4:誰にだって過去はある
喫茶『さぎまい』は、駅前の大通りから小路に入った先にある、昔ながらの軽食店だ。
白い外壁には汚れや欠けが見えるため年季を感じられるのだが、内装は数年前のリフォームのおかげで板張りのお洒落な隠れ家スペースとなっている。
「こんなお店、あったんですね」
「いいでしょ? 店長の娘さんが『グローリー・トパーズ』のファンなもので、最近はかわいい感じになってきたんだけど」
テーブルの端に座りこむ、本所支部エースを模したお手製の毛糸人形をつつきながら、彰示は笑う。組合を出てから頬を強張らせ続けていた文が、口元を柔らかくするのを見て、少し懸念が和らいだのだ。
食前に用意してもらったコーヒーに口をつけて、一息つくと、
「あ、の……」
不安げな文が、先手を打ってきた。
※
店の中は、昼時だというのに客の姿はまばらだった。
ビジネス街の食事処なのだから、休日はこんなものなのかもしれない。
けれどそれは、声が通る、ということ。
魔法少女や魔法使いの、正体を隠さなければならない二人にとっては、言葉を選ぶ必要があるのだ。
「佐々木さんは……私に不満はないんでしょうか?」
固くなっていた口元は、相棒の気遣いで柔らかくしてもらえた。
言い難い、確かめたくない言葉も、信頼している人だからこそ訊ねることができた。
しかし、
「不満?」
きょとんと目を丸くされ、ゆっくりとカップが置かれる。
少し視線が泳ぎ、思索を巡らせると、
「しいて言うなら、文さんが何を着ていても俺の『有機的な問題を誘発させて前屈み』にさせることくらいかな。
特に学校帰りの制服姿は『きょういてき』なアンバランスさがアダルトビ……」
「佐々木さん! ここ、馴染みの店なんですよね!?」
「逆に、君は俺に不満はないの?」
「……しいて言うなら、今みたいな『頭のおかしいところ』です……」
※
「湊さんが言っていたように、佐々木さんの能力は私には勿体ないくらいなんです」
控え目に言って、自分は落ちこぼれだ。
元々の能力が低く『ギフト』も役立たず。現在至っては、経年による低下まで見られるようになってきた。
「佐々木さんは『ギフト』は不明ですけど『コモン』は各項目で平均を上回っていますし、なにより問題を解決する能力が凄いじゃないですか。
私みたいな失敗ばかりで、先もない相棒だと申し訳なくて……」
自分で言っていて情けなくなるが、事実だし、本心。
言葉を受けた相棒は瞳の光を強めて、まっすぐに見つめてくる。逃げるように俯いて、ずれた眼鏡を直しながら、もう少し深く俯く。
彼女と彼は口を閉じ直すと、厨房の調理の音だけが店に響いて、三呼吸目で、
「俺とのコンビを解消して、それから綾冶さんはどうするつもり?」
声から色を消した、彰示が口を開く。
……怒っていますか?
抑揚のない声の波に、不安を煽られながらも、
「それは、その、新しいパートナーを待ちながら、それまでは一人でがんばります。これまでも、よくあったことですから」
今まで何度もあった。
だから大丈夫なのだと、彼に伝えたかった。
けれども、彼はそれを良しとしなかった。
「新しい相棒が、これまでの連中と同類だったら? 逆に、今みたいに君が遠慮するほど、能力が高かったなら?」
「それは……」
「そもそも、君が満足できる新しい相棒は、君の望みを叶えることはできるのかい?」
※
綾冶・文は『魔法少女であること』に強い執着を見せている。
出会った数日でわかったことだし、今の会話からも読み取ることができる。
能力が不足していることに劣等感を抱きながらも、諦めることなく劣化の始まる年齢まで活動を続け、コンビを解消したなら『引退』ではなく『傷つくことがわかりながら前に進むこと』を選ぶのだ。
正直『この年齢の少女にしては狂っている』と思う。
……人のことを『頭おかしい』とかいうくせになぁ。
彼女の望みはわからない。だが、おどおどと気弱な素振りに垣間見せる『執念』が、彰示には好ましかった。
何者に阻まれようとも構わない『覚悟』。
まっさらな『情熱』。
だからこそ、ここで『撃ち抜いておく』必要がある。
彼女自身に、確かめさせるためにも。
※
「満足する相棒を待てるほど、時間的な猶予はあるのかい?」
「…………」
「君一人だけで、その目指す場所に辿りつけるのかい?」
「…………」
「その場所に辿り着けなかったときに後悔はしないかい?」
「…………」
「後悔しないといえるほど、君は最善を尽くしているかい?」
「…………」
「それとも、君の望みは後悔しない程度のものなのかい?」
※
彰示が手洗いのために席を立って、文は一人、うなだれてテーブルを見つめていた。
自分でもわかるほど泣きそうになっているから、眼鏡の奥に瞳を隠しこみながら。
確かに、自分には望みがある。厳しい現実に逆らうよう、魔法少女を続けているのは、その望みを叶えるため、
……約束を守るためなんです。
口にするのも憚られるような、極めて個人的な望み。これを理由に、誰か他の人を巻き込むのは申し訳なくて、一度も口にしたことはない。
しかし相棒が強く言い放ったように、現状はギリギリ。能力、そして何より時間の限界。
……私は、後悔してしまうんですか?
わからない。
だけれども、自分とコンビを組んでいては、彰示に迷惑をかけるのは違いない。
……恨まれたり、疎ましく思われたりするのは、堪えられませんよ……
思考が、一回りする。
と、
「はい、特製オムライスになりまぁす」
厨房に立っていた女性が、テーブルに深皿を置いた。
湯気立つオムライスにはデミグラスソースが波々と注がれている。ビーフシチューにオムライスを浮かべたような状態で、見たことのない形状だが、食欲を刺激するにはこれ以上ない匂いを立ち込めさせている。
「あ、ありがとうございます……あ、れ? あの……」
ただし、皿は一つ。
同じ物を頼んだはずの、彰示の分がない。
「もう一つはね、キャンセル。さっき店を出たよ? お代は貰ってるから、ごゆっくり」
垂れがちのしかし視線が強い女性は、にっこり笑って文に手を振って見せる。
「佐々木さん、帰ったんですか!?」
「あー、そんな顔しないでよ。伝言、預かってるから」
「え?」
「よく考えて、後で答えを教えてくれ。そうしたならどんな答えでも尊重する、だって」
考える時間を、くれたのか。
また見限られてしまったのかと怯えたが、安堵で胸が上下する。
確かに、目の前に彰示がいては、彼に解答の導きを頼ってしまうだろう。相棒は、それを良しとしなかったのだ。
けれども、その気遣いが、今は心細い。
オムライスを前に、また、視線が下がる。
すると、先ほどまで彰示が座っていた席に、腰が下ろされる気配があり、
「それであなた、センパイとどういう関係なわけ?」
柔かく笑う店員の女性が、向かいあって腰かけていた。
「どういうって……センパイ?」
「うん? うん、高校の先輩後輩。センパイ、うちでバイトしてたんだよ、昔ね」
「え、あ、じゃあ店長さんて……」
「バイトの時はお父さんだったけどね。今は私よ」
「そうなんですか……馴染みのお店だってしか、教えてもらってなくて……」
「まあ、あの人らしい、っちゃらしいね。無駄を省きすぎる、というか」
大人の言い回しだなあ、と感心。自分だと『頭おかしい』と言ってしまうところだ。
「それで、どういう関係なの? 警察に通報は必要?」
「ど、どういう関係を想定しているんですか!」
「……いや、三十歳の独身男と女子高生が、日曜昼間の人気のない喫茶店で、痴話ゲンカらしき状況って、もうダメな要素しかないけど……ありていに言うとえんこ……」
「言わなくていいです!」
……なんだか、佐々木さんに似てますね……
先輩後輩、だからだろうか。
「で?」
「その、説明しづらいんですけど、仕事の関係で最近一緒になったんです」
「仕事? センパイ、ミナト工業じゃなかった? あなた、高校生でしょ?」
「ええ、まあ色々と……それで、私が不甲斐ない物で、相談に乗ってもらってたんです」
濁して伝えたが、相手は「ふうん」と『とりあえずの納得』を見せてくれた。
面倒なことを深く追求しない大人の作法に、感謝をしながら、
「それで、まあ、怒らせてしまったようで……」
「あ、それ違うよ」
「え?」
「あの人、怒ると『解決に向かって最短距離をいく』から。『議論なら極論を並べていって多数決で決める』し『殴ってその場が解決するなら全力で殴り飛ばす』というか」
出会って二週間も経っていないのだが、自分の持つ人物像がわりと正確だったことが、ちょっとうれしい。
「で、後で答えを聞かせて、って言ったんだから、怒ってるわけじゃないよ」
「そう、ですか……?」
にしては、今までになく声音が厳しく聞こえたのだが。
「たぶんね、あなたみたいな若い子に、後悔をしてほしくないんだよ」
※
喫茶『さぎまい』の店長が言うには、彼は後悔を抱いているのだという。
佐々木・彰示は、地元高校を卒業後に県外の大学へ進学。しかし、高校時代からの両親との確執がそのままだったため、ほぼ家元から逃げ出したような状況だった。
状況が改善しないまま、大学三年の夏に両親が事故で死亡。
当時十歳だった妹の世話もあり、大学は中退となって帰郷、知人のつてでミナト工業への途中入社を漕ぎつげ、現在に至る。
今でも時折、彰示は呟くのだそうだ。
両親と和解できていれば。
大学中退も、上手く立ちまわれたなら。
「大学在学中にもいろいろあったらしいけど、その辺は詳しく教えてくれなくてね」
店長は垂れがちな目で自分の指先を見つめながら、確かめるようにゆっくりと語ってくれた。
その仕草は、自身の後悔を噛みしめるようにも見えてしまって、
「店長さんは、彰示さんのこと……」
「うん? ああ、あの時に支えてあげられたなら、って後悔はしている」
視線は、薬指の輪へ。
「もう折り合いは付け終わった話よ」
「……そうですか」
「だけど、折り合いを付けるのは、すごく大変なことなんだから」
深く陰る笑みは、大人の特権なのか。
「センパイ、あなたの後悔は大きいだろうと、そう思ったみたいね」
「そう、ですか?」
「種類があるんだ。『やればよかった』って後悔と『やらなければよかった』っていう後悔。そして、もうひとつ」
「え?」
「『ああしたかったのに』……一番に大きい後悔だね」
前二つは、選択の失敗で、後者は努力の不足。
確かに、一番に後悔としては深く、
「センパイや私と同じ種類」
「……佐々木さん、私が将来同じ思いをするだろう、って考えてるんですね」
かもね、と店長は立ちあがると、
「オムライス、温めなおしてあげるよ」
気づけば、湯気はほとんどなくなっていて、
「あ、ありがとうございます。その……ちゃんと考えて、佐々木さんとお話してみます!」
立ちあがって頭を下げると、彼女は微笑んで手招き。
「カウンターにおいで。昔の話をしてあげるよ」
「佐々木さんの学生時代の話ですか?」
「そうだねぇ。大迫力冒険活劇『金属バット一本で悪徳商法事務所壊滅事件』と、手に汗握る追跡劇『ママチャリ一つで暴走族集会殲滅事件』のどっちがいい?」
「どっちも指摘部分が三か所ほどあるんですが、とりあえずどこまで真実なんですか!?」
「そんなことばっかしてたから、親御さんと不仲だったんだよねぇ……」
「そんな笑い話にしづらい状況証拠を持ち出されても、困ります!」
温め直してもらったオムライスはすごくおいしくて、熱が胸によく沁みた。
きっと、自分の秘めていた想いを、彼へ伝える決心に、あいまっているのだろう。
余談だが、昔話はなるべく穏当な物を選んでもらったのだが、それでも『原チャリ三台が空を飛ん』で『色々あって彰示が電柱を折った』りしていた。
さらに余談だが、後日に、これらの事実確認を当の『被疑者』に行ったところ『俺は悪くない』という犯行の全面的な肯定を得られたため、文は『自首』と『出頭』と『時効』について少しだけ詳しくなってしまった。
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