婚約を破棄されたとしても、好きなものは好きなんです!

月宮明理-つきみやあかり-

婚約を破棄されたとしても、好きなものは好きなんです!

 王太子リカルドとその婚約者であるミーファ嬢の結婚式がひと月後に迫った日のこと――。


「もういい。分かった」


 報告を聞いたリカルドの形の良い口から紡がれた言葉は、冷え冷えとしていた。

 さらに、瞳には怒りの炎が見て取れる。深くため息を吐くと同時に怒りはまぶたに隠され、報告をした男は無意識にホッと息を吐いた。

 整った顔に渋面を浮かべるのは王太子のリカルド。内密に調査させている、その結果が芳しくないのだ。


 報告に来た男を退室させた後、リカルドは椅子に深く腰掛け天を仰いだ。結婚式までもうすぐだというのに、問題は山積みだ。

 もう時間がない。普通に調査していたのでは間に合わない。それに――個人的に結婚前にしておきたいこともある。

 将来国王になる身。個人的な希望は諦めた方が良いのだろうか……。

 と、そこまで考えた時、妙案が閃いた。大小の問題を一気に解決してしまえる大胆な手。

 沈んでいた体をゆっくりと起こし、浮かんだ案をもう一度思案する。

 算段が、ついた。


「……決着をつけよう」


 美々しい顔に複雑な笑みを浮かべて、リカルドは一人ごちた。



 ☆ ☆ ☆



 翌々日。

 すっかり日が落ちた刻限にもかかわらず、城の大ホールの中はキラキラと輝いていた。高い天井に吊るされたシャンデリアや、その光を反射する宝飾品がその理由だ。

 室内の煌びやかさと比例するように、熱気もまた室内に充満している。興奮を隠しきれない様子で人々は皆、王太子リカルドの登場を待っていた。


「何の話だろうな」

「誰かご存知ないの?」


 貴族の令息は飲み物を傾け、令嬢たちは扇子で口元を隠し上品に微笑んで。たしなみを失わないようにしつつ情報交換も欠かさない。


 ――リカルドからの発表は何か。それが今人々の中で話題になっていることだ。


 本日リカルド王太子殿下から重要な報告がある、とのお触れがあったのだ。昨日急に知らされたことで、誰も彼もが趣旨を理解できないまま参加している。


「ねぇねぇ、リカルド殿下のお話ってなんなの?」

「ミーファ様は聞いているのでしょう?」 


 ホールの中央で人に囲まれているのは、銀に輝く美しい髪とエメラルドの瞳を持つ麗しい娘だ。その容姿と困ったような表情があいまって、衝撃を与えたらバラバラに壊れてしまいそうな繊細さがある。

 友人たちの質問を受けて眉を下げている美少女は、公爵令嬢のミーファ・スルデリア。リカルドの婚約者だ。彼女も集められた令嬢の一人だった。


「ごめんなさい、私も存じませんわ」


 本日の主役リカルドは、ミーファの婚約者なのだ。婚約者なら何か聞いているのではないか、ということらしいが、周囲の予想に反してミーファはリカルドから何の話も聞いておらず、翠玉の瞳に困惑を浮かべるしかない。


 リカルドが何か重要なことをする時、ミーファは必ずその予兆を掴んでいた。……もしかしたらリカルドがわざと、ミーファに伝わるように振舞っていたのかもしれないが。

 リカルドが伝えていたのか、ミーファが見抜いていたのかはともかくとして、今回の催しに関してはまったくの不意打ちだった。今までにはなかったことに、ミーファの胸に不安がよぎる。


 ミーファが曖昧な返事を返し続けて疲れを感じ始めた時、ふとざわめきが止んだ。


「王太子殿下……」


 誰かがポツリとつぶやく。リカルドが姿を現したのだ。

 夏の太陽を思わせるような力強い金髪に、強い意志の籠もる瞳の色は知的な薄紫。強さと知性を兼ね備えているその姿に、誰もが釘付けになる。


 ミーファの周囲にできていた人の垣根が自然と割れ、当然の顔をしてリカルドが歩く。


「ミーファ」

「リカルド様」


 途端、リカルドの眼光が鋭く光る。


「馴れ馴れしい呼び方は、今この時をもってやめてもらおう。ミーファ・スルデリア、貴女との婚約を解消させてもらう!」


 高らかな宣言に、どよめきが起こる。


 ミーファは、何を言われているのか分からなかった。ただ呆然と目の前の彼を見つめる。

 ――嘘だ。

 嘘だ、と本気で思う。何かの間違いなのだ。だって彼はいつも一緒にミーファと笑ってくれていた。そんな彼がこんな一方的に……?

 そんなことあるはずがない!


 リカルドと作った思い出が、ミーファの背中を押した。


「訳を……理由を聞かせてもらってもよろしいでしょうか?」


 声は震えていた。


「理由だと? しらばっくれるつもりか!」

「……っ!」


 怒声に、ミーファは声を失った。


「私を侮るなよ。 悪事は全て耳に入っている」


 それだけ。具体的なことは何も言わないまま、リカルドは踵を返す。


「その女を城からつまみ出せ! 二度と我が王城の敷地を踏ませるな!」

「そんな……! 待ってください! リカルド様!」


 後を追おうとしたミーファは城の兵士に捕まり、身動きが取れなくなる。

 チラリと振り返ったリカルドの目に、強い怒りがにじんでいて、ミーファはもう何も言えなかった。


「そういえば」


 ミーファの周囲にいた誰かが言った。


「王太子妃になるからって、ほかの貴族令嬢をいじめてたって噂あったじゃない」

「あー、あったあった」


 最初は一人二人だった声が、どんどんと広がっていく。


「陰でリカルド様の悪口言っているっていうのもありませんでした?」

「べた惚れだから御しやすいとかってやつかしら?」


 今ここにミーファがいるというのに、人々はミーファの噂を口々に言う。

 耳を塞ぎたくなったが、兵士に両腕を掴まれていて叶わない。


「来い!」

「痛っ……」


 乱暴に引っ張られ、そのまま会場の外へと連れ出される。待機していた自分の馬車へと素早く放り込まれた。



 ☆ ☆ ☆



 動きやすい騎士服に着替えたリカルドは、睨みつけるようにして窓の外を眺めていた。執務室からは、大ホールを出入りする馬車がよく見える。

 婚約者だった女が馬車に乗せられ、走り去っていく一部始終を見てもリカルドの表情は変わらない。なぜならこれがリカルドの望んだことだからだ。


 ……来た。

 ミーファの乗った馬車が姿を消してすぐに、後を追った馬車が一両。


「あれは……カルストイ家の馬車か」


 中々しっぽを掴ませなかった見えざる敵が、ようやくボロを出した。口元が逆三日月を描く。

 すべてを終わらせるため、リカルドは足早に執務室を後にした。

 


 ☆ ☆ ☆



 小さな拳を握り、ミーファはうつむき泣いた。さらりとした髪が顔に掛かって貼りつく。誰にも見られないのを良いことに、我慢せずに泣き続ける。


「なんで……どうして……? リカルド様ぁ……」


 まったく身に覚えがないのに、リカルドに嫌われてしまったらしい。

 最初は親が決めた婚約だった。けれどリカルドという人に接していく中で、きちんと愛情が育っていたのだ。

 愛せると思っていた。いや、愛していた。

 愛されていると思っていた。……愛されてなどいなかった。



 ――その女を城からつまみ出せ! 二度と我が王城の敷地を踏ませるな!


 リカルドの最後の言葉が、耳の奥で反響する。

 あんなに怒るリカルドを見たことがなかった。いつも優しく、賢く、穏やかな人だといのに。いったいどうしてしまったのだろう。あんな風に事情も説明しないで感情だけをぶちまけていくなんて、リカルドらしくない。


「……」


 頭の中で何かが引っ掛かった。


 ――リカルドらしくない?


 涙をぬぐい、思考の引っかかりをもう一度考え直す。


 違和感の正体を見極めようと集中した時のことだ――馬車が大きく上下した。


「きゃあ!」


 そのまま二、三回揺れて、ついに馬車はひっくり返ってしまった。馬車の中で少し体を打ったが、それでもそのまま中にいるわけにもいかず、這うようにして外へ出る。


 森の道を走っていたところらしく、辺りは薄暗い。月明りのおかげでなんとか足下は見える、といった程度だ。


「無様ね、ミーファ」

「っ! 誰っ?」


 嘲りを含む声が降ってきて、ミーファは警戒しながら顔を上げた。辺りを見回すと、馬車から少し離れたところに人影があった。


「貴女……リリィ?」


 ミーファと同じく公爵家の令嬢だ。あまり話したことはなかったが、顔くらいは知っている。

 扇子を口元に当てて、リリィは話す。


「気安く呼ばないでくださらない? 城を追放されたような方と仲良くしていると思われては不名誉です」

「……いったい、これはどういうことですの?」


 意地の悪い物言いは置いておいて、どうしてリリィがここにいるのだろう。


 リリィがニタリと笑った。


「いいわ。冥土の土産に教えてあげましょう。ミーファ、貴女はね、婚約破棄された絶望で、ここで死ぬのよ」

「は……?」


 ものすごく悲しいが、死ぬ予定はない。理解できないままのミーファを置いて、リリィは続ける。


「そして代わりに、私が王太子殿下と婚約を結ぶの」

「どういうことっ?」


 つい声が大きくなった。


「リカルド様は間抜けな方ね。ミーファの悪口が伝わるように仕組んだら、あっさり婚約破棄なさるんだもの。……まぁいいわ、その方が使いやすいもの」


 ころころと笑うリリィに、ミーファはきっぱり言ってのける。


「リカルド様は立派な方よ! 馬鹿にしたような言い方はやめて!」


 先ほど理由も説明せずに婚約を破棄した男に対しての言葉としては優しすぎる。だが、ミーファの口から淀みなく発せられた。理由はひとつ、まぎれもない本心だからだ。

 ミーファは今でもリカルドを信用していた。

 婚約破棄については納得できていないし、自分がリカルドの傍を離れほかの誰かがその座に収まるとなれば、気が狂いそうなほど悲しい。しかしそれでも、時間をかけて知ってきたリカルドという人を見限れない。


 それにこの状況も根拠のひとつだ。

 リリィの行動はやけに用意周到なのだ。ミーファが早々と家路につくことになったのは婚約破棄が原因だというのに、どうしてリリィはミーファを狙えたのだろう。以前から虎視眈々とチャンスを伺っていたのではないか。そしておそらく――リカルドはそこまで読んでいる。


「私はリカルド様が好き! リカルド様を信じる!」

「健気ね。私、貴女のそういうところ大っ嫌いだわ。……もう片付けましょう」


 リリィがパチンと扇子を閉じる。すると、木の影からぞろぞろと男性たちが姿を現した。


「ありがたく思いなさい。貴女ひとりの命のためにこれだけ用意したのよ」


 聞いた瞬間、ミーファはドレスのすそを翻して走り出した。捕まったら、殺される。


「はぁっ、はぁっ!」


 令嬢にはふさわしくないほど息を荒らげて逃げる。ドレスを持ち上げ、木の根に引っかからないように慎重に脚を[[rb:捌 > さば]]き、ひた走る。


「待て!」


 けれど体力の差は歴然だった。ほんの少し走ったところで、追い付かれてしまった。


「きゃ……」


 そのまま地面に倒される。


「うわぁ、もったいねぇな。こんな美人を殺しちまうなんて」


 男の一人がミーファに馬乗りになってそう言った時だ。



「――気安くミーファに触れるなよ」



 声が聞こえたと同時に、男は吹っ飛んでいった。邪魔が入ると思っていなかったのだろう、無防備に衝撃を受けたらしく、遠くまで飛んだ。

 何が起きているのかわからず、ミーファは目をぱちくりさせる。


「遅くなってすまない。怪我はないか、ミーファ」


 聞き覚えのある声。親しみある声色。


「……リカルド様?」


 視線をあげた先にいたのは、先ほど冷たくミーファを捨てたリカルドその人だった。しかし婚約破棄を告げた時のような険しい顔はもうしていなかった。


「どうしてここにリカルド様がっ?」


 驚いたのはミーファだけではなかったらしい。リリィも瞠目して声を上げた。


「リリィ・カルストイ。貴様の策略にハマったふりをしていたまでだ」


 それはミーファも予想していたことだ。だが、王太子自ら出てくるとは思ってもいなかった。


「なんですってっ?」

「私のミーファを貶める噂の出どころを確かめるためにな」


 その言葉で、ミーファの心の重しはふっと消えた。やはりリカルドは変わっていなかった。


「何よ! 本当のことじゃない! ミーファは必要以上にリカルド様を骨抜きにして、国の乗っ取りを狙っているのよ!」


 リリィは大きく声を張りそう主張した。


「それはお前の願望だろう」


 リカルドはため息交じりに返す。


「けれどリカルド様は噂を流すまで異様にミーファのことを信用してらして……」

「当然だ。ミーファは未来の妻であり、いずれ后になる女性だ。それに何より、ミーファは私以外でもっとも私である人間でもある」


 え、とミーファは顔を上げる。月に照らされた横顔に声を掛けるより早く、リリィが叫んだ。


「意味が分からないわ!」


 リリィには分からない感覚らしいが、ミーファにはなじみ深い感覚だった。


 ――私以外でもっとも私。


 ミーファに言わせれば、自分の一番外側、他人の中で一番自分。自分ではない別の人だと頭では理解しているのに、自分のように思える相手。ミーファにとってそれはリカルドだ。

 自分のように思っているため、場合によっては自己犠牲のつもりが他人に犠牲を強いかねない。一歩間違えれば関係崩壊だが、最上級の信頼の上にのみ成り立つ尊い絆だ。


「分からなくて結構。……分かってもらいたい相手には伝わっているようだしな」


 視線がミーファに落ちる。その目が、分かっているんだろう、と言っていた。


「さぁ、おしゃべりは終わりだ。大切なミーファに手を出した罪は重いぞ。……罪人、リリィ・カルストイを捕らえろ!」


 すでに周りには兵士たちが控えていたらしい。リカルドの号令で、リリィはあっさりと捕まった。

 後処理を兵士たちに任せ、リカルドは跪いて、腰を抜かしているミーファを抱き上げる。


「……信じていました」


 脅威は去った。安堵の混じる微笑を携えて、ミーファはリカルドにそう言った。


「あぁ。だろうな」


 大仕事を終えて、リカルドの顔にも笑みが戻る。よく知るリカルドの表情を見られてなんだかホッとした。同時に、自信たっぷりに言い切ったリカルドに不満が湧いてくる。


「あの……信じていましたとは言いましたけど、リカルド様がそこまで自信を持っていられるほどではありませんのよ。婚約を破棄すると言われた時には、何がなんだか分からなくて、本気にしてしまいましたもの」

「あぁ、婚約破棄は本当の話だ」

「は……い?」


 えーっと、と頭の中を整理する。

 この優しいリカルドの表情を見るに、嫌われているということはまずない。それどころか……うぬぼれではなく、大切にされていると確信を持てる。それに先ほどのリリィとのやり取りの中で、ミーファのことを未来の妻と言っていたではないか。


 ――だけど、婚約は破棄する?


「私、リカルド様のことはよく分かっているつもりでしたけど、まだまだですのね。さっぱり意味が分かりません」

「分からなくていいさ。これは私の個人的なけじめだからな」


 ミーファの様子からもう立てそうだと判断して、リカルドはそっと彼女を下ろした。そして、跪く。


「ミーファ・スルデリア。貴女が好きです。貴女を愛しています。……どうか、私の愛を受け取ってくださいませんか?」


 月光を受け宝石のように輝く瞳を、うかつにもミーファは無警戒に見てしまった。その幻想的な美しさは、ある意味では巨大な権力よりも恐ろしく、あやうくミーファの息の根を止めてしまいそうだった。

 固まったミーファに、さらにリカルドは言葉を続けた。


「私と貴女の婚約は、政略結婚をするものでした。けれど、私は貴女と政略結婚などしたくはない。貴女を愛し、愛され、そうして結ばれたい。私は愛を理由に、今一度結婚を申し込みます。私の愛を受け取ってくださいませんか?」


 これはプロポーズだ。まさかリカルドから改めてされるだなんて夢にも思っておらず、ミーファの身体は歓喜で震えた。


「……はい。私の愛も受け取ってください」




 それからひと月。ミーファとリカルドの結婚式は予定通り行われた。

 リリィがミーファを狙っていて、婚約破棄はそれを片付けるための芝居であったと発表されたのだ。噂を広めていたのはリリィで、彼女を捕まえた後はぴたりと止んだ。


 そのリリィの処遇だが、国外追放となった。カルストイ公爵に、土地と財産を国に返して娘と共に平民になるか、リリィを国外追放して縁を切るかの二択を迫ったところ、カルストイ公爵は縁を切ることを選んだのだ。

 親に見捨てられ、身一つで他国へ渡ることになったリリィのその後を知る者はいない。


 リリィの一件を経て、ミーファとリカルドの仲の良さはより深まった。

 夫婦になって初の顔見せの際には、リカルドがもったいなくて見せたくないと思うほどの、輝きに満ちた笑みをミーファは浮かべていた。


 そしてその笑みは――何年たっても輝きを失うことはなかった。

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