第23話【LOVERSONLY番外編Ⅾ】


スペイン絵画紀行最終話後編Ⅲ

(フランス寄り道停車Ⅱ)





その神の名はキュプロクス。

ギリシア神話に登場する。

英語表記はサイクロプス。

どちらにしても同じ意味。 

サイクルは丸で。

オプスは瞳。


丸い隻眼の巨人。


「お前さ・・そのチョイス、こいつらのラインからすると違ってなくね?」


「え・・でも!でもさ!みんなで『今年は西洋の怖い絵のコスで行こうぜ』って決めてさ・・それで、Wikiで検索したら、キュプロクスは、ギリシア神話の怪物で、凶暴で、人を食ったり、民家で暴れたりする悪鬼だって・・」


じたばたしながら一つ目は言った。 

確かにキュプロクスに関するその情報。ひとつも間違ってはいなかった。


「でもルドンだけは違ってた」


オディロン・ルドンだけがキュプロクスをそのように描かなかった画家だ。 

まったく違うアプローチで描いた。


これは果たして偶然?それとも画家の気紛れが生んだ産物だったのか。


彼らが、画集やネットの「怖い絵」というカテゴリから、ルドンを選択したのは間違いではない。そのような括り。サムネがあるのは事実だった。


しかし、怪物の造形以外の、その絵画全体を見ればわかることがある。


それは、隻眼の巨人キュプロクスが、顔を出している山とその周辺の風景。

すべてが穏やかで、落ち着いた色調で描かれている。牧歌的でさえある。


それは、この絵とルドンが、マネに代表される印象派と呼ばれた画家たちの流れにあること。容易に察しがつく。 


こちらに正面を向いたキュプロクス。

絵画を鑑賞する者と視線が合う構図。

視線は合わず微妙に外らされている。

宙空をさ迷うような巨人の隻眼。

少し上目に描かれたその瞳。

どこか夢を見るようにも。

哀しげにも見えた。


ギリシア神話に綴られた物語。


それは海神ポリュペーモスに愛され、強く婚姻を迫られた水辺の妖精。

ガラティアに纏わる神話の一幕だ。


描かれたキュプロクス。

顔を覗かせた山の景色。

その山裾に横たわる。

一人の裸婦の姿。


思い悩むガラティアが描かれている。


海神ポセイドンの息子に生まれながら、その醜さ故に疎まれ。地の底に落された。ギリシア神話の巨人族最高位の種族。その名前はポリュペモス。


生来の狩猟者。目にしたすべてを喰らい呑み込む。ホメロスの叙事詩にも登場する。キュプロクスは、オデッセウスの部下を捕まえて、次々貪り食らったとされる。凶暴で残忍な捕食者で、破壊者であるキュプロクス。


その一族の一人がポリュペモス。


恋をしたナーイアスとは水辺の妖精。ギリシア語のνάειν, naein 流れ、もしくは、νἃμα, nama 流水に由来する。


ガラティアは、海のニンフ、ネレイスとも呼ばれる女神、若しくは水辺の妖精。その呼称は実に多様である。


美しいものを称える言葉や比喩とは、人が醜いものを表す言葉よりも多い。


そのガラティアに深く恋をしていた。

ルドンの描いたキュプロクス。


その姿は神話とも物語とも異なる。


オウィディウスの変身物語によれば、キュクロプスこと、ポリュペモスは、ガラテイアに恋をして言い寄った。

ポリュペモスは醜く凶暴な性格。


ポリュペモスは激しい嫉妬に駆られ。巨岩を投げつけアーキスを殺す。

その時アーキスの赤い血は流れ。

やがてエトナの川になった。

それが神話に綴られた物語。


悲しみに暮れるガラテイア。

彼女はひたむきに祈り続けた。

後にアーキスは河神として蘇る。


かたやルドンの描いたキュプロクス。

望まぬプロポーズに思い悩む。

彼女が心配でその姿を現した。


「プロポーズしたのかも疑わしいな」


山から彼女のことをこっそり見守る。

どうしてもそのように見えてしまう。


「いや・・全然隠れてねえべさ!」 

「山の間から顔出したお日様みたい」


しかし自分は醜い怪物である。 

声をかけることは叶わず。


彼女を直視することは出来ない。

彼女は衣服を身に着けてはいない。

裸の彼女を直視出来ない。 

恥ずかしくて出来ない。


「おまえ!チラ見してたべ!」  

「いや、ぼくはそんな・・」

「もじもじするな」


「醜形恐怖症」


識者はその絵画をそう評した。 

自身が醜いと考えるあまり。

他人を直視出来ない。


目すら合わせられない。

そんな発達障害や精神疾患。

ルドンもそうであったのでは。


田崎彗は講義でその説を聞いた。


キュプロクスの解釈としては面白い。

ルドン自身がそうであったか。

それには疑問の余地か残る。

彼の歩んだ人生を省みれば。


例えば向日葵を描いたゴッホ。

彼に精神疾患があったのは事実だ。


それゆえ彼には視覚にも異常があり、その世界は黄色に見えていたのでは?そんな説を唱える学者もいる。


しかし、ゴッホは同時代のフランス画家たち同様、広重、北斎などの浮世絵に深く傾倒していた。浮世絵が生まれた日本という国。彼は熱烈に日本画を語り。日本行を夢見ていたとされる。


それは生涯叶うことはなかった。


ゴッホの絵はその画家人生において、一枚たりとも買い手はつかなかった。

その生涯の大半を金に困窮しながら。

ただひたすら絵画を描き続けた。


親友のゴーギャンに「日本に行く」と告げて。辿り着いたのは南仏のアルルだった。日本に行く金などない。


日本が何処にあるかも知らない。

向日葵の絵を描くために向かった。

描こうとした12本の向日葵。

彼と親交があった画家の数。

実際に用意された12脚。


その椅子のうちの一脚。

ゴッホ生涯唯一の理解者。

彼の死後自ら命を断った。

弟テオドルスのための椅子。


そこで描いた尊敬する画家ゴーギャンの椅子は自分の簡素な椅子よりはるかに立派なもので。彼はそこで【ゴーギャンの椅子】という作品を描いた。

その椅子には主は不在だ。


そして描いた【向日葵】とその花の色。そして描いた【収穫】はまさに南仏の光溢れる風景だ。


ゴッホが描いてた向日葵の花。

彼の国では自由と理想の象徴だ。

そんな向日葵が多く咲く。

あのアルルならば。


きっと日本のような楽園に違いない。ゴッホは躊躇なくその地に向かった。


ひとたび熱狂が生み出されたならば。筆もその足は止めることは出来ない。


アルルで借りたカフェを根城に借り、その外壁をすべて黄色に塗り変えた。室内も壁も彼の絵で飾った。


画家たちが集う理想の家を夢見た。


手紙を「君も来るといい」と絵描きの仲間に送りつけたとされる。訪れた画家は親友のゴーギャン一人だった。


すぐに色々恐れをなして逃げ出した。


「ひとつの日常的な行動を阻害する、厄介な心の障害を持っていたとして、それを人が気の毒な病と哀れんでも」


それよりそこに向かう強い思いは、

けして足を止めることは出来ない。


アルルの地には向日葵が育つ沃野。

そして戦乱に巻き込まれた屍が眠る。


向日葵の種を鉄の種と表現した。


「そんな小説もあったな」


彗は手にした木の実を見つめて。

ぼんやりとそんな風に思った。


ロンドンのナショナルギャラリーに展示されたゴッホの【向日葵】その絵画を見て、田崎彗はそのように思った。


ゴッホの黄色い家は既に存在しない。

1888年の戦災にて倒壊した。


それでも彗は訪ねてみたいと思う。

フィンセント・ファン・ゴッホの家。

カンバスに描き残してくれている。


絵画の中に描かれた向日葵の花。

花は揺れながら彼に手招きする。

そんな気がしてならなかった。



ルドンの描いた数多のひとつ目の絵画。すべて少し上向きに描かれている瞳。対人障害?それよりも、なにもよりもその目玉は夢想してかのようだ。


その先にあるものはいったいなんだ。

それを考えてしまうのである。



ルドンの描いたキュプロクス。

それは神話の定義とは異なる。

まったく別の巨人族のようだ。


「純情を絵に描いた一つ目君だべ!」

「なんか思ってたのと全然違う!」


その言葉に彗は微睡みの糸が解ける。


「それは、過去の巨匠たちの作品延どれを見ても、描かれるべき主題とは、キュプロクスの凶暴さ、もしくはガラティアの美しさ、儚さに尽きる・・」


「ま、それが正解なんだろうけどね」


なぜか同級生の田崎彗に言われると、

「そうなんだ」妙に納得してしまう。


例えば【ガラティア】という有名な作品。現在パリのオルセー美術館所蔵、フランス象徴主義の画家ギュスターヴ・モローが1880年に描いた。

その絵画を見ればわかる。


晩年のモローの最高傑作と名高い。板に油彩で描かれたガラテイアの姿は、文字通り息をのむ美しさだ。この絵画の主役は紛れもなくガラティアだ。


「しかし、ルドンのガラティアは・・それほど大きくも、美しくも、描かれていない」


「一つ目の巨人も優しげだべ」


すぐに携帯で画像検索出来た。


彗の一言で、誰もが自分のモニターに目を落とす。既に物心ついた時から、家のリビングの風景もそうだった。


「絵の主題・・フォーカスは間違いなくキュプロクス君なんだよねえ・・」


田崎彗は皆に画像を翳して言った。


天空神ウーラノスと、大地母神ガイアの息子たち、アルゲースは落雷と稲妻、ステロペースは電光、雷光、ブロンテースは雷鳴をそれぞれ意味する。


サイクロプス族は3兄弟から構成され、それぞれ雷に関連する名称である。

実は雷の精ではないか?

そんな説もある。


彼らはその醜さから父神に嫌われた。兄弟族のヘカトンケイル族とともに、奈落タルタロスへ落とされた。


弟族ティーターン神の1人でもあった、クロノスが政権を握ったあとでさえ、永く拘禁されたままであった。


やがて、ティーターノマキアーの時、ゼウスらによって解放される。


キュクロープス達はその返礼として、ゼウスには雷霆を、ポセイドンには三叉の銛を、ハーデースには隠れ兜を

それぞれ造ったとされている。


その後はヘーパイストスのもとで鍛冶業を続け平穏に暮らしたとされる。


その一方で、息子アスクレーピオスをゼウスの雷霆で失った、アポロンの八つ当たりを受けて一族は虐殺された。そんな悲劇的な異伝もある。


「巨人で乱暴者とは裏腹に手先器用」

「そして最後は全滅エンド」

「なんか悲惨だな」


隻眼の巨人は秋の陽が反射して。

画面は目を凝らしてもよく見えない。


「ルドンの画題はオンリー!」

「一つ目だけにだべ!」


彗は自分のバックに手を突っ込んで、もぞもぞ手探りした後で、中から乾き物のナッツの入った袋を取り出した。


彩を散らした指先が袋の先を摘む。

アーモンドとレーズンの袋。

どちらか少し迷う指先。


「あったあった」


にっこりと微笑を浮かべた。





ルドンが描いたキュプロクス。

それは彼自身だと言われている。


50歳の年を迎える頃まで、キュプロクスに代表される一つ目ばかり描き続けた。気球に、蜘蛛に、梟。そして植物。そのすべてに一つだけ目がある。

巨人ではないキュプロクス。

さらに小さな一つ目の怪物。


エドガー・アラン・ポーの幻想世界にインスピレーションを得たと言われる「ひとつ目の気球」ボードレールの詩篇悪の華に触発されたとされる「悪の花」そのどれもが唯一無二の異端を醸し出す。そんな作品ばかりを描いた。


「気球にも目玉!お花にも・・これはなっかなかの変態さんだべ!」


「ちなみにだけど、ゲゲゲの鬼太郎で有名な漫画家の水木しげるさんは『鬼太郎の目玉親父はルドンの目玉の気球にヒントを得て描いた』・・そう自著でも、はっきりと明言されてるんだ!」


「なんと!あの、目玉親父の御先祖様とは!?ルルルのルドンだべ!」



新時代の色彩絵画華やかな時代。

石版画の技法を用いた黒一色。

そればかりを描き続けた。


それらが一体何を意味するのか。

彼は文字や言葉には残していない。


時代は印象派。そして後の象徴主義。

キュビズムからシュールレアリスム。

軈て抽象画へと流れた当時の仏絵画。

それまでの、古典的様式の絵画から、脱却を試みた19世紀後半。


後の巨匠たちが数多く現れた時代。

彼らが目指した都はフランスの巴里。


汎ゆる芸術の花開いた都ウイーン。


当時の巴里やロンドンと並び、世界でも有数な発展都市であり、産業や交易で繁栄した、黄金都市とも呼ばれた。


様々な芸術や文化の担い手たち。マーラーの音楽や、クリムト、エゴン・シーレといった分離派と呼ばれた画家たちが起こした象徴主義。ヴィジュアルウェーブ。起きた芸術の波が世界に直に届く。産業革命の恩恵もあった。  


大陸を結ぶ鉄の線路の動脈。

海を洋々狭まり航路は開かれ。

すでに蒸気機関の発明はなされ。

ペンの文字は印刷機で羽根が生え。

人流と流通の波はもはや止まらない。


画家たちの描いた色彩の帯にも似て。

  

それは、巴里のサロン、英国の芸術アカデミーといった、画家たちにとっての登竜門。それまでに、絶大な権威を持つようになった機構主導の、古典的様式を尊重する絵画。その在り方そのものを大きく変えようとしていた。


その波は巴里にて生まれ。

他の国からも押し寄せた。


その時代の渦中に生まれ。

どちらにも明確に属さなかった。


後の彼の画家としてのプロフィール。そこにはポスト印象派、印象派とは相反するはずの象徴主義、そしてロマン主義などといった文字が連なる。


「まあ学校で美術なんて習う場合は、至極便利よね・・パレットってさ!」


その当時の代表的画家であるクロード・モネやルノアールにとって【印象派】という呼び名は必ずしも好ましいものではなかった。


反面、イギリスのラファエル前派や、後のフランスのシュールレアリスムの画家たちは寧ろ、既成のサロンや英国美術アカデミーが推奨するような、古典的絵画に対しての反抗心を持ち。


自らを時代の旗主とする意味において、その呼び名を積極的に名乗った。


そんな時代の流れとは無縁の画家。


19世紀中盤から20世紀初頭まで。

その幻想の中に戯ぶかのように。

作品を遺した。


フランス異端の画家ルドン。 


【オディロン・ルドン】


1840年4月20日にフランスのボルドーにて生誕(4月21日という説もある)


本名 ベルトラン−ジャン・ルドン。

ベルトランは父のベルトラン・ルドンの名からファーストネー厶を引き継いだ。しかし母親オディーユの名から、幼少時代より家族からはオディロンという愛称で呼ばれていた。


母のオディーユはフランス人だがニューオーリンズ生まれのクレオール。


クレオールとは、当時フランスの植民地があった、アメリカのニューオーリンズ帰りの女性に用いられた言葉だ。


アメリカにあったフランス領土には、他にルイジアナがある。ルイジアナのルイは、フランスのルイ14世の名からつけられた地名だ。


後に二つの領地は、財政難に苦慮したナポレオン三世により、アメリカに二束三文で売り渡された。


ルドンは父から受け継いだベルトランより、母マリー・ゲリンの通称であったオディロン。


その愛称で呼ばれることを好んだ。


その生涯において、自らの呼び名を、オディロン・ルドンで通した。


これは母の思慕への思いか。

それは定かではない。 


ルドンは寡黙な性格の画家であった。


自身の作品に関する著述や記録さえ、殆ど残してはいない。


両親は勿論、ルドン自身も、裕福な家庭に生まれ育った。ただ、ルドンは生来、体が病弱であった。生後2日で、出生地の大都市ボルドーより、30キロ離れた田舎町、ペイル・ルバートに11歳までの間里子に出されている。


ボルドーよりも、そちらの方が病気がちな息子の成長のためにはよい。

そうした両親の判断があったとされる。幼くして母親に見限られた。

そんな説もある。


ルドンは次男であった。上と下に、それぞれ男兄弟がいた。しかし、実家で暮らす兄や、弟、両親と離れた場所で、ルドンは少年時代を過ごした。


「現存する代表作はだな・・」


【自画像】(1880年)

オルセー美術館所蔵


【キュクロプス】

推定1914年、或は1898年から1900年にかけて。オランダ、クレラー・ミュラー美術館所蔵


【眼・気球】(1878年)

ニューヨーク近代美術館所蔵


【トルコ石色の花瓶の花】(推定1911年) 個人所蔵


「それと【ビーナスの誕生】1912年・・これは晩年の作品だな・・」


里子に出された家は何も無い田舎町。病弱で内向的な子供であったという。

それゆえに家の隙間や暗闇で過ごし、長く空想に耽る時間を好んだ。


子供の頃から絵を描き始める。


父親に会った時に、空に浮かぶ雲を見て。父がルドンに言った言葉。


「雲を同じ雲と考えてはいけない」


それは、偶然にせよ、後の印象派、象徴主義を現すかのような言葉であり。

少年ルドンの心に深く刻まれた。


空に吐き出された雲のように。

他愛のない親子の会話かもしれない。


ルドンだけでなく父親や家族たちも

芸術に造詣が深かったとされている。


そんな父親の意向もあって、やがて建築家となるべくエコール・デ・ボザールの試験を受ける。


「フランス国立美術学校だな」

「狭き門バカロレアっぽいべ’」

「国立かあ・・」

「車輪の下敷き」

「それドイツな!」


彗たちの通う美大は名門だが私立だ。 

国立にはちょっとだけコンプレックスがある。彼らは顔を見合わせた。


どの顔を見てもコンプレックスとか、そんな次元の面構えではなかった。


しかし合格することは叶わなかった。建築の道は諦めざるを得なかった。 

怪物たちは親近感を覚えた。


弟であるガストン・ルドンは、後に兄が落ちた国立建築学校に見事合格を果した。やがて高名な建築家となった。

後世にまで残る作品を残している。


大学在学中に既に権威あるローマ賞を受賞するなどして才覚を現している。

卒業後は国の建築士となる。


「有名なとこでは、ルーブル美術館のルーベンスや、ヴァンダイクのホール改装拡張を手掛けてるぜ。それから、バヴィヨンドマルサンや、オルセー美術館には、その幻想的でシュールなドローイングがそのまま遺されて・・」


「行ってみたいな」


彗はそう呟いて。少し黙った。


大学時代からの終生の友となった人物に音楽家のドビュッシーがいる。


「弟・・超優秀だべ!」


母校の教壇にも立ち。数々の有名建築家のワークショップを任され、それら引き継ぐと、数々の高名な建築家を育てた。後にその功績が国から評価され。芸術アカデミーの会員となった。


兄アーネストもまた音楽家であった。


「自分が落ちた学校に弟が合格とか、最悪だべ・・」


「しかもその後の仕事や交友関係も、超一流な芸術一家とは・・」


逆にオディロン・ルドンという画家。気になって仕方なくなって来る。


ルドンにとって、建築家になること、それが叶わぬことになったこと。

それがどのような心情であったか。

それは記録に残されてはいない。


勿論生来絵を描くのが好きだった。

それは間違いない。


美術学校に落選した。

それは失望もあった。

想像に難くはない。


その後ルドンは画家を志す。

単身巴里へと向かう。


一流画家への登竜門であるサロンへ、作品を何点か出品している。


「生涯で一度足りとも、その作品は、入選も評価されなかった、らしいね」


「歴史に残る画家さんだべ・・」


「言ったろ?気球、梟、人型、植物にいたるまで、ひとつ目君しか描かないからさ!それも49歳まで!」


「当たり前だへ!権威ある画壇のコンクールだべ!?一体どんな了見・・いやこだわりがあったんだべ!」


「目玉一筋・・」

「逆にすごくね?」

「うむ!」


「逆にすごい!これは大切!」

「メモしとくべ・・」

「律儀なヤンキー」


一方で、その時代のフランスでは、マネ、ルノワール、ドガといった後の、名だたる画家たちが起こした芸術運動【印象派】が大いに活躍した時代だ。


少なくとも美術の歴史の教科書には、そう書かれているはずだ。

それは概ね正しい。


「お前たち、印象派って聞くと、まず浮かぶ印象ってどんなんだ?」


「ルノワールのお尻の大きなふくよかな女の人の裸婦画とか・・」


「ドガの踊り子とかダイナミックで華麗なバレリーナの絵とか・・」


「やわらかくて色彩豊かな静物画とか・・戦艦デメテールだっけ?イギリスのターナーって印象派ぽいけど、」


『ぽいぽい!』


「あれって印象派なの?」


西洋絵画の授業を選択していない。

彼らはいつの間にか生徒のようだ。

彗に気になることを次々質問した。


「世の中の人の認識とかそれな!」


彗は彼らに言った。


「それで全然オッケー!印象派に対してみんな好意的よね?」


好意的もなにもそれらの絵に対して、どうして嫌悪感など抱けるだろう。

人それぞれに好みはあるにせよ。


「でも当時のフランスのサロンでは、全然違っていたらしいんだ」


現在の人々が絵画の【印象派】という言葉に対して思い描く印象。


それとは真逆に、印象派という言葉はマネがサロンに出展した作品【印象・日の出】に起因する。この作品は、当時のサロンで酷評された。


この絵は、パリの風刺新聞ル・シャリヴァリ紙上で、批評家のルイ・ルロワによりさらに酷評された。侮蔑と皮肉を込めた物言いで、「技術が到底水準に満たない画家たち」それらの集い【印象派の展覧会】転じて【印象派】という新語として用いられたとされる。


「単純に・・今観てもだ!繊細さ、どんなに微細に描いても目視でわかる筆先のストローク!戸外制作にも関わらず、空間と、時間による光の質の変化!見よ!その描写力!それまでに、描き尽くされた神話や物語とは違う、対象の日常性、人間の知覚や体験に欠かせない要素の取り込み、その動きの包摂、そして斬新な描画アングル!酷評とかまじで盲かよ・・って感じさ!」


彗が一息にまくしたてた。

多分それが印象派の定義。

なんだろうな多分。


榎本薫がしきりに頷いている。

こいつ本当にわかってんのか。

こいつも一応西美科だっけ。


彗はナッツを口に放り込んだ。

上気した顔でもぐもぐしている。


「喉が乾くべ・・」


「でも、今までルネッサンス万歳!みたいなとこにそんなのが来たら・・」


それは皆がよく当たり前にいう言葉。 

そもそもルネッサンスってなんなの?


絵画科ではない。造形美術科の彼らにはわからない。今更聞けない。 


「保守的な世界の人は拒絶するよな」


一体いつの時代からルネッサンスは、保守的な言葉になったんだろう。


芸術アカデミーは常に権威的保守的であった。そこに求めるのは、古典絵画の技法の習得と、踏襲と、その流れに沿った画題。そうした画家や作品を推す伝統。どこの国でもそうであった。


元々絵画の芸術性を高めるため。

画家の地位向上のため。


発足の理由はそうであっても。

一流と認められた画家たち。


その絵を買うのは王侯貴族だ。

カソリックの礼拝堂や国の施設。

そこに飾る絵画は王室の資産から。


彼らは荘厳華美な絵画を好んだ。

長く続いた封建的な王制や貴族社会。

画家たちのパトロンは彼らだった。


つまり、画家がそのような絵画を描くのは必然で、芸術の登竜門たるサロンは、疑うことなくそれらの画風を評価し続けた結果。形骸化の道を歩んだ。


やがて、封建的な階級社会そのものを擦るように、画家たちにとって、ひとつの巨大な権威や壁の象徴となる。


仏王室崩壊後は国がその役を担った。


一時的にせよ、それまでは貴族や王族が担っていた「画家のパトロンであり顧客」その座が、芸術アカデミーへ、すなわち国家に移行した時代である。


嘗てフランス革命が起きた国仏。

現在まで王制が続く国である英国。


それ故英国の王立美術アカデミーは、依然として旧態を然としたままで。

その権威が保持されている。


「だからその時代の英国は「フランスやイタリアに比べると『絵画後進国で絵に面白みがない』・・なんて不名誉な言われ方をされていたんだ」


「ほえ〜どこの世界でも、画壇とか、文壇とか、学問やら芸術の名のつくもんは、おっ固いところなんだべな!」


「美大だって本来はそうだろ」


『いやいや美大は校風自由だって!』 「確かにお前ら見てると自由だな!」


黎明期における印象派。国家主導の芸術アカデミーに評価されなかった。


自ら開催した印象派展も人気がなく。

まったく絵も売れなかった。


その中で印象派の急先鋒として大いに

叩かれたマネ。マネは反骨精神の画家としてその名を知られている。


何度サロンが彼の絵を跳ねつけようと、お構いなしに作品を出展した。


一度入選を果たせば、次回から無条件で所謂サロン・ド・パリに展示され、国から報奨金が出されるシステム。


マネがサロンにエントリーした作品。


【草上の昼食】


パリのサロンはこの絵画を巡って紛糾する。その大半が、怒りに満ちた酷評で埋め尽くされた。蛇蝎の如く忌み嫌われた。そんな表現が正しい。


「検索よろしく!」


今では印象派を代表する名画としてネット検索にかからぬことなどない。


「モネの草上の朝食出た!」


「それは、マネに憧れたモネが、リスペクトして真似して描いたやつな!」


「草上の朝食・・ややこしいべ!」


「当時のマネもそう言ったらしいぞ」

「マネがモネに真似してんじゃね?」


【草上昼食】とは、一見して実に謎めいた絵画だ。複雑、難解、抽象的でわからない。そんな類の絵画ではない。

謎なのは描かれた人物の様子にある。


初めてこの作品を見た人には、これが一体どういう意図で描かれた絵なのか。おそらく首を傾げることだろう。


構図は実に単純である。題名通り、草むらに腰を下ろし、まさにピクニックのように談笑するかのような風景。

そこに三人の男女が描かれている。


二人は男性。一人はモネ自身だろうか。もう一人はモネの弟。現在、その人物たちは、はっきり特定されている。問題は左端に座る女性。


彼女だけが衣服を着ていない。

全裸でそこに座っている。


例えば【ラファエル前派】と呼ばれる英国の画家たちが、その旗と理想を掲げて、描こうとした。そのすべてがミレーという画家の【オフィーリア】という作品に集約されているように。


モネが描いた【草上の昼食】には印象派なるものが何たるか、そのすべてが余すことなく描かれている。


以後がすべてフォロワーとなる。

才能とは残酷なものでもある証明だ。


そして、この作品は当然のように、その年のサロンで袋叩きに酷評された。


「あまりに卑猥で猥褻である」


19世紀後半において、紳士淑女ましてや女性が素裸で叢に腰かけるなど。


「あり得ない!けしからん!」


当時は今のような薄着で露出の多い服さえなかった。そんな時代だ。


そんな批評に対してモネは反論した。


「いや、これは女神ですよ」



「ところで、ドラクロワの【民集を導く自由の女神】って知ってるかな」


【民衆を導く自由の女神】


1830年にウジェーヌ・ドラクロワによって描かれたあまりに有名な絵画だ。


中学高校の世界史の教科書にも必ず載っている。皆見覚えがあるはずだ。


同年1830年に仏で起きた歴史的事件、

7月革命を主題として描かれている。


かつてのフランス王国で、1789年7月14日から1795年8月22日にかけて起きたブルジョア革命。フランス革命。


フランス革命記念日。フランス共和国の建国記念日でもある。


7月14日が祝日と制定されている。


かつての封建的な残留物を一掃し。

資本主義憲法の確立 を成し遂げた。


それから41年後の7月王制復古を唱えたブルボン王朝に対し蜂起した仏国民はこの戦いに完全に勝利した。


フランス革命後、自国防衛のために、ナポレオン三世が設けた徴兵制度。

国民兵に手渡されたマスケット銃。

人類初の民間人が参加する徴兵。


それまでの神事の恍惚と熱狂。

それが近代戦争の先駆けとなる。

その瞬間を描いた歴史的絵画である


油彩で描かれたその中央に立つ。

銃剣つきのマスケット銃を左手に、

フランス国旗を右手で掲げた女性。


民衆を束ね導く勇敢な姿の女性こそ、現在もフランスのシンボルである。

マリアンヌと呼ばれた女性。


印象派誕生前夜の作品である。


絵画としてのスタイル、フランス7月革命という勇壮なるテーマから、絵画におけるロマン主義の代表作とされる。


「それはさておき」

『さておいちゃうんだ・・』


「お前らは、このドラクロワ先生の絵と初めて対面した時どう思った?」


「どどどうって・・ダイナミックでかっこいい絵だなって思ったよ!」


「そうそう!俺たちだって芸術家の端くれ・・」


「違うだろ!」

「勿論違うべ!」


「えっと・・この一人だけ女の人がいて・・おっぱい出して」


「そう乳だ!」

「乳放り出してるべ!」


この作品の原題は【La Liberté guidant le peuple】つまり女性は自由、その乳房は母性、すなわち祖国をそのもの意味しているとされている。


ドラクロワはこの絵の様々な理念を比喩を用いて表現しているとされる。


「あのドラクロワの描いた、【民集を導く自由の女神】この絵画にはすべて、この時代に生きて、7月革命に参加した当時の人々が、そのまま、絵の中に描かれているとされてるんだ!中央の乳出したマリアンヌ以外はね!」


田崎彗は彼らに言った。


「マリアンヌという女性は勿論、どこを探してもフランスの歴史上も存在しない。それはこんな風に裸だから」


裸である女性は人間ではない。

裸は神性を帯びた者である証。


「ま、タイトルにも『これは女神です』・・って謳ってはいるけどね」


ドラクロワの絵画の女神はその時代の女性の衣服を身に纏い。乳房を露出している以外は、女神と言われなければ一般女性と判別出来ない。身の回りにキューピッドやエロスと呼ばれるような天使も描かれていない。


「乳まる出しの女の子が、旗持って、頭の上に天使が飛んでたら・・それは店だべ!どこの天国に案内されるやら!わかったもんじゃねえべ!」


『確かに!』


「中世絵画の世界から裸は御禁制」 

「それでモネは怒られた」

「ドラクロワは?」

「よかったのか?」


「怒られなかった」


絵の中の女神が被るフリギア帽。

革命からの自由の象徴となった。


マスケット銃を携え、女性に続くシルクハットの男性は、ドラクロワ自身であると解釈がされている。


自由の女神マリアンヌ以外実在の人物とされているが。女神の右隣の立つ二丁拳銃の少年は、ヴィクトール・ユーゴのレ・ミゼラブルの主人公ガブロッシュではないかと言われている。


「これぞフランス!」

「革命自由!万歳!」


1831年5月のサロン展に出品。


仏政府は革命を記念するためとして、この作品を3,000フランで買い上げた。


しかし、翌年1832年の六月暴動以降、『あまりにも政治的で扇動的である』そんな理由から、1848年革命までの16年間は展示は行われなかった。


1874年から現在に至るまでドラクロワの【民集を導く自由の女神】はルーヴル美術館に収蔵されている。


2013年2月。来館者により黒のフェルトペンで落書きされてしまう被害に遭う。翌日には修復された。


『さすが女神!』

「さすがフランス美の殿堂!」

「完璧なバックアップだべ!」


絵画表面にはワニスが塗ってあり、落書きが下の絵の具にまで浸透していなかったことが幸いし、素早い修復が可能だった。ドラクロワは印象派以前の絵の仕上げ加工を施しており絵の表面にワニスを塗る作業を施していた。


落書きにはAE911と書かれており、アメリカ同時多発テロ事件、その陰謀説などが関わっている可能性が指摘されている。落書きをした女性は9.11TRuThに所属しており、精神不安定により、裁判へ出頭する前日、精神科関連の施設に搬送、収容されている。


「自由の女神様も・・人間の歴史や、政治に翻弄されたんだべ!」


「美術館は安住の地となるはずだったが、まあご無事で何よりだ・・」


裸であれば神や女神。女性の裸を描くなら女神でなくてはならない時代。


「それってどういうルールなの?」


「ルネッサンス縛りだべ!」


なんだ、そのヨーロッパのSMプレイみたいな響きは・・なんかアートな革紐の緊縛を想像してしまうぞ!


「縛りは合ってる!」

「よっしゃあ!!!」


「何をするにも縛りのルールは大切・・じゃなくて!ルネッサンスって言うのは、ネオプラトニズム・・新プラトン主義ってやつ?そんなのが根っこや核にあるわけよ・・」


「し・思想とか哲学とか?」


「そんなに難しい話じゃないんた」


ネオプラトニズムとは、プラトンのイデア論を継承し、万物は一者から流出したものと捉える思想であり、紀元3世紀頃にプロティノスによって展開された。これがルネサンス期にイタリアで再び盛んになった。これがルネッサンス芸術の源泉とも言われている。


「つまり元々この世界にあったギリシア神話の世界と後のキリスト教思想や教義を合体融合させたものがネオプラティズムでありルネッサンスが革新とか再現芸術と呼ばれる由縁なんだ!」


「アモーレ!ネオプテラノドン!それが、日本で言うプラトニック・ラブの語源だべ!ぽっ・・」


「いいぞ!榎本!お前こそが神の使いエーロスだ!パン買ってこい!」

「Oh!Yes!それはパシリだ!」


肉体の美と、躍動、それを余すことなく大胆に描くギリシア・イタリア芸術と、厳格な教義で知られるキリスト教カソリック思想と教義。本来異なるこの二つを融合させるには無理がある。

これを可能としたのは、キリスト教を上位に、縛りを持って成立させる。


「つまりな・・聖書のアダムとイブは裸だから!神様なら、まあ・・『ぎり、とりあえず裸描いていいよ!』ってそういうことさ・・」  


「だべ!」


『えええ!?それで20世紀手前まで来ちゃったの!?』


「続いちゃったんだこれが」


「恐るべしイエス様とキリスト教だべ!世紀を跨いで鋼の緊縛師だべ!」


美しい裸婦画を描きたい。

そんな画家の情熱や願望。

それは今も昔も変わらない。


だからこそどんなに規制されても。

そこから滲み出し手招きする。

それが夢想であれ。

人の姿であれ。


それこそが古来から画家を誘う。

真の美の女神の姿だ。

彗はそのように思う。


「いやこれ女神っすよ・・先輩!」


1963年にマネが描いた【草上の昼食】は大いに当時の画壇を騒がせた作品。

その中に描かれた裸の女性。


名前はヴィクトリア・厶ーラン。

当時パリに実在したモデル。


マネのお気に入りのミューズ。


ルネッサンス時代の絵画の女性とは、明らかに骨格もプロポーションも違う。少しふくよかな体つき。


座ると腹部に肉の皺が出来る。

極めて現代的な女性のデッサン。


彼女のあだ名はPetite crevette。

小エビちゃんと呼ばれていた。


フランス郊外の野外で描かれ。

その太陽の自然光が採り入れられ。

筆のタッチはあえてそのまま残され。

モデルたちは実在した女性を描いた。


印象派と後に呼ばれる。

その条件をすべて満たした作品。

それが【草上の昼食】である。


この作品がパリのサロンで酷評され。


「猥褻なだけの絵画」


そう評価され落選した時。

マネは絵の中の裸婦を指して。


「でもこれ女神ですよ」

 

 サロンに対して主張した。


「ふざけんな!格式と伝統あるサロンにこんな絵持ち込みやがって!」


「これお前らだろうが!」


「この女も知ってるぞ!」


「お前ら普段からこんなことしてんのか!?これは絵画に対する冒頭だ!」


「コンビニにたむろしてるような、お前らみたいな輩の裸の絵を!こともあろうに二科展とかに・・だべか?」


「おおむねそんな感じだな!」


「それでも」


田崎彗は彼らに言うのである。


「マネは、絵画の世界で当時のフランスに現れたテロリストでも、秩序の破壊者ではなかったと、俺は思うんだ」


画家や芸術家と呼ばれる人の心は繊細なものだ。どんなに破天荒でも豪放磊落と呼ばれるような人物であっても。


自身が心血注いだ作品を貶される。

それは耐難く。立ち直ることは容易なことではないはず。彗はそう思う。

ここに居合わせた者が皆そうだ。


絵画だけではない。あらゆる芸術家文化の中心となりつつあった花の都パリで開催されるサロン・ド・バリ。


名だたる画家たちや評論家が会員として名を連ねるサロンの選考に挑む。

勿論マネにとっても一世一代の画家人生の勝負として作品を出典した。


そこには勝算も自信もあったはずだ。

それに加えてアカデミーに対する「わかってくれるはずだ」そんな信頼もあったのではないか。彗は考える。


「西洋の絵画に詳しい人間ならわかることさ!マネの草の上の昼食は・・」


ルネッサンスの画家コルがトニオ・ライモンティの【パリスの審判】の構図がオマージュされ取り入れられている。それは版画として昔からヨーロッパ各地に広く流布した作品であった。


ライモンティはルネッサンス期の大画家ラファエロの弟子の当たる画家で、

ラファエロとテイッアーノ、この画家は今も西洋美術の教科書やお手本として当時の画家たちは誰もが学ぶ。


けして避けては通れない存在だった。

当時【パリスの審判】はライモンティの作品として知られていたが、実は師のラファエロの作品と判明する。


ライモンティは師匠のラファエロの作品を版画で大量に刷り大儲けした。


パリスの審判とは、ギリシャ神話の中の物語の一場面を切り取った作品で、そこに登場するのはアフロディーテ、ヴィーナス、アテナ、いずれ劣らぬギリシャ神話を代表する三人の女神。


女神たちはそこに集う神々の前で「誰が真に美しい女神であるか」結審するために呼ばれた。そしてその判定を下す役割を託されたのがパリス。


「神々のミスコンだべ!」

「まあな・・でも水着審査はない」


そこに描かれたギリシャ神話の女神、神々たちは当然の如く全員裸である。


「それと、もう一枚はテイッアーノ大先生の名作【田園の奏楽】ね!」


文字通り田園の草原にて音楽を演奏する神々。これもまた裸である。


この二つの作品を下敷きにマネは【草上の昼食】を描いたとされている。


「だから俺の絵も女神描いてんだ」


マネはきちんとサロンが推すルネッサンス絵画に永劫回帰をしている。


自身の作品を通してそう主張した。

それを現代の風俗に落しただけだ。


アダムとイブの骨子を受け継いだ。

絵画の神や父と呼ばれた画家たち。 


自分もその大河を流れる。

同じ系譜に変わりない。

今を生きる画家なのだ。

現代の古典絵画を描く。


そう主張して譲らなかった。

それがマネという画家だ。


しかし、その年からサロンに於いて。マネと、その親派の画家たち数名の作品のみならず審査は厳しさを増した。


新人画家の落選の数は三千を超えた。


「三千て・・それは害虫駆除だべ!」

「まさに歯向かう者は一網打尽!」


「これはあまりに酷い!」


若い画家たちの手で、政府に陳情書が提出された。これを読んだナポレオン三世は彼らに救済措置を講じた。


サロンに落選した絵画の展覧会が催された。改めて評論家や古参の画家や市民にその絵画たちの真価を問う。


その展覧会にはそんな意味があった。


「その展覧会も改めて酷評の嵐」

「仕切り直してダメ出しとか最悪!」


エドゥアール・マネは次回作を引っ提げて、厳格なるサロンの扉を叩いた。


「偉大なるパリのサロンの先輩画家、博識なる評論家様方、選考委員の雄歴々なら、きっと御理解頂けるはず」


「なに?この絵がわからない!?」


 マネは次回作で一計を案じた。


「ならバカにもわかるように描こう」


【オランピア】

1865年(仏オルセー美術館所蔵)


寝台に横たわる裸婦画である。


マネはこの作品を1865年のサロン。通称官展に出品した。前作における新人画家の大量落選のこともあってか。


作品自体はこの年漸く入選を果たす。


【草上の昼食】同様に、現実の裸体の女性を主題とした事が問題視された。またしても、マネの作品は、選考委員の批判の標的となってしまう。


「そもそもオランピアって人の名前じゃねえんだ。そんな名前の人はパリにはいなかったはずだ。昔も今も・・」


オランピアという呼び名は当時のパリにおける娼婦の通称だった。


「げげ!」


床に敷かれるように置かれた丈の低いベットと白のリネンにみを横たえて、寝そべりながら正面を向いた裸婦。


その傍らには、花の束を抱えた黒人の女性。当時のフランスでの習俗から、召使いや家政婦であることがわかる。


彼女は何ひとつ身につけていない。

首に巻いた黒革のチョーカー。

腕に巻いた布飾り以外。

あとはサンダルのみ。

その足もとには黒猫。


「おしゃれなお姉靴だべ!」

「足元までお洒落な女性だな!」

「ただし全裸とは!」


これは、当時のパリ市民なら誰でもわかる。その時代の娼婦たちの流行だ。


それは紛れもない、1963年という時代のパリそのものが切り取られた作品。


このようなマネのアプローチ。当時主流のアカデミックと呼ばれる絵画表現とは勿論まったく異なっていた。


サロンが強く推奨した、神話、歴史上の出来事を描いた絵画に登場する裸体の女性とは明らかに異なるものだ。


描かれた女性が、当時の娼婦を表している事は明らかさまであった事もあり。轟々たる非難の対象となった。


さらに「ラ・ジャポネーゼ」と称された。当時流行日本の浮世絵の影響をこの絵画に取り入れている。


つまり、ルネサンス以来の、奥行きのある空間表現や、立体感をつけるための陰影をすべて切り捨てており、前後に配置されているはずの2人の登場人物(裸婦と召使いの黒人女性)意図的に2人がほぼ同じ大きさに描かれている。


ラファエロのような伝統的絵画が賞賛されたこの時代にあって。裸体が理想化されておらずあまりに平坦なために『下品なメスゴリラ』と酷評された。


「メスゴリラとは失礼な!モデルはゴリラじゃなくて小エビちゃんだべ!」


「いいぞ!榎本!」


そのような酷評の嵐の中にあっても、マネは一切怯むことなく主張した。


「これが俺の女神っすよ先生方!」


彗は放り込んだ木の実を噛み砕く。

舌の先で唇についた塩を舐めた。






【次回予告】


「ルルル〜♪」

「ルルル〜♪」


「では!次回もまた読んてね!」

「あれ・・もう予告終わりだべか!」

「今回は本編の尺が長い!なので予告はあっさり・・びゅんびゅん!飛ばして行くよ!予告TGVで!」


「それはフランスの新幹線だべな・・次回は!今回登場したルドン、マネ、ボスードレールや水木しげる先生まで幻想と怪奇に絡み合うだべ!これは楽しみだべ!」


「いや・・それほどはからまな・・」

「ん?なんて?」


「父さん!妖気です!」

「なに!?彗太郎の頭の妖怪アンテナが!?大変だべ・・大変じゃ!」


「父さんあっちです!次回です!」

「彗太郎!」


「ル・ル・ルルルのル〜♫」

「みんなで読むだべ!ルルルのル♫」


『ルルルのルドン次回も読んでね!』































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