3:綾冶・文はいろいろとギリギリ

 彰示の腹を殴るおっさんたちの輪が三週したところで、

「し、死んじゃいますよ!」

 被害者から即決裁判の取り下げ要求がなされたため、被告は釈放となった。

「何かあったら、次は『男のボール』だからな」

「佐々木君。君には、期待しているからね」

 おっさんたちの去り際の言葉だが、直接的な単語の警備員と、感情を見せない瞳の支部長。どちらがより恐ろしいかと聞かれれば、原因となった少女の乳房が一番怖い。

 ……テーブルを止まり木にしてる、だと……俺はいまUMAを目撃しているのか……!?

「あの……大丈夫ですか?」

 おにぎりが入ったコンビニのポリ袋やペットボトル、テレビのリモコンなどの日常の風景に平然と並ぶ超常現象に、彰示は慄く。その様子を向かいあって座る少女は、ダメージが抜けていないと勘違いしたのか、気遣うように下から覗き込んでくる。

 眼鏡越しに視線が合うと、我に返らぬわけにもいかず、

「佐々木・彰示といいます。今日、スカウトされまして、一応、あなたのパートナーになる予定だそうです」

「あ、はい……えっと、ええ、お聞きしております……それで、あの……」

 元々がおどおどと泳いでいる瞳だったが、明らかに何かを言い淀んでおり、

 ……魔法使いは、年端もいかない魔法少女の補佐が期待されているんだよな。

 支部長の話を思い出し、年上として意を汲みにいく。

 おそらくは警戒心なのだろう。その源流といえば、

「安心してください。俺の睾丸は二つきりですから」

「急に何を言い出すんですか!?」

「おや?」

 警備員の言から『睾丸の数だけ残機がある』と捉え『睾丸の数に誤解がある可能性』から不安がっているのかと思っていたが。

「……支部長さんから、私のこと、聞きませんでしたか?」

 猫背がさらに丸められて、視線が逸らされた。


      ※

 背を丸めた少女の名前は、綾冶・文あやや・あや

 身長は一六五センチほどと比較的に長身であるが、猫背がちのため大柄な印象は感じられない。野暮ったい黒縁眼鏡に隠れる瞳は伏せがちに泳いでおり、会話の途中、彰示と視線が合ったのは、二度だけ。

 初対面の男への警戒とも、元来の消極性とも取れる態度ではあるが、

 ……魔法少女なんだよなあ。

 否が応にも、注目を集める活動に従事しているのだ。

 事前に聞いていた能力不足からのコンプレックスはあるだろうが、彰示としてはもう少し活発な少女をイメージしていた。

 何より、ニュースなどで散見した魔法少女の印象もあったから。

 三十歳の童貞は言葉を選んで、

「支部長から聞いたのは、ベテランで、真面目な良い子ということですね」

「それ、だけじゃないですよね?」

 彰示が小さく頷いてみせると、

「前パートナーは、半年間も我慢してもらえた方なんです……能力も実績も足りなくて、この二年くらい、何人もパートナーが代えられて……早い方だとその日のうちに……」

 こいつは、思っていた以上に根が深い。

 ……良くないな。

「ですから佐々木さんも、無理だと思ったら遠慮せずに……」

 ネガティブに、しかし相手に非を与えまいとする物言いも良くない。

「待って。そのパートナーたちも、魔法使いなんでしょう?」

「……!」

 だから、強い口調で遮り、

「なら、仕方ないよ」

 どんなに聞きたくないことであろうと、本音をぶつける覚悟を決めた。

 一度、少女の薄い肩が大きく揺れ、

「ほら、それ。それが良くない」

「……ですよね。マイナス思考も良くないこと、わかって……」

「え? 違う違う。これ、これ」

 少女の勘違いを正すため、彰示が指差すのは、

「動揺するたび『ぷるんぷるん』とか……彼ら、意味もなく前屈みになってませんでした?」

「はぇ!? え!?」

「だいたいその衣装、なんでおっぱい半分ほうりだしてるの? スカートも短いし……魔法少女と言っても、子供向けじゃなくてパソコンのディスプレイで触し」

「さ、採寸が一昨年で、サイズが合わなくなっちゃっただけです!」

「言っておくけど、この時点で俺は『この椅子は任せて先に行け』状態ですからね……!」

 どんなに聞きたくないことであろうと、本音をぶつける覚悟を決めたのだ。


      ※

 それは、そのまま解釈すると、現状では直立できないという告白であり、

 そんなこと、聞きたくなかった……!

 いや、先任者たちが辞めいった理由など、この新人魔法使いの想像にすぎない。

 聞きたくなかったのは、まさに、

 ……目の前の男性が、今現在『有機的な問題』を大きくしていることです!

 これってセクハラじゃあ……などと過ぎるが、しかし、ことを大きくすると警備の方々がすっ飛んできて、彼の睾丸が危ない。

 自身の顔の赤らみごと誤魔化すように、声を大きくする。

「そ……そんなことありません! 皆さん、立派な魔法使いでした!」

「立派な三十歳童貞は、ちゃんと『機能』するのが健全だとおもいますが」

「いや、そうかもしれませんけど……立派な大人は、TPOをわきまえませんか!?」

「三十歳童貞を立派な大人と申すか、小娘!」

「ひ……!? いや、あの……!」

「そこは即座に立派って言ってくださいお願いしますこれでも毎日必死に働いているんです死んでしまいますお願いします後で笑ってもいいんで目の前でだけはどうか……」

「どうして一瞬で目の光が消せるんですか!」

 ……なんですか、この人……!

 これまでの魔法使いとは、毛色が違う。むろん、良くないほうにだ。

 できる限り言葉を選んで評価をすると、

「……頭がおかしいんですかね……」

「なんだと小娘!」

「ひぃ!? すいません! つい、口が滑って!」

 一瞬で怒気を沸騰させたパートナー候補が、腰を浮かした。

 ……そんな!?  佐々木さんは『この椅子は任せて先に行け』状態のはずじゃあ!?

「すいません! すいません!」

 恐怖から猫背をさらに折り、まぶたを強く閉じて涙を滲ませる。

 しばしの沈黙のあと、椅子へ座り直す気配があり、続けて、

「いや、それでいいんですよ。今のは、俺の頭がおかしい、が正しい」

 ? と、突然かけられた優しい肯定に、

 ……頭がおかしいことを認めたんですか、今の?

 文は、ちょっとだけ五里霧中に陥った。ちょっとだけだが。


      ※

 それでいいのだ。

「子供と大人が同僚となるのなら、子供側は上手くいかないことを大人のせいにしていいと思うんですよ。経験が段違いなんだし」

 当然、大人の側は『自分が悪い』で止まってはいけない。失敗の正確な判断を下して、子供側に理由があるのならトータルで鳥瞰して是正するべきなのだ。

 ただ、少女は納得しがたいらしく「でも」やら「それじゃあ」やら、言葉を重ねてくる。

「魔法少女の能力の高低について、俺には知識がない。

 だけどね、仕事ってのは終わらせるもので、そこに能力は大きく関係はしないもんだよ」

 また『頭おかしいこと言ってるのかしら……?』という半眼を向けられるが、 これは真面目な意見で、持論だ。

「今できないことは、人を頼って、明日できればいい。できない原因を探して、潰して、必要なものを得ればいいんです。

 そこを怠けなければ『できない』なんてことは、まあ、少しだけになりますよ」

 疑いの半眼は、いつのまにか伏せられている。

 今の話を、どう捉えてくれただろうか。

 三十路という、おっさんではあるが社会的には若造の言い分だ。彼女自身に必要なところだけ、うまい具合に噛み砕いてもらえれば御の字だ。

 考え込むように動かなくなった少女から壁時計へ目を移せば、九時半を指しており、

「晩御飯、まだなんでしょ?」

「え?」

 テーブル上のコンビニ袋から、おかかと梅のおにぎりを取り出しながら、

「考え事はね、お腹いっぱいにして、お風呂入って、布団の中で、が効率いいんですよ。すぐに眠れて、朝には忘れてるから」

「……冗談、ですか……?」

「うーん……半分くらい?」

 ちょっと考えて解決しないようなものは、いくら考えても無理なことが多い。

 これも持論だが、前述のものと比べても乱暴であることは自覚がある。だから、

「どう捉えるかはお任せですけど、ご飯は食べた方がいい」

 笑みを深めて、曖昧にすれば、

「……そうですね」

 文が微笑み返す。

 初めて笑顔を見せてくれて、こちらの緊張もだいぶほぐれた。

 それは、緊張していたことの自覚でもある。

 ……まあ、初対面のうえ、いろいろと事情が複雑だったからなあ。

 安心に、腹が鳴った。盛大な、正味六秒の、深いビブラート。

「……夕飯、まだでしたか?」

「いや、確かに夕飯前に現れたスカウトを名乗るちっちゃい人が酒をガバガバ飲みはじめて彼女を事務所まで送ったら流れでこんな時間になって目の前におにぎりが二つあるけれどもそれはあなたのものであってすごいお腹が減ってはいるんですがやっぱりおにぎりはあなたのものであって眼が回りはじめてるんですがおにぎりはあなたのものでして」

「……えっと……お一つ、差し上げましょうか?」

「天使、いや女神や……!」

 おっぱい的に考えて。

「ありがてぇ、ありがてぇ……現人女神や……!」

「ちょ……! その格好はちょっと!」

 泣き真似しながら、額をテーブルにつけて両手を掲げる、おにぎり拝領のポーズを取ったところで、

『サイネリア・ファニーさん、出動です』

 館内放送が魔法少女の仕事の時間を告げた。


      ※

『大町二丁目で、テラコッタ・レディと構成員を確認。酔っぱらったサラリーマンの内ポケットに、キャバクラ嬢のキスマーク入り名刺を差し込む破壊活動を実施中です』

 なんて恐ろしい……! などと慄いていると、文が緊張の面持ちで立ち上がった。

「すいません、私、行かなきゃ! サイネリア・ファニーは、私の作戦名なんです!」

「なるほど。でも一人で? 俺も一緒に……」

「お気持ちは嬉しいですけど……佐々木さん、まだ、マスクもないじゃないですか」

 確かに、さきほど説明を受けたばかりで、手元にはまだ届いていない。

「私は大丈夫ですから!」

 いや、キャバクラの名刺をばらまく秘密結社相手に、どういう解決プランを以て『大丈夫』なのかはわからないが。

 しかし、彼女の表情は『明』であり、その理由は、

「佐々木さん、その……お話、ありがとうございました!」

 ……半分ぐらいセクハラだった気がするが、感謝されることに悪い気はしない。

「パートナーになるの、楽しみにしてます!」

「いやいや、ちょっと!」

 呼び止めるが、一礼した彼女は、スカートを翻しながら部屋から駆けだしていく。

 残された彰示は、

「まいったな」

 しかし関係の繋がった少女を、一人で現場に送り込むことを良しとはできない。

 どうする、と視線を巡らせれば、

「……む?」

 コンビニ袋のロゴが、誘うように空調の風に踊っていた。

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