第一章 ギリギリな俺と彼女
1:元無口クール系魔法少女の闇
結果には、必ず過程が存在する。
そして一つの結果を振り返ってみれば、過程とは、無数に複雑に、網目模様のようにどこまでも遡及していくものだ。
そして例に洩れず、複雑に、どこまでも遡及していく。
膨大な事象の中で、ひとまず、直接的な起因となったものとなれば、
「失礼。佐々木・彰示さんで間違いありませんか?」
会社帰りに自宅へ車を止めたところで窓を叩いてきた、小柄で無愛想な少女と、
「今日で童貞三十歳の」
心臓を抉る、辛くて悲しい現実の存在ではないだろうか。
だから、皮肉の一つも言いたくなって、助手席の紙袋を抱えると、
「なんの権利があって、ウキウキ気分で『大人のDVD』を買ってきた誕生日の俺に、そんな冷や水をぶちまけるんですか!」
「なるほど、確認がとれました」
「……おや?」
どうやら、こちらの負けのようだった。
※
佐々木・彰示の自宅は、中流家庭の多い標準的な住宅街の中にある。
それぞれ家主の個性を表す一軒家が並び、夜の明かりといえば心許ない水銀灯と、夜空に揺らめく星々だけ。
東北の日本海に面するこの本所市の中では、ごくごくありふれた、閑静な町内だ。
そんな静まり返った路上での立ち話もなんですし、と強引に家に上がりこんだ少女は、少女に見えるだけの二十六歳で、
綺麗な顔立ちではあるが幼さが強く、表情の乏しさが印象深い。ただ、端的な言葉で伝えるべきを伝えてくる押しの強さは、そのまま我の強さに思えてしまうし、おそらく第一印象に大きな間違いはないだろう。
ずけずけとした態度で強引に座敷まで押し通った彼女は、肩から下げた大きなカバンから書類を取りだし、彰示に示してきた。
事態の進展速度に言葉を挟めずにいた家主は、その書類に目を通すと驚きの声をあげる。
内容を要約すると、
「俺を魔法使いに?」
三十歳を越えた性経験の無い男性のうち、一握りの者が超常的な力を得ることがあり、
「はい。スカウトに来ました」
そうした男性を必要としている業界が存在する、ということだった。
「特殊自警活動互助組合、通称『特活組合』はご存知ですか?」
全国規模の業界組合。
法規的にも特殊な団体であり、現代日本の成人で、知らない者のほうが珍しいだろう。
その主な活動は『魔法少女』の活動支援であるため、
「俗称『魔法少女組合』ですよね?」
「自警団的な活動を行っていた彼女たちの、公私両面の補助を目的としていますので、俗称のほうが正確と揶揄する方もいます」
「なるほど。それじゃあ、俺もその仲間に?」
「……魔法使いではなく、魔法少女になるつもりですか?」
無表情のまま小首をかしげて見せる澪利に、
「彼女たちの魔法の原動力は『キラキラした夢』とか『ドキドキ』になります。成人男性にはちょっと難しいかと」
「ドキドキですね? わかりました。恥ずかしいですけれど……」
彰示は、下唇を噛みしめて覚悟を決めると、まっすぐな瞳で、
「今からちょっと『男のバット』を大きくしてみますね」
※
「……は? え、ちょっ……!?」
静ヶ原・澪利は、表情を狼狽に塗りながらも、
……良くわからない事態だけれども、これはチャンスです。
魔法少女『トウィンクル・スピカ』は、無口でクールなミステリアス美少女だったが、引退して二十六歳になって無口クールが治らないまま事務職に就いていれば、現代日本では、
……ただのコミュ障扱いなんです!
始業ギリギリ終業ギリギリで職場を行き来しており、同僚との会話はもちろん少なく、お昼は一人でお弁当の毎日。
出会いがなく、同僚の紹介もない。
間違いは、先輩からの合コンの誘いを無口クールムーブで断ったことだ。それ以来、声をかけられることはなくなり、今現在、状況は悪化を辿り、
……男の人と手を握ったこともありません!
などという事態にまで至っていた。
それが、かなりアクロバティックながら、性を匂わす状況になりつつある。
「ドキドキしたらもしかして、俺にも魔法少女の適性があるかもしれないでしょう?」
「ちょっと意味がわかりませんが……そうですね、確かにやってみないと……」
頬の熱を自覚しつつ、
「そ、それじゃあ……私も、なななにかおおお手伝いししししましょうかか?」
どもりながらも勇気を出すと、男は、
「……え?」
驚き顔で、こちらの胸を見て、それから顔を見て、もう一度胸を見返して、
「あ、いえ。買ってきたDVDのジャケットで十分ですから」
……なんだそれ。
※
一瞬で『無表情』が『世界の終りで砂を味わっている無表情』へと突き落とされた。
「あれ? 静ヶ原さん?」
前者も後者も、表にでている感情はないというのに、一目瞭然の変化。
次第に、心の絶望が体にも追いついたらしく、
「すごく小刻みに震えていますが?」
握った両の拳がテーブルで、意図せぬ悲しみの十六ビートを刻みはじめた。
……これは、予定変更かな?
物事には順序がある。
つまり『ドキドキして海綿体を膨張させるのは魔法少女の適性を見るためであり、それを見るべき女性が正気を失っているのだから、女性の正気を取り戻し、しかる後にドキドキで海綿体を膨張させて様子を見てもらわなければならない』のだ
冷たい飲み物でも、と彰示が急いで腰をあげると、
「だだだだだだだいいいいいいいいじょうううううぶぶぶですすすすす」
震える少女風スカウトマンは制止し、傍らの大きなカバンに手を突っ込み、
「……ワンカップ?」
封を切ると、迷いなく一気に天を仰いだ。
※
「お見苦しいところをお見せしました。もう大丈夫ですので」
ものの五秒で、澪利はこれまで通りの、端麗な面持ちを取り戻していた。
口元からちょっとだけアルコールが垂れているが、ちょっとだけだから誤差なのだろう。
「ふとしたことで、これまでのことがフラッシュバックしてきて、ついでに将来への不安が津波のように押し寄せてきて、ああなってしまうんです」
「なるほど。それで、そのお酒は?」
「お薬です」
「お医者さんからの指示で?」
「民間療法です。私が開発しました」
彰示は、なるほどと今一度頷くと、深い追及をやめて、本題へと立ち戻った。
「それじゃあ、魔法少女の……」
「勃起では無理です」
「え? でもさっき」
「そういうのでは無理です」
数分前はかなり肯定的だったのに。
「話を戻しましょう」
「俺の『海綿体』を膨らませて魔法少女の適せ」
「あなたが童貞三十歳なので、魔法使いにスカウトしにきました」
ああ、そういえばそんな話だったような。
こちらの得心を理解すると、酒臭いスカウトマンはちらと時計を確認し、
「魔法使いに、なる気はありますか?」
力のこもった瞳で、意思を確かめにくる。
迫られ、しかし、胡散臭さや戸惑いがあるのは事実だ。
彰示の常識の中において、魔法使いとはあまりに存在感が薄い。
実在は知っているし、魔法少女組合に所属する人々であることも承知しているのだが、いかんせん、組合のメインたる魔法少女に比べて世間への露出が少ない。
迷う、というより、判断する基点が弱い状況なのだ。
「戸惑うのも無理ありません。ただ、いま組合に入っていただければ、特典があります」
? と視線を向けると、白い頬を朱に染めた澪利が、
「わ……私の体を、あの、その……すすすすきにできます!」
「え?」
胸を見て、顔を見て、もう一度胸を見て、
「いや、大丈夫です」
覚悟を打ち砕かれたスカウトマンが、絶望の無表情で十六ビートを刻み始めた。
カバンの『お薬』をまさぐり探しまがら、
「憎い……こんなにも悲しく悔しいのに涙も出てこない……無口クールが憎い……!」
ワンカップをあおる様子を見て、組合事務員ってのも大変だなあ、と、工場事務員の彰示は、現代社会の闇を痛感するのだった。
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