決意を新たに踏み出す一歩

「試してみる? どこでもいいから叩きつけてみて」

「はいっ」


 麻宮に言われ、武流はまたしてもノータイムで動いた。

 素早い動作で振りかぶると、一切の迷いなく全力投球で卵を床に叩きつける。


「きゃあ!?」

「おい馬鹿!!」


 卵は「カツンッ!!」っと派手な音をたてると、不規則な跳弾で2度3度と店内を跳ね回る。

 ラグビーボール型特有の予想が付かない攻撃に、一ノ瀬と麻宮は声を上げて逃げ惑ってしまう。


「おま、もう怖えーよ。ちょっとは学習しろ!!」


 一ノ瀬は転がる卵を拾い上げると、成し遂げた感をだしていた武流の側頭部に思いっきり投げ付けた。


「あだっ、……なるほど、これは凄いですね」

「で、でしょ? だから、安心して持ち歩いてね」


 今度は武流が卵を拾い上げ感心したように眺めていると、麻宮が引き吊った笑顔を向けてくる。


 普段の武流は面白いが、卵に追い回されるのは怖かったらしい。


「はい、ありがとうございます。これで不明な点は全て解決して頂きました。後はただ、全力を持って育て上げさせて頂きます」

「あ、うん、頑張ってね。何か進展があったら教えて欲しいわ」

「はいっ、ご期待に添える様、必ずや良い報告をお持ちいたします!!」


 武流は落ち着きを取り戻した麻宮からのエールを受け、真っすぐ伸びた木の幹のように姿勢を正し深々と頭を下げる。


「はぁ、んじゃまー帰るか。お邪魔しました」

「えぇ、またね。……あ、一ノ瀬君ちょっといいかしら? 武流君はそこで待ってて貰える?」


 一ノ瀬が軽く頭を下げて店をでようとすると、麻宮がニヤっと笑いながらちょいちょいと手招きをする。


 一ノ瀬はここまでのやり取りで、麻宮もなかなか癖のある人物であることに気づいていた。

 その意地悪そうな顔に警戒を滲ませながら、一ノ瀬は足取り重く麻宮に近づいて行く。


「……何ですか?」


 微妙に距離を置く一ノ瀬に、麻宮がグイっと顔を寄せる。

 一ノ瀬は接近する顔から逃げるように後ずさりするが、麻宮は構わずさらに距離を詰めてくる。


 そんな攻防を繰り返す2人を、武流は大人しく見守ってた。しかし、溢れ出る嫉妬心から目の端がピクピクしている。


 なんとか逃げようとする一ノ瀬だったが、見えない壁に追い詰められ動きを止める。すると、麻宮がまた手招きをしてきた。


 一ノ瀬が観念して顔を寄せると、麻宮が楽しそうに耳打ちをする。


「今日一緒に来たのって、武流君が心配だったから?」

「はぁ? んなわけないじゃないですか。やめて下さいよ、気持ち悪い」


 麻宮の言葉に、一ノ瀬があからさまに不愉快そうな顔をする。照れ隠しとかではなく、心の底から心外そうな顔だ。


「そうなの? 私が言うのも変だけど、武流君の事よろしくね」

「いや、あんまよろしくしたくはないんですけど……、まーほどほどに」

「ふふっ、そうね」


 麻宮に真っ直ぐ見つめられ、一ノ瀬は居心地悪く目を逸らしてしまった。なんだか悔しい気分になりながらも、首もとに手を当て扉の方へ身体を向ける。


 そんな2人の様子を、武流が羨ましそうに睨みつけていた。


「見てんじゃねーよ、帰ろうぜ」


 武流は一ノ瀬に頭を小突かれ麻宮の方に向き直ると、今日何度目かの綺麗なお辞儀をした。


「それでは、失礼いたします」

「えぇまた来てね、一ノ瀬君もよ?」

「あー、まぁそのうち」


 一ノ瀬は胸もとで両手を振る麻宮に小さく頭を下げると、ドアノブに手を掛け一瞬のためらいを見せてから扉を開く。

 すると、そこには当たり前な夜の町が静かに広がっていた。


 一ノ瀬は店をでると、ひっそりと安堵のため息をつく。

 心なしか、来るときよりも町の明るさが増している気がしていた。


「あー、なんかすげぇ体験したな、こんなこと誰にもいえねぇよ」


 一ノ瀬はまだ新鮮な記憶から、現実味が薄れていくのを感じていた。それほどまでに信じがたい体験だった。


 遅れて店をでた武流は相槌を打ちながら、先程までの光景を呼び覚まし、きつく目を瞑っている。

 まだ記憶が新鮮なうちに、さきほどの素晴らしい体験の数々を、脳内に刻み込もうとしていた。


「あぁ、全くその通りだ」

「明日が休みで良かったな。変に興奮して今日は寝られそうにねーよ」

「そうだな、この胸の高鳴りはしばらく落ち着きそうにない」


 武流が抱いている胸の高鳴りは、一ノ瀬の興奮とは根本的に違うものだ。

 そのことに普段の一ノ瀬ならすぐ気づくのだろうが、今はそんな余裕もなく疲れた顔で笑っている。


「この町が普通に見えるしさ。なんか、安心しちゃうよ」

「そうか? 俺には何も見えないから、いまいちわからないが」


 ものの例えではなく、武流は目を瞑っているので当然だった。


「……………で、帰り際、麻宮さんに何を言われていたんだ?」


 しばし余韻に浸っていた武流が不意に目を見開く。

 薄明かりの中、一ノ瀬を睨みつける武流の眼球がギラギラと光を帯びていた。


「あ? 何でもねーよ」

「何でもない事はないだろう、言え」

「やだよ」

「言えといっている」

「やだっつってんだろ」

「そんな主張が通ると思っているのか?」

「通すわ、何様だお前は」

「言わぬなら、息の根止める、一ノ瀬の」

「信長様かっ!? ぜってー言わねー」

「言えっ」

「言わねーっていってんだろ、ぶん殴るぞっ」

「好きにしろ、暴力に屈する俺でぐはぁっ!?」


 殴らず蹴った。

 しつこく詰め寄っていた武流だったが、蹴られた太ももを撫でながらすごすごと引き下がる。暴力に屈した。


 その後2人で集合場所の横断歩道まで帰ってきても、武流のテンションは変に上がったままだった。


 その勢いで一ノ瀬を深夜のツーリングに付き合わせていたのだが、並木終わりから学校までを三往復したところで一ノ瀬がブチギレ、武流の静止を振り切り自宅へと帰って行った。


 一ノ瀬は別れ際、しつこく引き止める武流に殴る蹴るの暴行を加えスッキリした顔になっていた。

 こうやって、日々精神の安定を図っているのだろう。


 1人にされてしまった武流は、仕方なく自宅へと自転車を走らせ始める。


 武流にとって、昨日からの2日間はまさに夢のような時間だった。

 1人になり落ち着いてみると、全てが幻だったんじゃないかと思ってしまう。


 武流はそっとズボンのポケットに手を入れ、しまっていた卵を取り出してみた。


 まるで重みを感じない、作り物のような卵。しかし、包み込むように握りしめると、確かな存在感がそこにはある。

 その感触を味わっていると、この2日間が幻なんかじゃなかったと実感できた。


「明日から、忙しくなりそうだな」


 そう呟いて、卵をぎゅっと胸に押し当てる。 

 今はまだ空の器でしかない球体から、微かな鼓動を感じた気がした。

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変態だって夢を持つのは素晴らしい事だと思います 案山子 @kakashi24

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