第19話 花と蜜蜂
オーリーの祖母から返信が来たのは、それからちょうど二日後だった。大人の兵たちに内緒で渡した手紙に、オーリーは涙を流した。
手紙を読むオーリーの顔は、目の上にたんこぶができていた。
「どうしたの?それ」
「教官に殴られたんだ。最近地雷の設置も敵兵の掃討も、やる気がないじゃないかって。……でも、これ以上は文句言わないよ。おばあちゃんの手紙読んだら、なんだか死ねなくなって来た。シオン、僕は生きるよ。絶対」
「……あぁ。俺もがんばるよ。オーリー」
戦場に芽吹いた想いの花は、人へ人へと繋がってゆく。幼子から子供へ。子供から少年へ、死神の手紙は広まっていった。
かつて兵士だった少年は、今や希望を運ぶ郵便屋さんだった。たくさん話し、たくさん笑った。ミヤビ抜きでも話ができるようになったのは、一週間が経った頃だった。
その日ハルバレインに呼び出された死神二人は、いつもの無機質な部屋で、薄いコーヒーを飲みながら彼が来るのを待った。
窓を開けると、風に乗って花の香りが部屋に運ばれる。国際法で基地への攻撃が禁じられているこの場所は、硝煙の錆を落としてくれた。
長い会議を終え戻ってきたハルバレインは、最初会った時より心なしか痩せていた。
「近頃の死神どのの活躍は、本来ならば勲章ものです。兵士たちへの精神安定、こればかりはわたしにはどうしようもない」
恐怖は薬で抑えられる。戦闘への興奮が足りなければ香を焚けばいい。だが愛だけは、他人には手の出しようがない。
礼儀正しい青年は、死神を賛辞した。それでも、シオンは素直に受け止められなかった。昨日、少年兵の一人が帰ってこなかった。彼の骨は、どこにも運ばれない。
「今日は私も、死神どのの依頼者です。……争いを指揮している私を、あなたたちは拒みますか?」
「……いや。想いは平等だ。腰のそれを首に当てられていても、私は笑顔で手紙を届ける」
ハルバレインが戸棚から取り出した上質紙を、ミヤビは受け取った。そこには綺麗な字で、アーラレインの名が綴ってあった。
手紙を思う時、ハルバレインの顔は優しかった。恋人に花束を渡すように、彼は手紙を差し出した。
「なんか、いい香りだ」
「香水を少しつけてあるんですよ。それが届くのかは分かりませんが、彼女が好きだった香りです」
士官用の戸棚の奥、誰にも見られないように、その写真立ては飾ってあった。ハルバレインはそれを取り出し、机の上に置いた。
一面花色の世界で、よく似た二人の男女が、同じ軍服を着て敬礼をしていた。
「アーラレインは、私の妹でした。この時私は父の指揮する中隊に入ったばかりで、こいつがその服を着て撮影したいと駄々をこねたんです」
妹の話を語るハルバレインは、それがまるで遠くの国のお伽話のように、細い目をしていた。
体の弱い妹と、争いを嫌う兄。母は早くに病で倒れ、父はほとんど家にいなかった。
慣れない家事をこなし、助け合った。街で喧嘩をして家に帰った日は、朝まで看病してくれた。
父が帰って来るのは、月に数えるほどだった。けれど兄妹は父を嫌っていなかった。無口で愛想がないが、暴力を振るうわけでもない。給付金のほとんどを生活費として送り、勉強でわからないことを訊ねれば教えてくれた。
それだけだった。いつしか兄は、たまに会う父への愛を忘れていた。
大学を出た兄は、すぐに軍隊に入った。父の下で働き、無かったものを取り戻そうとした。父が本当に忙しいのだと知って、少しは不満も和らいだ。
妹は大学に入った頃から体の調子が悪く、あまり外に出なかった。代わりに、兄が外のことを話した。外国のお菓子を買ってきたり、花を摘んだり。次第に空に雲がかかり、風が吹いていた。
「こういう話、よく聞くでしょう?死神どの」
「……いいや。どの話もみんな、違う想いがある。君の物語は、君だけのものだ」
シオンはいつもミヤビを見ていた。彼女はどんな時も、死神だった。ミヤビと一緒に仕事をしている時だけ、シオンは少年に戻ることができた。
「決定的だったのは、アーラレインが入院しとき、一度も見舞いに来れなかったことですね。仕事を追いかけていたら、父は娘の手も握れなかった。墓には一度だけ来たことがあります。けれど、僕にはどうしても、父が娘を、僕たちを愛していたとは思えない」
父の話をする時、ハルバレインはひとりの息子だった。
その顔が、シオンには羨ましかった。シオンの愛は、全てミヤビたち死神から受け取ったもの。だから他の兵士が両親からの手紙で涙する中、ひたすらに少年は引き金を引けた。
手紙を受け取ったミヤビは、それをすぐ隣の部屋で空の向こうへ送り届けた。
夕暮れは苦手だった。伸びる赤い影が、血のように見えるから。夜は好きになっていた。静かで、誰にも邪魔されずに本を読める。
借りてきた二冊の本を読み終え、シオンは目を閉じた。空想が広がってくるのは、ごく最近のことだった。
夢の中で、シオンは家にいた。死神郵便局とは違う、四人の家族の生活。その暮らしは、どこか退屈だった。けれど、楽しかった。足りないものが満たされた。
次の日にシオンを待っていたのは、シオンが名をつけるといった少年よりも年上の兵士だった。
少年兵の中にも派閥がある。彼らは別のサイトから来た補充兵だった。
お昼時、彼らはシオンを森へ呼び出した。シオンの前にナイフを投げすて、彼らは逃げられないよう周りを囲んだ。
「甘いんだよ。あのバカもお前も。俺たちの喧嘩はどっちかが死ぬまでだ。死神の手紙なんてくだらねぇ」
「……どうしてもやるのか?俺は戦いが嫌いだ」
「お前が死ぬか俺が死ぬか。お前があいつを殺すのでもいい。弱い奴はいらねぇ。足を引っ張るからな」
少しだけ、彼も三十七番と同じだった。ここには昔のシオンがたくさんいる。だからこそ、彼らは今のシオンになれるかもしれなかった。
シオンはナイフを使わなかった。一人を倒せば、また別の誰かに殴れた。
誰も銃を使わないのは、それでは戦いじゃ無いから。彼らもシオンも、誇りの戦いをしているのだ。
三人目を殴ると同時に、シオンは倒れた。右手から迫り上がる痛みと全身の鈍痛が、身体を縛っていた。
悪く思うなと、誰かが言った。それでもシオンはナイフを握らなかった。それをすれば、シオンはミヤビの恐れていた彼になるから。
白刃が陽を帯びて銀に輝く。最後の時まで、シオンは目を開けていた。こんなところで死ねないと。まだ、ミヤビの、死神の全てを知っていないと。
目を開けるシオンの目の前で、白刃を掲げた少年は殴り飛ばされた。その拳は、数日前にシオンを殴ったものだった。
「俺はまだこいつに名前をもらってない。楽しみにしてるんだ。邪魔するな」
拳をがちがちにテーピングで固め、少年は掲げた。
それからは、ただの殴り合いだった。二人の少年と、徒党を組んだ少年たち。決着が付いたのは、誰も立てなくなった時だった。
喧嘩をしたのはいつぶりだったか、シオンは目を閉じる。そして、シオンはナイフを持った。
「俺が今から、お前を殺す」
倒れている相棒に、シオンはナイフを向けた。近づいてくる死神は鎌を持っている。少年は目を閉じた。
髪が切られたと気づいたのは、そのすぐ後だった。
「今ここでP376は死んだ。これからこいつはメリッサだ。メリッサと呼んで」
倒れていたメリッサに肩を貸し、シオンたちはキャンプへ踵を返した。テントでは、すでにミヤビがオーリーとともに救急キットを準備していた。
「……どう言う意味だ?その名前」
「昔の話に出てくるミツバチだ。俺のシオンは花。蜂がいるから、花は生きる。いい名前だろ?」
笑うと顔が痛かった。メリッサは大きく口を開けて、声を出して笑った。
「メリッサ……。今日から俺は、メリッサだ」
戦場に花が咲き、命が息吹く。その日、何人もの人間が新たな一歩を踏み出した。
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