5:新たなステージを臨む舞台袖
良く晴れた、本所市の日曜日。
街を二分するように流れる一級河川のほとりとなる公園に、面々が集まっていた。
午前中の早い時間、人足はまばらで、車の走っていく音も閑散で遠い。
「いやあ、忙しいところすまないね、サイネリア・ファニー」
「そんな副組合長さん……これでも、私だって組合の一員ですから」
助かるよ、と堂賀林が火のついていない煙草を握り込んで微笑む。
「ササキさんも、お休みのところありがとうございました」
「いえ、大丈夫ですよ。今日はよろしくお願いします」
「万が一にケガがあっても、私がいるからな。気楽にいけ、な?」
レジャーシートを広げた『観覧席』から、ソーミが手を振る。
出席者は、組合長に副組合長、医務室長、そして市外の別支部からの見学者だ。組合長は来賓の応対で手がふさがっており、進行は堂賀林の担当のようだ。
「で、今回のモニターってのがこっちになるんだけど……ご説明願えます?」
呼ばれて駆け寄ってくるのは、スーツ姿のいかにも『営業職』と白衣姿のいかにも『開発職』という風の二人。
手には、それぞれ金属製の薄いランドセルのようなバックパックを抱えている。
おそらくモニター製品を用意した会社の人間であろう。
「はい、よろしくお願いします。簡単に説明させていただきますと」
頭を一度下げると、
「単身で空を飛ぶ装置となります」
※
特殊自警活動互助組合本所支部の副代表。
副組合長である堂賀林・銀は、業界内では異色の経歴を持つ。
本来、事業主間の相互補助や事業補完を目的として運営される組織であり、その舵取りを任されるのは自然と知識や人脈をそのまま活用できる同業界人に任されるのが主だ。
しかし、彼の前職は首都圏に本社を構える商社の事業企画部であり、『魔法少女』が活躍する『この世界』とは別世界のビジネスマンであった。
果たして、どうして畑違いのしかも片田舎に席を置いているかというと、悲しい事情がある。
競争激しい大企業において、勝者と敗者が存在するのは常のこと。小さな躓きから後者となって失意に塗れた彼だったが、気を取り直し、故郷に戻ってスローライフを目論むことにしたのだった。そこを人伝によって、人材不足に喘ぐ組合職員の椅子が用意された次第である。
前職のために顔は非常に広く、また顔を広める術を知っており、彰示木自身も応対の臨機応変さに驚かされる。地獄のような接待攻勢を掛け掛けられた、名誉の傷なのだろう。
その仕事ぶりは目を見張るもので、しがらみがない分『業界力学』に縛られることなく、支部の発展に力を尽くしてくれている。
町を守る、という規律で戦う彰示にとっては、思想能力ともに頼れる先達であった。
※
「つまるところ、実際に飛ぶわけではない、ということですか」
背中に装着された新技術の塊は、要約すると『空間を後遺症なく歪める』というのが機能本旨であった。
空間を歪めることで本来は離れている二点間をゼロ距離とし、乗り移り空間を伸ばすことで高速移動を可能とする。
落下速度に勝る速度で伸びることができれば、実質空に飛びあがれるわけだ。
「ええ、はい。そのまま使うと、円状に影響が出てしまうので、制御しやすいように影響範囲をノズルで絞って、そのうえで今回は垂直移動だけのテストとなります」
なるほど、と主旨を確かめ、ササキは相棒へ目を。
何やら真剣な表情で説明に耳を傾けており、熱意に溢れる様子だ。
今回のモニター募集に手を挙げたのは、実のところ彼女が主導であった。最近に発露している積極性のためだろうと嬉しく思う反面、懸念もある。
バックパックは金属製で、肩ベルト部分もずれ落ちなどの危険を排するため遊びのない設計である。自然、少女の猫背は矯正され、小さい衣装の『前側』が張り詰めては潰れ、それでも『質量保存の法則』の履行を要求して蠢動しているのだ。
日曜の午前中から公の場にお届けして大丈夫な映像なのだろうか、誰もが直視しないようにしているのは、問題ないということだろうか。ちなみに俺は大丈夫じゃないが。
前屈を深めるこちらに気付いたサイネリア・ファニーが
「あれ、ササキさんはまだですか? じゃあ、先に行きますね?」
「ああ。その、気を付けるんだよ」
「はいっ!」
無邪気、ともいえる笑顔で応えると、左手に握るハンドスイッチを押し込んだ。
※
空間を歪める、というのがどういうことなのか、いまいちピンと来ていなかった。
実際に起動しても、待ち構えていた体が波打つような感覚もなく、拍子抜け。朝の澄んだ風が、気持ちいいほど。
目に映る情報としては、自分の髪の毛先がノズル口にかかると、ぐにゃりと曲線を描くくらい。きっと上空の空間も歪んだり伸びたりしているのだろうが、対象物が無いから現象としては自分の髪しか見えない。
だからあっさりと、するすると周囲の風景は上昇を続けていって、大きな河川の上流と下流を見渡せるまでに。川下の先には日本海が見えて、少し手前には人足がまばらな本所大橋が巨影を誇っている。
かつて、相棒と『約束』を交わした場所だ。
互いに『立派』になろう、と。
夢だけを見て失意の中で引退を待つばかりだった自分が、あの言葉でどれほど救われただろう。
そして今や、あの『約束』だけでは物足りない自分がいる。
約束を受け取り預けてくれた大切な彼と、まだ先を見てみたいと願ってしまっているのだ。
あさましい、だろうか。
だけど、笑われたとしても灯った火を消すのは簡単ではないから。
頑張ろう、と小さく拳を握ると、
「……ぃ! ……だ!」
下から緊迫した、しかし距離と吹く風とで明瞭でない声が届けられた。
「え? どうしました⁉」
見下ろせば、白衣の依頼者とササキが声を張り上げて、手を振っている。周りの人たちも、腰を浮かしてこちらの様子を見守っていた。
何事かと疑うが、けれどもやはりメッセージは届くことがなく、さらに身をのりだして耳を澄ます。
直後に、彼らの警告を知ることになる。
背後のバックパックが、鈍い音をたてて爆発したのだった。
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