4:どうしたって、誰だって、変わっていくのだから
郊外の国道付近で発生した接触事故は、軽傷三名、双方の車両とも自走可能と、比較的軽微なものであった。
とはいえ、帰宅ラッシュ最中の幹線道路での事故ということで大きな混乱を引き起こしており、折よくサイネリア・ファニーらが到着できなければ、甚大な渋滞を巻き起こしていただろう。今なお、事故現場を取り囲む野次馬たちが数を減らしていないことからも、混乱は予想出来うる事態であった。
一仕事終えた警察車両とのテールランプを見送りながら、魔法少女も安堵に一息をつく。
緊張が大きかったのだ。
なにせ、復帰したジェントル・ササキとの最初の仕事だったから。
コンビの再結成は数日前だったのだが、テイルケイプが活動を停止していることもあり、連日のパトロール尽くしで、具体的な業務はこの事故処理が初。
最大の信頼を寄せていて、だからこそ、間を置いてしまった時間のせいで『上手くできるだろうか』という不安が育ってしまっていた。
だから、これで一息だ。
相棒の、変わらない効率作業と惚れ惚れする判断力に、自分も変わらずについていけていたから。
彼を横目に見れば、照らしては過ぎていくヘッドライトに染まるポリ袋から、遠い目を覗かせていた。
どこか物憂げに群衆を眺めているから、
……ササキさんも、久しぶりに組合に戻ったんですもんね。
緊張しているのは、お互い様だったか。
そう思えば微笑ましくもあり、ならば労いの言葉をかけなければと、
「おつか……」
「見つけたぞ! 貴様がスパイか!」
開いた口に、カウンターの『平常運転』がぶち込まれた。
呆然とするこちらを捨て置いて『いつも通り』怯え恐慌となる群衆に突っ込んでいき、一人の男性を締め上げはじめる。
その顔に、サイネリア・ファニーは見覚えがあり、
……テイルケイプの戦闘員をしている、山中さんですよね、あの方……
活動停止中のためこの時間に油を売っていたのだろうが、それが仇となって首を絞められている。
相棒である自分ですら彼が口走る単語の真意は測りかねるが、群衆は尚更だろうと耳を傾ければ、
「ちくしょう……! ジェントル・ササキが帰ってきちまった……!」
「おしまいだ……! テラコッタ・レディですら更正はできなかったか……!」
「くそうくそう……! これも全部、ルシファーの奴が悪いんだ……!」
……ただただ『テイルケイプの魔法使い』が惜しまれていますねぇ。
こう、緊張とか感慨とか気遣いとか、無駄遣いしてしまった感情を返して欲しいなあ、という心を殺しながら、事態を収拾すべくスタンバトンの電源を入れるのだった。
※
不安が、大きかったのだ。
最初は、この人が自分の隣から居なくなってしまうことが。
最後は、この人の隣に自分が居ないという時間の長さが。
全面的に『この人が自分の視界外で野放しになっている』ことへの不安が一番大きかったが、そっちは別案件なのでノーカンでいいと思う。
とにかく、唐突なコンビ解消であったため、活動のこと、自分の心持ちのこと、人間関係のことなど、雑多で不安定な暗雲が渦巻いていた。
新たな相棒となったウェル・ラースには不満などないし、むしろ勉強させて貰って感謝している。事実、活動に関する問題点は間違いなく解消ができていた。
それでも黒々と残り続ける雲霞は、少女にとって大きな引っ掛かりということであり、その正体は結局のところ、
「ササキさんと一緒じゃない時間が、ただただ不安だったんです」
「スタンガンを叩きこんだ上でその発言……強くなったな、サイネリア・ファニー」
不安だからこそ、己の似姿である『お守り』を手渡したいと思ったのだ。渡す機会も、渡す理由もなくなって、どうしようかと思いながら今も衣装のポケットに忍ばせてある。
国道を逸れて駅方面へ向かう途上。
ジェントル・ササキが『物理による指導』から回復するのを待って、二人は組合への帰路についていた。
時間は七時を回った頃だ。あいにくの重い雲さえなければ、夜に塗り染められる夕暮れを拝めたのだが、残念なことに街灯頼りの帰路である。
サイネリア・ファニーの塾が休みということで早めの稼働となっており、戻ってもパトロール業務が続行される予定だ。
組合長、そして相棒からは疲労への心配をされ、早退の提案もなされた。
実際のところ、疲れは大きくなっている。
あの日の襲撃事件以来、絶え間ないパトロール業務に就くことになり、だからといって学校も塾も、休めるものでもない。
けれども、魔法少女としての活動を妥協する気など微塵もなくて、なぜなら、
「居場所を守るためなんです」
という言葉がすべてであった。
「新指さんに言われたんです。『二人の居場所』じゃなくて『あなたの隣の自分の居場所』を守るんだって」
「つまりは、ウェル・ラースとの関係から学んだ訓戒、ということかな」
向かっては通り過ぎていくヘッドライトに照らされるポリ袋が、顎の辺りに手を当てると、ふむ、と頷いて、
「良い言葉だね。人同士の関係を、すごく現している」
「私も、目が醒める思いでした」
他人同士、完全に意識を同一にすることは不可能という、実体験からくる現実の言葉だ。そのうえで、互いが肩を寄せ合えるならそれに勝るものはないという、ただの共調から踏み込んだ到達点を目指すもの。
なにより、目の前の『この人』と共感できたのが、何よりも胸を弾ませる。
「だから、私は頑張れますよ」
笑顔。
グローリー・トパーズのような強くもなく、MEGUのような可愛らしくもない、華やかさに欠ける自覚は十分の、自分の笑顔。
だけども、この嬉しさをできうる限り伝えたくて、満面に咲かせれば、
「ありがとう、サイネリア・ファニー。すごく、嬉しい言葉だ。俺も、なるべく一緒にいられるようにするよ」
魔法使いは、表情のわかりにくいポリ袋をがさつかせながら向き直り、
「いつか『君と俺』の関係が変わってしまった時に、笑っていられるように、ね」
真剣な、諭すような、大人の『見解』が示されるのだった。
※
イーグル・バレットとウェル・ラースが良い前例なのだと、ササキは感じていた。
時間というのはトップスピードに乗ったラッセル車のようなもので、当事者の願いや想いなどといった、薄く張り詰めた氷のような事情など、一顧だにせず剥ぎ取っていく。
いずれ『その時』は疑いようもなく訪れるし、先達たちは互いの想いを掛け違ってしまって、後悔を抱えている。だからこそ『俺と彼女』は、その時を穏やかに待てるようになっていたいと、思うのだ。
そもそも、三十歳の童貞が、サイネリア・ファニーのような少女から好意を寄せられているというのが根本的におかしな状況であって、時が経てば当然のように『正常な方向』へ心が変わっていくだろう。
くわえてイーグル・バレットのように進路という帰路に至れば、社会的にも接点は薄まるだろうし、
「いずれ少しずつ変わっていくお互いを、尊敬して、感謝して、笑い合えるようになれれば良いと、俺は思っているんだ」
夜の暗がりに沈む本所市の街で向かい合う相棒に、心底の全てを柔らかな気持ちで伝えることが必要だと思って。
しかし、容赦なく照りつける通りすがりのヘッドライトに、
「私たちは『変わって』しまうんですか?」
想いの外であったかのように、瞳から笑みを失い、色を無くしてしまっていた。
……まだ、早かったか。
彼女は聡い子であるが、時間の進み具合は十八歳でしかない。三十歳とは『いずれ』の距離感も『少しずつ』の大きさも、ズレがあってしかるべきだった。
大人は、己の過信と、失敗と、
「聞いてくれ、サイネリア・ファニー」
それから確信を手に入れたことに、良かったと思う。
「俺と君がいくら願おうとも『変わらない』ということは不可能なんだ」
伝えておいて、伝えておくことができて、良かった、と。
「俺たち自身の気持ちだけじゃなくて、周囲の状況から、突発的な事故のようなものから、こっちの手の届かないところから関係は『変化』していくことは避けられない」
「あの……はい、わかります。けど……」
ああ、やはり聡い子だ。
こちらの意図を読み取ってくれている。表情、口元がおぼつかないのは、納得が追いついておらず、言葉が編みきれていないせいだろう。
だから笑みを作って、
「キレイに『変わって』いけばいいんだ、二人で、ね」
頷く相棒の手を強引に取って、前へ向き直る。
歩みを再開するために。
で、あったが、一歩を踏み出されることはなく、
「いやあ、お邪魔だったッスかね?」
人気のまばらな歩道に、万城・美岳が立ち塞がっていたのだ。
相変わらずの、軽薄な笑みのままで。
※
「いやあ、差し入れ持って来たんスけど、いい雰囲気だったもんで」
どうして、ここに自分たちが居ることを?
なぜ、こんな不可思議な時間に差し入れを?
噴き出す疑問が、寒気とともに背中を嘗め回してくる。
つい今しがたの相棒から撃ち込まれた『明日の現実』が、抜け落ちる程だった。
嫌な気配の大きさに、すがるよう、隣の大人へ視線を走らせると、
「ササキさん?」
ポリ袋に開けられた目貫穴から、ひどく遠くを見やる瞳が覗いていて、その眼差しがなんだかつい最近に見たような覚えがあって、
「あれ? なんスか? 感謝しすぎて言葉もないんスか?」
はっ、と至るのは、寒気を上回る怖気。
ジェントル・ササキが浮かべた眼差しは、つい先刻に『平常運転』をぶちかました前兆で、ということは、
「貴様がスパイか、戦闘員C!」
「逃げてぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ! 御岳さぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁんっ!」
再び、魔法少女の兵装が『市民を守るため』に電源投入される事態に陥るということであった。
しかも絵面が『倫理コード』なので、可及的速やかな執行を、少女は心に決めて。
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