第18話 海の向こうの物語

「一通につき寿命一年。返事が来るかはわからない。だが、君たちにもし、果てぬ想いがあるのなら、私が責任を持って届けよう。それでもいいなら、舐めろ。この『死神郵便局』の切手を」

 早朝、朝の点呼が終わった後に、ミヤビは少年兵たちをキャンプライトの裏に呼び出していた。

 集まったのは半数ほど。さらにその半分以上は、死神の手紙よりも、インクの香りが漂う東洋の女性に惹かれてのことだった。

「下らない。ここに神はいない。あんたの言っていることを、俺は信じない」

 一人の少年が、朝食争奪戦で奪い取ったバナナを頬張りながら答えた。

 自分の中の神を殺して、少年たちは引き金を引いている。彼は、かつて三十七番だった少年と同じだった。

「くだらない。そうだな。信じないなら構わないさ。死神の手紙は、折れそうな人に愛を思い出させるためのもの。君は強い」

 褒められても、少年は眉を動かさなかった。「愛」という言葉を知らず、茨の道を歩む事を強いられた。だから、そうあった。

 少年の手から、紅い雫が滴っていた。

「……君は、どんな大人になりたい?」

 少年の肩が一瞬揺れる。けれど、すぐに彼はテントへ消えていった。

 残った者たちも、一人消えては、また腰をあげる。最後まで座って話を聞いていたのは、まだ年端も行かない幼子たちだった。

「君たちはどんな大人になりたい?そのためになにをすれば良いと思う?どうしてもその答えを教えて欲しくなった時、夜に眠れなくなった時。一度だけ、この手紙を書くんだ。字がわからないなら絵でも良い。

 人生の一年は長い。それだけあれば、君たちも文字を覚えて、色々な国の言葉を覚え、美味しいものをたくさん食べられる」

 諭すように、ミヤビはゆっくり語った。しっかり考えて、死神の手紙を使え、と。

 字が書けない少年たちに手紙を渡し、こっそりチョコレートを食べさせた。錆びついて回れなくなっていた歯車が、少しづつ音を出す。

 辺りを森に囲まれた集落の裏は、兵士たちの戦闘訓練場だった。森を挟んだ川の向こう、塹壕と死体の山の先が、シオンのいた国だった。

 朝から響く射撃音と、どこにいても鼻に付く死の匂い。死神という称号だけが、今のシオンを支えていた。

 少年兵と別れて数分後、ミヤビたちはだだっ広い部屋に招待されていた。ハイルレインの所と同じで、必要最低限の物しか置いていなかった。

「初めまして、死神さん。昨日はご挨拶できなくて申し訳ない。私がこの部隊の隊長である、ハルバレイン准中尉です」

 くすんだ色の制服に、胸につけた金バッジ。無骨な男の手は、シオンを殴った教官によく似ていた。

「手紙は送っていたはずだが、なぜここに?それに子連れは安心できんな」

「あの手紙は棄てたよ。どうせ上層部から士気を上げるよう言われていたんだろ?それと、切手が足りない。私を呼ぶのは一枚で構わないが、送るなら人数分いる」

 ハルバレインは、軍人にしては痩身だった。腰の銃と制服を捨てれば、優しい風貌の男だった。

 死神の規則は、口伝てにしか広まらない。彼はしばらく口を噤んで、やがて小型の無線機を手に取った。

「本国に連絡してみます。軍関係の人を洗えば、三十枚は見つかるでしょう。死神の切手がどれくらい貴重かはわかりませんが」

 ハルバレインが電話を取る間、シオンたちは施設を歩いていた。万が一の時の脱出経路、武器の保管庫。戦場に度々現れたという死神への畏怖からか、問えば兵士は応えてくれた。

 崩れかけの建物の中庭では、少年兵たちが白兵戦の訓練をしていた。その傍で、大人たちはテーブルにチップを置いていた。

 歓声が飛び交い、汗と血が混じる。人集りの真ん中にいたのは、今朝死神を拒絶した少年だった。

 熱狂の渦を作っていた少年たちが、シオンに手を振った。大人たちが暗い笑みを浮かべ、ポケットの紙幣をテーブルに置く。

「これは戦闘じゃない。あくまで訓練だ。殺しはしない」

 テーピングテープを巻きながら、拙い英語で彼は言った。

 彼らのシオンを見る目は、シオンが始めてミヤビに向けた目と同じだった。疑って、自分が最低だと思い込む。そうして空から目を背く。

「生温い所で飯を食っているお前とは違う。何が死神だ。俺に勝てない人間を、どうして信じられるんだ」

 とっさにミヤビが手を掴む。けれど、シオンは小さく「大丈夫」といった。

「お前が何を言っているかはわからない。けどわかる。だから勝つ。そしたらまず、言葉を教えてもらう」

 シオンにとって信じられるものが死神だけであるように、彼らは力しか信じない。渡されたテープをぐるぐるに拳に巻きつけて、シオンは髪をかきあげた。

 少年の身体は痩せていた。日焼けで黒ずんだ肌に、お腹の銃傷。この一年でシオンが棄てたものを、彼は持っていた。

「通訳して、ミヤビ。この戦いで俺が勝ったら、俺を信じろって」

 ミヤビの言葉に少年が頷く。拳を握った彼は、ゴングもなしに身体をひねった。

 直後、シオンは自分の鼻から紅い液体が流れていることに気づいた。遅れてやってきた痛みに、シオンは思いだす。

 ここは、戦場なのだ。

 激昂はしなかった。ただ静かに、無駄のなく。シオンは少年を殴った。少年はシオンを殴った。

 彼は強かった。今まで出会った誰よりも、彼はシオンに似ていた。だから、彼の拳は四十二番ほど痛くなかった。

 彼の戦い方は、二十二番のように狡猾ではなかった。彼の身体は、ダヴィのように硬くなかった。彼の言葉は、シーターのようにシオンを惑わせなかった。

 けれど、彼はかつて三十七番と呼ばれた少年より強かった。

 決着がついたのは、ワインが一本空いた頃だった。地面に倒れこむ少年に、シオンは手を差し伸べた。

 銀の髪は乱れ、痣が顔中にあった。それでもシオンの目は、ここに来る前と変わっていなかった。

「約束だ。俺はあんたを信じて、あんたは俺を信じる。……名前を教えてくれ」

 少年は鼻血を拭いながら、小さな死神の手を取った。

「コードはP376だ。それ以外は知らない」

「信用には名前が必要だ。だから俺がつけてやる。何か希望があれば、できる限り考える」

 少年は、シオンの名を聞いた。その名にちなんだ名前にしてくれと、彼は言った。

 晩御飯の時間も、装備の点検中も、シオンは手が空くと本を開いた。花の本。宝石の本。切ない恋の物語から、腹を抱えるコメディまで。

 けれどミヤビのように、簡単にはいかなかった。

「随分悩んでいるな、シオン。もっと本が必要なら、ハルバレインが調達してくれるそうだ。自分で頼みに行きなさい」

 陽は沈み、世界は静寂に包まれる。闇を見つめるだけの時間は、いつしか何かを求めて足りなくなっていた。

 ふと、テントの外に人の気配がした。足音的に、小さな子供だった。

「あの、起きてますか?死神さん」

「あぁ。何か用か?入りたまえ」

 それは、今朝死神の手紙を受け取った幼子だった。足りない指で必死に本をなぞった文字は、ところどころインクが滲んでいた。

「これ、おばあちゃんに出して欲しい。とっても優しかったんだ。でも、貧乏で死んじゃった。だから父ちゃんも母ちゃんも出て行ったんだ。

 きっとばあちゃん怒る。でも、一通だけだから、お願い。どうしても読んで欲しいんだ。僕の、本当の気持ちだから」

 少年は名をオーリーといった。ばあちゃんがつけてくれた、昔の英雄の名前。得意げに語るオーリーは、自分の手紙をミヤビに見せた。

『ひさしぶり、ばあちゃん。こうして手紙を書いていると、ばあちゃんが死んでしまったのがつい昨日のことに思えます。

 字は少年兵の先輩に教わりました。とっても頭が良くて、強いんだ。

 僕、あの時は戦争なんて怖くないって言ったけど、ほんとは怖い。もう行きたくない。帰ってばあちゃんのアップルパイを食べたい。

 なんで僕たちは戦ってるんだろう。ばあちゃんのパイを食べれば、きっとみんなが引き金じゃなくてフォークを握るのに」

 最後まで読んで、ようやくミヤビは気づいた。このインクの滲みは、オーリーの涙だった。死にたくない。戦いに行きたくない。そんな事が、ずっと書いてあった。

「あ、あのこれ、教官には内緒……にして?」

「当然だ。依頼人の秘密は守る。内容に関しては、誰に聞かれようと教えないよ」

 笑顔で去るオーリーに角砂糖を一つやり、ミヤビは黄金の蝋燭を取り出した。華の押印が想いを閉じ込め、死神の手紙は空に弾けた。

「オーリーは何になるんだろうな。街を歩いていると、不意に出会うんだ。昔死神の手紙を使い、今はすっかり社会の中心になっている人物とね。

 そんな時、私はこれ以上なく幸せになる。昔なりたかった自分になれたと、声に出さずに喜んでしまうんだ」

 ミヤビは過去を語らなかった。なぜ死神になったのか。どうして想いを届けるのか。そして、なぜシオンを救ったのか。

 ずっと、ミヤビとシオンは一緒にいた。この一年、心はいつもそばにいた。だけど、シオンは何も知らなかった。

 死神である彼女のことを。彼女自身のことを。

「何になりたいか、今朝ミヤビは聞いた。決まってる。俺はミヤビになりたい。ミヤビみたいな死神になりたい」

 最初から、特に考えていなかった。それが正解だと思っていた。

 その時のミヤビの顔を、シオンはずっと覚えている。ミヤビの中には、嬉しさと誇らしさ、師としての喜びがあった。

 けれど、その裏に確かに、哀しみと、そして己への無力感があった。

「……そうか。ありがとう、シオン。お礼に寝物語を聞かせてやろう。重たい瞼にはちょうどいい、幸せな少女のお話だ」

 いつまでも、シオンは覚えている。何度朝日を拝んでも、月を仰いでも。

 彼女がいない世界で、シオンはもう一度太陽を見る。

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