7:その舞台はあなたのモノではないけれど、だからと言って

 赤い海に沈みきった『今日』の残滓を後光に、エースが欄干へ二つの足をつく。

 唇を固く結んだ、傲然と憤怒を噴き出す眼差しで以て。

 破壊の誘導を果たしたが、疲労困憊のサイネリア・ファニーにとって、この上ない助けの手である。

 だけれども。

 だけれども、どうして。

「どう、いうことですか!」

『彼』はいないというのに『彼の温度』が染み渡るのか。

 エースが、普段の余裕なく、口元を引き絞っているのか。

 そして、彼女が守るように抱き寄せている『人の腕』は?

「ササキさんは! あの人は、どこですか!」

 力の根源に思い至って、サイネリア・ファニーは震えて激発する。

 であるが、感情の矛先を突き立てられた彼女は、泰然と面持ちを崩さず。

 軽く飛んで消防車上へ飛び移れば、

「どうもこうも、ないの。サイネリア・ファニー」

 厳しい表情のままに手ずから『宝物』をこちらへ預けて、

「なにもかも、私の不甲斐なさよ」

 口端を、微笑みに曲げる。

 まるで、自らを嘲るような、彼女らしからぬ薄ら黒い笑みを。


      ※


 全て、この身の至らぬところなのだ。

 ミナト工業に持つコネクションで、ジェントル・ササキのトラブルを解決しようとした短慮も。

 そこに踏み入って来た不逞の輩に、怒りを発してしまった激情も。

 故を以て引きずり込まれた、査問会を回避しえなかった無力さも。

 不当とわかって、なお正面からの解決に恃んだ惰弱さも。

 理を諭され、彼が『傷つく』ことを是とした、非情と狡猾さも。

 全てがサニーデイズ・アセンツの謀略というわけでもなく、おそらくは自分が高く振り上げた足を、好機とばかりに掴み取られたのだ。

 だから、壊された道路も。

 傷ついた人々も。

 夜空にたなびく黒煙も。

 余すことなく、この身の至らなさのせいなのだ。

「失態の数が多すぎて、彼の『我が儘』を断り切れなかったのよ」

 大切な、あなたに届けてくれるよう頼まれた、大切な『彼』を押すように預けやる。

 震える瞳で抱いては胸に沈めた指先を見つめ、それからこちらへ視線を戻した。

 内心を塗っているであろう眼差しは、複雑だ。

 安堵だろうか。

 惑いだろうか。

 怒りだろうか。

 十色が十色に揺れて、

「私は私の役割を果たすわ。だから、あなたも役割を果たすの」

 けれども、

「あの人の相棒なのだから」

「……はい」

 あらゆるが重なり合い『覚悟』が浮かび上がる。

 さすがだ、と感嘆し、柔らかな笑みがこぼれる。

 かつての落ちこぼれなど、もはや欠片も残ってなどいない。

 口を真一文字に引き締めると、消防車を飛び降りて走り出す。

「すいません! サイネリア・ファニーは先に後退します! 組合の医務室に急がないと!」

 そう。

 預かりものを『返す』ために、処置が必要になる。加えて、半径三キロという『彼のギフト』を生かすために、なるべくエリアの中央に置くべきだ。

「MEGUがテンション上がっちゃうでしょうけどね」

 他二人が『決壊』をきたさないか、そちらも心配ではあるが。

 駆けていくサイネリア・ファニーを見送れば、自身は反対に飛び降りる。

 包囲を敷く、敵たちへ向かって。

 装甲を纏った群れは、たじろぐがすぐさまに小銃を構え直す。

 効かぬとわかって、なお戦意を保つ姿は、賞賛に値する。

 けれども、

「今日の私は『最高潮』よ」

 衣装を点々と湿らせる『彼の滴り』を指でなぞり、唇に滑らせた。

 力が、滾る。

 そればかりでなく、

「意識を『焼き切って』あげる。誰一人、余すことなく、ね」

 歯を剥くほどに獰猛に、心が奔ってしかたがないのだ。


      ※


 暮れていく日を見守るがごとく、ユキヒコ・インディゴはしかめっ面を隠さない。

 戦場が目の前にある。若い魔法使いの独壇場だ。

 この身を正論と心遣いによって蚊帳の外へ追いやった、主役である。

 自身の『ギフト』を本所市に届けんと、あろうことか片腕をもぎ千切って託した烈士。

 故、激痛と失血から集中力が揺れ。

 バランスを欠いた体に動作が乱れ。

 事もない戦闘員たちに、押し込まれている。

 コモンゆえに相手より致命を食らうことはないけれども、打撃に重要な体重移動が支離滅裂で、有効打を失っている。

 結果、打ちのめした相手も衝撃から回復すれば戦列に戻り、対して魔法使いは只一人。

 危機はしかし、

「純粋な頭数に押し込まれているな」

 ユキヒコが加勢すればひっくり返る程度なのだ。

 だからこそ、 県内屈指となる秘密結社の頭領は、頬を苦く腕を組むしかない。

 接敵前に、ジェントル・ササキが言った通りだ。

 自分が『自分の立場』で奴らと対峙すれば、禍根を残すことになるのは明白。

 事前協議なしに秘密結社同士の『競争』を是とすれば、後に来るのは互いの『シノギ合い』が過熱し、結果業界の疲弊を招く。ひいては縮小へと繋がる致命の第一歩を、この足で踏み出すにはたくさんの『考慮』が必要なのだ。

 彼が。

 敬意を払っている若者が。

 有象無象に押し込まれ、撃ち込まれ、打倒しえず、苦境に足を引いている戦場に。

「なんとも情けない」

 手をこまねくことしかできないでいる。


      ※


 彼に問えば、ここまでのあれこれで十分であると、てらいなく笑うだろう。

 査問会をひっくり返すために情報を集めたことも、顎田市からの脱出手段をあつらえたことも、確かに成果と言っていい。

 けれども、では、見守るだけでいいのか、と。

 悲壮さに言葉を失う野次馬たちに混じって、苦戦苦闘、命を削って僅かばかりの戦力をこの地点に釘付けにしている彼を『見殺し』て許せるのか、と。

 矜持は、許すわけがない。

 けれども、悪手であって。

 所属員が交戦したのなら言い訳もつくが、代表が自らでは釈明もできず。

 自らの軽挙で、県内における魔法少女と秘密結社を破壊し、自らの芸能事務所を窮地に陥れて社員の失職となっては目も当てられない。

 保身で以て身動きの取れない自身の惰弱さに、ほぞを噛む。

 募る苛立ちをどうにか噛み砕いて収めることに苦心していると、背を軽く叩かれ、

「……酷い顔だ、ユキヒコ・インディゴ……」

 重々しく通りの良い声が。

 この『歯切れの悪さを威厳と勘違いしている』特徴的な喋り方は、

「こりゃあ『絶海』の……」

 血を吐き肉を裂く戦士のために、水上オートバイを用意してくれた『絶海のリバイアサン』の姿であった。


      ※


 夏日に構わず立派なファーをあしらった革スーツを翻し『海の巨獣』が、そこにいた。

 深海と見紛う、昏い双眸を携えて。

 年若い厭世家だ。社会と人生の経験が豊かとは言い難いけれども、『美学』と称される巌然とした規定を己に敷き、外れずに生きて見据える瞳は、深い色を湛える。

 海千山千のあれこれを乗り越えてきたユキヒコが、言葉を呑むほどには。

「どう、しました? わざわざ、渋滞のこんなところまで出向くだなんて」

「……『泳ぐ尾ひれ』を与えたはずが……未だ有象無象に『息を詰めて』いると聞いてな……」

 なるほど、好奇心で以て駆けつけたわけか。手にコンビニのポリ袋を下げている様から、買い物ついでに訪れた、完全に物見遊山だ。

 ユキヒコは、煮えていた胸に『指し水』を得たように、リバイアサンの言葉に耳を傾ける。

「それで、ユキヒコ・インディゴ……そんな酷い顔で、何を見据えようと……?」

「簡単ですよ、絶海の。自分が情けなくて、嫌になっているんでさあ」

 冗談めかして、手を振って見せる。

 この程度であるが、助け舟に乗り込む心持ちだ。あのまま、煮立っていたなら怒りと絶望に沈んでしまっていただろうから。

 けれど、乗り込んだ船の船頭は、

「……なら、日を向いて面を上げるべきだ……己が規範をその手で破り捨てるより前に、な……」

 迷いなく、舳先を水底へ差し向けるのだった。


      ※


 苦しむことから逃げるな、と彼は言う。

 そして、

「……その足が立つのは、浮石の上であることなど知るところだ……」

 立場は理解しているから、

「……こちらはこちらの『矜持』で、牙を剥こう……」

 自分に任せろ、と謳う。

 つまり、悩むことを諦めるな、と。

 つまり、眼前の現実は任せろ、と。

 年若い男は『美学』を『背骨』に、未来に待つであろう苦境に立ち向かうつもりなのだ。

 ただ一人、血と汗に汚れて『死』をも胸に役割をまっとうしようと拳を握る、魔法使いを救わんがために。

「よほど気に入ったんですなあ」

「……少女を救い、街を救わんために『身』を賭す……あれを見て、震えない『男』がいるものか……」

「仰る通りで」

 だからこそ、ユキヒコもまた、迷い悩んで立ち尽くしているのだから。

 であるが『あれやこれや』の大切なモノに、足が取られてしまえば前に進むが能わず。

 頬は、ますます苦く濁ってしまって、

「……否、だな」

 踏み出していたリバイアサンが、足を止めて宵を見上げる。

 なにを否定し、なにを探すものか。

 疑問に肩をすくめれば、振り返る彼の横顔が珍しい笑みを作って、

「……解答が、あちらから駆けつけたようだ」

 戦場の『あちら』を指さす。

 指の先は本所市方面。

 その彼方より、夜空を切り裂く咆哮が響き届いてきた。

「これは、バイクの排気音……?」

「……貴き者を救う為に……『天の使い』だ……」


      ※


 遠吠えが絶叫へと接近し、

「どけ! 潰しちまうぞ!」

 一重二重に取り囲む敵陣を、ヘッドライトを躍らせながら飛び越し乱入を果たした。

 魔法使いと戦闘員を隔てるよう、アスファルトを滑り現れたのは一台のオフロードバイク。

 ガードレールにもたれたジェントル・ササキ自身も、驚きに動きを止めており、

「……ありゃあ、何者です?」

「……天使だ……君に『福音』を告げに現れた、な……」

 その姿は『ポリ袋を被ったスーツ姿』で、

「俺が!」

 仰々しく、隅まで届かせんと声を張り上げ、

「俺たちが『ジェントル・ササキ』だ!」

 リバイアサンが言う『解答』を叫び示す。

 蒙が。

 視界を目の細かい網で覆っていた観念が、一息で散り散りにはじけ飛んだ。

 額を穿って、後頭部を吹き抜けていく爽快な一陣に、思わず笑いがこぼれて、

「……途中に水を買った時のポリ袋だが……入るか……?」

「へ、なあに。鼻上まで隠れたら恩の字でさあ」

 拳と拳を打ち鳴らし、鼻を鳴らす。

 外に追いやられた『蚊帳の中』へ押し入るに、この上ない追い風が吹きだしのだから。

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