2:かつての『彼』と『彼女』
かつて『イーグル・バレット』は、苛烈果敢な性格とスタイルとは裏腹に、緊急の救助活動で名を馳せた魔法少女であった。
十歳でデビューした彼女は、『近くの小サイズの物体を掴み取る』という地味で使いどころの難しいギフトを授かり、反するように高いコモンを有したことから、閉所からの対象の救出や危険箇所への突入などで活躍。
花形である『悪の秘密結社』との対決においては、同期に全国区エースの『トゥインクル・スピカ』が存在するという不運があり、目立つことはなかったが、それでも組合や市民からの評価は高い組合員であった。
評価と人気の一端を表す、一つの記録がある。凛とした容姿とさばさばとした言動から女性人気が高かったことから『本所支部歴代バレンタインチョコ最多獲得』のホルダーであるのだ。彼女の在籍中は、組合事務員のお茶請け経費がゼロであったという、恐ろしい伝説も付随している。
花形ではない舞台で活躍していたイーグル・バレットだったが、その直情的な気質から、デビュー当初は失敗を重ねる問題児であった。
そんな彼女を支え、判断力、観察力を育んだのが、並び立っていた『ウェル・ラース』で、当時から魔法少女のフォローに定評を得ていた魔法使いだった。
彼は恵まれたギフトの代わりにコモンが平均値より低いという、少女とは真逆の能力バランス。また性格も相反していたのだが、いくつもの経験を重ねることで互いに信頼を築いていき、いずれ、誰もが名コンビと認めるほどとなっていた。
キャリアの絶頂の中、それでも、魔法少女には引退がある。
能力的に衰えを見せていなかったイーグル・バレットであったが、警察への就職という『次のステップ』に踏み出すことはごくごく自然な成り行きで、周囲の人間も曇りない祝福を以て見送ろうとしていた。
見送ろうと、していたのだ。
異変は、相棒からの一言の後に現れた。
「次の職場でも頑張って。私も、ここで頑張るから」
何の変哲もない、ただの激励。
けれども、一拍おいて涙がこぼれて。
二拍目に震える嗚咽が響いた。
三拍目で拳が『最強』の腹を捉え。
四拍目には顎から掴まれた組合長が、木製の壁を突き破っていた。
そのあとはトゥインクル・スピカ含む当時のメンバーを千切っては投げ、千切っては投げていくことになり、当事者たちは後に『組合待機所の改築が早まったのは、少なからずウェル・ラースに原因がある』と証言するのであった。
※
「つまり、居場所が壊れたというのは『教科で例えると物理』だったと?」
「初恋の顛末だぞ。せめて、文系に分類してくれねぇかな」
少女の眼鏡は、市内病院の待合室で、分厚い包帯を巻いた右手が勘弁を願って右左に振られるのを見せられていた。
高威力の銃弾を握り止めるという荒業の結果、新指・志鶴の血煙を巻き上げた手の平は無残なものになっていた。当初はジェントル・ササキと同様の魔法的治療を施す提案がされていたが、当人が組合へ赴くことを頑なに拒んだため、通常の病院での治療と相成ったのだ。
「それで、どうなったんでしょうか?」
「どうもこうも……肋骨が三本だったかな」
気遣って付き添っていた綾冶・文は『アクション映画のアクションシーン』が飛び交う恋物語を聞かされて、ずれていく眼鏡のポジションを見つけ出すのに、ひどく苦労させられることに。
ようやく落ち着くポイントを探り当てたところで、長椅子に並んで腰かける元魔法少女の吐息が耳に届いて、
「結局は、相棒に甘え散らかしてただけだよな、私が」
重い、混ぜ溶かそうにも水底に沈んで固まってしまった泥のような呟きが続く。
「自分でもはっきりしてない気持ちを、相棒は理解してくれているもんだと、疑うどころか意識もせずに信じ込んでいたんだ。で、お別れってタイミングでいろいろ気が付いて、泣いて暴れて『居場所』をぶっ壊しちまった」
物理の話ですか? と口を開きかけて、街の病院が『物理』される懸案に至ったため、相槌という対応に踏みとどまることができた。
遠い目をした志鶴の告白だが、ウェル・ラースの言葉や周囲の反応を見れば、壊れた原因を魔法使い側に置いてあることを文は知っている。このズレは、きっと卒業していく魔法少女に泥を付けないための措置だったのだろうが、彼女のわだかまりを膨らませただけのようだ。
「結婚したって聞いたときはなんでって思ったけど、引退するんだと思えば、まあ許せた。諦められた、ってのが正しいかな」
けど、
「平気なツラして魔法使いを続けてやがった。それを見たら『ならあの時に私でも良かったんじゃ』なんて、勝手なことを考えちまうんだよ」
己を嗤うように口元を緩める先達に、現役は胸を打つ痛みを覚える。
自分も、甘えっぱなしではないだろうか。
良い関係を築けているはずだけれども、あの人の苦境を分かち合えているだろうか。
居場所を守るため、一人で出向していったあの人の頑張りに、甘えてはいないだろうか。
当人に訊ねれば、大人の役割だから気にするな、と言うだろう。
文は、だけども、と思う。居場所を守るためなのに、自分は座して見ているだけじゃないだろうか、と。
レンズの奥で瞳が俯きに傾いていく。
「二人の居場所、なんて考えていたら私みたいにどっかで踏み違えるぞ?」
胸に渦巻いていた言葉が言い当てられ、弾かれるように顔をあげれば、
「どうしようもない甘えん坊になっちまうってんだ」
向きなおった志鶴が、陰濃く微笑んで、
「守るべきは『自分の居場所』だぞ? 『あの人の隣』にあるはずの、な」
思いもしていなかった独善を説いてきた。
あまりに身勝手な言い分だと思ったが、その通りでもあろうと考えてしまう。
取り留めない思索は不安をかき混ぜては薄めてくれるし、何より『先達』の言葉は溺れる己に道程を指し示してくれる。
思い、考え、不安……何もかも確かめるためには、
「……いま、すごく、佐々木さんに会いたいです」
すぐに隣に居ることができるのなら、プレゼントで用意した『お守り』は無用になるだろうけども、喜びのほうが勝るから。
「はは、その意気だ。何をするのかは知らんけど、アクションは大切だからな」
笑みから陰を払った志鶴が勢いをつけて、長椅子より立ち上がった。
「そろそろ行くか。私も、署に戻って確かめなきゃならないことが山積みなんだ」
私もです、と応えて少女は後を追う。
ウェル・ラースとイーグル・バレットの顛末を見聞きして育った不安は、膨らみを小さくなどしていない。
けれども、そんな暗雲を染める色づきは、少なからず明るくなってきていているのは間違いなかった。
※
曇りガラスの色合いは、崩れた天気と暮れた日とで、鈍いものになっていた。
「まあ、そんなこんなで私はひどく避けられてしまっていてね」
屋根を叩く遠い雨音を後ろに、彰示は『最強』の独白に耳を傾ける。
場所は、テイルケイプ本部からほど近いラーメン屋『show IN』のカウンター席。使い込まれた木目の上には、どんぶりが三つ並べられていた。
男二人は、反故になった焼肉を盾に無理矢理ついてきた万城・美岳の三人だ。
努の話が一旦の区切りがついたので、湯気たつ細麺を持ち上げた箸を止めた彰示は、不審を眉に刻んで顔を上げた。
「聞く限り、あなたに瑕疵はないように思うのですが」
「年頃の女の子の感情は難しいさ」
何にしろ、と繋いで、
「間違いなく、私は彼女の居場所を壊してしまったんだ。巣立っていく彼女の、何かあった時の拠り所を、ね。幸いなことに、今は刑事であることを居場所に出来ているようだから、私はそれを守ってあげたいんだよ」
微笑む口端は、匂い立つ湯気に隠れて寂しさのような影を潜ませていた。
滲んでしまった感情を誤魔化すようにどんぶりへ臨み始めた魔法使いを見つめて、彰示は己についてはどうだろうか、とスープに映る自分の顔を見つめ直す。
相棒となり直す綾冶・文の『居場所』は、どこにあるだろうか。
最近になってようやく自信をつけ始めた彼女にとって、組合は間違いなく自らの手で獲得しえた誇るべき居場所であるはずだ。
もし、そこが崩れてしまえば、どうなるだろか。
その時、自分は彼女を支えられるところに立って居られるだろうか。
「麺、のびちゃうッスよ」
スープまで飲み干した女子大生が、止まっていたこちらの手を促してきた。
確かに、と思索を打ち切って、細麺を持ち上げなおすと、
「けどッスね、居場所なんてどっかで変わっちゃうもんじゃないッスか? 変わらないにしても、いずれ離れちゃうもんッスよ」
ひどく当然な、一般論を浴びせてきた。
横目で様子を確かめれば、心底不機嫌そうなまなじりで、汚れた蓮華を見下ろしている。
「言葉に棘があるね、美岳さん」
「あ、すんません。腹がただ焼肉になってただけッス」
言い訳のような取り繕いだったから、そもそも、男二人の話に飽きていたのか、それとも気に入らないところがあったのだろう。
同じく棘を刺された努は、けれども、確かにと微笑むのだが、
「言うとおりだね。だからこそ、なるべく綺麗に巣立って行ってもらいたいし、出来うる限り、守っておきたいんだよ。大人としてはね」
「そんなもんすかね。自分は、よくわかんないッス」
言い聞かせた言葉は、懐疑の色が強いまま受け取られてしまい、それ以上の納得は引き出せない様。
双方の言い分に頷ける部分は多い。
けれども自分は、できうる限り建設的なスタンスでいることを望んでいる。
つまりは『最強』の考えに寄っており、これは、
「歳のせいなのかもなあ」
「え? 食が進んでないの、そういうことッスか? アタシ、貰うッスか?」
つい出てしまったネガティブな呟きだったが、思っていたよりも心持ちが悪くないことにひどく驚いて、けども同じぐらい嬉しくて、とりあえずどんぶりを美岳の前に押しやるのだった。
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