6:望むべくを掴まんと
火花自体は、大きなものではなかった。
であるが、中空で少女の体を支え続ける機能は十全とはいかず、
「サイネリア・ファニー!」
ササキの見上げる先で、姿勢を失った彼女が明後日の方向に吹っ飛んでいく。
バックパックの能力自体は死んでおらず、当初の影響範囲である『頭頂方向』へ移動を続けているのだ。傾いた体の、その先に。
どうにか体勢を取り戻そうともがくほど、無軌道さが加速していく。
「くそっ!」
高度を増していく影に、ジェントル・ササキは二歩の助走から、垂直に跳ね上がる。
躊躇いなしの、コモンを稼働させた、全力の跳躍だ。
人智を越えた垂直跳びであるが、それでも届かない。相棒の姿はまだまだ先だ。
この高度が、己の限界地点。
そして、サイネリア・ファニーの影は未だ小さい。
彼女は自分よりもコモンが数段劣る以上、非常に危険な高度にある。
どうにかして辿り着かねばならず、どうしても助け出さなければならず。
己の背にある、未知であり未体験の技術のスイッチを強く押し込んでやる。
※
相棒の危急に、魔法使いが初夏の空を割るように飛び上がっていく。
残された面々は、心配そうに見上げる者と、機器の状況をモニタリング装置で確かめる者と、責任の所在を求めて彼らに詰め寄る者に分かれていた。
「どういうことですかな、これは」
「す、すいません! 想定外で……!」
頭を下げるスーツ姿に、龍号は厳しい目元でため息。
白衣姿の方は、必死の形相でモニターに噛り付いて、コントロールを取り戻そうと各種機材に指を叩きつけながら、
「出力は安定、安全装置に異常は無い! 空間の折り畳み度合いも正常! なのにあの子が使用したら、こちらの想定の倍で移動しているんです!」
予想外の好結果であり、故に危険な状況であることを叫ぶ。
「外部制御は?」
「爆発のせいで、遠隔操作の受信機が停止したようで……今、データ送信側で停止命令を流すルートを確立中です! まもなく!」
ならば、これ以上の高度に達することはない。けれども、それは少女の体が落下を始めるということ。
あとは、追いかけて空へ向かったジェントル・ササキに託すしかなくなったのだ。
※
……これは、存外に扱いにくい!
手元のリモコンでバックパックを操作するササキは、とんだじゃじゃ馬ぶりに毒づいてしまう。
サイネリア・ファニーが抵抗なく上昇をする姿から抱いた、簡便な印象など最初の一息で吹き飛んでしまった。
特定方向の空間を折り畳み、数段先の山を掴まえて伸び上がっていく機構だ。
その間、いくら姿勢制御をしようとも進行方向は変更できず、伸力が弱まったところで傾けていた方向に吹っ飛んでいく。
空中での姿勢制御が、かえって足枷になる仕組みなのだ。
では、と疑問が過ぎる。どうしてサイネリア・ファニーは、あんなにもスムーズに上昇ができたのだろうか。
今の自分は、強引にジグザグな軌道を刻んで、上昇を続ける少女の元へ急ぐが、差は縮まっていない。
最初から性能差があるのでは、と疑ってしまう格差である。
疑問は尽きないが、まずは追いつき、彼女を救わなければならない。
頬を切る風に、眼差しを険しく細めると、行く先を定める。
折しも、少女の体が落下を始めた故に、速度を増す必要がでたのだった。
※
「サイネリア・ファニーの適性は、彼女のギフトに依るんじゃないかな? お……お姫様は無事に王子様に助けられたな」
空を見上げ、彼と彼女の体が交錯するのを見届けると、歩み寄っていたソーミが手を叩いて事態の収拾を確かめた。
うむ、と頷く龍号は、マレビトに意見に耳を傾けて、
「ギフト、かい?」
魔法少女や魔法使いは振るう、超常の能力。強弱の差はあれど誰もが持ちえる身体強度を上げる『コモン』と、各々の個性に分かれた唯一無二の『ギフト』があるが、その後者が今回の原因だろうと彼女は言うのだ。
「ファニーちゃんって『対象の物を対象の穴に螺旋回転させながら出し入れ』するギフトでしょ」
「ああ。しかし、それが?」
「空間をたわめる、たわんだ空間に掴まる……どっちも目に見える『物』ではないけれど、たわむという事は山だけでなく『谷』も生まれるじゃない?」
「なるほど、それを『穴』と認識したか。で、無意識に機械側の『掴まる』機構へ干渉してしまった、と」
この干渉が負荷となって、バックパック側の不良に繋がった。また『掴まる』力が想定より強いことで、挙動も安定したのか。
「まあ、なにより、彼らが無事に戻ってきてからの検証になるな」
どれも、想像に過ぎない。
ふらふらと降下を試みる影を見上げながら、一息をつくのだった。
※
こちらにしがみつく少女を支えながら、ササキはゆるゆると地表を目指していく。
高度はまだまだ高く、遠くの本所大橋を見下ろすほど。
上に引き上げる力を制御しながら高度を下げていくものだから、力加減が難しい。上げ過ぎると上昇するし、弱すぎると落下速度が増してしまう。
四苦八苦だ。
おまけに、腕の中に震える相棒を抱えて。
よほど、恐ろしかったのだろう。辿り着いたときに名前を呼んだきり、黙り込んでこちらの肩に顔を埋めてしまっている。
だから、慰めるように腕に力を込めて、
「君のせいじゃないよ、サイネリア・ファニー」
なだめるように、言葉を探していく。
抱き寄せれば触れる部分に熱が通って、初夏の陽気に薄く汗がにじむ。
「ただの事故で、だけどこうして無事なんだ。だから、大丈夫だよ」
現状を把握できていない自分には、採れる言葉が限られる。
彼女は元より下を向きがちな少女だったが、最近では積極性に溢れて、良い変化に相棒として喜んでいた。
けれど、この件で前に進むことを臆するようになってしまっては、悲しいこと。
目一杯の言葉を重ねて、ネガティブな匂いを消し去ってしまいたいと、ササキは考えるのだ。
こちらの体に回された腕が、一度強まると、
「違うんです、ササキさん……」
彼女が顔を上げた。
面持ちは、しかし、晴れやかで、
「なんだか、すごく楽しくて……自在に空を飛べるのが気持ちよくて!」
良い体験であった、と笑っている。
自在に? と驚かされるが、相棒の訴えは終わらないから、まだ聞く体勢のまま。
「どうして、急に落ち始めたんです? びっくりして、すごく怖くて……」
なるほど。
誰も彼も、過保護であり、余計なお世話だったのだ。
無軌道に見えた事故後の挙動も、彼女の制御下にあったということだ。おそらく、爆発音はあっても機能は正常であったから、テストを続行していたつもりなのだ。
「あれ? どうしました、ササキさん?」
思わず、笑ってしまう。
「君が、すごく頼もしく見えてさ」
「えっと……何かの隠語ですか?」
また噴き出してしまって、
「降りたら、もう一回飛ばしてもらうようお願いしようか」
「え、いえ、だって壊れちゃって……」
「俺のがあるじゃないか。実地データを欲しがっているだろうから、許してくれるよ」
夏の透けるような朝日に、少女が満面の笑みを咲かせるから。
良かった。
こちらの思っているよりも、なにより、彼女自身が思っているよりも、大きく成長していたのだ。
「ササキさんも一緒に行きませんか?」
「君に抱かれて? それはさすがに『赤色灯案件』だからなあ」
もう、かつての内気な少女は、来た道を省みることはあっても、後ろ向きになることはないだろうと、信じることができるのだ。
第二章 了
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