第14話 天使の返事

 クリスマスイヴのお昼過ぎ、部屋を満たすスポンジケーキの匂いでシオンは目を覚ました。

 三時を回った時計の針を横目に、顔を洗ってリビングへ出る。キッチンに立っていたミヤビの後ろ姿が母親のようで、気づけばおはようと言っていた。

「あぁ、やっと起きたか不良少年。お腹が空いてるなら、テーブルにあるチキンでもつまんでいてくれ。今夜は美味しいケーキが食べられる予定だ。……私が失敗しなければ」

「……ルミは?それにシーターもいない」

 まだ湯気の立つ骨つきチキンを頬張りながら、シオンは部屋を見渡した。

「ルミは隣の部屋で手紙を書いているよ。後で紙に写してあげなさい。シオンならいいそうだ。……シーターは、まぁ、仕事だな。死神じゃない方の」

 脂っこい肉をミルクで流し込み、味のないパンをかじる。少しばかり伸びてきた銀髪を、年相応に鏡の前で整えたりした。

 晩御飯の下ごしらえが終わったら、死神たちは街へ出た。ルミに声をかけたが、集中しているのか返事はなかった。

 約束通りマスターの待つ喫茶店へ行き、苦い味を堪能した。空が茜色に染まる頃、通りには家族連れが多くなり、イルミネーションが淡く夜空を照らし出した。

「欲しいものはあるか、シオン?実はサンタクロースも死神の一人でね。彼は年に一度願いを、私たちは寿命で想いを届ける。なにかあるなら、遠慮せずに言ってごらん」

「欲しいものか……。俺はミヤビやダヴィ、シーターと一緒に居られればそれでいい。同じ死神だからな。世界中の人に届けるんだろ?俺たちより忙しい。俺はもう、欲しいものは揃ってるから」

「ふむ……。ならば、私があいつの仕事を一部肩代わりしよう。シオンの分だけ、私がサンタクロースになる。それなら負担はさほどあるまい。同じ死神だからね。問題ない」

 髪を撫でてくれたミヤビの手が、とても暖かかったのを、シオンはいつまでも覚えていた。

「それじゃ、新しいペン。ダヴィからもらった前のやつは、もう壊れそうだ」

 シオンがミヤビからもらった真っ白の教科書は、今や三冊目を終えようとしていた。

 学んだ想いを、培った言語を留めたノートを軽快に奔っていたペンも限界を迎えていたのだ。

「まかせろ。死神として相応しいものを用意しよう」

 真冬の間の、瞬きばかりの黄昏時に、死神は笑いあった。

 家に帰ると、ルミがリビングの床に倒れ込んでいた。仰向けで空を見上げる彼女の目は、雲より先を追っている。

 机の上に、綺麗な便箋が置いてあった。

「あとはお願い、死神さん。私の想い、届けちゃって」

「任せて。この愛は、俺が責任を持って書くよ」

 ルミが使っていた羽ペンで、シオンは手紙を綴った。なんて書いてあるかさっぱりわからないが、それでも、確かに篭っていた。

 ソファで横になったルミに毛布をかけて、死神は郵便の準備をした。黄金色の蝋燭で、想いを閉じて空へ贈る。宙を揺蕩う文字たちは、爆ぜると澄んだ音を立てた。

 日が沈んでようやく帰ってきたシーターとともにご飯を食べて、甘いケーキをお腹いっぱい堪能した。

「……なんだか、寿命が減ったって実感湧きませんね。これってやっぱ、死神さんたちの取り分なんですか?」

 日が沈み、静かな夜だった。

「いや。私たちはあくまで手紙の仲介者だ。なぜ寿命が減るのかも、減った寿命がどこへ行くかも分からない。報酬は、まぁ、愛の在り処を知ることができるくらいだ」

 ミヤビの目は、どこか遠くへ向けられていた。まるで、彼方にいる誰かを想うように。

 ふと、シオンは思った。どうしてミヤビは死神になったのだろうと。シオンはミヤビに救われ、誉ある彼女の姿に惹きつけられた。

 ミヤビも同じなのだろうか。けれど、シオンは聞けなかった。地位のためでも財宝のためでもなく、純粋にミヤビは偉大な死神。そう信じたかったから。

「そうだ、曲のタイトルってなんなの?どんな歌なの?」

 なんだかミヤビを見られなくなって、シオンは目を背けた。多分、ミヤビも気づいていた。

「ふっふーん。それは聞いてからのお楽しみ。それに、まだメロディーつけてないし。作りかけの曲でもいいけど、アレを完成させられるのはアーシェだけ。私は私一人の力で、『タイヴァス』としてやっていくの」

 楽器部屋に戻ったルミが、色あせたヴァイオリンを持ってきた。丹念に手入れのされているそれを、大事そうに抱えながら彼女は奏でた。

 慣れてない上に弦の見えない彼女の演奏は、お世辞にも上手いとは言えなかった。でも、シオンは拍手を送った。

 三曲目をルミが終えた時だった。外で電話をしていたシーターが、戻ってくるなりコートを羽織った。見ればミヤビも、もう外出の準備を整えている。

「どこか行くの?二人とも」

「あぁ。準備しなさい、シオン。それとルミも。演奏できる格好……そうね、ドレスがいいわ」

「え……?どこ、行くんですか?」

「コンサートよ。ルミの、いえ、『タイヴァス』の」

 戸惑うルミの手を、シオンは優しく引いた。暖かかった。

「行こう、ルミ。きっとそこに、奇跡はあるよ。想いの奇跡は、サンタクロースからのプレゼントかもしれない!」

「……そうだね。さぁ、どこへでも行きましょう!連れて行ってください!」

 夜は、吐息までが震えるほど寒かった。発表会用のドレスの上に厚手のコートを羽織ったルミが、手を冷やさないようにと渡されたカイロを握りしめる。

 空には、鉛のような雲がかかっていた。張り詰めた無音の中、手を伸ばせば千切れそうなほど。

 タクシーに乗ったとき、ミヤビが懐から一枚の便箋を取り出した。それは、宛名の書かれていない、雪のような上質紙だった。

「返信だ。中身は見ていない。安心してくれ。シオン、後でルミに音読してあげなさい。想いは詰まっている。コンサート前に読んだら、きっと勇気付けられるはずだ」

「で、でも死神さん、この手紙、その」

「返信早すぎないか、ミヤビ?しかも、この手紙……」

 ルミの抱く疑問とは別に、けれど同じ答えをシオンは疑っていた。

 それは、今まで一度も見たことがない例だった。

「あぁ……。手紙に切手が付いている。送るときだけのはずなのに。返信に付いてるなんて聞いたことがない」

 死神の手紙は、送るときのみ切手を貼る。返信用の便箋には、切手は同封されているだけのはずだ。

「これは私が出した手紙です。間違いありません」

 ルミが手に力を込める。手紙の端が、くしゃくしゃに折れていた。

「私、サインだけは何百回も練習したんです。だから、見えなくてもインクの部分を触れればわかります。間違いなく、これは私のサインです」

 便箋の隅、そこに、ルミのサインがはっきりと書かれていた。もらった時すぐに描いたそれが。

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