第6章

第6章―1

 ――新しい父親が、今になって頻繁に鮫島さんを訪ねてくる意味とはなんなのだろう。


 あたしはここ一週間、そのことばかりを考えていた。

 朝食を食べているとき、にゃか女への登校中、授業中、休み時間、下校するとき、晩ごはんを待っている間、晩ごはん中、お風呂の中で、髪を乾かしながら、ラオネを撫でているときも、ベッドに寝そべり眠りにつくその寸前まで。

 本人に尋ねれば早いのだろうけど、それを尋ねたところで鮫島さんがあたしに話してくれるかはわからない。なんせ鮫島さんは父が自分に会いにくるということをわかっていながら、最後まであたしにそれを言おうとはしなかったのだから。

 それじゃあ鮫島さんのことを一番知っている古武さんに尋ねてみたらどうなのか。もちろんこれも考えた。考えたけど、まず第一に古武さんがこのこと――鮫島さんに今の父親が頻繁に会いにきているということを知っているかという確証が、あたしにはなかった。確証もないのにそれをあたしが尋ねて、そこで初めて古武さんが知ることになってしまったら? その場合、鮫島さんも古武さんもいい思いはしないだろう。仮に古武さんも知っていたとして、じゃああたしに詳しいことを話してくれるだろうか? いいや、可能性は低いと思う。

 現在、昼休みが終わったばかりの五限目で、教科は世界史である。例のおじいちゃんセンセーが眠りの呪文を延々と唱えていて、二十三人ものクラスメイトが魔法にかかり眠っている中で、あたしは相も変わらずぐるぐると考えを巡らせていた。

 そうだ。魔法といえば、今日は珍しくあたしの前の席に座るモモが起きている。モモはモモでなにか悩みごとでもあるのか、バリバリと後頭部を掻きむしったり、上を向いたり、かと思えばうーんと低く唸ったりしている。と、


「……うん?」


 モモがちらりとこちらを向いた。唇を尖らせて、じっとりとした目つき。あたしが首を傾げてみせると、モモはまた前を向いてうんうん唸り出す。

 モモの行動の意味がわからない。気になるといえば気になるのだけど、それであればあたしにはもっと気にしなければならないことがあるわけで。

 再び思考しようと瞳を細めたとき、右隣からカリカリとガラスを引っ掻く音がして、あたしは視線をそっちに向けた。すると、すりガラスの向こうにぼんやりとではあるけれど、オレンジ色の猫の姿が。ああ、ナゴだ。

 窓を開けて室内へと入れるようにしてやると、案の定、ナゴが滑り込むようにして入ってきた――のだが。


「あれ?」


 いつだったか、ナゴはあたしに甘ったるいチョコレートをプレゼントしてくれたことがある。プレゼントはその一度きりだったのだけど、今日、この瞬間。どこから持ってきたのか、ナゴがまた口許にチョコレートをくわえて現れたのだ。

 見間違いなんかじゃなかった。ナゴの瞳の色と同じ、宝石のようなグリーンの包み紙。口許から覗くそれは、うん。やっぱり、あのチョコレートに違いなくて。

 手を差し出すと、ナゴが掌にチョコレートを落とした。

 今回はあたしに渡したらすぐにどこかに行っちゃうんじゃなくて、長い尻尾の先端をぴこぴこと揺らし、あたしの机の上にのっしりと座り込む。あたしがそれを食べるのを見届けるまでは、いつまでもここに居座ってやるぞと言わんばかりの顔をしている。

 ああ、まいったなとは思わなかった。ナゴからチョコレートが包まれた包み紙へと視線を移して、それから考えることといえば、あのときとは随分と状況が変わったなあということ。

 チョコレートを手にしたまま、あたしはナゴの頭をそっと撫でた。チョコレートを食べないあたしを急かすわけでも怒るわけでもなく、ナゴはおとなしくあたしに撫でられている。


「なんだかさ。最近、色々と難しいよ。あたし、どうしたらいいのかな。ねえ、ナゴ」


 もちろん、あたしがどうしたらいいのか。ナゴが教えてくれることはなかったけれど。

 その代わりに、今日のナゴはとても優しかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る