2:ギフト
綾冶・文が、佐々木・彰示と正式なパートナーとなってから、一週間が過ぎていた。
これまで数度の出動を重ねており、その全てが『成功』の評価を受けている。
けれども文の表情は、春の午前中には似合わない、暗く沈んだものだった。
組合のウッドテーブルが並ぶ休憩スペースには、今の少女には眩しいほどの光が満ちている。日曜の午前、自分たち以外に誰もいない、程度のことが救いに思えるほどに。
普段から伏し目がちなのだが、なおさら沈めこんでいる理由は、一つ。
向かいあって座る、書類をめくっている相棒と、不甲斐ない自分についてだ。
佐々木・彰示、なし崩しにジェントル・ササキと呼ばれる魔法使いの、問題の処理能力が異常に高いことを、この一週間で思い知らされた。
確かに、初対面で感じた『手段を選ばないヤバい奴』という印象はそのままだが、彼の判断や行動力が『成功』につながっているのは疑いようがなかった。
対して、自分は?
忘れ物や、判断ミスが多くて、彰示に迷惑をかけている状況だ。
大人と子供の差、では説明できない。
……私が、他の人より劣っているのかもしれません。
湧きあがる不安が、少女の表情を暗くしていた。
自身を否定する、そんな黒々とした思いを持て余していると、
「つまり、俺は魔法を使えない、ってことですか?」
書類の耳を揃えた自分の相棒が、夕飯の献立を確認するようにあっさりと問いかけた。
※
「正確には、どのような魔法か確認できなかった、です」
元無口クールらしく、静ヶ原・澪利は魔法使いの言葉を正確に訂正した。
「その書類は、三日前に県組合の本部で検査してもらった結果です。魔法が発生していることは間違いないのですが『現象』を確認できなかった、とのことです」
本所支部に封書で送られてきた調査結果を、日曜に直接手渡すのには、理由がある。
……休みの予定が男の人との、これは、その、デートで構いませんか?
約束通り組合に現れた彰示が、文と一緒だったのは計算違いだったが、
……大丈夫です、彼の隣の席はいただきましたから。
書類を指さす際に体を密着させたり、アピールは十分だ。
「だけど、書類には『使用に値するかは不明』と」
「良くあることです。この際ですから、魔法について説明しておきましょう」
彰示から書類を受け取り、数枚をめくると、グラフのついたページを示し、
「魔法の力には大きく二つの種別があり、一つは『コモン』。肉体強化や感覚鋭化という『程度には個人差があるが、誰もが持つ魔法』になります。
佐々木さんは『コモン』に関しては平均を大きく上回っていますね」
データに詳しい者ならば、全ての項目で平均を越えるというデータが十年に一人の希少なケースだとわかるのだが、相手は新人のうえ、カタログスペックよりも解決能力に重きを置くタイプのヤバい奴だから、
「へぇ。凄いですね。それで、もう一つは? それが、問題なんですけど」
現状のスペックの過多より、手段の数の方が重要なのだ。
「名称は『ギフト』。いわゆる世の人が言う魔法ですね」
※
澪利の両手の中で、缶コーヒーがその表面に結露を浮かばせた。
彰示が口をつけると、確かに、自販機から取り出した直後のような冷たさだ。
「これが私の『乙女座の凍涙』になります。全盛期であれば、触れるだけでペットボトルを瞬間凍結できました。今はせいぜい保冷程度なのですが……今日は、調子が良いですね」
世間一般には『ギフト』こそ魔法であり、『コモン』は認識されていないことすらある。
「この『ギフト』は千差万別で、しかし、ほぼ全ての魔法を扱う者に備わります」
「ほぼ?」
「例外もあるのです。その場合、さきの『魔法の発生』や『効果の流動』そのものが感知されません。つまり、佐々木さんには『ギフト』があるのは間違いありません」
とはいえ、魔法使いは眉を歪めながら首を傾げる。
効果がわからなければ、それは無いも同然だ。
自分は新人で、ここまで大人の見識で現場を誤魔化してきたが、誤魔化しにすぎない。この先のことを考えると、相棒に負担を強いることになる。
ちら、と向かい合う文を見やる。
俯きがちで、眼鏡が瞳を隠してしまっている。
彼女は受験生で、塾に通い、夜勤の魔法少女と、自分であれば目が回るほど多忙なのだ。激務をしっかりとこなしている彼女に、自分は敬意を払っている。
それなのに。
せっかくの日曜に、無理を言って付き合ってもらった結果がこれでは、落胆も仕方ない。
申しわけないな、と思いながら、ふと思う。
「そういえば、綾冶さんの『ギフト』って何です? 俺、まだ知らないですよね」
俯いていた少女が、ぴくり、と肩を揺らした。
どうにも、隠しておきたいことに触れられてしまったかのように。
※
期待しないでくださいね、と前置きをして披露した『ギフト』は、
「これだけ、なんです」
Aの穴に対して、径や溝切りの関係なく、Bを螺旋回転させながら挿入出するというもの。
実例として、彰示が親指と人差し指で作った輪に、鉛筆を出し入れして見せると、
「…………」
結果は沈黙で応えられた。
澪利はこの能力を知っているから、反応が薄いのは当然だ。
しかし、相棒の魔法使いは、
……呆れて、ますよね?
自嘲にも近い問いを、言葉にして確認することをためらうほど、自分自身に嫌悪を抱く。
実際、魔法少女となってから今まで、役に立ったことなどない『ギフト』なのだ。
これだけでなく『コモン』の各項目も、自分は平均を下回っている。魔法使いと違って魔法少女は年齢的な劣化もあるため、この先の成長にも期待が持てない。
今までの相棒に、さんざん指摘された部分だ。
「あの、彰示さん……私、慣れてますから、正直に言ってもらって大丈夫ですよ?」
「え? ああ、正直に、ね?」
少しだが、彼の顔が青ざめている。覚悟はしていたが、
……それほど、期待外れだったんでしょうか。
鉛筆を指先でいじりながら、うつむいてしまう。
そうなると、彼の言葉を額で受けるような形となり、
「気分を害したら謝るけれど、正直に言いますよ?」
押されるように視線が落ちていく。
続いて額で受けた言葉は、
「こんな『ヤバい魔法』を持っていて、なんで、鉄パイプで殴る程度の俺を叱るんだ!?」
「文さんの『ギフト』のヤバさは、径が関係ないところですね」
「……はぇ!?」
顎を上げるのに、十分だった。驚きの顔で、二人の顔を交互に見やる。
まず、少女のような組合職員が、
「つまり、気分によって太さを変えられる、ということです。
さらに強制的な抜き差しなので、B側の形状に、強度問題さえクリアすれば無茶が効きます。そこに、挿入出と回転速度の制御が可能とくれば、現行品など過去の遺物。
ぜひ、人恋しい寂しい金曜の夜辺りにお願いしたいですね」
「……あの、静ヶ原さん?」
「はい。なんでしょうか?」
「……それは、一体なんの話でしょうか?」
沈黙し、隣に座る彰示と視線を交差させると『無表情』を『飼い犬に手を噛まれた時の無表情』に変化させながら震えだして、
「すすすすすいませせせせせせんんん。気にせせせせずずずずにどどどうぞぞぞ」
おぼつかない手で、鞄からワンカップを取り出した。
小気味よい封を切る音から目をそらすと、
「佐々木さん?」
相棒は表情を硬くして、なにやら考え込んでいるようだった。
「あ、の……?」
「ああ、すいません……その、例えばBを固定して、Aの側を回転させることは?」
「あ、はい。できますけど……どうしました? 顔色が……」
彰示の顔からは完全に血の気が引き、身震いをしながら、
「昔々、ルーマニアにブラド・ツェペシュという領主がいたんだけど、知っています?」
「え? いえ、世界史は取ってますけど、ちょっと……」
「激しい戦争していたんだけど、小国なものだから徹底防戦しかできなくて。で、相手に厭戦気配を植え付けるために、防衛線上にオブジェを作ったんだ」
「はあ?」
「敵の肛門から木杭を……」
「わかりました! もうわかりましたから! 串刺し公のお話ですね!?」
「君のその能力は、アンブッシュから突然そのオブジェを作れる、ということでしょ? しかもオブジェを回せる。厭戦気分も割り増しですよ」
「できません! できませんよ!? そんなに強い力はありませんから!」
「いや、尖端をしっかりと尖らせて滑らかに入るようにすれば……」
「訂正します! やりません! 出来る出来ないじゃなくて、絶対にやりません!」
「じゃあ、例えば」
「……変なことじゃないですよね?」
「Aをナットとして、Bを人の指とすると『新しい拷問』みたいじゃない?」
「そもそも拷問が必要な状況ってなんですか!?」
「そうか。じゃあ」
「もういいです! もういいですから!」
「Aを眼窩として、Bを眼球とすると……」
「なんてこと考えるですか! 怖い!」
相棒の顔色の悪さが、理解できた。
……この人は、普段からなに考えて生きているんだろう。
世界の見え方が違う気がする。羨ましくはないが。
けれど、視野は広い。彼には、正確なスペックを知っていてほしい。
と、自分の気持ちが、軽くなっていることに気がつく。
だいぶトンでいるけれど、今まで無用だと言われて思っていた『ギフト』が役に立つのだと教えてもらえたのだ。
……なんだか、ドキドキしてきます。
自分には、可能性があるのだと教えられたような気がして。
相棒を見えば、まだ何か青い顔で考え込んでいる。
内容はきっと、頭おかしい破壊系なのだろうが、
……自分のために、自分のことを考えてもらえるなんて。
嬉しいことだ。
ならば、と口を開きかけて、
「ちょっとうるさいわよ! こっちは当直で、気を張ってるのに!」
高く鋭角な、少女の怒声に遮られてしまった。
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