9:『あなた』を信じているからこそ

 夜の頂を目指して、少女たちは飛び上がっていく。

 空間をたわませ伸ばし、その折り目に飛び移りながら滑り急ぐ。バックパックの性格から、音もバックファイアもない、静かで暗い飛行である。

 頬を切る初夏とは思えない冷気の刃に、けれど少女は意に介さず、まっすぐに。

 行く手は、黒の海の向こうに泳ぐ、岩石の船。

 先行して乗り込んだ魔法使いが目論見を果たしたようで、マレビトの起動は大きな楕円を描きつつ、海岸線に偏りはじめているらしい。

 地上からの観測が確実にフィードバックされながら、魔法少女は目元を厳しく、バックパックのベルトを握る手に力を込める。

「距離が遠すぎて、無線が圏外になるとはなあ。現場の状況がさっぱりだ」

「ええ……持ち合わせていた普通の無線機だと、どうしても」

 ジェントル・ササキは、状況の開始時点で勤務時間を終えており、準備もなくありあわせの装備で戦地に乗り込んでいるのだ。

 組合の誰も、単騎で作戦を進める魔法使いの状況を知ることができない。

 ただ、

「また欠片だ!」

 時折降り注ぐ細かな砂利だけが、彼の生存を教えてくれる。

 きっと、戦っているのだ。

 放っておけば地上に投下される岩石を、無害になるまでに粉砕してくれているのだ。

「降ってくる頻度が増えている……どんなことになっているんだ、上は」

「急ぎましょう、クローバーさん!」

 ただ一人で戦う『あの人』に、本当なら自分が受け持つべき現場を担ってくれている彼に、心配と憤りがないまぜになる胸を揺らしながら、駆けつけるべく奔る。

 とはいえ、バックパックの性能は最大限に引き出していて、これ以上の加速は望めない。

「焦るなよ、サイネリア・ファニー。どうしようもないことは、どうしようもないと呑み込め」

 並走する年上の『友人』が、見かねたようで煮たる胸に水を差し入れてくれた。

 ただただ見上げていた瞳の温度が、僅かに下がるのを自覚。

 それでも心配は消せず、眉を八の字にしてストライク・クローバーに振り返る。

 向かい合った彼女は、呆れたように、

「ほんと、アンタはすぐに顔に出るなあ。そのうえ心配性だ」

 笑ってくれた。


      ※


「そ、そんなことないですよ。ずっと我慢して魔法少女をしていましたし、皆さんに気を遣わせないように注意して……」

「はは、なら良い方向に変わっていっているってことか」

「そう、ですね」

 彼女の言いたいことを察せられて、凍える頬が柔らかくなる。

 そう、ジェントル・ササキに、佐々木・彰示に出会えて、自分は変わってきた。良いか悪いかならば、良い事であって欲しいし、信じている。

 だから、一刻の猶予もない。

 彼は『血路を開く』と言って、先駆けを担ったのだ。開いた道を私が追いかけると信じ、危険の満ちる戦場を目指して。

 自分に出来ることは急ぎ駆け、即応すること。

「移動の速度は変わらないんだ。なら、到着後の対応に意識を割いておけ」

「はい……ありがとうございます」

 視野を狭めた状況で辿り着いたなら、決して良い結果は手に入らなかっただろう。

 彼女が同行してくれて、本当に良かったと思う。

 自分一人では、きっと焦りに呑まれて、約束した街を守ることはおろか、彼自身を助けることもできなかっただろう。

 ストライク・クローバーも満足げに頷いて、だけどどうしてか、寂し気に微笑みを見せる。

「羨ましいよ、信じられる人が、信じてくれる人がいるってのは」

 え? と、言葉の意味を問おうとして、しかし状況が許さない。

「サイネリア・ファニー! あれだ! 見えてきたぞ!」

 彼女の指さす先、見上げれば夜に紛れる大きな岩石が泳いでいく。

「ササキさんのおかげで軌道が郊外にズレつつありますね!」

「ああ! 進行方向を調整しないと……っ!」

 迫るこちらへ、拒むように砂利が降り注ぐ。

 顔を腕で庇いながら、二人は瞳の安堵を見合い通わせた。

 敵の攻撃は砕かれ続けており、つまり、

「ササキさんはまだ無事です!」

 つぶてに晒されても、前を向くことができるということ。

 頬を腕を体を、打つ石など構わずに、少女は目を大きく輝かせて行く先を見据える。

 幾多の石つぶてに体を叩かれ、

「え?」

 けれど、頬を打った大小のいくつが、感触を違えた。

 固さがなく、当たった後で『ずるり』と伸びる。

 固体のそれではなく、液状のなにか。

 最初は雨かとも思ったが、拭った指先を確かめるに、

「サイネリア・ファニー! 血じゃないか、それ!」

 頬と衣装をまだらに汚すのは、赤黒い『傷の証』であった。


      ※


 孤立無援の現況は、

「良くないな」

 その一言に尽きる。

 ジェントル・ササキは当初の目論見通り、対象の方向転換には成功していた。

 乱暴な話であるが、角度を付けた打撃によって僅かずつに軌道をずらすことができたのだ。常識では信じ難いけども生命体と聞いているので、気は引ける思いはあったものの、選択肢がなかった。

 あとはサイネリア・ファニーらの到着を待つだけ。

 けれども、度重なる打撃で岩石が砕かれていくことに危機感を覚えたのか、マレビトは攻撃の対象をこちらに集中させたのだ。

 定期的に投下されていたサイクルの全てが、こちらに向かってくる。

 つまるところ、好都合である。

 市街を守り、後続の血路を開く己の役割を、十全に満たすことができているということ。

 浮き上がった自分の体ほどもある岩が、十を数えてまだ足りず、間断なく迫り、襲い掛かる。

 飛び、転がり、撃ち返し続ける。

 欠片が、スーツを革靴を頬を、裂いては削いで。

 けれども意気は潰されず。

 流れる血の温かさを確かめながら、鉄パイプを杖代わりに、崩れそうな膝をどうにか支え立つ。

「何が目的なのかわかれば、交渉のしようもあるんだけどな」

 時間稼ぎも、停戦交渉も、含んでの交渉である。

 如何せんコミュニケーションが全く取れない相手である。肯否すら応答できないのでは、糸口すら、だ。

 だから、敵意を剥かれれば、こちらも敵意を返すしかない。

 小休止は終わりだとばかりに、岩石群が浮き上がる。

「いいさ、こい。いつまでだって、付き合ってやるぞ」

 彼女は、自分が信じる『あの子』は間違いなくここを目指している。

 もしかしたらトラブルがあるかもしれない。

 途中の石つぶてに押し負けているかもしれない。

 だけど、絶対に、諦めはしないと信じている。

 落ちこぼれのレッテルを張られたまま引退間近で。

 実績と呼べる実績を持ちえず。

 引き合わされた相棒たちから、片っ端から見放され。

 それでも『立派な魔法少女になる』という望みを、諦めずに戦っていたのだ。

 狂気すら見てとれる『相棒』の強さを、自分は分かっているから。

 時間がかかろうと、障害があろうと、いずれ傍らまでたどり着くと信じているから。

 だから、

「俺たちに負けはない! 勝ち筋ができた以上はな!」

 どれほどの血が流れようと、膝が崩れはしない。

 浮き上がった岩石を、打ち砕くための得物を振り上げる、そんな些細な余力すら残っていなくとも、だ。

 迫る致命に、されど髪の毛ほども敗北を感じえないと、瞳を燃やして。

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