太宰治は器用な作家である。彼ほどのペテン師はそうそういるものではない。お酒を飲んでいる。男は甘えてくるから年をとるほど厄介になる。しかし、当の本人はその厄介さを存在を認めるための一つの道具としてしか見ていない。その滑稽さを太宰ほど見透かしていた作家は、日本にはちょっといないと思う。hiphopを最も理解していたのは太宰治である、という文章が組み立てやすい。それほど太宰は相手に理解されていると思わせる。その技術の根幹にはトートロジーがある。主題とそれに付随する副題の組み合わせ方が、好奇心よりも既知に定住する態度に認められる。彼はあたかも、間違ってここに文章があるかのように読者に思わせる。その技術を盗むためには課題意識を忘れる必要があった。
重く、辛い過去を抱えて社会の底辺に身をやつしながらも、懸命に生きる男性の姿を描いた作品です。
とある事情から児童養護施設で育った主人公。そのせいか、物語全体を通して暗く、重い印象で進んでいきます。
施設を出てネカフェ生活が始まり、生活困窮者自立支援制度を利用してどうにか工場勤務を掴み取る。そんな彼を取り巻く環境もまさしく“底辺”で、日々単調な工場勤務をこなしながら、時折、気の合う友人と酒を飲むだけ。
こうして、まさしく人生をこなしているような日々はどこまでも陰鬱で、だからこそリアリティがあります。
そんな日々に変化をもたらすのが、行きつけのバーでバイトをしていた女性。彼女との何気ないやり取りが、少しずつ主人公が見る世界を変えていきます。
それは同時に、主人公が“自分”と向き合う生活の始まりでもありました。
自分と、社会と向き合う中で何度も何度も挫折して、絶望して、落ちていく。さらに、己の過去が前へ進もうとする彼の足を引っ張ってくる。そうして転がり落ちた先にある、本当の“底”。
真っ暗な世界から見上げたからこそ見えた“光”とは…。
現代社会の救いの無さと、それでもそこにある光を、リアリティのある暗さで描いた、現代ドラマらしい作品です!