亡国の皇女

 ホラインは流されるまま、屋敷の中に通される。どうやら娘の付き人と思われたよう。お疲れでしょうと、使用人の空き部屋に案内され、休まされた。

 すぐに出ていくこともできたが、ちょうど良いから一晩だけ世話になろうと思い直す。屋根とベッドのある場所で、タダで寝泊まりできるとは、それだけでもありがたい。



 ところがゆっくり休む間もなく、ホラインは使用人に呼び出される。通されたのは、屋敷の客間。

 そこではドレスに着替えた娘と、立派な服の男女がともに待っていた。ホラインの予想どおり、娘は貴人で、中年の男女は従者。

 だが一つ予想外のことがある。それは娘の美しさ。ホラインがこれまで見た誰よりも美しい。長い髪は絹束きぬたばのごとく、肌はつややかな粗糖そとうのきらめき。

 うろたえるホラインに男が言う。


「こちらのお方は今は亡きワガド帝国皇帝の血を引く皇女、ギンビヤ様にあらせらる。皇女殿下はそなたの名をたずねたいとおおせである」


 ワガドとは百年前に滅亡した国であり、その領土はマリ帝国が受け継いだ。

 うるわしき皇女殿下にホラインはひざをついてこうべを垂れる。


「……ホライン・ゲーシニであります」

「ホライン・ゲーシニ、皇女殿下はそなたを臣下に迎えたいとお考えである」


 これは大変なことになったと、ホラインはかしこまる。


「いえ、それはご容赦を。私は放浪などしておりますが、その実は騎士の身分。有事には故国に帰り、身命をして戦わねばならぬ定め」


 はっきりと断る彼にギンビヤは言う。


「やはりそうでございましたか。あなたには騎士の風格がありました。亡国の皇女など、しょせんは何の権威もない庶女しょじょに同じ。一国の騎士の名誉を捨ててまで、仕えるには値しませぬ」


 残念そうな口ぶりに、ホラインの心は揺れる。

 いかに美しき貴婦人の頼みでも、騎士としてそう軽々しく主を変えるわけにはいかぬ。

 ホラインは騎士として告げる。


「たとえあなたが過去でなく、今ある国の皇帝や皇女であっても、同じ答えを言ったでしょう。我が心は故国にあり」


 彼の答えに侍女が言う。


「わかりました。とにかくいなということですね。お話は終わりました。今度こたびのことは他言無用に願います。ワガド皇帝の血を引く者が残っていたと知られれば、穏やかにはすまぬでしょう」


 ホラインは気になって彼女にたずねた。


「この屋敷の者たちには知られても良いのでしょうか?」

「はい。彼らは信用できる者たちです」


 本当にそうだろうかとホラインは心配するも、不安をあおる結果になってはいけないと口には出さない。


「いらぬことを聞きました。お許しください。失礼します」

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