6:敵味方に分かれてもあいかわらずのギリギリ
東北の地方都市である本所市は、紛れもなく、疑う余地もなく、車社会だ。
冗談で『道路を造れる者が議員になる』と揶揄される程度には、自動車が必需品となっている。
だからこそ、
「ははは! 絶望を味わえ、民衆よ!」
駅前文化会館でスポーツ振興における全国規模の会合を終え、一息ついた夜の街で敢行された、テイルケイプの非道な作戦に誰もが慄くことになり、
「なんてことだ……!」
「こんなことをされては、もう車では……!」
「くそ、ジェントル・ササキめ……!」
市外、県外から足を運んでいる社会的地位高めのお歴々が睨む先には、総指揮を執っているポリ袋を被った新幹部の姿。
左手には、清水のように澄んだ波を湛える升を構え、右手には一升瓶を逆手に握り、
「この本所市の酒蔵が、県内にだけ卸している稀酒『夢の杭打ち』が、貴様たちの喉を狙っているぞ!」
「くそ! 代行なんか、捕まるのが何時になると思っているんだ!」
「次の電車は何時なんだ! ここは東北なんだぞ!」
「くそ、その……私はほら……運転手付きだから……!」
「抜け駆けが出たぞ! ブルジョアを吊るせ!」
革命が巻き起こりかけたが、
「ははは! よく聞け、民衆よ! 市内の宿泊施設は、ありったけを押さえてある!」
悪の秘密結社幹部の宣言に、囲む群衆の顔が恐怖を強く濃くし、
「加えて、繁華街はこの文化会館から目と鼻の先だぞ?」
戦闘員の皆さんが、ネオン煌びやかな路地へと誘導する案内看板を設置しているから、
「当然、ホテルまでの送迎も完備だ……!」
力ない民衆が、悪の策謀に屈するのは仕方がないことであった。
悪の、勝ち誇った笑いが夜の街に響き渡る。
「ははは! しっかりと列を作って、升を受け取るがいい! え、写真? いいですけど……あ、その子はバイトだから、許可取ってからにしてください!」
※
『見てください! なんて惨状なのでしょうか! 大の大人が路上でがばがば高級酒を呑んではおかわりを要求する、地獄のような状況です!』
「とんでもなく大規模な作戦ね。ジェントル・ササキの顔見せに合わせたのかしら」
湊・桐華は一人、組合に用意されたこぢんまりとした指令室で、鋭い瞳で報道の中継を確かめていた。
恐らく、大規模な会合が本所市で行われる、と決まった時から準備は進められていたのだろう。ならば、と予算や準備に思案を巡らせるとめまいがする思いだ。
おそらく、彼の急な引き抜きは今日のためであろう。
「おお、始まっていたかい」
ドアを開けて顔を覗かせるのは、初老ながら分厚く太い体を見せつける、この建物の責任者。
「組合長? 出張はどうしました?」
大瀑叉・龍号は、顎を撫でて、出迎えてくれたエースにお土産の包みを手渡しながら、
「いましがた帰ってきたところだよ。今日の作戦は規模が大きいからね」
「さすが『テイルケイプ頭領』ですね。向こうには行かなくてもいいのです?」
「明日、後片付けに顔を出すよ。今日はもう、出番はないだろうからな」
確かに、作戦は動き始めているのだから、もはや現場に託すしかないのは確かだ。
安物のパイプ椅子に腰かけるこちらの隣に立ち、並んで中継に目を向けたところで、
『そこまでです、テイルケイプ幹部、ジェントル・ササキ!』
「おお、ちょうどサイネリア・ファニーが駆け付けたか」
「ここからが本番ですね」
「ああ。さて、ジェントル・ササキの『悪の魔法使いとしてのドクトリン』を見させてもらおうじゃないか」
腕を組んで悠然と構える組合長に、しかし桐華は、
……さすがに、経験豊かでも緊張するのね、この状況じゃあ。
その腕が震えて噛み合わない様を、横目で見咎めていた。
気持ちは、痛いほどわかる。
なぜなら、悪と正義の対峙するこの状況が順当に推移していけば、
……女子高生のこめかみに、酒瓶の底が『フレンチキッス』する可能性が高いのよね。
思慕を寄せる相手である。
なるべく肯定的な言葉を探してはみたのだが『事案を越えて事件』という落着点が最も穏当であることに、小さな胸が震えてしまうのだった。
※
状況は、瞬発で加速していた。
サイネリア・ファニーの登場と同時にジェントル・ササキが前屈みになり、状況が進むにつれてその『深度』は深まっていく。
「どうして……どうしてそんなことに、なってしまっているんですか!」
「胸を張れ、サイネリア・ファニー! 七割方は君の仕業だ!」
「改めて聞きたい言葉ではないですよ!」
少女は、緊張していた現場で、認めたくない事実を突き付けられていた。
いつも通り酔っ払いによる円形の戦場が形成され、戦闘員三人と対峙することに。傍らには、新たな相棒の白マントが翻っている。
取り囲む市外から訪れていた野次馬の皆さんは、
「おいおいおい。とんでもないな、本所市ってのは! けしからん!」
「悪も正義も溢れんばかりじゃないか! けしからん!」
「毎日、こんなものが『暴動』しているのか! けしからん!」
升を片手に前屈みに。
「あ、あのラースさん? まだ、魔法は使わなくても……」
「私は何もしていないよ? 現状の手柄は、君とテイルケイプの彼女で折半のはずだ」
認めたくない事実が追い打ってきた。。
さらに追い打ちをかけるよう、対峙する元相棒が見たこともない尊大な態度で、
「どうした、サイネリア・ファニー! 睨み合ったままでは『出撃間際に自分も一緒にいくと暴れだしたから意識を刈り取っておいたMEGU』が目を覚ますぞ! ちなみに、うちは人手不足だから、止められる人間は拠点にいない! あ、おかわりですか? 申し訳ありませんが、並び直していただければ……」
一人で右往左往して群衆に酒を振る舞いながら、恐ろしい脅し文句を投げ込んでくる。
「これ以上の援軍は避けたいところだね」
「確かにその通りですけど、たぶん向こうも恐れていますからね、その援軍」
状況を混迷させるだけで、今以上に進展しなくなるのは、両勢力ともに避けたいはず。
ウェル・ラースは、確かに、と笑って『得物』を構え、
「ジェントル・ササキ! 君が出てきたまえ! 戦闘員では荷が重いだろう!」
……なるほど、上手い。
現況の混乱を避けるために、人数の多い戦闘員を雑務に回すよう誘導したのだ。さらに、現場の責任者が前に出てくるから状況の進展は早まる。
……これがベテランの力なんですね。
対応力というか、アドリブ力が桁違いだ。対峙している元相棒も解決能力は高いが、不足している点である。
……思えば、テラコッタ・レディさんには、相当助けられていたんですね。
あとでお礼を言わなければ、と決めたところで、件の魔法使いが前線に出てきていた。
相変わらずのポリ袋(まだ返り血はついていない)で表情はわからないが、なんだか安堵している様子が伝わってくる。
「いいのか。俺が前に出るということは、切り札を切るのと同義だぞ」
威圧するように、手にしていた升に酒を継ぎ足すと、
「こちらには人質がいるんだ!」
腰に抱き着く静ヶ原・澪利の『満喫している無表情』な口元に注ぎ込んでいた。
※
湊・桐華は、傍らの組合長の黒目が、ぐるりとひっくり返るのを目撃してしまった。
「湊くん……そういえば、今日のオペレート担当は誰かな?」
それでも事実確認を怠らないのは、プロ意識の成せる業か、もしくはこれ以上の被害が想像できるゆえの焦燥感からなのか。
とにかく、事実を告げねばならぬと、
「あそこにいる静ヶ原さんですよ」
「おかしくない? なんで担当者がテレビの向こうで、ガバガバお酒呑んでるの?」
「作戦の全容が見えた時点で『高いお酒をササキさんのお酌で……おっと失礼しました』とかじゅるじゅるいいながら走って出ていきましたよ」
「魔法少女の業務じゃないからね、強くは言えないんだけどね、どうして止めてくれなかったのかな?」
組合長の言いたいことはわかる。
けれど、
「我が身がかわいいこと、組合長にもあるでしょう?」
無表情が『よだれを拭きながらの覚悟を決めた無表情』に変わった瞬間を見てしまっては、命の危機を悟ってしまうのも致し方ないのだ。
手にワンカップも握っていたし。
※
サイネリア・ファニーは息を呑む。
最近、世界の速度が速すぎる。
こちらを振り落とそうと、高速に、挙句に蛇行を繰り返してくるのだ。
「くそ、どこまでも外道に堕ちるか、ジェントル・ササキ!」
……ほら、また世界がギアを上げましたよ。
「ふふ、この人質は際限なく呑み続けるぞ! 彼女の肝臓が惜しければ、尻尾を巻いて逃げ帰……なんですか静ヶ原さん、いま良いところなんで……おかわり? あー……瓶を預けるんで……手酌は嫌だ? はいはい……」
かいがいしく酌をする幹部の姿に、
「なんて立派な青年なんだ……こんな苦境で、自分の役割を必死に……」
「うちの街の秘密結社にも、ああいう若者がいてくれれば……」
「彼が用意した酒だ。存分に楽しませてもらおうじゃないか……乾杯!」
おっさんたちから、二人へほっこりとした視線が注がれており、
……このカーブ、ちょっと『R』がキツすぎません?
「これ以上の人質への暴行は許されることじゃないぞ!」
ウェル・ラースの太い叫びに、我に返る。
我が身の理不尽を、人質と名付けられたものに抗議の目線に混ぜ込んでぶつけやると、升を傾けながら冷汗を滝にして視線を逸らすから、
「ラースさん! あの人質、自分のしていることをわかっていますよ!」
「なんだって⁉ なおさら早く解放しないと、彼女の健康が危ない!」
駄目だ……! 状況の速度が速すぎて、置いて行かれています……!
「大丈夫だ。彼の弱点はわかっているからね」
そうですね……あの人、いつも公言していますからね『童貞の弱点』を……
元相棒への信頼とは別に、辛い気持ちが沸き立つものだから目を伏せると、
「彼のスタイルは、強力な『コモン』……つまり身体能力を駆使した近接戦闘だ。人質を取った状態では生かしきれないはず。それに『処女の心拍数を上昇させる』というギフト『処女殺し』も、この現場で影響を及ぼすのは君だけだしね」
「え?」
思わず顔を上げて、怪訝に眉をひそめると、
「え?」
やはり怪訝な顔をした現相棒が、振り返るように覗き込んでいる。
つまり、結論はこうだ。
サイネリア・ファニー自身も、重篤に『罹患』しており、
「あの腰に抱き着いている『職場放棄してご満悦』の職員さんと、同じような目で見られているということですか……⁉」
周囲の生暖かい視線は是であり、
「下を向くのか、サイネリア・ファニー! 胸を張って悪と対峙しろ! それだけで、俺の『主砲は仰角イッパイ』だぞ!」
相対する悪の魔法使いから『自分と彼と、罹患者である組合エースが想定していた弱点』が追い打たれたから、抗う術などなくて、無力感に腰から崩れ落ちてしまった。
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