6:とり籠
上昇を続けるエレベーターにて、彰示は苦く喉を震わせる。
仕事で知りあった、少なからず好感を覚えていた風変わりな才媛が『最悪の敵』として本所市に対峙したと知らされ、動揺を呑むのに腐心せねばならない。
「つまり、新真下さん……ミス・アイテールは悠々と帰陣を果たしたわけですね」
敵陣に非武装で乗り込んできた彼女は決して丸腰ではなかったのだと、電話口の無感情な声が応えてくれた。
『こちらが彼女の拘束を決断した場合、先方の作戦開始が前倒しになったでしょう』
休日で準備の整っていない本所市の戦力では、ただの『ひと時』が血の一滴に等しい。
その貴重な滴りで以て、ジェントル・ササキへ帰還の連絡を繋げているのだ。
『秘密結社サニーデイズ・アセンツは『思考感覚の重複伝送』という、特殊技術を用いているそうです』
細かくは省くが、という前置きで内容が教えられる。
接続をした人間同士で、五感と思考を同時共有できる技術なのだとか。
例えば一〇〇人が相互接続している場合、一人に対し九十九人が同期し不可なく情報を処理できる。
また、感覚の共有を利用した『肉体の遠隔操作』も可能なのだそうだ。
『ミス・アイテールの言葉ですので疑わしい部分もありますが、納得のできる説明でもあります』
例えば駅前騒乱での、彼らが現場を離脱するときに見せた行動の一貫性から。
例えばミナト工業襲撃の際に、電撃を浴びて戦闘不能となった者たちが立ち上がり、一糸乱れぬ統率を発揮したことから。
彰示は、思わず携帯電話を握る指に力をこめてしまう。
「そんな装備の一団が、本所市を灰にしようと迫っているわけですね」
『二手ほど打って絶対的エースの排除を目論む程度には、相手は本気ですよ』
「正確にはもっと深く手を読んでいるはずです。顎田の組合に資金で以て食い込んだことすら、布石でしょう」
ミナト工業の襲撃と、それに伴う査問会までを道筋として見通していたのだ。
恐ろしい、の一言である。
母体が大企業であれば利益を得るために、世の情勢変化を見通し、または自ずから世論の変化を促す。故に先見は明らかである必要があるけども、
「魔法少女は基本的に個人事業主。組織に謀られたら、目も手足も、無いも同然ですね」
その容赦ない力に個人が晒されるとなれば、寒気たつしかない。
電話口の声は、
『ですが、見え、手が届くところまで来ました。大差はつきましたが、ここからは取り返すターンです』
いつも通り無感情のまま、努めて明るく奮わせてくる。
『本所支部が望むのは、ササキさん。あなたの一刻も早い参陣です。広域の、魔法少女を強化するギフトと『動く司令塔』としての役割が求められています』
ありがたい話だ。
たかが新人を、組合に迷惑ばかりかけている自分を、欲しいと言ってくれる人がいることが。
同時に、申し訳なくも思う。
敵の目的は自分であり、しかし、その解決を世話になっている人々に押し付けてしまっている現状に。
だからこそ、自身は一秒でも早く巻き返さなければならず、
「少し、時間をください」
『……長くは待てませんよ? いったい何を?』
巻き返すには、己の二本の腕だけでは足りぬ事がわかっていて、
「飛ぶ鳥を囲う狭い『カゴ』を『開いて』きます。この事態に捨ておかれたなら、きっと深刻な『疵』になってしまう」
『ササキさん。それは……いえ、どうか『彼女』をお願いします』
約束です、と通話を切断。
同時、エレベーターが四階への到着を告げ、重々しく口を開いた。
※
受話器を置いた澪利は、胸に膨らんではつっかえている生暖かいものを、耐え切れないように大きく吐き出していく。
ただでさえ、街を守ることが『原動力』である佐々木・彰示に、現在進行形で危機が迫ることを伝えたのだ。
受話器越しにもわかる、憤懣や激情を、痛ましく思ってしまうから。
胸が詰まってしまう。
であるが、私心はその一息のみだ。
時限が示されている以上、手を止めることはできない。
地元警察や消防、市役所への連絡は終えた。次は、近隣の組合に助力を乞わなければならない。
と、事務所内で所属組員に連絡を飛ばしていた龍号が、進捗は、と声をかけてきた。
「佐々木くんはどうだったかな」
やはり、この人も『現場における精神的支柱』の動向に気を揉んでいた。
さもありなん、と心なしか誇らしい気持ちで振り返ると、
「少し時間が欲しいと」
「ふむ? 査問会は終わっている時刻だが……」
「隣町とはいえ、前例のない大規模侵攻の報に一時中断しているそうです」
「……そうか。であれば、終わりを待って、かな? 湊くんを一人残すことになるだろうからね」
彼女の査問は、明日も続く。
緊急事態でも解放されることは無いだろう。されたとしても、全てが『手遅れ』になった後で、のはず。
なぜなら、グローリー・トパーズを捕らえて離さない査問会とは『敵』である、サニーデイズ・アセンツが設けた『鳥かご』であるのだから。
澪利の結論は龍号と重なるものであるだろうし、正解から大きく逸れるものでもないと確信できる。
それほどに、状況と情報の整合が取れているのだ。
だから、戦うことを苛烈に求める『少女』を絡めとった策謀は、
「佐々木さんは、湊さんを連れ出すつもりのようです」
街を、『湊・桐華』を一部として内包する『地元』を守らんがために。
驚きに目を丸くする龍号が、
「それでは彼女の立場が……いや、何も言うまいて」
すぐに、目尻を柔らかく下げおろした。
彼ならばやってのけるだろう、という信頼だ。
時に無自覚に倫理へ唾を吐き、時に全力で正気へノミを打ち据える彼は、ちょっと自分で言っておいてあれですけど危険人物ですね。
ともかく、自らにはまだしも、少女に『疵』つけることを良しとはしない。
彼ならば成し遂げて、この街へグローリー・トパーズをエスコートしてくれるはず。
信用で、信頼で。
静ヶ原・澪利は、胸を暖め、鼓舞をするのだった。
※
「査問中のグローリー・トパーズを連れ帰るとは、大きく出たねえ」
青い髪の同行者は、軽い口を叩いてみせた。
会議室を目指しエレベーターを飛び出した、激情に塗れる魔法使いを追いながら。
「ユキヒコさん。ここから先は、組合の看板に泥を塗る汚れ仕事です。あなたを巻き込むわけにはいかない」
彼はなるほど、無法は全て自分に搔き集めてしまうつもりのようだ。確かに地場で営む秘密結社である以上、組合との過剰な諍いは運営に支障をきたす。なるべくならば避けたいところである。
しかしユキヒコ・インディゴは、インプラントまみれの巨躯を揺らして笑う。
青年の、覚悟が定まった潔癖性に。
「一人じゃ無理だから、年端もいかない少女を引っ張りだそうとしているんだろう? 査問会とかいう『カゴ』に捕らえられた巨鳥をさ」
「……恥知らずなら、恥知らずのように振る舞えと?」
「女の子とおっさん、どっちに頼る方が羞恥心に堪えるか、って話よ」
青年が不意に足を止め、鋭く整ったまなじりに苦さを浮かべ、
「すみません、言い過ぎました」
頭を、まっすぐに下げてきた。
壮年の笑みはなお深まり、同じほどに興味のあぶくも沸き立つ。
「それで、どうするんだい? 俺が一暴れしようか?」
「まさか。強引な手段では、方々に禍根を残します。とくに『年端のいかない少女』の行く末に」
最強と持て囃される女の子は、しかし本来なら大人が庇護すべき対象である。
ユキヒコは、自分の事務所に所属するMEGUらを思い起こす。グローリー・トパーズと同年齢である彼女たちは、確かに身元を預かる自分が守るべき子供たちだ。
魔法使いの言う通りであるが、であれば彼は、穏便な方策を持ち合わせている、と?
こちらの問う視線に気が付いたのか、彼は唇を引き締めて頷きをつく。
「子供、ですけど、湊さんはただの子供じゃあない。あの子は『カゴ』を『開いて』やれば、自ずと舞い上がる」
「開く、ねえ。壊すわけじゃない。つまり、正規の手順を採るわけか?」
頬が、僅かに笑みで緩み、
「議長に『閉会宣言』をしてもらうつもりです。組合の看板を『借り受けている』事情を逆手にとって」
さも簡単に、彼は『難事』を言ってのけるのだった。
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