第2話【LOVERS ONLY】
【第二幕】
「コラットの外装6段サイクル?あ~ 悪いことは言わないから、それは止めとき!そいつは…俺は、おすすめしないね!」
彼はそう言って、私の目の前で、酔った手をひらひら振って見せた
新歓コンパで、偶然隣の席に座った人。
「俺…同じ新入生で、国文科の田島敦!」
確かそんな名前だった。
よく覚えてないけど。
私はその年に、大学の1年生になったばかりだった。
実家のある親元の郷里を離れて、西武新宿線沿線の上石神井に部屋を借りた。
春から1人暮らしを始めたばかりだ。
一応高校を卒業する前には、教習所にも通った。AT限定で運転免許も取得した。
しかし、都心で1人暮らしを始めた学生の私は、勿論車なんて買える身分ではない。
実家通いで、もてたい盛りの男子学生には、車は必須なのかも?
でなきゃ車なんて、なかなか持てない。
私が車を買う頃には、習った運転なんてきれいさっぱり忘れているかもしれない。
都会では、賃貸の駐車場に払うお金だって、びっくりするくらい高いのだ。
それに東京は地方と違って、路線バスも電車も豊富だ。移動の足には不自由はしない。
地方と違って車は必要ない。
それでも、私が借りた部屋は、駅からは少しだけ離れた場所にあった。
そこで私は、すぐに上石神井の駅に併設されて建つ、西友の店内をぶらついた。
そこで自転車を一台買うことに決めた。
実家に置いてきた、長年の通学の相棒だった「ママチャリでいいや」と内心思って、自転車売り場を見て回った。
そこで私は、アイボリー塗装の折り畳み式の自転車を見つけた。
「可愛い!この子にしよう!」
一目惚れだ。私はすぐに決めた。
私は、自転車であちこち出かけるのが、昔から好きだった。
自転車はペダルを漕ぐとぐんぐん進む。
だから大好き。
普段暮らしている家や、毎日通っている学校を置き去りにして、見る見るうちに遠ざかっていく。その感覚。
別に、毎日の暮らしに疲れたり、嫌気がさしてたわけじゃない。
「自転車に乗って自分探し」
なんて…ミジンコも考えたことはない。
けれど、田舎の町にある河原の畔とか、堤のある用水路や、様子のいい雑木林の中の木漏れ日があたる場所。
そんな自分だけの、のひのび出来る場所を見つけるのが、私の楽しみだった。
男の子たちが、ダンボールやクローゼットの中に、秘密基地を作るようなものだ。
深夜にテレビで、樹海で自殺した人の遺体を捜索する人を追った、ドキュメンタリーが流れているのを見たことがある。
世をはかなんで、誰も人が来ない深い森の奥で、一人寂しく命を絶った人たち。
彼らの遺体を「ホトケ」と呼んだ。
最初から生者を探す目的ではない。
専門家のベテラン レンジャーは、まず最初に森の中で【一番いい場所】にあたりをつけてから、そこからホトケを探すらしい。
あたたかい陽の光が射し込んで、ついつい、ピクニック シートを広げたくなるような。
そんな一等いい場所。
そこを選んで人は死ぬらしい。
生きていても、これから死ぬにしても。ふだん何も考えてない私のような人間でも。
人とは、常に居心地のいい場所を探して動きまわる。そんな生き物らしい。
上石神井という土地に越してから、私もネットで色々検索もした。
一度は訪れてみたい場所があった。
石神井公園前駅は西武池袋線。
私の住む上石神井を通過するのは西武新宿線。二つの線に連絡はない。
列車で向かうなら新宿まで戻るか、下井草の駅前から出てるバスに乗るしかない。
同じ石神井だが、車以外上石神井から石神井公園まではアクセスがないのだ。
自転車ならその距離も苦にならない。
しかし、コンパの席で、ちょっとその話題に触れた途端。隣にいた、それまでモブだった彼が、やたら饒舌に語り始めた。
自転車オタ小僧の目が光りだした。
即座にその場で、その一目惚れ自転車を否定されてしまったのだ。
大学というのは、まあすごいところだ。
東京というべきか…なにしろ、より集まった人間の数の桁が違う。
ネットで検索するのとほぼ同じ速度で、彼は私に答えを提示して見せた。
私の知らないことを、やたらと詳しく知っている。そんな人間に、こうして出会すことも…けして希ではないのだろう。
「折り畳みの6段サイクルなんて…ちょっとした街乗りに、お洒落でいいかも~ な~んて女子は、安易に考えがちなんだけどねえ~思ってるより繊細で、やたらとめんどくさい代物なのよ!これが!」
「へぇ…そうなんだ」
私は、飲み慣れない葡萄サワーを口にしながら、彼の言葉を聞いていた。
「繰り返すけど…外装6段の折り畳みとか、まるで使い物にならないからね!」
正論を言われても…なんかはらたつ。
「まあ…ちょっとでも雨に濡れたら、その度こまめに拭いて…泥はねも取ります!みたいな人ならいいんだけどね。君はそんな人?」
なんか人間性まで否定された気分だ。
女の子は、機能とか利便性より直感!
見ための可愛さとかで選ぶもの。
それをこいつ…多分もてねえだろうな。
あとは…シャフトとかクランクとか、ボスとかハブとか、よくわかんない単語ばかりが、目の前をずらずら通り過ぎていく。
だいたいハブってなによ!空港?
「14800円…お手頃値段だと思ったんだけどな…」
「まあ安物買いの銭失いってやつだね」
それだけ聞けば…後は西友で充分だ。
私の頭はもう既に、西友上石神井店の、自転車売場のフロアへと飛んでいた。
そこで売られていた、3台の自転車の中から、既に1台を選別していた。
残った2つのうちの1つは、値札が17000…いかにもがっしりして丈夫そう。が…業務用みたいで、どこか味気ない。
もう1つは、デザインもそここそ可愛くて、高校時代に乗っていた愛車に近い。これなら4年間しっかり乗れそう。
28000か…それにしよう!
私はその自転車のペダルをこいで、颯爽と風を切る。
人いきれと、煙草の煙が充満した、狭い居酒屋を抜け出し、今も武蔵野の自然がそのままに残るという、石神井公園の緑の中で癒される妄想に浸っていた。
少しだけ倹約。我慢しないとね。
今月は、新生活を始めたばかりで、何かと物要りだし。大学の講義も詰まっていて、結構タイトなスケジュールだ。
出来ればバイトも始めたい。
そして自転車も買おう!
私の人生に新展開!
新生活にテンションも自とあがる!
「あの…もし良かったら、今度の日曜日にでも…俺、自転車選びに付き合っても」
後は1人で西友に行くから。
「大丈夫!ありがとね!」
やはり彼氏にするなら、車持ってる人がいいな。自転車じゃなくて。
私は目が合ったサークルの、まだあんまり話したことない紗栄って子に頬笑む。
グラスを持ってそちらの席に移動した。
それでも同級生の田島敦君には感謝だ。
もしも彼が、飲み会の席で、私が購入予定だった自転車にけちをつけてくれなかったら…
私は心也さんと出会なかった。
さっさと1年で錆びて壊れる自転車を買って、石神井公園に出かけていただろう。
そしたら彼にも出会わずに、公園の景色にただ満足して、帰っていたかもしれない。
偶然と不思議な縁と、それから田島にも感謝だ。そしてもう1人。
私たちが結び合うのに、一役かってくれた。その人物はその公園にいた。
「ああ…彼女?彼女は昔から、この公園で、『オペラおばさん』って呼ばれているんだ」
「オペラおばさん?」
「この公園の主みたいなものさ」
彼が、私に初めて声をかけてくれた。
「あまり…目を合わせない方がいい」
彼は、私の耳もとで声を潜めて言った。
「彼女、1度度怒ると大変らしいから」
それがきっかけの言葉だった。
そして…その時の私は、まだ本当の恋の幸
せも知らない。平凡な女の子だった。
この時期、学生たちでごった返しの居酒屋の店内では、流行の歌が次々流れていた。
おしゃべりして、騒ぐのに皆が夢中で、誰も聞いてなんていない。
それでも、お気に入りの曲が流れると。
「私この曲好き!」
誰かが自分アピールして、あざとく可愛くハミングして見せた。
「二次会カラオケ行く人は手挙げて!」
この世界にはまだまだ私の知らない人々や、知らない歌が溢れている。
呪いのような歌がある。
後に、彼女の歌が私を苛み苦しめた。
その時はまだ、知る由もなかった。
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