6:後悔なんかしないように
綾冶・文は、交通事故に巻き込まれたことがある。
十四歳の時、学校帰りの通学路。
横断歩道の途中に、信号無視の乗用車が交差点に突っ込んできたのだ。
車は、文をかすめながら交差点に進入し、腰を抜かした文を顧みることなく左折。
続いて、パトカーが違反車を追い、文のすぐ目の前を走り去っていく。座りこんだ少女には気付かない様子で、サイレンを叫ばせながら。
残された文は、ショックで身動きできなくなってしまった。
車両の列に取り囲まれたような恐怖を覚え、そこに一人で座りこんだまま動けないというのは、さらに恐ろしさを煽られた。
鮮明に覚えているのは、信号の色が変わったこと。
その瞬間に少女は抱きあげられて、宙を舞うような跳躍で、目的地だった横断歩道の向こうへ下ろされた。
……大丈夫だったかな?
助けてくれた彼女は、落ち着かせるよう微笑んでくれて、ようやく文も自分の足を地に着くことができたのだ。
少女はすぐにわかった。
目の前の人が、魔法少女であることを。
少女はすぐに思った。
自分も、困っている誰か助けられるような人になりたい、と。
※
「そのあと、すぐに魔法少女になれて、その方ともお会いできまして」
すでに、ササキたちは足場の天辺に到着し、一つ目の補修にかかっていた。
思い出話に、知らず知らずなのか、首に回る文の腕に力が込められている。
「それで、会えた時に言われたんです。私はもうすぐ引退だから代わりに立派な魔法少女になってね、って」
「なるほど」
それが、彼女の理由。
おそらくは新人へのリップサービスだったのだが、文は『約束』にしてしまったのだ。
預けられた『約束』を果たさないと『サイネリア・ファニー』という仮面に区切りをつけられなくなっている。
……不器用だなあ。
そして、真面目だ。
自分が彼女と同じくらいの時はどうだったろうか。
……ヤンキー殴ったり、暴走族殴ったり、悪徳販売員殴ったり、電柱殴ったり。
不真面目極まりない。
そんな『まともとは言い難い』自分が、彼女にできることは、
「頑張ろう。俺も、立派な魔法使いになるからさ」
こちらも『約束』を預かろう。
彼女を助けた『立派な魔法少女』と、同じ『約束』をやりとりすることで、少しは『立派な魔法少女』に近づくことができるのではないか。
どうだろうか、と反応をうかがうと、
「……はい。ありがとうございます」
首に回った両の腕がさらに、すがるように力が込められる。
彰示は、限界がここであることを悟った。
体を、腰から折り曲げる。
「……どうしました、ササキさん?」
「俺は、童貞だ。今年で三十の」
「あ、はい。魔法使いですからね……けど、そんな確かめなくても……」
「うん。けどね……君みたいな可愛い子がおっぱい押しつけてしかもそのおっぱいは確か衣装の構造の関係からノーブラのはずでつまり血圧あがりますよねおっぱいだもの」
つまり『前屈み』やむなし。
「ふあ!? ちょ、す、すいません! 離れますから!」
「あ、だめ! 暴れたら、いろいろ背中に当たって『ブツは仰角、俺は俯角』になっちゃうから! それ以前に……!」
自分の意思ではない体重移動は、
「足場が崩れる!」
ぴたりと、顔を青くしたサイネリア・ファニーが動きを止める。
が、ササキの足元は軋む鳴き声を上げて、
「急いで!」
「はい!」
サイネリア・ファニーが『ギフト』を振るう。
ひとまず、足元の揺らぎは収まったが、
「下に伝播しています!」
確かめるなり、ササキは落ちるように飛んだ。
「ペースを上げる!」
返事はないが、それだけ集中しているのだろう。
……こんなくだらないミスで評価を落としていては『立派』ではないからなあ。
自分としては、評価は構わないのだが、下には自分が呼び招いた救助隊がいる。彼らに責任を持たなければならない。
思いながら、次の段に着地。
接地にかかる力を、膝、腰、肩と逃がしていき、足裏で安定感を量る。
一連の作業を終えて、パイプの固定に入っていたのだが、
「終わっています! 次に!」
こちらが顔を上げるより前に、完了の声。
驚くが、表に出す暇もなく、魔法使いは飛ぶ。
同時、足場とすべく目指した単管パイプが、自重に傾いだのが見えた。
自分たちの着地点は別に探せばいいが、パイプが落下し他の箇所に当たったりしたなら、連鎖を起こして崩れ、金属の雨が救助隊とトラックに降りかかるだろう。
パイプの接合部までは、目算で三メートル。
魔法使いは、毒づく。
……まずい。
※
こちらは落下中。
対象物は『ギフト』の影響範囲外。
接近したくとも、そもそも着地が不可能。
……良くありませんよ!
思わず、手を伸ばす。
届くはずなんかないのに。
それでも届かせなければならないから。
ササキが顎をわずかに上げて、こちらの指先を確かめると、瞬間、尻を支えていた両手が離され、勢いよく体をスピン。
首に掛けていた腕を取り、遠心力のまま、魔法少女の体を放りだす。
手を取られているとはいえ、地上十五メートル以上で宙に投げ出された少女は、
……大丈夫です!
目的意識のためか、相棒への信頼なのか。
判然としないが、驚きも恐怖も、その瞳には映っていない。
二人が手をつなぎ、体を伸ばして、外れかけたパイプを押さえる金具へ手を伸ばせば、
「足りない!」
しかし、ササキが叫ぶ。
あと、五十センチが足りない。
遠心力のおかげで、サイネリア・ファニーは接近できたが、逆に遠心力のせいで、魔法使いの体は逆方向に振られてしまっていたのだ。
懸命に、懸命に、届くことを願って手を伸ばして、
「どうか……!」
祈るように願うように、胸の奥から言葉をこぼす。
※
単管パイプが、ぐるりと回転を始めて、接合金具に収まっていった。
まるで、少女の言葉に応じるように。
※
「ボルト!」
呆けていると、厳しい声が飛ぶ。
慌てて『ギフト』を使えば、まるで問題なくボルトが締め付けられていく。
途端、腕が引かれて、ササキの胸と腕にこの身が収められた。
「あ、あの!」
「この状態じゃ、パイプに着地は無理だ! 一度下まで降りる!」
状況の推移が、彼の中では一番なのだろう。
だけど、伝えたい。空気が読めないと思われたって、構わない。
「範囲が広がって……魔法が強くなっているんです!」
自由落下の中、相棒は驚いたようにわずかに動きを止め、それから優しく頷いてくれた。
「どうしてですか!? 私くらいの年齢だと、劣化はあっても伸長はないはずなのに!」
彼の腰に回した腕に力が入る。
「きっと、ササキさんのおかげです! 今まで、こんなこと一度もなかったのに!」
胸に収まらない剥き出しの興奮をぶつければ、彼は小さく首を振って、
「俺が、理由の一つかもしれないけどね。この現状は、君が頑張ったからだよ」
意外な言葉に、少女は眼を丸くする。
「諦めずに頑張っていたから、俺と出会えた。
諦めずに頑張っていたから、支部長は俺を君に紹介した。
諦めずに頑張ってきたから、今の君があるんだよ」
こんなにも。
こんなにも『認める』言葉が染みるのは、初めてだ。
声が喉に詰まって、ありがとうが上手く言えない。
彼を抱く腕を強くして、言葉の代わりにする。
躊躇いはない。
この胸のドキドキは、きっと、
「だから、もっと頑張ろう。『後悔』なんかしないようにね」
きっと自分の可能性にだけ、向けられているわけではないから。
※
「あれがササキくんの『ギフト』だろうかね?」
支部長は、真剣な眼差しでモニターを見つめていた。
明らかに、サイネリア・ファニーの能力範囲から外れていたパイプが固定されていた。
魔法少女や魔法使いはメンタル面の上がり下がりやコンディションで、その能力が上下するものではあるのだが、効果範囲が倍増となると誤差の範囲を越える。
「確証はありませんが、可能性はあります」
ふむ、と声を追えば、
「……静ヶ原くん。どうして、ワンカップの封が切られているんだね?」
「ちょっと、モニターの二人を見ていたら震えがきまして。そんなことより、昼に『乙女座の凍涙』を使ったんですが」
「いや君、勤務中……」
「普段より調子が良かったんですよね。ササキさんが原因で魔法が強化されたとしたら、間違いではないのかもしれません」
……この子の飲酒に関しては、ちょっともう、どうにもならんかな。『コモン』を使って肝機能強化までしてるぐらいだしなぁ。
澪利についてはともかく、
「明日にでも検査をお願いしよう」
「早い方が良いですが、明後日以降がお勧めですね」
「うん? なぜだい?」
澪利が、ワンカップ片手にモニターを指さすと、
「今から病院で精密検査でしょうから」
ササキが頭からアスファルトに激突していた。
支部長は『なんで?』と目を剥くが、
「サイネリア・ファニーが姿勢制御の邪魔をしていますからね。あの胸と尻で」
「……その辺を注意してあげるのが、オペレーターの仕事じゃあないかい?」
「わわわたしししにむむむむねのはははははなししししをさせせせせるるつもりりりで?」
何を『フラッシュバック』したのか、震えはワンカップ二本が空くまで収まることはなかった。
その間に現場の状況も進行しており、
『目を覚ましてください、佐々木さん! 救急の皆さん、助けてください!』
『サイネリア・ファニー! 頭を打っているから、胸でバウンドさせちゃダメだ!』
『サイネリア・ファニー! 気道を確保するから、顔面を胸で圧迫しちゃダメだ!』
『サイネリア・ファニー! ヤっていいなら俺が、俺たちがヤるから君はダメだ!』
なんかポリ袋に血が溜まっているように見えたが、ちょっと疲れちゃった組合長は『まあ明日考えよう……』なんて具合でモニターの電源を落とす。
全ての固定電話が他愛ない苦情を伝えるために一斉に鳴りはじめたが、もうなにもかも明日考えることにしたので、
「……じゃ帰ろうか、静ヶ原君」
携帯電話の電源は落として、本所支部の本日の業務は終了となった。
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