第14話【LOVERS ONLY 番外編】


【ようこそ ロンドン美術館へⅦ】




ルーム7【鏡のヴィ―ナス】ディエゴ ベラ

スケス作 


こちらには中年の女性学芸員がついていた。


《イタリア絵画等によく見られる、ふくよかな肉体の女性像。古代より繁栄と美の象徴。信仰の対象でもありました。それは、一般的な女性や貴婦人などの裸婦像から、やがて美の女神へと姿を変えて行きます。それとは異なるのが、このベラスケスの描いた、裸のヴィーナスの肢体です。ほっそりとしたウエストに、引き締まった身体。こちらには顔を向けず、対面者に対して背中を向けるように描かれた体の、流れるような優美なライン。こちら向かって突き出された、張りのあるヒップを有しています。それがこの女神の大きな特徴です。ふくよかな女性の美を礼賛した、中世の画家たちとは異なる画風です。言い方は少々悪いですが。ヴィーナスと言われなければ・・まるで雑誌のフォトジェニックのような・・非常に現代的なプロポーションの持ち主と言えるでしょう(溜息)まったく・・同じ女性として、実に羨ましい限りです!近頃私もビールの飲み過ぎでして・・》


学芸員の女性が鼻に皺を寄せお腹を押さえる。来館者たちの間から軽い笑いが起きた。

彼女はすでに彼らの心を掴んでいた。


《多種多様なこの色合い・・油彩で表現された、細やかな肌の質感と表現を御覧下さい!惚れ惚れと見入ってしまうはずです。とても自由なタッチでありながら、構図は非常に考え抜かれており、ゴヤはこの作品に刺激を受けて、彼の代表作である【裸のマハ】を制作したと言われています》


寝室のベットに身を投げ出して。

鏡を見つめるヴィ―ナス。


確かに・・ヴィーナスと言われなければ。

彼女の前に恭しく鏡を掲げるエンジェル。

天使の姿が描かれていなければ。


「この絵画のヴィーナスは、私たち女性にとって、どこか親しみや、身に覚えのある。とても普遍的な姿に見えては来ませんか?」


女性学芸員の言葉通り。自分の部屋でリラックスした姿で化粧する。女性の奔放な一時が、そのまま切り取られたようにも見える。


「このように、身だしなみを整える女性をモチ―フにした裸婦像。実は古来、絵画の世界に於いては、然程斬新なものではありません。ベラスケス以降は数多く描かれています。この作品が後世の画家たちの間で流行を呼び、やがてスタンダードとなったのです」


「これが名高いベラスケスのヴィーナスの化粧・・」


吸い込まれそうな裸婦画だった。

榎本は溜息混じりに呟いた。


「ちげえよ」


隣にいた彗の呟きに思わず顔を見た。


「ヴィーナスの化粧はブーシェ!フランソワーズ ブージェの方だ!」


その物言い。いや顔もむかつく!

いつも通りの田崎彗だった。

榎本はなぜか安心もした。


「美大生が間違えんな!ばあか!」


やっぱこいつ・・むかつく。


「だ・・だけど!このガイドには【ヴィーナスの化粧】って書いてあるべ」


「よく間違われんだ」


彗はガイドブックの間違いを指摘した。

昔から書籍でも洋楽の歌詞でも誤訳は多い。


【ヴィーナスの化粧】


それはフランスの画家、フランソワ ブーシェによって制作された作品である。

制作年は1751年から1751年。

ベラスケス以降の画家である。

メトロポリタン美術館所蔵。


またエルミタージュ美術館にも、同名の作品が所蔵されており。至宝とされる名画だ。


「素人が混同するのも無理はない」


「素人って・・」


当時ルイ15世の公妾であったポンパドゥール夫人はブーシェの才能を高く評価し、1747年から1764年に亡くなるまでの間、ブーシェのパトロンであった。


パリ郊外にあった、ベルビュー城の彼女の化粧室を装飾するために依頼された作品だ。


1750年、ポンパドゥール夫人は、ヴェルサイユ宮殿にて催された演劇で、主役のヴィーナスを演じていた。


絵画はポンパドゥール夫人の肖像画ではない。パトロンであった彼女への賞賛。夫人を喜ばせる意図があったのではとされている。


【ヴィーナスの化粧】それは時代を超越したスピリチュアルで魅惑的な主題であった。


画家たちはその主題に魅せられていた。

こぞってそのテーマの作品に取り組んだ。


「そのファーストインパクトを与えたのが」

「ここにある【鏡のヴィーナス】ってわけ」


もうひとつの【化粧するヴィーナス】その原題は【The Toilet of Venus】である。


Toiletは化粧のみならず、本来は身支度全般を意味する言葉だ。この作品では、ヴィーナスが、キューピッド達に身支度を手伝わせている。そんな様子が描かれている。


絵画の主題が【鏡のヴィーナス】と同じことは絵からも見てとれる。こちらのヴィーナスもやはり裸婦で、しっかりと前を向き、腰かけた姿勢で顔に微笑みを浮かべている。


キューピッド、白い鳩、貝の形の水盤、水差し、真珠、花は、ヴィーナスを示すアトリビュートである。女神やキューピッドの体は、柔らかくしなやかに描かれ、女性の肉体の持つ美しさが存分に表現されている作品だ。


ロココ調のソファ、シルク、ベルベット、ダマスク織りの金のカーテンの装飾は、非常に精巧でな筆致であり。実にロココであり。


女神らしい優美さに満ちている。


「ヴィーナスと言えば大概いつも裸だべ・・化粧も身支度も必要け?」


「それな」


かたや目の前にある【鏡のヴィーナス】はと言えば。彗は目の前の絵画を見つめる。


ギャラリーに展示された題名の表記


【Venus at her Mirror】

鏡のヴィーナス。


もしくは鏡を見るヴィーナス。


《当ギャラリーでは、この名称で展示されています。英語圏では【ロークビーのヴィーナス】と呼ばれることも多く…これは、古い名画や彫刻が発見された地名や、所有者の名前に由来して呼ばれることがあるからです》


「ピケの女神しかりだな」

「恐竜の化石みたいだな!」


《英国以外の諸外国では、The Toilet of Venus、Venus and Cupid、La Venus del espejoor、La Venus del espejo ・・などとも呼ばれているようです》


「こっちも、トイレのヴィーナスって呼ばれてるべさ!【化粧するヴィーナス】でも合ってるべ!?」


「まあな・・トイレ言うな!」


「な~んかややこしいな!」


「・・そもそも昔の名画の題名なんてのは、見た目の印象から大抵は後づけでさ、後から名前がつけられる場合か多いからな!」


《本作は1647年から1651年にかけて、ベラスケスがイタリアに滞在していた時に描かれたものと言われています。今御覧頂いているように、ローマ神話の女神であるヴィーナスが、裸体でベッドに横たわり、彼女の息子である、愛の神キューピッドが支える鏡に見入っている・・そんな構図の絵画ですね》


言い方は悪いが。


学芸員の女性の言葉。彗は頭の中で反芻してみた。鏡を持つ天使が描かれてなければ。


「部屋でスマホでもいじってるみたいだ」


「田崎!天下の美の女神様になんて!?」


暴言にほどがあるべ!


そう榎本が言いかけた時。


「現代的ってそういうことだべ?」


彗は榎本に頬笑みかける。

吸い込まれるような笑顔。

そんな笑顔を時々見せる。


榎本は黙ってしまうのである。


「エロいな」


「は?」


「この絵からむっちゃエロスな匂いがする」


「確かに裸だけど・・お前は中学生か!」


「題名になんてだまされんなよ!」


後付けのタイトルになんて意味がない。

むしろその絵画の本質を見誤る。

田崎彗はそう思うのだ。


ここに描かれているのは女神ではない。

すくなくともベラスケスは、モデルに女神のフィルターをかけて加工していない。

これは見たまんまの裸の女だ。


視界から天使を外して見る。

ますますそう思えた。


過去にヴィーナスを描いた作品は数多ある。

この作品は近代絵画の世界に於いて。

オリジンと言える。


エピック・・いやエポックだったっけ。


《この作品は、ベラスケスの作品の中では、取り分け異色と呼べる一枚でしょう》


裸婦画が異色作品とは奇妙な話だ。

シーレはまだまだ生まれていない。

確かにその構図は凝ったものだが。

異色・・確かに違和感は感じる。

その違和感の正体とはなんだ。

彗は目を凝らして見つめる。


その答えを永遠に伏して隠すかのように。

ベラスケスの女神は背を向けたまま。

鏡の中から見つめ返す女神。

まるで水の衣を纏うように。

暈けて霞んだように見えた。


枝垂れ落ちる薔薇に飾られた鏡。

その鏡に映る顔も見てはいない。


女神はその素顔を見せようとしなかった。




【次回予告】


「俺らと女神は走死走愛だべ!」


「こいつ・・ヤン文字紹介に味をしめたな」


「では次回も夜羅死苦!」


「あれ・・やけにあっさり」


「だって・・俺主役じゃねえべし」


「読んで下さる皆様に天使の頬笑みを!」


「今のところ、つれない天使だべ!」


「この俺様が振り向かせて見せるさ!」


「かっけー!けど実際振り向いたら怖いべ!?学校・・いや美術館の怪談だべ!」


「もともとホラー作品て看板あげてるしい」


「読んでくれて亜離我拓!」


「拓をとうって読ませるのダサくね?」


「ヤンキー馬鹿にするなよ!ゴルァ!?」


「厚着のヤンキー」


「そうそうみんなあったかくして・・」


「次回も読んでね」


「鬼斑拓夜」

「それ・・読み方そのまんま!」


「バラリラ」

「バラリラ」



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