6:彼の作戦名は、まだない

 佐々木・彰示は、いまいち相棒となる少女の言い分を理解できないでいた。

 警察が、背後から犯人を撃たない、という理屈は正しい。

 しかし、悪の秘密結社とは、目的の大小の違いはあれど、反社会的組織なのだ。専門の対処能力を持つ魔法少女や魔法使いに求められるのは、カウンターテロルであり、迅速で確実な解決であろう。

 三十歳童貞の素人は、そんな風に考えていた。

 ……困ったな。先走って、彼女に迷惑をかけてしまったかもしれない。

 自分の何が悪いのか理解はしていないのだが、物静かだった文の怒りようから、ルールから逸脱したという自覚はあった。

 ……いろいろと、謝らないとなあ。

 目の前の相棒候補はもちろん、期待してくれた支部長に、自分をスカウトした零利にも。

 しかし、今やるべきことは、

「……っ!」

 視界の隅で動きを見せた、悪の女幹部にトドメを叩きこむことだ。

 反射的に、その辺で拾ってきた正義の鉄パイプ『マジカル☆ステッキ』を振り上げると、

「今度は何を殴りつける気なんですか! ギャラリーの皆さん、凍りついてますよ!」

 体全部で、文がこちらの腕に抱きついて静止してきた。

 肘から先が柔軟物に挟まれるが、今は『前屈み』になっている暇はない。

「離してくれ! 敵が目を覚ましているんだ!」

 そう、濁る瞳で、悪の女幹部が体を起こしつつあるのだ。

 戦いは、終わっていない。

 ギャラリーがどよめく。当然だ。去ったはずの危機が、蘇りつつあるのだから。

 だから、半身が起きかけた、とても殴りやすい位置に頭があるうちに、トドメを!

「ダメです! 私の話、聞いてました!?」

「もちろんだろう! 納得できるかは別だけども!」

「どうしてそんな全力で、理解していなことを言い切るんですか!?」

 そんなこんなで、二人で揉みあっていると、

「き……貴様……」

 テラコッタ・レディが、焦点の合わない視線と、やはり定まらない指先を彰示に向けて、

「な……何者だ、新人魔法使い……名前を聞いておいて、あげるわ……」


      ※

 ……やべぇ。

 指令室の二人は、同時に鈍い汗を額に伝わせた。

 現時点で、彼の作戦名は決まっていない。これまでの経緯を見るに、躊躇うこともない。

 全県のお茶の間にポリ袋(少し返り血が付いてる)のアップが中継されている状況は、

『俺の名前は!』

 魔法使いの個人情報を秘匿管理する組合の人間にとっては、悪夢の時間帯だ。いろいろと問題はあるが、究極には県組合から管理体制の甘さを理由に罰則が飛んでくる事態である。

『佐・々・木・だぁっ!』

 鈍い汗が、滝になった。


     ※

 文が見つめる先で、テラコッタ・レディの指が、一瞬で震えを止めた。

 ……それはそうでしょうね。

 歴戦の女幹部であっても、『個人情報を秘匿する魔法使いが、全力で自分の名前を叫ぶ』状況に遭遇したことなどないだろう。

 あまりの驚きに、痛みとか震えとか、いろいろわからなくなったとしても無理はない。

 かくいう自分も、ちょっといろいろわからなくなっている。

 ……これもう、佐々木さんにスタンバトン使ったほうがいいんじゃ。

 いやいや、違うそうじゃない、短絡的な手段は良くない。これから、彼とは信頼関係を築いていくのだから。

 ……さっき、頑張ろうって、決めたばかりじゃない!

 だけど、ちょっと揺らいでいるのも事実だ。

 と、テラコッタ・レディが、口端を笑いに歪めながら、

「ジェントル・ササキか……覚えたわよ、その名前……」


      ※

 ……グッジョブ!

 もし、彼女があのまま『え? 今なんて?』なんてセリフをキめたら最後、あのクレイジーサイコキラーのフルネームが、己の口から全県に晒されかねなかったのだ。

 指令室の二人は、汗を拭うと、同時にサムズアップからのハイタッチを決めた。

 

       ※

「な、なかなかやるな……今日はしてやられたが……」

 突きつけていた指を握り、拳を作ると、

「次はないと思いなさい、ジェントル・ササキ、そしてサイネリア・ファニー……!」

「私も!? 完全に、ササキさんの手柄というか、犯行ですよね!?」

「次はない? それはこっちのセリフだ、テラコッタ・レディ!」

「トドメを刺そうとしないでください! それ、完全に悪役ムーブです!」

 やはり、コンビが揉みあっているうちに、スタンバトンで伸びていたボディスーツの三人組が回復したらしく、テラコッタ・レディへ駆け寄る。

「ふふ……ジェントル・ササキ……次の満月まで、首を洗ってまっていなさい……」

「姐さん! もういいですから! 行きますぜ!」

「ほ、ほーほほほっ……」

「姐さん! 無理しないで! 声量的に高笑いになってませんぜ!」

「おい、そっち持て! お前は救急車だ!」

「そっとだぞ! 頭打ってるんだから!」

 ボンテージ美女が部下に担がれて路地裏へ消えようとする姿は、

「なんというプロ根性……!」

「あれでこそ、俺たちのテラコッタ・レディさんだ……!」

「俺、明日の仕事頑張ろう……」

 野次馬たちの目端に柔らかな涙を滲ませ、路上は暖かい拍手に包まれた。

 ……なんだろう、この空気。

 文は、魔法少女にあるまじき棒立ちで、繁華街の風景を眺めていた。あれほど揉み合っていた彰示もおとなしくなっている。

 殴る対象がいなくなったからだろうか?

「サイネリア・ファニー!」

 突然、野次馬の一人がこちらの名前を呼んだ。あたふたしながら返事をすると、

「筆頭幹部を撃退なんて、落ちこぼれ返上じゃないか!」

「ああ! これで箔がついた!」

「よくやった! いいもの見せてもらったしな!」

 気付くと、拍手がこちらに向けられていた。

 言葉は、結果に対する祝福だけだ。実際、文自身はほとんど何もしていないのだから、当然なのだが、それでも評価してくれる声は素直に嬉しいものだ。

「あ、ありがとうございます! 次はもっと頑張りますから!」

 四方に頭を下げて感謝を伝えると、彰示が肩に手を置いた。

 振り返れば、ポリ袋越しにも伝わる頬笑みの雰囲気に、微笑み返す。

 わだかまりは、ある。

 問題も、ある。

 だけど、一緒にやっていきたいという気持ちだってあるのだ。

「あの……これから、よろしくお願いします、ササキさん」

「もちろん。こちらこそ」

 敵に追い打ちしようとしていた人間と同一人物とは思えないほど穏やかな口振りで、小さな頷きを見せてくれる。

 綾冶・文は、この一晩が将来の自分にとって、重要な『過程』の一つになるだろうことを、半ば以上確信していた。

 その起因となった佐々木・彰示が、同じ確信を持っていてくれたなら、この上ない。

 ……今日のこと私、きっと、ずっと、忘れません。

 良くも、悪くも、だが少なくとも、信頼できる強烈な大人と出会った日として。

 一度、うつむいて今の言葉を確かめ、それから彰示に伝えるべきだろうかと悩んで、彼へと視線を戻すと、

「はい。それじゃあ、ジェントル・ササキ被告の青空裁判を開廷しまーす。判決ぅ……」

「死刑!」

「死刑!」

「死刑!」

「死刑!」

「それでは、被告はマイムマイムボディーブローの刑に処します!」

 死刑宣告を受けて、野次馬たちに吊るされていた。

「これは側頭部を強く殴りつけられたテラコッタ・レディの痛みのぶん!」

「これはサイネリア・ファニーの抱きつかれたお前に嫉妬する俺のぶん!」

「これはサイネリア・ファニーに微笑みかけたお前に嫉妬する俺のぶん!」

「これはサイネリア・ファニーに名前呼ばれるお前に嫉妬する俺のぶん!」

 三十人ほどの処刑人たちが、おろおろするこちらをちらりと振り返り、

「これはサイネリア・ファニーに心配されてるお前に嫉妬する俺の! いや、俺たちの!」

「そう、俺たちのぶん、なんだぁぁぁぁっ!」

「さ、ササキさぁぁぁん!」

 後日、なんで無抵抗だったのか確認したら『一般人の撃退は業務説明の中になかった』という安堵すべきか、戦慄すべきか迷う返答を頂いた。

 ここまで込みで忘れられない思い出の夜となった。たまに夢で見てうなされるほどには。

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