで行くとマクドナルドがある。

「朝マックしよう」独り言を言いながら店に入った。

「ビッグブレックファスト デラックスセットください」

「700円です。ドリンク、こちらからお選び頂けます」

「コーラをLサイズにして下さい」

「720円です」

イングリッシュマフィンと目玉焼き、ソーセージパティ、ホットケーキ、ハッシュポテトがセットになった豪華な朝食だ。

夏休みの間、しっかりと働いたバイト代が一昨日、振り込まれた。

19万7000円を手に入れたばかりだった。


「夏休みフルバイト終了のお祝いだ」これまた独り言を言いながら朝食を食べた。


スマホを取り出して時間を見ると、まだ6時40分だった。

電車の時間までは1時間以上もある。ぼんやりと窓の外を眺めていた。


妹達はどうしているだろうと思った。

同時に父がリビングのソファで眠っている姿を思い出した。さっきまでの楽しい気持ちが急に萎む気がした。

頭をぶんぶと振って、店内のメニューに目をやった。


『ホットアップルパイ食べよ。せっかくの初任給祝いが台無しになるとこだった

あぶない、あぶない。

妹達は、きっと祖父母に甘えさせてもらっているにきまってる。』


自分にそう言い聞かせてホットアップルパイを注文に行った。



コーラとホットアップルパイを手に席に戻ると隣のテーブルに女が座っていた。

早朝の店内は空いているのに、なぜか僕の席の横に女が座っている。



『なんだよ・・、なんで、そこに座るんだよ。』


僕は席に戻ると出来るだけ窓の方へ体を向けて隣の席の女が視界に入らない様に座った。そしてホットアップルパイに集中する事にした。


一口め、サクっとしたパイにかぶりついた。

唇にパイ生地の破片が張り付いたけれど気にも留めずに食べすすめた。

熱々のリンゴに届いた。シナモンの香りが最高だ。

「うっま」

不意にトロリとしたリンゴが唇に張り付いた。

「あっ熱っっつ」

思わず唇を、大袈裟に拭った。


「クスっ」


僕はすっかり隣の席の女を忘れていた。忘れていたが、自分に女が注目していた事に気づいて「ぎょ」とした。


『なっ、なんだよ』思わず女の方を見た。

やはりこちらを見て笑っている。


『なんでだ? だれだ、コイツ』


見たことがある気がするが、どうしても誰だかわからない。


あからさまに怪訝そうな目で女をみると、女は思い立った様に、左手で自分の口と鼻を隠して見せた。ちょうどマスクを付けたように目だけをキョロキョロさせてみせた。

そして女は「唐揚げ定食ですよね?」と言った。


「あ、」


「あはは。気づいてくれた」

「学食の、オバちゃん」

「おばちゃんじゃありませんー。まだ23歳ですーぅ。」

怪訝そうな目を向けてもニコニコしていた女が、ジロリと睨んだ。

帽子もマスクも着用していない食堂のおばちゃんは、綺麗なお姉さんだった。

「ああ、すみません。食堂の人は皆、おばちゃんだと思ってました。」

僕は素直に謝った。

「そうよね、マスクとワークキャップでエプロンして、おばちゃんに混ざって仕事してたら、おばちゃんに見えるわよね。」

お姉さんも素直に僕の言葉を受け入れてくれた。

人とスムーズに会話できるなんて久しぶりだと思った。


「ねぇ?すごく早いんだね。まだ7時だよ。電車は50分後」

「ああ、家から早く出たいんで」

「どうして?」

「オヤジが嫌いなんで」

「ス、ストイックだね」

少し驚いたように言われた。あっさり褒められた気がした。

「そーゆー時に使う言葉ですか?」

「変かな?」

「え、いや・・・褒められた感じ」


素直に感じた事を口にするのは久しぶりだった。


「褒めた? ああ、そーだね、褒めた。あはは」

「ふふ」

「お父さんに会いたくないから?」

「はい」

「何時に起きるの?」

「6時」

「何時に家を出るの?」

「6時12分ぐらい」

「はやーーーっ。あははは」

「早いでしょ。ドライヤーは使わないから」と言いながら帽子を取ってみせた。


「ぼさぼさーーーー。」

「あはは~」

「へへへ」

「あはははは」

和也は久しぶりに笑った。

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