最終話


 街の明かりを映し出す水面、その上をゆっくりと温かな光を灯す灯篭が流れる。

 それは、街を照らす電飾によって観測できない遥か彼方の天の川を、確かにここに再現している。


 眼下に見える人混みと違い、俺と久遠のいる建物屋上は静かで、二人の間に会話は無い。

 久遠は、見とれているかのように水面から視線を移さない。

 川上から流れる風に、その綺麗な髪が揺らされると隠されていた横顔が露となる。


 俺はその横顔を見ながら、ふと声を漏らす。


「綺麗だな……」

「……うん」


 久遠は視線を動かすことなく答えた。

 俺も、流れる灯篭に目を移す。


 ゆらゆらと、灯を揺らし川の流れに身を任せるそれにはどんな願いが託されているのか。


「よかったな。こんないい場所にいれてもらえて」


 誰も居ない、眺めも良い、時々吹き込む風が心地いいこの場所はベストスポットと言って過言ではない。

 あのオジサンには感謝だ。


「……織姫と彦星の教訓が活きたね」

「どういう意味だ?」

「真面目に働くと良い事がある」

「いや、そんなお話じゃないだろ」


 真面目に働かなくなったから引き離されたんだろあの二人は。

 というか、夫婦生活が楽し過ぎて働かなくなったってかなりキてるな。


「なら、どんな話?」


 久遠が俺に顔を向けて訊ねてくる。

 その顔には、どこか余裕そうな笑みを浮かべている。


 俺は、愛する二人が一年に一度だけ会える日が七夕。

 そこまで考えたところで黙り込んだ。


 久遠はそんな俺の様子を見て微笑んだ。


「なに意識してんの?」

「してない」

「ふーん……。なら、そういうことにしとく」


 久遠は、満足したのか再び視線を川の方へ向けた。

 少しの沈黙が続いた後、久遠が口を開く。


「ナルキ、ありがとう」


 久遠は、視線を下げたままそう呟くように言った。


「なんのありがとうだ……?」


 俺は、久遠が何に感謝しているのかわからなかった。

 俺は何も感謝されるようなことはしていない。

 それに、最近ではまともに話す機会も無くそんなことをしてやった記憶もない。

 いま、こうやって面と向かって話すのはいつ振りだと思っているのか。


 そんなことが俺の頭によぎった。


 すると、久遠は横顔からでもわかる真面目な表情を見せる。


「私は、いつもだいたい一人だったし、一人でも何も問題なかった」


 俺は、そう話す久遠の横顔をじっと見つめる。


「中学の時は、友達っていえるような人は居なかった。高校でもそうだと思った。けど、違った」


 久遠は少し顔を上げると、その口元に笑みが浮かんでいるのがわかる。


「ナルキと出会って、そうじゃなくなった。私の周りにこんなに人が居たことは無かった。ナルキのおかげで毎日が騒々しい」


 そう話す久遠の言葉を受けて俺はいつもの日常を思い出す。

 久遠がいて、俺がいて、アキトがふざけて壱岐が呆れる。マエと三倉が面白がって、双葉が窘める。


 それは、俺の知っていた久遠の日常とは違う。

 俺の知っている今の久遠の日常だ。


 俺が変えた日々だ。俺の選択の結果だ。


 俺は、目元に熱が篭る様な感覚を覚える。


「それと、最近変な態度取ってごめん」


 久遠は前を向いたまま申し訳なさそうな顔をする。

 俺は、声が上ずりそうなのをこらえながら言う。


「別に、気にしてない」

「……全く?」

「ごめん、ちょっと気にしてた」


 俺は本音を漏らしてしまった。


「でも、最初に変なこと始めたのはナルキだから」


 久遠に指摘され、俺は双葉とのことを思い出す。

 確かに、久遠との間がギクシャクしだしたのはあれからだ。


「ごめん」

「別に怒ってないから」


 不愛想な言い方だった。やはり少しは怒っているのでは?

 そう考えていると、久遠がその顔をこちらへ向けて俺の目を見つめる。

 普段、顔を半分隠す前髪が風に吹かれて左右に広がる。

 明かりに照らされた両目が空に浮かぶ星の様に煌めく。

 その瞳は、俺の視線を捉えて離さない。


「ナルキ、ありがとう。あの日、ナルキと出会って良かった。友達になれて良かった。みんなと出会わせてくれて、ありがとう」


 俺は、とうとう我慢が出来なくなった。

 抑え込んでいた気持ちが目元から溢れて頬を伝う。


 俺の選択は間違ってなかった。

 俺のもたらした結果は、間違ってなかった。


 俺のしたことは無意味じゃなかった……。


 俺の泣き顔を見た久遠が苦笑する。


「なんで泣いてるの?」

「……なんでだろうな?」


 俺には強がりの言葉すらまともに吐き出せなかった。

 俺の気持ちは、誰にも話せないし、誰にも理解は出来ない。

 でも、それでもこうして認めてくれる人がいる。


 その事実は、俺の心を揺さぶった。


 ああ、ダメだ。

 うまく頭が回らない。感情のコントロールが出来ない。

 あふれる涙を止められない。


 俺は、涙を拭って久遠を見る。

 次の涙があふれる前に何かを言おうとしたが、言葉が出てこない。


 すると、久遠がカバンから何かを取り出して俺に差し出す。


「……はい」


 涙で良く見えないそれを受け取って確認する。

 それは綺麗にラッピングされたクッキーの様だった。

 それも、市販のモノではなく手作りと思われた。


 俺はそれを確認すると顔を上げる。

 久遠は戸惑う俺を見ながら、満面の笑みを浮かべて言う。


「誕生日、おめでとう」


 そうだ、7月7日は俺の誕生日だ。

 俺はその言葉を受けて、激しく動揺した。

 あふれ出る感情が俺の心を埋め尽くす。


 ああ、良くない。

 この感情は、良くないんだ。


 それは、俺が自覚してはいけない感情だった。

 俺が持ってはいけない感情だった。

 名前を付けてはいけない感情だった。


 普段の俺なら、すぐに抑え込めたかも知れない。

 何気ない時に祝われたのなら、落ち着いて対応できたかも知れない。


 だけど、今はダメだ。


 俺は、このまま黙っていてはこの感情にすべてを埋め尽くされると思い、なんとか言葉を発する。


「手作りか……?」

「マエに教えてもらった。味は……一応食べられるくらいには……」


 久遠は料理が得意という訳ではない。

 だから、普段の夕食は弁当を買っているんだ。

 そんな久遠が……、ああ……ダメだ。それは考えるな……。


「俺が誕生日って……誰に聞いた?」

「トウタロウが教えてくれた」


 それを聞いて俺は思い出す。

 壱岐が俺の学生証を届けてくれた時の事を。


「……ありがとう」


 俺は絞り出すような声で言う。

 久遠はどこか恥ずかしそうにしており、視線を再び水面へと向けた。

 俺もつられてそちらに顔を向ける。


 水面を流れる灯篭を目で追っていると、俺は自然と口を開いていた。


「久遠、好きだ」


 横を向けば、頬を赤く染めた久遠が俺をじっと見つめていた。

 そして、久遠がその口をゆっくり動かして言葉を紡ぐ。


「私も、ナルキが好き」


 それを聞いた俺は、右手を伸ばして久遠を肩を抱きよせる。

 そして、俺たちは同時にその視線を水面へ向ける。


 そこには、確かに天の川が広がっていた。

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ラブコメの当て馬ライバルは負けヒロインを幸せにしたい みかん屋 @mikan416

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