8:何を切り、何を拾うか

 まず、意識に滑り込んだのは、寒さであった。

 全身が、冬の暴風に晒され内側から冷え込むような、皮膚を暖で炙る程度では震えを止められない、そんな芯からの冷え込みだ。

 次に、耳から沁み込む排気筒の歌声が脳を揺らしてくる。

 はて、懐かしい荒々しい声音であるが、どこで聞いたのだったか。

 最後に、頬を裂く夏の温い風切りと、体前面に接する温もりが。

 揺れてばかりの朦朧とした頭で、何故、をいくつか重ねたところで、

「おい! 彰示! 起きてるか! おい!」

 温もりが揺れて、懐かしい声で叱咤してくる。

 ……ああ、そうか。

 意識の焦点が『今』に合わさって鮮明になっていく。

 助け出され、本所市を目指していたのだった。

 ポリ袋で身元を隠した、旧友の運転に縋って。


      ※


 膠着した包囲戦に踊り込んだ『ジェントル・ササキ』を名乗ったオフロードバイカーの正体は、仲・大介であった。

 身元を隠したのは、幼馴染の『直近の華麗な戦果』が懸念されたため。どんな状況にしろ、自身の顔面を『お茶の間』にお届けることを良しとはできなかったのだそうだ。

 突然の闖入者に、サニーデイズ・アセンツの戦闘員たちはたじろぎ、警戒し、しかしそれが致命傷となった。

 蓋を開ければただの一般人である。

 すぐさまに反応すれば、バイク諸共に制圧ができたはずだった。

 しかし、知る由もなく、完全共感切断した状態であればなおさらで、状況を確かめるために生んでしまった空白が、

「まさか、ユキヒコ・インディゴに助けられるなんてなあ」

 県内最大級である秘密結社、その代表の介入を許すことになってしまったのだから。

 彰示と仲にとっては、青春期にお茶の間でよく見知った人気者である。

 今ではプロダクション代表でもあって、そうそう見かけることもないけれど、快活な様は相変わらずで感銘を受けた次第だ。まあ、どうしてかポリ袋をぴっちりに被って『ジェントル・ササキ』を名乗っていたけれども。

 とにかく彼と、帯同していたファーに汗を吸い込ませている『正気とは思えない』もう一人によって血路を開いてもらったのだ。

 這う這うの体で包囲を脱し、幹線道沿いに伸びる防砂林に飛び込んでいる。

 夜の松林は、とにかく視界が悪いし、張る根がタイヤを取りにくる。

 慎重に、であるが出来得る限りの最高速で、大介は本所を目指していた。

「……助かった……いつもお前は、良いところに顔を出してくれる……」

「こっちは心臓に悪いんだよ。駆けつけたら、大体血塗れじゃねえか」

 失血激しく、現に幾度か意識を手放しているジェントル・ササキを、落ちぬように自身の身体に括りつけて。

 結び目と縄の張りを確かめれば、背から声が。

「だけど、どうして大介が……?」

 疑問はもっとも。

 基本的に『華やかな魔法少女業界』に縁もゆかりもない、ただのサラリーマンである。

 事実、つい三〇分ほど前まで。

 本所市内の各地が停電に陥ったあたりまで、ジェントル・ササキが顎田市に居ることすら知り得なかったのだ。

 大介を、魔法使いの窮地に誘ったのは、

「聞いて驚くなよ? ウチの会長が、家の前に高級車で乗り付けたんだよ」

「……そうか。組合長、ミナトの会長の旧知だって言っていたな」

 電話が不通のため、住所をそらんじている人間に協力を求めたのだろう。

 そこまではいいが、会長が社員の情報を自宅に保管しているということで、こう、なんというか、そう『頼もしい』限りである。

 加えて、孫にあたる『グローリー・トパーズ』こと『湊・桐華』の安否も託された。

「だけど、先に脱出していて、肩の荷が下りたぜ」

「……そうだな。単車じゃ、三人は厳しい」

「おう。そのうえで、どちらかが無理なら孫を見捨ててくれ、なんて言われちゃあな」

 友の頼みと、自身の望みと。

 秤にかけるならば前者を採れと、何もかもが『思うがまま』であろう大会社の会長が、頭を下げたのだ。

「あんなの見せられちまったらよう」

「……は。そうだな、見捨てるなんてできやしないなあ」

「そうなったら、お前にバイクを任せて現場に残るつもりだった」

 だから、

「ポリ袋を被って飛び込んでいったのさ」

 大介が託されたのは『彼と彼女』の安否だ。

 そこに『自身』は含まれていない。

 故郷を焼かれ、嫁と子供を脅かされ、勤め先を圧されたがために、沸血している自分自身は含まれていないのだ。

 だから、

「良かったよ、助かった。お前が桐華ちゃんを逃がしていてくれて」

 嫁と子供を泣かせずに済んで、良かった。

 ちょっとばかり『躊躇ない』友人が、大人の判断を下してくれたことが良かった。

 感謝を。

 けれど、返事は重く昏いため息だけ。

「どうした」

「逃がした、なんて、立派なことじゃあないんだ」

 では、と無言で促せば、吐き捨てるように、

「……地獄に送り込んで、ただ一人に任せただけだよ」

 自らを恥知らずだと、背を湿らせるのだった。

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