3:『イーグル・バレット』
ルシファーによる白昼の襲撃事件から四日。本所市はひどく静かな日々が流れていた。
テイルケイプが活動を完全に停止し、それに伴って魔法少女たちも姿を露わにする機会が激減。目立つのは、出戻りしたパトロール中のジェントル・ササキによる市民の首絞め事案の発生であったが、付随して起きるサイネリア・ファニーによる『介護』への嫉妬、憎しみが先行して、大きな問題とはなっていなかった。
日常の光景が絶える。
静かであるが、穏やかとは言えない雰囲気だった。
それは、街の治安を守る組織も同じであり、
「どうにも、空気がピリピリしていますね」
通常業務時間外の警察署に訪れていた静ヶ原・澪利は、人員の多さに少なからず驚かされていた。
時計の針は午後六時を回っており、多くは終業を迎えているはずなのだ。
けれども、廊下から見える事務所は賑やかと言えるほど、署員が右往左往している。
感情の乏しい眼差しで、歩みを止めない程度に様子を窺っていると、
「静ヶ原か?」
自販機の取り出し口に屈んでいた職員が、こちらの名前を口に。
おや、と思って向きなおれば、
「志鶴さんでしたか」
旧知の女刑事が、痛々しく包帯の巻かれた右手を挙げながら、驚き顔を見せているのだった。
※
「抗議の書面を届けに来たぁ?」
先の『秘密結社との対峙』という組合が預かるべき案件に、警察の出動が発生したことへの抗議であった。
警察側も『対象が所属を名乗らない』ため通常の対応を取ったという、一理ある反論を掲げているため、双方の言い分が平行線のままであることは想像に容易い。事実、両者の直接な擦り合わせが行われないままの抗議声明であるため、形式的なものにとどまるだろう。
虚ろな威嚇であることなど、一職員でしかない澪利すら自明なまでに理解できていた。
さて、では所属する組織をくさすメッセンジャーに、沸点低めな女刑事がどれほど苛烈な反応を示すかと思えば、
「おう、ジャンジャン持って来い! あの『あおびょうたん』を締めあげてやれ!」
鋭い矛先は、どうしてか自らの頭に向けられているのだった。
長椅子に並んで座る旧友のどうにも腑に落ちない反応に、無表情を『野良犬が好意を疑う無表情』に変えれば、
「日曜の騒ぎ、赴任したばっかの頭でっかちが指示したんだと。いくら迫っても、現場で受けた説明以上の言葉は出なくてな」
「名乗らない以上、秘密結社ではない、と?」
くそったれだ、と吐き捨てる元同僚が、心底から不愉快を覚えていることをわかる程度に、彼女との付き合いは長い。
直情果敢と無口怜悧。
キャラクターが対比されることは多かったが、実績については全国区で活躍するトゥインクル・スピカと隔絶していたため、言及されることは少なかったと思う。
けれども、救助活動という現場であれば間違いなくイーグル・バレットの方が勝っていたのも、自覚できている事実である。
また、のちに進路で警察を選ぶほどの信念で活動していたことから、本人にも実績云々のわだかまりはなかったようだ。
仕事終わりに一緒に帰ることを厭わず、時には休日の買い物に同行し、稀にケンカもした仲だ。
お互い職に就いたことで、顔を合わせたのは数年振りではあるが、噂に聞いていたよりも変わっていない友人をおかしく思って、
「なあ? そんなんで良いなら、ササキに突っかかった私だってお咎め無しだろ、普通」
自分勝手な言い分もそのままだから、思わず声を漏らしてしまう。
「なんだよ。こっちは始末書をようやく書き上げて、ピリピリしてんだぞ?」
「始末書ですか?」
不審な単語に、愉快な気持ちが引っ込んで、
「昨日に突然書くように言われてな。しかも、締め切りが今日だぜ?」
「それはまた……警察ではそれが普通なのですか」
普通はもっと余裕があるよ、と声を放り投げ、
「しかも、怪我したんだから診断書とセットで持ってこいだと。署長が直々に、だぜ?」
「変わった措置ですね」
「なあ? こんなん、初めてだ」
手にした缶コーヒーを一気に煽って、不満の乗る吐息を大きく。
期日の短さ、始末書への診断書の添付など、初めて聞くことだ。であるが、未知の職場でもあるため、そんなものかと納得を作れば、
「それで、新指さん」
元魔法少女として、詰めるべき案件を差し出す。
空気を変えたことにかつての同僚も察したようで、眉へ緊を張って向きなおるので、
「私は、そろそろ魔法少女を『卒業』できそうですよ」
突然の宣言は、手にしていた缶を取り落とすほどに動揺を与えたようだ。
甲高く響く乾いた音が、ちっちゃい人にとってはこれ以上ない福音であった。
※
……やべえ。
なにが『やべえ』かというと、かつての友人が『ちょっと言いようのない病』に侵されている事実を、全力ストレートで眉間に喰らったせいだ。
患者の言い分を精査すれば、行為の相手はおそらく『ジェントル・ササキ』なのだが、どう記憶を掘り返しても完全な嘘であり、
「いや、どっちかというとサイネリア・ファニーが先だろ?」
「どうしてです?」
「え?」
「私はつい先日に『人通りのない夜道』で『抱きかかえられ』ながら『体の一部を使って顔中のベトベトを丁寧に綺麗』にして貰いましたよ?」
無表情が『信念に殉じる無表情』に変わったのを確かめて『やべぇ度』を引き上げ、
「どうして、年功序列が適応されないんですか?」
小さな全身が小刻みに震えはじめたため『緊急車両』の手配について検討を始め、
「おっといけない、お薬お薬……」
鞄をまさぐりだした姿に『留置所』の準備を覚悟する。
「これが、同年代最高と謳われた無口クール系魔法少女の末路か……!」
「なんと失礼な。そんなあなたも『童貞』だけに的を絞って『ちからずくでどうにか』しようとしているじゃないですか」
「私が突っかかってくのは『三十歳越え』の『童貞』だし、言い方に悪意があるぞ!」
怒鳴り声が事務所まで届いたのか、
「童貞⁉ いま、童貞って聞こえた!」
「トゥインクル・スピカの声じゃなかったか⁉ 誰か確かめてこい!」
「了解です! ……あー、志鶴ちゃんでしたわー」
顔を覗かせて、それから中に報告する先輩の後頭部へ、怒り紛れに空き缶をぶつけやる。
「まあ、何が言いたかったかというと」
転がる缶を拾うために立ち上がれば、ワンカップを取り出しながら話を続けられ、
「ウェル・ラースとの関係を改善すればいいでしょう?」
「卒業するためにか?」
冗談めかす言葉に、『そうではない』という否定を込めた沈黙だけが返ってくる。
言われるままに出来るのであれば、まあ、ここまで拗れてなどいない。
自分が悪いことがわかっていて、責任を彼に押し付けて、それで自分は大人になって、互いに互いの道を歩いている最中なのだ。
バツの悪さもあるし、いまさら、という思いもある。
あと究極的には『別の人を選んだ』という理不尽ながらも怒りを持て余しているせいで、改善など望みたくない気持ちも抱えてしまっているから。
どうしたものかと、自問を胸に、深く染み渡らせていく。
けれども、言葉を見つけ出すよりも早く、
『管内で車両同士の衝突事故発生。現場に急行願います。すでに組合からサイネリア・ファニー組が到着しており、協力を仰いでください』
現実が歩んでいく速度を突き付けられてしまうのだった。
※
放送を聞いた澪利が駆け足で正門を越えていくのを、志鶴は少々倦んだ眼差しで、窓越しに見送っていた。
交通事故は交通課の担当で、彼女とは部署が違う。
体を動かせられればこのモヤモヤした気持ちも晴れるのかも知れないが、同行するわけにもいかない。それこそ、始末書が追加されるだろう。
だから、倦んでしまう。
間違っているのがわかっていて、心根が正すことを良しとしていない、明らかな己の矛盾を再確認させられてしまって。
「どうしたもんかな」
夜の梅雨空に沈む街を眺めながら吐くように呟くと、駆け出ていく怜悧とすれ違うように、いくつかのヘッドライトが署内駐車場に滑り込んできた。
どれも路面バス状の大きな車両で、サイドには県庁のロゴが。
志鶴が自嘲を不審に変えて様子を見つめ続けるなか、相当数の人員が車両から駆け出しては、やけに厳重なコンテナを人数分運び出していく。
あまりに不穏かつ不自然な光景に、
「……初恋の思い出ぐらい、ゆっくり浸らせてくれよ」
事情が一切不明ながら気持ち悪いのだが、胸の不快感を払ってくれたことだけは感謝できるなと、うそぶくのだった。
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