6:彼方と此方の速さの差異

「警察が後ろにいる、ということですか?」

 通信からもたらされた結論は、痺れが抜けきらない頭にはあまりに唐突で、けれども『確かに』という納得に染められていた。

 悪の秘密結社による警察の負傷という『既存勢力』が恐れていた事態だが、警察署長の不可解な指示による出動から巻き起こされたとのこと。

 また、その負傷を証明させるかのように、該当する刑事に診断書と顛末を記した始末書を要求したのも署長。

 後の記録から判明したのだが、襲撃者であるルシファーがジェントル・ササキを撃ち伏せた後は、警察の到着までろくに能動的行動をしていなかったこと。

 断定はできないが、と組合長は前置きをして、

『今回のごたごた……テイルケイプが人手不足から機能不全に陥るところまで、何かしらの意図が見え隠れしている。前回の襲撃で確信して、ならば、何者か、おそらく他の秘密結社が本所市のパワーバランスを破壊しようとしているのだ、とそう思っていたのだがな』

「それが実は警察だった、と? しかし、目的が見当も……」

 動機が見えてこない。

 これまで平和裏に維持されてきた現状に、石を投げ込むような真似をするのか。同じ、平和を守る組織同士で。

 ……そうか。

 同一の目的同士、であるからなのか。

「組合の領分に食い入ろうとしているんですね」

 所属員の負傷によって、対『秘密結社』用の武装準備と、制圧の名分を手に入れたのだ。

 テイルケイプを潰した後にどうするつもりかは想像するしかないが、先日に志鶴が『負傷』したことでお膳立ては終わり。

『三者を律していたのは、ただの不文律だ。強制力などありはしないからなあ』

 太く苦い声の老人の正しい分析に、ササキは目頭をポリ袋越しに押さえこんだ。

 思うのは、志鶴の態度だ。あれほど理解のある態度を見せられると、事態が警察組織の望んだことと言われても、納得しがたい。話に出てくる『本所署長』が主導かと問われれば、いささか肩書に対してスケールが大きくはないか、とも。

 だから、目眩がする。

『それ以上は口にするなよ、ササキ君。確証のない話だし、どこまで『上流』に遡るか、想像もできないからな』

「今後の調査を待て、と?」

『慌てても、仕方がないだろう』

 けれどもと、ササキは焦燥を胸に焚く。

 街中で銃撃という強攻に出た『先方』が、こちらの悠長な『素人追跡』を待ってくれるだろうか。

 まさに、今この瞬間にでも、事態が進まないとも限らないのだから。

「……わかりました。一度、組合に戻ります」

 焦りを吐息に溶かして、幾ばくか激しい色合いを衰えさせると、

「御岳さん、コーヒーありがとうございます」

「いやあ、差し入れってそれだけじゃなくってッスね。面白い動画があるんスよ」

「あ、なんでしょうか? 猫ちゃんとかですか?」

 和気あいあいとやりとしている『たくましい』少女らが、並んで携帯電話のディスプレイを覗き込んでいた。二人は完全に『ちきゅう衝突』させているから、ササキの『天体望遠鏡』が『うちゅうのろまんを見上げる』の不可避なのは仕方がないことだった。


      ※


 腰の『屈折率』が高まる中、映像を覗き込んでいた相棒が疑問顔で首を傾げて、

「あの、これは何をしているところなのでしょうか?」

「見てればわかるッスよ。あ、ササキさんもどうッスか?」

 美岳が、いつも通りの、軽薄な笑顔で缶コーヒーを差しだしてきた。

 いつも通り、であるが、何か背中を舐めるものがある。

 違和感なのか、猜疑心なのか。はっきりとした言葉を作れないまま差し入れを受け取ると、大学生バイトの視線を追いかけて、動画を流す携帯電話に目を。

 映像は揺れが酷く、誰かの頭部にカメラを取り付けたものだとすぐに分かった。

 遠い街灯頼りに進んでいく建物脇の風景は見覚えがあって、はて、と記憶をたぐっていると、

『A班、予定地点に到着。続いて突入する』

 低い男の声と同時に、黒づくめの装甲服姿の男たちがガラス張りの自動ドアに張り付いた。手には、異様に大口径のショットガン状の銃器が握られており、

「これは」

 見間違えようもなく覚えのあるフォルムに息を呑み、美岳へ目を戻せば『いつも通り』の笑みのままで、

『いやあ。誰です? 今日はもう、営業時間終わってますよー?』

「え? この声、YUKIさんですよね。あ、鷺舞会館ですね、ここ。テイルケイプのアジトのある」

 電源の落とされた自動ドアを手で開いた、プリティ・チェイサーメンバーの私服姿のシルエットに、

『目標Cと接触』

 破壊的な炸音が放たれた。

 悲鳴すらなく、華奢な体が吹き飛ばされ、転がり、動かなくなる。

『フェイズ2に移行。拘束の後、他の目標を無力化する』

 爆音をたてた以上は、とでも言うように、それまでの忍び足から一転、駆け足に。

 突然の、慮外からの横殴りに、相棒は目を丸くしたまま硬直。

 ササキも半ば呆然と『侵略者』から目を離せぬまま、彼女の言葉を受け取ることになる。

「ちなみに、その映像はライブ映像ッスよ。で、アタシは」

 胸元から大振りな手帳を引っ張り出して開いて見せると、

「公安警察ッス。こんなんでもエリートなんス」

 ササキは、組合長の言葉を噛みしめる。

 敵対者は、こちらがスタート地点に至った時点で、ゴールテープに手を掛けていた。

 意味合いは逆であるが、確かに慌てても仕方がなかったのだ。


      ※


『公安だって⁉』

 ササキの驚きは、指令室の面々に衝撃を走らせるに十分であった。

 龍号は顎を落とし、ウェル・ラースは腕組みを解き、澪利はワンカップの封を切る。

 誰も、死角からの突風に言葉を失っていると、

「組合長はいるか!」

 背後の事務室から、粗野な女性の声が響く。

 三人ともが聞き覚えのある、であるがこの場に響くはずのない声に、上手く反応できないまま振り返ることに。

 声の主は、間違いなくここに居るはずのない者で、

「どうしたんだ、新指君! その姿は……!」

 壁にもたれて肩を上下させる女刑事は、スーツのあちこちを破かれており、

「しくじった……! かくまってくれないか……!」

 かつての相棒の姿を確かめると、力尽きたように膝をつく。

 凍り付いていた周りの職員たちが、弾かれたように動き出し、飲み物やら椅子やら、介抱の準備を始めていく。

 何が起きたのか。確かめるのは落ち着いてからになるだろうが、果たして世界の速度はそんな悠長さを待ってくれるものか、誰にも言い切れるものではなかった。

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