5、真相
テレビ局。番組収録前。
「お邪魔します」
芙蓉美貴はいつものように紅倉先生に言付かってケーキの手みやげを携えて畔田の楽屋を訪れた。
「やあいらっしゃい」
畔田は嬉しそうに芙蓉を招き入れ、さっそく畳に上がると二人分のお茶を入れだした。芙蓉は苦笑しながら「失礼します」と靴を脱いで上がり込んだ。
「いつもすまないねえ」
畔田は嬉しそうに二つの皿にケーキを取り分けた。
「いただきます」
二人揃って食べ出して、芙蓉は畔田に訊いた。
「紅倉先生が先生が面白い話を持ってるから聞いてこいとおっしゃったんですが?」
「まったく紅倉君は勘が鋭どすぎるねえ。まあ君になら、ケーキのお礼に教えてもいいよ。
子どもの幽霊に悩まされているという相談があってね」
と、畔田はその話を聞かせた。
「それは、生き霊ということですか?」
「その通り」
畔田は出来のいい生徒を褒めてニッコリした。
「彼ら兄弟は夢を見ているつもりで、懐かしい思い出のあるあの家に毎夜それと気付かず遊びに来ていたんだね。でも彼らが遊んでいたのは今建っているあの家ではない、取り壊されて今はない、前の自分たちの家だ。だから奥さんが聞いた足音はどこかくぐもって、確かに家の中から聞こえるんだけど、どこか分からない壁を隔てたように聞こえていたんだね。奥さんには霊感があって彼らの遊んでいる音が聞こえたんだが、目では今の自分の家を見ているわけだから、そのギャップがあったんだね」
「奥さんは最初二人の足音を聞いていますが、姿を見たのは、弟の方だけですね?」
「そうだね。うーん……。人間の心というのはへんてこりんなことを思い込んで現れてしまうことがある。最初は兄弟二人揃って遊びに来ていたんだね。仲のいい兄弟だ。しかし、二階の自分たちの部屋で遊んでいるところへ奥さんがやってきて、知らないおばさんが居て、そこが本当は自分たちの家じゃないと気が付いてしまったんだね。その時点で弟の方は現在の自分の世界へ帰っていった。しかし、お兄ちゃんの方は……、心の中では最初からそこがもう自分の家ではないと知っていたんだろうねえ……、気付いてからも、それを認めたくなかったんだろう。無理やり自分を納得させる行動を取った。自分を幼い弟にしてしまったんだ。幼い弟になった自分は、知らないおばさんとその子どもたちを敵視し、一方、父親に甘えたんだね。父親だけ自分のお父さんで、他は他人だと切り捨てたんだね」
芙蓉が首を傾げる。
「何故父親だけそう特別扱いしたんでしょう? 自分の父親と似ていたんでしょうか?」
畔田は首を振った。
「いや、たぶん全然似ていないと思うよ。彼は自分をそういう風に思い込ませていたんだ。家に対する彼の一番強い思い、それは、父親が家に居る、ということだったんだ」
芙蓉は首を傾げ、畔田はちょっと悲しく笑った。
「えーと、ファイルしてあるよ。ほら、これ」
バインダーに挟んだ書類のページをくって、例のプリントを開いて芙蓉に渡した。芙蓉は受け取り、読んだ。
「なるほど」
「ね? それじゃあさすがの三津木君も番組には出来ないだろう?」
畔田は笑った。あまり元気のいい笑いではない。
父親は四十三歳。現在刑務所に服役中。
四年前、彼は郵便局に強盗に入り、逮捕され、裁判を経て三年六ヶ月の実刑を言い渡された。控訴はされず、刑が確定、即日収監された。
ずいぶんと間抜けな強盗だったらしい。
十月のことだった。まだそんな季節でもないのに厚い毛糸の帽子をかぶり、厚い毛糸のマフラーを口の上まで巻き、厚い毛糸のセーターを着て、最初から汗をびっしょりかいていた。
変な客だと思われていたが、案の定待合いの横椅子のとなりに座った女性の首にナイフを当て、窓口の女性に袋を渡し金を要求した。
「早くしろ! グズグズしているとこうだぞ!」と凄むと女性の首に当てたナイフに力を込めた。血がタラリと流れ、職員は青くなった。しかし当の女性客はガタガタ震えているものの、痛がる様子もない。
変だ、と思われた。
強盗は焦った。「は、早くしろ!」といきり立ち、ますます女性の首にナイフを強く当てた。さすがに痛がった女性は、自分の首にナイフを当てた男の手にボタボタ血が滴っているのを見てギャアアーーッと悲鳴を上げ、気を失った。
強盗は慌てた。女性は太っていて、重かった。
人質を放り出すわけにもいかず、強盗は必死に抱き起こして四苦八苦した。この時点で職員たちは呆れてぼんやり眺めていた。
「な、なにしてやがる! 早く金を!」と強盗は威嚇のつもりでナイフを振り回し、そのナイフから盛大に赤い血糊がピューーッと噴き出した。手品用の血が噴き出すオモチャのナイフだったのだ。
さすがに自分の失態に気付いた強盗は慌てて郵便局を逃げ出した。職員は慌てず騒がず、日頃の訓練の成果を発揮してカラーボールを見事強盗の背中に命中させた。
二十分後、公園の公衆トイレに潜んでいた強盗は頭を緑色に染めた姿でスピード逮捕された。
まるでマンガのようにお粗末な強盗犯だったが、つい前の週にやはり郵便局を標的とした、こちらは本物の凶悪強盗事件が発生したばかりで、人質にされた女性も何故か腰のヘルニアを再発させてしまい、この強盗はひどくお粗末な割にはこっぴどいしっぺ返し、三年六ヶ月という長い刑期を喰らうこととなった。
父親は、さる一流商社に勤めていたが、一年前にリストラされ、それを家族に言えずにずっと隠していた。
父親の逮捕後、家はずっと留守になっていたが、しばらくして表札が外され、残った家族はひっそり引っ越ししたらしい。それから二年家はずうっと無人のままだったが、ついに取り壊され、新しい家が建てられて売りに出された。
その家を買ったのがあの家族だったわけだ。別に人殺しや自殺があったわけではない、売った会社に買い手に前の家の事情を説明する義務もなく、周り近所には知れ渡っていた事実だったが、当の家族だけは知らないままだった。
「この人もね」
と畔田は茶をすすりながらため息まじりに言った。
「社会人としてはどうしようもなく駄目な人で、犯罪者なんだけれど、子どもや家族にとってはずいぶんいいお父さんだったようだ。息子さんが、お兄ちゃんだね、中学三年生なんだけど、そう言って泣きながら笑ってたよ」
「お会いになったんですか?」
「うん。わざわざ訪ねてきてくれたよ。あの、バカ高い、カードだね、封筒にこちらの住所だけ書いて送ってやったんだ。生き霊というのはさまよっている間は体の方に記憶は残らないものだからね、そんな物送られてきてもなんのことかさっぱり分からなかっただろうけれど、何か、思うところがあったんだろうね。受験勉強の大事な時期だけれど、夏休み中にわざわざ会いに来てくれたよ。ああ、そのカードね、家を建てるときにお守りとして埋めたんだよ。ほら、家を建てる前に地鎮祭をやって、玉串が差してあるだろう? そこに兄弟で自分たちなりに「家を守ってください」と自分たちの大事な、強力なボスのカードを家の守り神として埋めたんだね。まあ……、それだけ家を大事にして、実際暮らしたのはたった二年間だけだったそうだけど、子ども時代の楽しい思い出がいっぱいあったんだろうねえ………。子どもにとってはすごくいいお父さんで、楽しい、大好きな、我が家だったんだね。お兄ちゃんは一度だけ、取り壊された家の跡を見に行ったそうだよ。さぞかし、悲しかっただろうねえ」
痛ましそうに顔を渋くした畔田だったが、視線を上げるとパッと明るく笑った。
「来月出所だそうだよ。家族は今母親の実家にお世話になっているそうだけど、父親が帰ってきたらアパートを借りて家族で住むそうだ。お父さんが居れば、そこが立派な我が家で、いずれは自分が働いてまた立派な家を建てるそうだよ。だから、もう、あの家にお化けが出ることはないよ」
畔田は嬉しそうに言って、ケーキの最後の一切れを口に入れた。
「うん、美味しいね。ごちそうさま」
終わり
二〇〇八年二月作品
霊能力者紅倉美姫5 四角い土地 岳石祭人 @take-stone
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