5:スタンスと視点の高さ

「組合長! 田中さんが過呼吸に!」

「紙袋! 紙袋持ってきて!」

「誰か肩を貸せ! ゆっくりだぞ!」

 組合事務所に駆け込んだ静ヶ原・澪利に突き付けられたのは、地獄絵図だった。

 奥の指令室から運び出されている田中さんは、今日の通信担当である職員のはず。なのだが、ぐったりとした様子でペーパーバッグ法を処置されながら、過呼吸に肩を震わせている。

 では、誰が業務を引継いだのかと目をやれば、

「サイネリア・ファニー、一気にやってくれ。出力は最大でな」

 白目を剥きながら通信機に噛り付いている、組合長の姿が。

 なるほど、ササキさんが『元気ハツラツ』なんですね、とクールに状況を察すると、人の波に紛れ込んで、

「大丈夫ですか、田中さん。私が手を握っていますので」

「誰か! その『ジェントル・ササキ専属』のオペを捕まえてくれ!」

 なんですか組合長、その恐ろしい肩書は。

 いや、職員の皆さんもどうして私を取り押さえようと……田中さん! 田中さん、なんですかこの握力、元気じゃないですか! 握った手を放してください、田中さん!


      ※


「無理矢理ヘッドセットを付けられたと思ったら、衣擦れと嗚咽と悲鳴と電撃音が響く『特殊すぎる音声作品』を聞かされるとか、この職場はどうなっているんですか。職員の気持ちを考えたことがあるんでしょうか」

 感情乏しく『お薬』の封を切る職員へ『勤務中に堂々と飲酒されている組織代表の気持ち』を問いたい目で、大瀑叉・龍号は見つめていた。配点は『君もどうにかならんかなあ』だ。

 凄惨な現場は繁華街から離れた地域なので監視カメラなどの映像は準備できず、音声のみで状況を把握する必要がある。

 ひとまず落ち着いたようで『ひぃ……ひぃ……!』という荒い呼吸と、彼女を宥めるサイネリア・ファニーのやり取りが聞こえてきている。件の被疑者は、おそらくアスファルトに顔面から沈んでいることだろう。

「ひとまず良かった。危うく、君に出向いてもらう事態だった」

「ササキくんを止めるだけなら、サイネリア・ファニーが適任でしたよ。現に正攻法で上手くいったのだし」

 狭苦しい指令室から振り返れば、腕を組んで手近な事務椅子に腰をおろした『最強』が、穏やかに微笑んでいた。

 ジェントル・ササキの復帰後、ウェル・ラースは特定の相棒を持たないまま活動に従事していた。

 これは、警戒状況にある中で、専業の魔法使いとして活動している彼に柔軟な活動を期待しての物だった。現在は、正規に稼働しているササキのバックアップとして、組合に待機している。

「組合長も静ヶ原さんも、帰ってくるなりこの修羅場じゃあ大変ですね」

「まったくだ、テイルケイプの会議で頭を悩ませてきたばかりだというのにな」

 活動を止めている悪の秘密結社であったが、幹部クラスは解決すべき案件が山積している。ほとんどは最高幹部との首脳会議で済むのだが、稼働できる人員を集める必要に迫られる時もある。

 今日の会議は後者であり、

「プリティ・チェイサーの今後について、困り果てているところだよ」

「活動停止だと、出向元に戻すことも検討したいですけれど、先のことを考えると難しいですよね。状況が落ち着いたから戻ってきてくれ、なんて虫のいい話をしなければならなくなる」

 しかも、この人手不足でどこも喘いでいる最中に、だ。

「難しいお話で。結論は出たんですか?」

「いや、まだだ。なに、今はもう女子だけで会議を進めているから、盛り上がっていることだろうさ」

「おや。途中で抜けてきたんです?」

「ああ。警察署への抗議文の返事を受け取る必要があったからな」

 先日の、ルシファーへの警察出動について、である。

 無論、こちらの領域であることを示すための儀礼的なものにすぎず、文言の意味合いのうち『抗議』は三割程度だ。組織として仕方のない側面も、経験豊富な初老は理解している。

 理解はしていたのだが、澪利が持ち帰ってきた情報で事情が変わった。

「新指さんは、署長の指示だったと言っていましたよ」

「通報から、休日当番が勝手に判断してしまったとばかり思っていたんだが」

 日曜で署長も休みとなれば、意思決定の部分で誤りが出てもおかしくはないから、抗議も形だけつもりであった。のだが、代表が意思決定に関わっているとなると、少しばかり深刻になる。

 不文律を知りながら、こちらへの確認という程度の躊躇いも見せず、一線を越えてきたということ。

「警察内部には、確かに組合を良く思っていない人間もいると聞いていますが……」

「春に赴任してきた現署長は、良くも悪くも『事なかれ』主義だとばかり……評価が誤っていたか」

 目算が甘かったことを、顎をしごきながらの苦い顔で省みる。

 赴任直後に挨拶しただけで、人柄を断ずることも、前歴を探ろうと思うこともなかった。印象としては『標準的』な事務方出身のお偉いさん、という程度のもの。

 いかに条件が整おうと、前例破りという大胆な一手を打つとは思えなかったし、その動機もわからない。

 ふむ、と思案の海に沈みかかったところで、

「そういえば」

『お薬』の肴に『猟奇事件の実況中継』を聞かされていた問題児が、現実から逃げ出すように一つの話題を振ってきた。

「新指さん、あの日の始末書を書かされていたらしいのですが、その新署長直々の指示だったとか。診断書の添付まで要求されて」

 変わっていますよね、と事もなげに首を傾げる少女のようなオペレーターは、世間話の一つとして提供してきたにすぎない。

 しかし、年の功と立場の高さから、それなりに状況を鳥観できている龍号やウェル・ラースにとっては意味合いが変わる。

「組合長、これは……」

「ああ……静ヶ原君、ジェントル・ササキとの通信は大丈夫かね」

「そろそろ感電から回復するでしょうから、大丈夫かとおもいますが……どうしました、お二人とも。顔色が優れないようですが」

 確信ではない。が、ある程度の要点同士が符合していく。

 それは、この先に打つ手の光明が見えたということであり、

「話ができるようになったら、すぐに繋いでくれ」

 現在、現場に赴いている『魔法使い』と共有しておくべ要件であった。

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